武漢発の新型コロナウイルスの感染拡大に際し、日本の安倍晋三政権が発令した緊急事態宣言に、「強制力がなくて見かけ倒し」だと一部の海外メディアがやかましい。日本が武漢肺炎による死者が100人に満たない4月の初めごろ、欧米の4カ国はすでに1万人以上が亡くなっていたから、感染爆発への教えを諭(さと)したかったか。

 安倍首相がその緊急宣言に際して「フランスのようにロックダウン(都市封鎖)はできない」と述べていたことが、フィガロ紙はよほど気に障ったらしい。彼らの筆致は「日本人は在宅を強制されないし、自粛要請に従わなくても企業は処罰されない」と憎々しげだ。ロイター通信もこれに同調した。

 筆者には、これらの記事が万を超える死者を出してしまった欧米の妬(ねた)み嫉(そね)みに聞こえ、中国や韓国のそれは、日本がこれから感染爆発で苦闘することへの願望に思えた。善良そうな顔をした叱咤や忠告は、下心が見えて胡乱(うろん)である。日本が主要国に比べて死者が少ないのは、政府が感染症専門家チームの支援で集団感染を抑え込み、強制によらず「道義的勧告」を受け入れる独自文化があったからだと確信する。
 遠くヨーロッパでは、イタリアが自宅待機を破れば武器の使用もありうると首相が脅し、スペインでは鉄道をすべてストップさせ、イギリスでは外出禁止令に違反すると罰金を科した。目を転じれば、非常事態を迎えたときのアメリカ人の行動がすごい。マスクには目もくれず、真っ先に銃器店へと駆け込んだ。犯罪や暴動を見込んで、自分と家族の身を守るためだ。

 日本人の目には彼らの行動が異様に映るが、あちらからは罰則規定のない日本は緩すぎて異質に見える。人種が混在し、貧富の格差が大きいアメリカ人やヨーロッパ人にとって、人は利に走りやすく、欲張りで、悪事を働くとの性悪説に立っている。政府の自粛要請があると、若者たちは逆に広場でパーティーを繰り広げるから、日本のような「道義的勧告」を受け入れる許容量に乏しい。

 日本で見られるのは、マスクを求めて開店前からドラッグストア前に整然とならぶ人々の姿だ。日本人にもよこしまな心根はあるものの、幾分かは恥と礼節と長幼の序の名残をもち、かつ横並び意識が強い。逆にいえば、お上に対する上下意識からくる忖度(そんたく)があり、村八分という掟(おきて)の残滓(ざんし)が意識の底にあるのかもしれない。決まったことには、おおむねその方向で動く。その傾向は人口比の数字に表れていて、コロンビア大学のジェフ・サックス教授が挙げた4月7日段階の統計で、人口100万人あたりでみる武漢肺炎の死亡数が最多のスペインの300人に対して、日本は0.7人と少ない。スペインに次ぐイタリアが283人、イギリス91人、アメリカ38人である。
 日本政府の専門家チームの見解をもとに、欧米流の声を追い風にしたのが東京都の小池百合子知事であった。連日、彩り豊かなマスクで会見する小池知事は、巧みに国との対立構図をつくって強い指導者像を印象づける。当初は感染症がこのまま拡大すれば、「ロックダウンしなければならない」と強調し、法的に不可能と知るや、今度は「ステイ・ホーム」へと切り替えた。都市封鎖を意味するロックダウンはヨーロッパ風だし、ステイ・ホームはアメリカ風である。

 小池知事の手法は、連日午前10時の記者会見を通じて信頼を高めたニューヨーク州のクォモ知事を彷彿させる。実はそのクォモ知事が繰り出したのが、この「Stay at Home」だった。小池知事はすかさず「Stay Home」のボードを掲げた。彼女が繰り返す警告が、なぜか「夏の都知事選向けパフォーマンス」と余計な憶測を生むのは人徳のなさだが、それで武漢肺炎の抑止に効果があるのなら結構だ。
 日本人は関東大震災の後も、第2次大戦後も、絶望的な焦土の中からよみがえった。そして、阪神・淡路大震災や東日本大震災のときも、衣食足りずとも礼節があった。ようは自国の伝統文化に見合った公衆衛生上の考え方を貫けばよいのではないか。いずれにしても、日本が独自の道で武漢ウイルスの制圧を貫くのなら、一致して「道義的勧告」の成功を見せてやろう。
湯浅 博(ゆあさ ひろし)
1948年東京生まれ。中央大学法学部卒業。プリンストン大学Mid-Career Program修了。産経新聞ワシントン支局長、シンガポール支局長を務める。現在、国家基本問題研究所主任研究員。著書に『覇権国家の正体』(海竜社)、『吉田茂の軍事顧問 辰巳栄一』(文藝春秋)など。

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