おごる・おごらない問題

 YouTubeで圧倒的再生数を誇る人気料理研究家、リュウジさんが炎上しています。

 友人とのバーベキューの場でその友人が何人もの女性を呼び、会計が男持ちであった、しかしその女性たちとは知り合いですらなく、リュウジさんは「なんで男ってだけで知らん女子の飯代払わなきゃいけないの?」とお冠(かんむり)、というわけです。
 ところがそれをツイート(ポスト)したところ、女性と思しいアカウントから「モテない男はカネを出す事に不満を持つ。一般人よりカネを持ってるのにちいせぇー男だなぁ…」「飲み食いした支払いを問題にしたんだから、一番悪いのは意地汚い女子を連れてきて、その分を払わなかったあなたの友人でしょ。」などとバッシングに遭ってしまったのです。

 さらに事件の当事者と思しい女性(以降、M氏と呼称します)もツイッター(X)上で、反論の書き込みをしたのです*。
 実は当日、女子の1人は「有名人なのにケチすぎ、今の会話録音したからな、拡散してやる」とまで言っており、リュウジ氏もそれに苦言を呈していたのですが、M氏によればそれはリュウジ氏がキレ始めて身の危険を感じたがためのことであり、また拡散してやるとは言っていない、とのこと。

 またリュウジ氏はバーベキューと言っていたが、ことが起こったのはバーベキュー後に入った「ラグジュアリーな空間のバー」だったということで、彼女らにしてみれば「そうしたところでは男性が女性におごるものだ」というのが不文律であったようです。
 もっともリュウジ氏はキレてはいない、また確かに拡散すると言われたのだと再反論しています。
 しかし、こうなるとリュウジ氏が一方的に被害者であり、潔白かどうかは何とも言えません。あるいはリュウジ氏にも行きすぎや思い込み、記憶違いなどがあるのかもしれません。
 また、リュウジ氏と(女性たちを呼んだ)友人との間で、認識や価値観の齟齬(そご)があった、とも考えられましょう。

 ただM氏のツイートを見ていると、

〈2件目ではシャンパンガンガン開けて女性酔わせてたよね?それでお前らも金払え!ってキレて死ぬほどダサいのわかってる??わんちゃんやれるの期待したけど、女性に相手にされなくて怒ってたようにしか見えなかったということです〉

 などといった罵倒も並んでいました。
 怒りのあまりとはいえ、M氏も大概だ、との感想を持ってしまいます。

* このM氏、当初は当事者の知り合いと自称していたのですが、途中からは当事者のように振る舞い始め、またリュウジ氏もツイッター上のやり取りにおいてそのように対応しているので、基本、「当事者」と判断していいように思います。また、M氏のツイッターアカウントは騒動の直後消え、また復活しているため、消えたツイートについてはスクリーンショットなどから引用していることをお断りしておきます。
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リュウジ氏のツイート

女性に対するある種の幻想

 さて、事態は錯綜しており、どちらが正しいの間違っているのと軽々にジャッジはしにくいのですが、本件の本質はまず、ネットでは定期的にバズるおごるおごらない問題だ、ということが言えましょう。
 日刊ゲンダイDIGITALはリベラルメディアらしく、

〈一連の投稿やニュースに対し、「いやいや男が奢って当然でしょ」といったコメントをしている人の多くは、昭和のバブル期やその名残を味わった40代以上の男性に多い〉

 と一席ぶっていますが、本件で「おごるべき」と主張しているのはおじさんどころか、20代前半の女子であるのだからわけがわかりません。
 また、この女性たちがギャラ飲み女子、あるいは港区女子ではなかったか、といったことも論点になっています。このギャラ飲み女子、港区女子とは富裕層の会合に参加しては豪華な食事をおごってもらい、またタクシー代や他の女性の紹介料などで稼ぐ存在だそうです。港区女子は港区を活動拠点にしているのでしょうが、両者、基本は同じと考えてよさそうです。

 もっとも、リュウジ氏は前者について、「ギャラ飲みじゃないかって意見がありますが、ないですね、普通に良くBarで飲む友達呼んだって言われましたし、女性もそう言ってました」として否定しており、一方、M氏は「ケチは港区来て港区女子と飲むな!」と港区女子を自称しているとしか思えぬ発言もあれば、「ギャラ飲みをしたことはない」といった発言もあり、主張が一定しません。

 ともあれ、本当に美人と会食したいのならコンパニオンでも呼ぶべきとも思えますが、このギャラ飲み女子、港区女子は「素人」であるところがミソなのでしょう。要するにビジネスかあくまでプライベートな友人関係なのかが判然としない、そのボーダーライン上に位置しているのが彼女らであると言えそうです。
 彼女らは事務所から派遣されるのではなくある種の「個人事業主」とも言え、顧客とのネゴシエーションを自らやらなければならない存在です。しかし先に「素人」と書いたようにあくまでタテマエとしては一般の女子なのだから、酒席に着く時に「このような会ではこれだけいただいております」といった交渉ごとが発生するわけではない。何とはなしのムードでことが進んでいくため、リュウジ氏の友人としては当然、飲み代は男持ちという頭だったのが、リュウジ氏にそのつもりはなかった。仮にコンパニオンでも呼んでいれば、こうした揉めごとが起こる可能性は低かったわけです。

 ここには男性側の(本件においてはリュウジ氏の友人の)「素人」に幻想を見て取りたがる心理も、どこかに介在していたのかも知れません。「素人AV」だの「素人エロ動画」だの、男性一般には水商売ではない女性に対してある種の幻想があります。
 フェミニストであればこれを「ミソジニー」として糾弾するでしょうが、AVなどに出演する女性たちが(経済的事情などもあれど、それにしても)自主的に出演していること、女性が男性向けポルノと変わらないようなレディースコミックを好んで読むことなどを考えればわかるように、フェミニストが「男性中心につくられた女性差別的な性文化」と称するモノは、実際のところはほとんどが男女共同参画でつくり上げてきた、その意味で「女性向け」のモノでもあるのです。
 それと全く同様に、ギャラ飲み女子、港区女子の「素人性」もまた、「男性に受けるため」という理由もさることながら、当人である女性たちの快にも根ざしているということを、押さえておくべきです。


 男性の素人性への期待は「処女性」への期待とも言い換えられましょう(し、そこをフェミニズムは厳しく糾弾するでしょう)が、それはキレイに表現するならば、(金銭を介在しない)自由恋愛への憧れとも言えるのです。処女性というものも、一方ではその女性が金銭目当てではなく、自分への愛情を持っていることを担保するもの(自分以外の男性へは関心を向けていないことの証拠)でもあるわけです。
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「料理研究家リュウジのバズレシピ」は登録者数430万人をこえる大人気動画だ

女性側の本音

 しかし、これを女性の気持ちに立って考えてみればどうでしょうか。素人性は自分が自分の性的魅力を売り物にしていない、清純な女性であることの証明になり、好ましいわけです。
 いえ、それだけではありません。
 彼女らにはリュウジさんが「友人の友人」と認識していたように、あくまで「プライベートなおつき合いで呑み会に出席をした」といった「設定」が前提されているのです。

 そこで暗黙の了解で男性は女性の分も支払う。それは女性の中では「自分たちがあまりに魅力的だったため、(自分たちはそのつもりがなかったのに)その見返りとして食事や飲み代をおごってもらえたのだ」との物語となるわけです。これが上に書いたように「ギャラ飲み女子なので食事代はそちら払いで」などと交渉せねばならないのだとしたら、台なしです。
 M氏の発言が一定しないのは象徴的で、彼女は自分から「ギャラ飲み」をしたことはないが、(あまりに自分が魅力的であるがため)男性におごってもらえて当然なのだ、という微妙な世界観を持っているのだと言えます。

 いえ、彼女自身のことはともかく、そもそもギャラ飲み女子とは「私はギャラ飲み女子ではない」と自称することで成り立つ、「素人AV女優」のような奇妙な存在なのです。
 そればかりかリュウジ氏の行為は女性にしてみれば自分を「ふった」「お前には性的魅力がないのだ」と言われたのに等しい。言うならば「チェンジ」と言われてしまったようなもの。女性としてはメンツを保てなくなってしまうのです。

 もっとも、考えてみればギャラ飲み女子だろうと港区女子だろうとビジネスであれば、「チェンジ」の可能性はあるのが当たり前です。ぼくも入魂の原稿がクオリティに達していなかったとして「チェンジ」扱いを受ける可能性を常に抱えているわけです。
 しかしながら、それが「入魂」であればあるほど「チェンジ」は痛恨になる。M氏が自身の行為を「ギャラ飲み」ではないと考えるのは、そこにも理由があるのかもしれません。

一面の真理

 少々話は飛びますが、これも近年、YouTubeとTikTokで公開されて炎上した「痴漢冤罪」というショートフィルムをご存じでしょうか。
 女性が電車内で居眠りして男性へともたれかかってきた。男性が女性を起こしたところ、「痴漢だ」と声を上げられ、男性は周囲の人間に取り押さえられてしまうというものです。これは事件記録ではなくあくまで創作です(制作者もはっきりしています)が、(男性側ではなく)女性の怒りを買い、バズってしまいました。しかしこれは確かに、ある種の女性心理を巧みにすくい取っており、だからこそ炎上したのだと言えます。

 一度相手を痴漢認定した以上、それ翻(ひるがえ)してしまっては、まるで自分に性的魅力がないのにあるかのように過信してしまったと認めるも同然であり、そんな自分を衆目に晒(さら)されることは大変な屈辱です。女性にしてみれば引くに引けない状況であるわけです。

 リュウジ氏の件もこれと非常に似ているのではないでしょうか。
 もちろん、この動画はあくまで創作で、悪いのは女性だとはっきりしています。
 それに比べリュウジ氏の件はM氏との主張が食い違っている以上、必ずしもリュウジ氏が一方的な被害者であるとは言い切れません(M氏の言う事件の記録はリュウジ氏も公表を許可しているので、それをしてくれればいいのですが……)。
 しかしながら女性側にとって、自分の側の非を認めることが大変な屈辱であり、それがしにくいという点では、やはり非常によく似ているのではないでしょうか。

 いえ、本件と「性犯罪(冤罪)」との共通点はそこに留まりません。
 M氏の反論を思い出してください。リュウジ氏が逆ギレして、それで身の危険を感じたというのが、彼女の言い分です。
 しかしこれは性犯罪の場などでも広範に言われることです。
 ぼくは今までも、女性が抵抗も拒否もなく男性と性的関係を持った場合ですら、後からいくらでもセクハラ認定、レイプ認定してしまえるというのがフェミニズムの論法だとお伝えしてきました(女性が後から「性被害」といえば性被害である!と断ずるフェミ理論)。

 男性が会社の上司など目上の者であった場合、怖くて断れないではないか、というのが彼女らの言い分です。
 しかしそれは、女性がちょっとでも恐怖を感じたのであれば「広義の強制」があったのだとの論法であり、言うまでもなく当人が恐怖を感じたかどうかは主観であり、「言った者勝ち」です。
 もちろん、本件においてリュウジ氏が少々過剰に怒りを露わにし、M氏も本当に恐怖を感じていた可能性もありましょうが、「怖がってみせる」ことで女性は男性に対し、有利にことを運ぶことができるというのもまた、一面の真理なのです。


 さて、リクツを言うならば「ここまで女性が社会進出し、自ら稼いでいるのだから、飲み代は割り勘にしろ」というのが正論であり、ぼくも半分くらいは賛成です。しかし本件が明らかにしたのは、今の若い女性にも「男におごられることで自分はいい女であると実感したい」という欲求が耐えがたくあるということでしょう。
 フェミニストであればここを「素人に対して処女性を求め、また女におごることで甲斐性をひけらかしたい男が全て悪い」と言うでしょうが、実際にはそれは「素人として振る舞うことで、おごられることで自らの性的魅力を実感したい(自分はあまりにも魅力的なので男性が進んで対価を与えてくれたと思いたい)」という女性側の欲求と不可分のものだったのです。

 それはいかに女性の社会進出を奨励しようとも、成功した女性も自分より上の男性としか結婚しないこと、また専業主夫を養うことが例外的であることと、全く根を一にしています。
 ゲンダイの記事がいかにご高説を垂れようと、やはり「男性は女性におごるもの」「だからこそ基本的に社会に出て稼ぐのは男の役目」といった「ジェンダー規範」をよしとする以外、丸く収める方法はないのではないでしょうか。

 それがどうしても嫌だと言う女性は、こうした時、決して港区女子の肩を持ってはならないことだけは、確かです。
YouTube (13540)

ショートフィルム「痴漢冤罪」
via YouTube
兵頭 新児(ひょうどう しんじ)
本来はオタク系ライター。
フェミニズム、ジェンダー、非モテ問題について考えるうち、女性ジェンダーが男性にもたらす災いとして「女災」という概念を提唱、2009年に『ぼくたちの女災社会』を上梓。ブログ『兵頭新児の女災対策的随想』を運営中。

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