「戦うオオカミ」――中国外務省の新しい報道官、趙立堅氏についたあだ名である。強硬発言が目立つ人物で、特に米国に対し痛烈な言葉を浴びせるのが得意だ。あだ名の由来は、中国軍・元特殊部隊兵士の海外での活躍ぶりを描いたアクション映画『ウルフ・オブ・ウォー』。中国外務省関係者によれば、本人はインターネットで「戦うオオカミ」と呼ばれることを気に入っているという。

 1972年生まれ。中国外務省に入省後、韓国の大学院に留学し、パキスタンに2回も駐在したなど非主流外交官の道を歩んできた。転機は2010年、38歳の時に訪れた。個人の名前でツイッターを始め、米国を批判することで注目を浴びるようになった。「本音をいう外交官」と自称しているが、そもそもツイッターの使用は中国国内で禁止されており、上司の許可がなければ、自由に発信できるはずがない。趙氏の発言のすべては事前に検閲を受けていることはいうまでもない。

 趙氏が報道官に抜擢されたのは、2020年旧正月休み明けの2月下旬だった。早速物議をかもした。3月12日、武漢発・新型コロナウイルスについて「米軍が武漢に持ち込んだ可能性がある」とツイッターに書き込み、一大外交事件に発展した。趙氏が書き込んだのは、中国国内のインターネットで流行っている陰謀論の1つだ。19年10月に武漢で開かれた軍人の国際スポーツ大会に、米国から選手団が派遣された。その2カ月後の12月から、武漢を中心に感染症が広がったため、「米国選手団がウイルスを持ち込み、中国に生物戦を仕掛けた」という説がネットで広がった。中国国内外のメディアが相手にしない珍説ばかりだが、趙氏がそれを取り上げると中国政府の主張になってしまう。

 しかし、外務省報道官という立場の趙氏が「米軍持ち込んだ説」を取り上げたことは、それが中国政府の意見になってしまうので、世界中のメディアが大きく取り上げた。米国政府は当然ながら容認できない。米国のスティルウェル国務次官補はすぐに、中国の崔天凱・駐米大使を呼び出して抗議したほか、ポンペオ国務長官も「偽情報や奇妙な噂を広めるべきではない」と中国の楊潔篪政治局員に電話で不満を漏らした。

 騒ぎが大きくなったことを受け、趙氏は4月7日の会見で「米国の一部の政治屋が中国に汚名をかぶせたことへの反発だった」と釈明したが、謝罪も訂正もしなかった。その後の記者会見で、米国に対し依然として「無責任だ」「不道徳だ」などの強烈な言葉を連発し続け、全く反省する様子はみられなかった。大問題を起こしたにもかかわらず、趙氏が更迭(こうてつ)されなかったことから、中国政府は彼の発言を容認したことが窺(うかが)える。

 筆者は2007年から約10年間、新聞社の特派員として北京に駐在した。多くの中国の外務省報道官と付き合いがあった。ほぼ毎日の定例記者会見でやり取りするほか、要望を出したり、記事の抗議を受けたり、一緒に食卓を囲むときもあった。のらりくらりと質問をかわし、相手に言質を取らせないような「タヌキタイプ」がほとんどで、趙氏のような攻撃的な「オオカミタイプ」はまずいなかった。

 趙氏だけではない。駐日大使時代、紳士的だったといわれる温厚な王毅氏が、外相になってから外国人記者に対する態度が威圧的になり、最近は、気にくわない質問をする記者を罵倒する場面が増え「オオカミ化」が進んでいる。

 外交問題に詳しい中国人学者は、趙氏や王氏らは外国人記者に向けて話しているように見えるが、頭の中で意識している相手は中国最高指導者の習近平氏だと分析している。国内外に向けて強いリーダーを演じようとする習氏は、民族主義を煽り、外国とのけんかを通じて、中国の毅然とした態度を示すのが好きだ。強硬発言をすれば褒められ、趙氏のような非主流外交官が重要ポストに登用されたわけだ。一方、筆者がよく知る「タヌキタイプ」の外交官たちは上から「弱腰」と言われ、その後、出世した人はほとんどいなかった。今後、中国外務省の中で「オオカミ」はますます増えるとみられる。

 しかし一方、中国の外交の現状はどうだろう。習近平政権になってから、周辺国とトラブルが続き、途上国に大量のお金をばらまいているのに、あまり感謝されていない。米国との関係は改革開放以降、最悪になった。当然と言えば当然の結果だが、趙氏のような「戦うオオカミ」が外務省報道官であるかぎり、中国が国際社会からますます孤立していくことは目に見えている。
矢板 明夫(やいた あきお)
1972年、中国天津市生まれ。15歳の時に残留孤児2世として日本に引き揚げ、1997年、慶應義塾大学文学部卒業。産経新聞社に入社。2007年から2016年まで産経新聞中国総局(北京)特派員を務めた。著書に『習近平 なぜ暴走するのか』(文春文庫)などがある。

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