「被爆者=反核」ではない

 私は被爆3世だ。先祖代々、広島県で生まれ育ち、私自身も反核・平和教育を12年以上受け続け、祖父母は広島原爆の被爆者だ。
 被爆者といえば「反核」であることが当然であるかのような全体主義的な思想統制がある。しかし、核兵器についての強い気持ちがあることは共通しているものの、すべて同じではない。そこで、少し祖母の話を紹介してみたいと思う。

 私の祖母は昭和20年8月6日当時、高等女学校5年生(現在の高校2年生に相当)だった。空襲の激化を避けるため、本家のある広島県甲山町(現在の世羅町)に寄宿していた。あの日の朝、広島市内に新型爆弾が投下され壊滅的打撃を受けたことを祖母が知ると、大叔父に「すぐ広島市に行きたい」と泣きついた。広島東警察署に父親が勤務していたからだ。大叔父は近隣の親族から貴重な備蓄ガソリンを借り集め、自家用車(オート3輪)に祖母を乗せて出発した。

 そして夕暮れ時に、ようやく広島市内に差し掛かった。京橋川を渡ろうとすると、もうあたりは死体と負傷者にあふれていた。市内の火の手は勢いをなくしていたが、肉の焼けた臭いが充満していた。ようやく東警察署前に着くと、建物自体は大きな損壊はしておらず、東警察署は翌日から臨時県庁舎として使うということで人の出入りがあった。
 しかし、父の所在は確認できなかった。大叔父は祖母に対して「新型爆弾だから、どんな毒が仕込まれているかわからんけぇ、車内から出るな」と念を押し、父を捜すため車から飛び出して市内中央に行こうとする祖母を止め、慰めながら帰路についた。祖母は無数の死傷者と壊滅した街を目に焼き付け、「皇軍はこの新型爆弾を持っていないんだ。だからアメリカは使ったんだ。持っていたら、報復合戦になるから使うはずない」と思い、悲しみと怒りを嚙み締めたという(※我が国における被爆者の定義は原爆投下後2週間以内に市内に入った者を含める)。
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広島平和ドームと公園

「平和原則」は原理主義の経典か

 少し前の話になるが、参議院予算委員会で敵基地攻撃能力を含む「あらゆる選択肢」についての議論がされた(令和4年2月24日午前10時頃)。
 白眞勲(はく しんくん)議員(立憲民主党)が「選択肢に核兵器は含まれるのか」と質問したところ、岸田文雄首相は「非核3原則は我が国の国是と認識している。核兵器を使用する、保有する選択肢はない」と答弁。そして、その約3時間後、ロシアによるウクライナ侵攻作戦が始まった。
 世界各国がロシアの軍事行動に対して否定的な外交方針を表明すると、プーチン大統領は「ロシアへの直接攻撃は侵略者の壊滅と悲惨な結果につながるだろう」「邪魔する者は歴史上で類を見ないほど大きな結果に直面する」などと、核兵器による脅迫を繰り返した。

 国連常任理事国による「核攻撃の脅迫」を受け、安倍晋三元首相は出演したフジテレビの番組内で、日本の領土内にアメリカの核兵器を配備して共同運用する「核共有(ニュークリア・シェアリング)について国内でも議論すべきだ」との認識を示した。

 一方、岸田首相は「非核3原則を堅持するという我が国の立場から考えて認められない」と述べている。記者会見では記者から「ロシアの核攻撃のリスクが高まっている中で非核3原則を堅持して国民の命を守れるのか」と質問されたとき、「守れると信じている」と強調した。しかし、その具体的根拠はなく、まるで「必ず戦争に勝つ」と国民に主張した大本営発表のように精神論を語るだけだった。

 国際状況が日本国憲法や非核3原則を制定した当時とはまったく変化しているにもかかわらず、なぜこれらの「平和原則」を原理主義の経典のように仰ぐのか。祖母の体験談を聞いて育った私としては、日本の安全保障政策を考え直すべき時期を迎えていると感じざるを得ない。
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「非核3原則」を国是と言うが

日本の奇妙な核議論

 我が国における核兵器をめぐる議論には、到底理解できないものが含まれる。
 たとえば、条約と国会決議の法的地位の理解だ。我が国では義務教育で、憲法、条約、法律、決議、条例の順に法規範の序列を学ぶ。条約は憲法の下位にあるも法律より上位にあるため、条約に反する法律は制定できない。

 ところが、非核3原則という「国会決議」があるため、日米安全保障条約第六条(日本国における米軍の施設・区域使用権)が制限されるという奇妙な議論がたびたび起きている。法学の常識からいえば、国会決議は衆議院の内閣不信任決議(日本国憲法第69条)以外の法的効果はないが、条約、ときには憲法まで「拘束する」という錯乱した認識を持つ人々が多くいる。

 たとえば、3月11日に津軽海峡を核武装していると思われるロシア艦隊が航行した。領海は領土沿岸から12海里だが、津軽海峡や対馬海峡などは法律ではなく政令で領海を裁量的に決めて公海を定めている。というのも、沿岸から12海里だと津軽海峡全域が領海となってしまうため、核兵器を装備した米艦隊が航行できなくなってしまうという奇妙な議論が国会で繰り返されたからだ。

「核兵器積載艦のわが国の領海内の通航というのは、自由に通せば非核3原則を崩したと言われることになる」(正森成二日本共産党衆議院議員・昭和51年7月14日衆議院決算委員会第13号)といったように、「国会決議が条約を制限する」という錯乱した議論がこれまでされてきた。

 同様の議論は憲法論にも見られる。3月7日の参院予算委員会では、小西洋之議員(立憲民主党)による核共有についての質問に、岸田首相は「私の内閣としても国是として(非核3原則を)堅持をしている」「少なくとも非核3原則の『持ち込ませず』とは相いれない。核共有について政府としては考えない」と答弁した。しかし、国会決議は憲法が定める自衛権を否定できない。内閣法制局は憲法と核兵器の関係性について、次のように公式答弁している。

「我が国を防衛するための必要最小限度のものにもちろん限られるということでございますが、憲法上全てのあらゆる種類の核兵器の使用がおよそ禁止されているというふうには考えておりません」(横畠裕介内閣法制局長官・平成28年3月18日参議院予算委員会第17号)

 核兵器といっても、さまざまな種類がある。核地雷や核機雷のように相手国が侵攻してこなければ爆発しないものもある(射程500キロメートル以下のものは戦術核に分類される)。憲法が交戦権を否定しても自衛権を否定していないことは自明の理(ことわり)であるにもかかわらず、この世界の常識を共有できない人が我が国には大勢いる。それはなぜなのだろうか。(次回に続く)
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橋本 琴絵(はしもと ことえ)
昭和63年(1988)、広島県尾道市生まれ。平成23年(2011)、九州大学卒業。英バッキンガムシャー・ニュー大学修了。広島県呉市竹原市豊田郡(江田島市東広島市三原市尾道市の一部)衆議院議員選出第5区より立候補。令和3(2021)年8月にワックより初めての著書、『暴走するジェンダーフリー』を出版。

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