兵頭新児:女性が後から「性被害」といえば性被害である!...

兵頭新児:女性が後から「性被害」といえば性被害である!と断ずるフェミ理論

唐突に参戦してきた#KuTooの石川優実氏

 少々旧聞には属しますが、3月9日、『文春オンライン』において、映画監督である榊英雄氏が自身の作品に出演したりワークショップに参加した女優4人から、性的行為を強要されたと訴えられたと報じられました。榊氏が女優たちに映画の出演をちらつかせ、性的行為を強要した、というのです。

 なるほど、そこだけ聞くとけしからぬ話なのですが、榊氏自身は4人中の1人とは肉体関係はないと否定し、他の3人についても行為はあくまで合意のものであったと主張しています。仮に双方の主張に嘘がないとするならば、これは男性は合意だと思っていたが、女性はそう思ってはいなかったという非常に微妙な人間関係の機微がかかわってくる、第三者としてはジャッジの難しい案件となってきます。


 しかしさらに、本件にフェミニストの石川優実氏がかかわっている、となるといかがでしょうか?
 石川氏については4/13日配信の記事にてもお報せしました。MeTooをもじった、職場で女性がハイヒールの着用を義務づけられることに対する反対運動、#KuTooを提唱したことで知られる人物です。しかし、それをタイトルに冠した著書、『#KuToo: 靴から考える本気のフェミニズム』は第三者のツイートを前後関係をねじ曲げた上で掲載し、いかにも彼女が被害者であるかのように捏造された書だ・・・ということを記事内では検証しております。

 それでは、今回の榊氏の件に石川氏はどのように関わっているのか――。色眼鏡で見るのはよくありませんので、別件はどうあれ、本件においての彼女の主張が正当なものか、努めて冷静に、これから見ていきたいと思います。

 先に書いたように、榊氏の「炎上」は3月9日の記事がきっかけだったのですが、石川氏はそれに先んじて、2月11日、自身のブログで「日本の映画界には地位関係性を利用した性行為の要求が当たり前にあったな、という話」という記事を発表していました。石川氏は女優としての仕事を求めるうちに榊氏と知りあい、性的な関係を持ったと言います(ここでは「ある監督」とされ、榊氏の名は挙がっていませんが、後の記事でそれが同氏であったことを明かしています)。
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自信も榊氏と関係を持ったという石川氏
via youtubeよりキャプチャー
 その時の様子を、以下に引用してみましょう。

その後、彼の作るピンク映画に出演が決まりました。本読みの日にお尻を触られ、準備期間中にホテルや彼の事務所のマンションに呼ばれて行きました。避妊もありませんでした。

今のいままで私は、この出来事を「対等な関係で行われたセックスをした話」だと認識していました。 
私は彼に一切抵抗や拒否をしていません。俳優であり、キャスティングされる側の自分に、そんなことできる権利があるとは思っていませんでした。
むしろ、自分から望んでいたかのような反応をしたと思います。そういうふうに教えられました。それも役者の仕事のうちのひとつだと。


 え……?

 つまり、石川氏は納得ずくの上で榊氏と関係を持った、というだけのことなのでは……?

 監督がその特権を利用し、女優にいわゆる「枕営業」をさせる、女優もまたそれに応じるという行為についてはっきりさせておきたいのは、それは好ましいことではない、ということです。またそもそも榊氏は妻帯者であり、いずれにせよ誉められた行いとは言えないでしょう。しかし、男女関係の要因を外形からは判断することは難しく、「枕営業」そのものを強制的に禁止することも困難でしょう(そうなると恋人を仕事に起用することは禁止というリクツになります)。本件も外形上は単に男女が合意の上で関係を持った、以上のことではないのではないでしょうか。

当時は好意的だったのに、謎の方向転換

 事実、石川氏が榊氏と関わりを持っていた当時のツイートは終始、好意的なものなのです。

明日早いので途中で出てきちゃったけど、監督のお話も女優さんのお話も濡れ場のお話も前貼りのお話ももう全てが興味深いことだらけでした!!榊英雄さんのトークショーに行ってきました!榊さんかっこいい!榊監督初のピンク映画、みにいきたいと思います。

えーっみんなで飲みましょ飲みましょ!おっ、榊さんとっても素敵な俳優さんであり監督です!オレオさん企画頼みます!

 石川氏が出演した榊監督作品は、『裸のアゲハ』かと思われます。二作作られ、公開は2016年の3月、5月なので上のつぶやきの前者は撮影前、後者は後だと想像できます(つまり少なくとも後者は、両者が関係を持った後の発言だと考えられるわけです)。
榊氏のことを好意的に伝える石川氏のツイート

榊氏のことを好意的に伝える石川氏のツイート

 では、石川氏は何をきっかけに考えを変えたのでしょうか。

 先のブログ記事の冒頭には、内閣府の男女共同参画局のHPにおける「性犯罪・性暴力」の定義が引用されています。

性犯罪・性暴力とは―
いつ、どこで、だれと、どのような性的な関係を持つかは、あなたが決めることができます。望まない性的な行為は、性的な暴力にあたります。性的な暴力は、年齢、性別にかかわらず起こります。
また、身近な人や夫婦・恋人の間でも起こります。


 いえ、この定義自体には異存ありませんが、石川氏は続けるのです。

キャスティング権を握っている人間から性的な行為を要求されても、断らなければ「自分から行った」と思い込み、罪悪感さえ覚えることもあります。
(中略)
でも、性暴力の定義をぜひもう一度確認してほしいです。望まない性的な行為は、性的な暴力にあたります。

 ええ……??

性犯罪の拡大解釈

 つまり石川氏は「望まない」という言葉を「望んでいないことを相手に伝えていようといまいと」という意味あいにまで「拡大解釈」して、かつての性的関係を「被害」であったと、後から言い出したのです!

「だって仕事が欲しかったんでしょ」という言葉。逆に俳優の仕事をしていて仕事が欲しくない人なんているんですか?聞いたことがありません。みんな仕事が欲しくてたまらないはず。
(中略)
「仕事が欲しいから要求を受け入れる」ではなくて、「要求を受け入れないと仕事ができないから受け入れる」という感覚の方が近いと思います。》

 このリクツで言えば、「カネが欲しいから」売春した後、「したくてしたわけじゃない」と相手を(売春行為以外の)性犯罪者、例えばレイプ犯に仕立て上げることも可能になってしまうのではないでしょうか。

仕事がほしくて、断れなくてやりたくない性行為をした俳優と、断れないことを知っていてキャスティングを理由に芝居にプラス性的な行為を求める監督。この関係性は対等で、同意が取れるもので、どっちもどっちでしょうか?
 フリーの人間というのは(例えばぼくなどもそうですが)そもそも仕事を自分で取って回らねばならないものであり、それも必ず仕事が得られるという保証は最初からない。しかし彼女は「それがあるべきだ」との前提に立ち、「相手の要求を呑まないと仕事をもらえないのは不当だ」と言っているのです。

 ましてや石川氏は上に「ピンク映画」とある通り、かなり際どい作品でヌードを披露してきた方です。彼女の論法からすれば、それら過去の出演作についても、「性被害であった」と主張することもできてしまうのではないでしょうか?
 もちろん、石川氏を除く3人については、何とも言えません。

 女性たちと榊氏とで言い分が食い違っている以上、何も知らないぼくがどちらが不当なのか、決めつけることはできません。

 しかし当稿をお読みの女性の方にお尋ねしたいのですが、あなたがもしこの3人のうちの一人であり、仮に本当に性行為を強要されていたとして、そこへ石川氏が「私も」と入ってきたら、「あなたはちょっと違うのでは」と言いたくなるのではないでしょうか?

石川氏の理論はフェミ的には「正しい」

 しかし……いつもフェミニストたちの起こした事件をご紹介する度に近いことを申し上げていますが、石川氏の主張は、「フェミニズム的にはごくありふれた、正論」なのです。

 先に石川氏が男女共同参画局の文言を「拡大解釈」したと書きましたが、訂正すると共にお詫びさせていただきます。
 何となれば、フェミニストたちは異口同音に、石川氏の主張を肯定しているのですから。

 一例として、牟田和恵氏の著作『部長、その恋愛はセクハラです!』についてご紹介しましょう。

 彼女は大阪大学大学院人間科学研究科教授であり、NPO法人ウィメンズアクションネットワークで理事長を務めたこともあるという、立派な肩書きの主なのですが、同書を開くと眩暈を起こすような記述が続出します。
兵頭新児:女性が後から「性被害」といえば性被害である!...

兵頭新児:女性が後から「性被害」といえば性被害である!と断ずるフェミ理論

フェミがNOといえばNOなのだ!
 まず、前書きから以下のような調子。

それに、(引用者註・恋愛というものは)当事者の男女にとっても、どう感じていたか、どう受け止めたかは、タイミングや時期によっても変わるのです。》(15p)

 確かにその通り。つまり、後から「実は嫌だった」は通用しない、というのが普通の考え方なのではないでしょうか。

 しかるに彼女は、以下のように続けるのです。

それなのにセクハラを単純に、「嫌がっている相手にする悪い行為」などと捉えていると、そういったセクハラの現実(リアリティ)は見えてきません。》(16p・括弧内は原文ではルビ)

 相手が「嫌がっていなかった(ように思われた)」場合でも、後からセクハラだと言われたらそうなのだ、というわけです。

 以降も本書で想定されるケースは専ら「課長と女の部下が普通にベッドイン、後で女がセクハラだと訴えた事例」といった、つまり女性の被害者性が疑わしいケースばかり。そうした場合、「はっきりしなかった女性も悪いので、望まない場合は女性もはっきりとNOと言えるようになりましょう」というのが結論になるのではと思うのですが、しかし男性の方がエラいから女性は逆らえない、仕事上断りにくいがため、女性が喜んでいるように見えてもセクハラなのだ、というのが牟田氏の主張なのです。

 いえ、牟田氏のスゴさはまだまだここに留まりません。本書では以下のようなトンデモない記述が繰り返されるのです。

グレーゾーンのもう一つの典型として、いったいセクハラなのか違うのか、女性自身がよくわからない、ということもあります。》(p59)
女性の気持ちとしては、本当に「セクハラかどうかわからない」のです。》(p60)
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兵頭新児:女性が後から「性被害」といえば性被害である!と断ずるフェミ理論

「あの時は楽しかったけど、今は不快だからあの時もやっぱり不快」と言われても・・・
 頭痛を堪えつつ、ページをめくってもめくっても、論調はこの調子です。

《(引用者註・恋愛とは)本人でさえ、「自分の気持ちに確信が持てない」「なんであんな人が好きだったのかわからない」などというのもよくあることです。
(中略)
そうした断りの上ではありますが、恋愛関係だったにもかかわらず関係が悪化して、女性があの関係はセクハラだったと男性を訴えるケースはあると私は考えています。
(p128)

 また、恋愛関係にあった(と、男性は思っていたが、相手の)女性が恋愛感情などなかったと主張するケースにおいても、以下のように述べます。

そうしたことがらは、恋愛中は耐えられたものの(むしろ関係を燃え上がらせるスパイスだったかもしれません)、関係が終わり、男性に結局誠意がないとわかったとき、一つ一つの経験が、イヤな記憶としてよみがえってくるのです。この状態に至った女性には、過去の思い出は、自分も熱を上げラブラブだった時代のことも、男性にマインドコントロールされてそう仕向けられていたようにさえ思えるのです。》(p134)

 つまり、先にも述べた通り、石川氏の主張は「フェミニズムを前提すると」確かに正しいわけです。いかにその時に合意があろうとも後からいくらでもセクハラ認定、レイプ認定していいのだ、というのがフェミニズムの考えなのですから。

特殊事例に便乗してくるフェミに注意!

 以前も上野千鶴子氏が「売買春は強姦の一種」と言っていたことについてご紹介しましたし、米国の著名なフェミニスト、アンドレア・ドウォーキンやキャサリン・マッキノンは「全てのセックスはレイプだ」と主張しています(ちなみに牟田氏はこの両者の影響が強く、度々言及しています)。

 確かに、誰しも日常生活において常に100%自分の思うがままにことが運ぶということはまずありません。心ならずも目上の者に従ってしまう、その場の同調圧力に負けてみんなに調子をあわせるといったことは、誰もが経験していることでしょう。しかしそこで、それこそ脅迫されるなどといった状況でもない限りは、自分の選択した言動は自らの責任として引き受けるというのが、男女問わず健全な態度ではないでしょうか。

 ところがフェミニズムはそこへ、「お前の選択は実は、男たちの支配によって誘導されていたのだ、お前は被害者なのだ」と悪魔のように囁くのです。

 前回も今回も、石川氏の振る舞いはとても誉められたものではありませんが、ある意味では彼女もまた、フェミニズムの犠牲者なのです。

 今回は詳しくお伝えする余裕がありませんが、石川氏の著作は本人の文章が極めて少なく、また彼女のブログを再録した文章にも大幅に編集者の手が入れられている様子があるなど、彼女自身がフェミニストのスターとして、意図的に仕立て上げられた感が強いと感じています。

 フェミニストたちにとっては「元セクシー女優」が男性たちの性的搾取に気づき、真理に目覚め、フェミニストになる――といったストーリーはたまらなく魅力的だった。それを実現するために、石川優実というフェミニストを人工的に作り上げた。

 しかし、彼女が活動すればするほど、「女性の言い分には理がないんじゃ……?」と思われてしまう。(男性は言うに及ばず)本当に女性たちを搾取し、不幸へと追いやっているのはフェミニズムそのものだということが、本件でもおわかりになるのではないでしょうか。
兵頭 新児(ひょうどう しんじ)
本来はオタク系ライター。
フェミニズム、ジェンダー、非モテ問題について考えるうち、女性ジェンダーが男性にもたらす災いとして「女災」という概念を提唱、2009年に『ぼくたちの女災社会』を上梓。
ブログ『兵頭新児の女災対策的随想』を運営中。

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