健康診断の逆効果

「健康経営」という経営スタイルが、日本の大手企業の間で大ブームを起こしている。経産省のホームページには以下のようにある。

〈健康経営に取り組む優良な法人を「見える化」することで、従業員や求職者、関係企業や金融機関などから「従業員の健康管理を経営的な視点で考え、戦略的に取り組んでいる法人」として社会的に評価を受けることができる環境を整備することを目標としています〉

 会社における人事評価のような項目が全部で24あり、高い評価を受けると、「健康経営銘柄」「健康経営優良法人」「健康経営優良法人ホワイト500」に認定される。
「健康経営」を実践している企業に就職を希望する学生が増え、人手不足に悩む企業が慌ててこの項目を達成しようと躍起になっている。しかし、就活生たちがその実態を理解しているとは到底思えない。

 具体的な項目をみていくと、多くの問題を孕(はら)んでいることがわかる。何より、「健康経営」を実践する会社の社員が本当に健康になれるかが疑わしい。健康経営は長期的に実践することで成果が出てくるというが、効果が科学的に証明されているわけではない。
 健康経営の認定要件に「②従業員の健康診断の実施(受診率100%)」とある。ところが、日本社会で幅広く実施されている「健康診断」「定期健診」「人間ドック」が健康を害する可能性があるのではないかと、医療関係者からも指摘されている。

 例えば、朝日新聞デジタル(2021年5月7日)はこう報じる。

〈検査をしたことによる害もありえます。異常値があればさらに多くの検査をして検査自体の負担がふくらむかもしれません。深刻な病気が見つかって不安になり、生活が崩れるかもしれません。見つかったものをすぐ治療するべきか、様子を見るべきかはしばしば判断しにくく、「念のため」と思って手術などの負担が大きい治療をした結果、実は治療しなくてもよかったとわかることもありえます。
 さらには病気が見つかったことで保険加入に影響が出るとか、就職・転職に影響が出ることも考えられます。たとえ見つかったのが実際には放っておいてよい病気だとしてもありえることです。
 健康な人に対する検査はこうしたさまざまな側面を検証したうえで、利益が害を上回ると確認できたものに限って使うべきなのです〉


 極めて常識的な知識として、健康診断が健康につながるかどうかは不明である。受診率100%を達成しろというのは事実上、社員への強制にほかならない。業務命令が必要である。健康を害する可能性のあることを行政が支援していいのだろうか。大きな疑問が残る。当然だが、身体に何の異常も感じていない人に検査を受けさせてもあまり効果がない。
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「健康診断」「定期健診」「人間ドック」が健康を害する可能性があるのではないか(画像はイメージ)

私生活を管理される

「健康経営」の項目のなかには、社員みずからが積極的に行動しなければならないものが多い。「企業が社員の健康を守る」という本来の趣旨から離れている。私たちが「健康経営」に期待するのは、過重な労働やストレス、不規則な勤務時間、上司のパワハラ・セクハラなどを取り除くことではないだろうか。健康経営は個人の私生活の改善を具体的な数値目標も入れ込みながら求める一方で、企業側の責任については曖昧な項目が多い。

 最大の問題は、従業員の自由やプライバシーを侵害していることだ。健康経営の施策には、従業員の健康状態や生活習慣などの個人情報を収集・分析するものがある。個人のプライバシーに属する情報を企業側に開示することに不安を覚える人も少なくないはずだ。
 運動をすることがストレスに感じる人もいれば、偏った食生活が自分には合っているという人もいる。最新の医療データに従えば、牛肉や砂糖などは食べない方がいいという結論に至っているが、社員がすきやきを食べるか食べないかを、会社が決めるのだろうか。

「健康経営」認定企業が導入している「リモートワークにおける自宅喫煙の禁止」にも違和感を禁じ得ない。私はその会社の社員ではないが、心の底から大きなお世話と言ってやりたいところだ。ウクライナ戦争で兵士たちがタバコを吸っている姿をみても、過酷な状況になると人間は喫煙したくなるのだろうと推察できる。
 タバコが重点的に攻撃されている一方で、健康を明らかに害している「お酒」については項目がない。WHOの報告でも、アルコールを一滴でも摂取すると健康に有害とされている。人間の判断能力を失わせている〝薬物〟なのだ。経営の神様・稲盛和夫はお酒やたばこを嗜(たしな)んでいた。晩年は控えていたようだが、それらが経営に影響を与えていたとは到底思えない。人間組織のあり方として、過度な介入はやめるべきだろう。

 受診率100%の達成、さらには「健康経営の実施についての効果検証」が会社に必須となっていることから、今後は社員の私生活を会社に管理されることになる。個人の健康や私生活の情報を会社に与えていいのか。労働組合などは徹底的に対決してほしいところだ。

ムダな仕事を増やすだけ

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過酷な状況になると人間は喫煙したくなるのだろうか(画像はイメージ)
 経産省ヘルスケア産業課が昨年6月、「健康経営の推進について」という資料を作成した。そこには、誇らしげにこう書いてある。

〈健康経営銘柄2021に選定された企業の平均株価とTOPIXの推移を、2011年9月~2021年9月の10年間で比較。銘柄に選定された企業の株価はTOPIXを上回る形で推移している〉

「健康経営」が進んでいるから株価が好調なのではなく、経営資源に余裕がある企業しか健康経営に取り組めないというだけだろう。健康経営が本当に従業員の健康にプラスになっているのか、経営にプラスになっているのかは大きな疑問が残る。従業員の私生活に踏み込んで健康度を測定・監視・促進するためには、多くの経営資源が必要である。中間管理職の仕事を増やすだけではないか。コストが利益を上回っているのか。

「健康経営」と似たような概念で、「Well-being(ウェルビーイング)経営」というものがある。こちらは勤務時間、勤務地、退職年齢、福利厚生制度など、企業が提供する具体的な条件や環境をチェックする。メンタルについても、従業員の目標や成長、同僚や上司との関係、利害関係者との関係性など、より抽象的で人間関係や自己実現に関連する項目を支援しようとするものだ。従業員の組織内での役割や貢献、職場満足度に深い関心を寄せた経営法である。社員1人ひとりの健康状態に深く寄り添いつつも、「応援」をしようという仕組みだが、人の私生活に土足で入ろうとする健康経営よりも望ましい。

 日本人は、いつから私生活まで国や企業に手取り足取り指導してもらわないと生きていけない〝お子様〟になってしまったのだろう。自ら考え、自ら行動する。私たちの手に「独立自尊」を取り戻そうではないか。
おぐら けんいち
1979年生まれ。京都大学経済学部卒業。国会議員秘書を経てプレジデント社に入社、プレジデント編集部配属。経済誌としては当時最年少でプレジデント編集長に就任(2020年1月)。21年7年に独立。現在に至る。

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