「日中友好議員連盟」――その歴史と欺瞞(ぎまん)【ロバート・D・エルドリッヂ】

中国の「政治戦争」は日本に向けられている。実際、日本はしばしば目に見えない形による中国の侵略の最大のターゲットの一つだ。多くの報告書や研究で、中国の工作員が数十年にわたって日本に影響を与えるために働いてきたいわゆる「日中友好団体」が少なくとも7つ存在すると指摘されているが、潜在的にはおそらくもっとあるであろう。最近注目されているのが「日中友好議員連盟」。日本と中国の癒着を促進するこの団体の正体とは――。

 近年、世界各国の内政における中華人民共和国の悪影響が誰の目にも明らかに蔓延しており、多くの人が大きな関心を寄せている。
 中国の「政治戦争」は、もちろん日本にも向けられている。実際、日本は目に見えない形で攻めてくる中国の侵略の最大のターゲットの一つだ。

 多くの報告書や研究で、中国の工作員が数十年にわたって日本に影響を与えるために働いてきたいわゆる「日中友好団体」が少なくとも7つ存在すると指摘されているが、おそらくもっとある。
「エリート獲得(Elite Capture)」、つまり汚職あるいは秘密、不都合な情報を掴むことによって中国政府や組織のために働く現地のエリートを獲得することはお気に入りの方法で、他の手段とともに採用されている。

 その中で、最近注目されているのが「日中友好議員連盟」である。

 林芳正外相が、外相就任後に誤解や利益相反の可能性があるとのことで、その批判を受け同連盟の会長職を辞任した。会長を辞任したことは正しい判断だった。読者がご承知のように、宗教と同様、政府の問題では特にそうであるが、人は2人の主人に仕えることはできない。

 もちろん、林氏は自分のことを「知中であって、親中ではない」と説明している。つまり、自分は中国に従順でもなければ、特に媚びているわけでもないと言っているのだ。むしろ、中国に詳しい、中国と付き合う人は、中国のことを知り、日本の政策を推進する人脈を持つことが重要であると考えているようだ。

林芳正外相

"父"の時代に飛躍的に増大したODA

 林氏が中国との関係を釈明し、合理的に説明しようとしても、中国側はそのように見ていない。
 もしかしたら、友好団体に参加・所属しながら、中国のトラップを受けずに済むと本気で思っているのかもしれない。もし、そうだとしたら、いかに中国の狡猾さがわかっていないか、そして、いかに長い間、中国にからめとられた状態が続いているかを示している。

 林氏の場合、中国との関係は2世代にわたっている。父親の義郎氏は1969年から2003年まで衆議院議員を務めた。1992年から1993年まで大蔵大臣、その前の1982年から1983年まで厚生大臣を務めている。息子と同じく、日中友好議員連盟の会長も務めた。

 また、日中友好会館の会長でもあったが、同会館は中国の日本における政治戦争を故意または無意識に助長する組織の一つと指摘されている。
 特に天安門事件後の1990年代前半に大蔵大臣を務めた義郎氏の存在は気になるところだ。大胆な人権侵害と民主化運動の鎮圧にもかかわらず、中国は日本から政府開発援助(ODA)を受けていたのである。ODAは外務省経由で配分される一方、大蔵省(現在の財務省)の承認を受けていた。義郎大蔵大臣になって、ODAは飛躍的に増大しているのだ。

謎に包まれている「日中友好議連」

 産経新聞ワシントン特派員の古森義久氏は、日中友好議員連盟が少なくとも2つの点で他の議員交流と異なっていることを指摘している。

 第1に「友好」という言葉が含まれており、2国間の難しい話題は避けるべきという前提がある。そして、もし話題になったとしても、中国に有利になるように対処することが求められる。
 友好、つまり「協力」という言葉は、関連するあらゆる声明に常に見られる言葉である。例えば、2021年初頭、林氏と他の6団体の代表者たちは、孔萱佑駐日中国大使に招かれてテレビ会議に参加しており、そのとき、林氏は次のように述べている(ただし、中国大使館のウェブサイトによる情報である)。

北京冬季五輪に協力し、両国の世論基盤を改善して、友好事業を絶えず新たに発展させ、良好な雰囲気で22年の日中国交正常化50周年を迎えたい

 開催直前の現時点でも、中国の人権侵害に鑑み、2022年北京冬季オリンピックに日本がどのような立場で参加するかは、議論のあるところだ。しかし、1年近くも前に、現外相である林氏は、日本の協力の意思を表明していた。当時も今も、政府内にはこの問題についてのコンセンサスも決断もないのに、勝手に方針を述べているのは誤解を与える行為であり、無責任の極りである。

 第2に、日中友好議員連盟が他の議員連盟と違う点である。日本と韓国、アメリカなどとの関係は、同じ民主主義国家間のものだが、中国は民主主義国家ではない。その代表は国民に選ばれていない。
しかも、日本は超党派の議員で構成されているが、中国には中国共産党しかいない。
 
 この2つの違いから、日中友好議連は実に怪しい組織なのである。
 
 調査を進めるうちに、もう一つ顕著な違いがあることがわかった。それは、「日中友好議員連盟」関係の資料が公開されていないこと。ホームページもなく、国会議員仲間にさえも「資料は参加メンバーに限る」と断られたそうだ。

 本当に友好と2国間関係促進を望むのであれば、組織の歴史、会員名簿、財政などの情報を透明化することに躊躇はないはずである。特に日本側の経費は税金で賄(まかな)われているのだから。

北京冬季五輪開幕は近づいているが……

隠された歴史を引き出す

 このように透明性のない団体であるが、私は初代会長の藤山愛一郎氏の回顧録を調べることから始めた。幸い、日中友好議員連盟結成の3年後、1976年に出版された彼の回想録は、この団体の初期の動機について十分な示唆を与えている。
 ここで藤山の名前を目にすると、読者は驚くかもしれない。彼は1960年の日米安全保障条約改定時の外務大臣としてよく知られている。実際、1957年7月から1960年7月までの岸信介内閣のほとんどの期間、外務大臣を務めていた。

 実業家から政治家に転身した藤山氏は、実は親中派であり、特に中華人民共和国のシンパであった。1949年の共産主義革命後の中国を未来の道と考え、台湾に移転した中華民国を見下した。
 そのため、後に岸首相や1964年から1972年まで首相を務めた岸氏の実弟の佐藤栄作氏に嫌われるのは想像に難くない。両氏は親台湾派であり、岸氏の孫である安倍晋三元首相や岸信夫現防衛相も同様である。

 つまり、藤山氏は自民党の佐藤総裁にとって大きなトゲであり、両者は佐藤総裁が政権を担っていた8年間のほとんどを戦ってきたのである。実際、藤山氏は首相と閣僚の不信任決議にも何度も参加している。
 時間が経てば経つほど、藤山氏は日中関係の最大の推進者の一人になった。1960年代後半から1970年代にかけて、彼は中華人民共和国を最も頻繁に訪問した政治家でもある。また、周恩来が亡くなる前に会った最後の日本人だった。

 超党派の訪中団の団長として、日本を批判し、台湾との関係を中断するよう求める中華人民共和国との共同声明を発表するなど、彼の行動は反逆に近いか、少なくとも与党自民党の党紀に反していた。
そのため、党の賞罰を受け、幹部職を失うという処分を受けた。控訴をしたが、却下されている(藤山氏のために言えば、日本でよかった。中華人民共和国だったら、死刑か再教育キャンプに送られただろう)。

 もちろん、当時の台湾も、中国の宿敵である蔣介石が独裁的に統治していた。革命後の中華人民共和国は建国当初、国民に希望を与えたかもしれないが、蔣介石政権に比べれて、はるかに社会制度や経済力は悪かった。
 いずれにせよ、台湾が1990年代に完全民主化したことで、日本がどちらを全面的に支援すべきかが明白になったのである。

藤山愛一郎氏

via Wikipediaより

中国への傾倒を貫く

 しかし、藤山氏は台湾を認めず、自ら所属する団体も中華人民共和国と連携した。
 日中友好議員連盟は1973年4月24日に設立され、藤山氏は同日、初代会長に就任した。
 超党派の「日中国交回復促進議員連盟」の後身である。1970年12月9日に設立され、1972年9月下旬に田中角栄首相が訪中し、国交正常化によってその使命を果たした短命の組織である。

 大平正芳外相(当時)は田中氏と中国へ同行した。現在、岸田文雄自民党総裁(兼内閣総理大臣)が長としている派閥は、故大平氏の「宏池会」であり、今の林外相は、岸田派に所属している。
 岸田氏が、自分の派閥の中でより有能な人物の登用を、一般市民や党内の多くの人々からすでに不信感を持たれている林外相のために見送ったことは残念である。

 ちなみに、林義郎氏が所属したのは、田中氏の派閥だった。現在、林芳正氏の辞任を受け、日中友好議員連盟の会長になったのは、田中派出身の故小渕恵三元首相の娘、優子氏である。

田中角栄元首相

via Wikipediaより

中国のために多くの帽子をかぶった男

 藤山氏は、日中国交回復促進議員連盟の会長を務めていたが、その前身であり、1949年に結成された超党派の「日中貿易関係促進議員連盟」も率いていた。

 藤山氏は、定期的に中華人民共和国を訪問して関係を深めるとともに、中華人民共和国を「中国」の唯一の正統な政府として承認するよう日本政府に働きかけた。また、2国間平和条約(1978年調印)の交渉にも注視し、日中両政府の橋渡し役として活躍した。

 最後に、藤山が第4代会長を務めた日本国際貿易振興会(JAPANESE INTERNATIONAL TRADE ASSOCIATION)がある。興味深いことに、JAPITはホームページで「中国とのビジネスをサポートする」とうたっているが、組織の英語名や日本語名には「China」や「中国」の文言はない。

 そして、現在JAPITの会長は、元外務大臣、元自民党総裁、元衆議院議長の河野洋平氏である。洋平氏の父・一郎氏は、藤山氏の側近として中国との正式な国交開始を推進した人物である。また、洋平氏の従弟、田川誠一氏は国会議員(11回当選)を務め、朝日新聞の元記者で、この時期の日中関係に関する多くの著作がある。

 田川氏の甥で、外務大臣と防衛大臣を務めたこともある河野洋平氏の息子が太郎氏だ。2021年9月の自民党総裁選の直前に、弟が経営し、父親が設立した会社を通じて中国と深い資金関係にあることが週刊誌で暴露され、太郎氏は選挙に敗れたと考えられている。

 ここまで日本の国会議員の経歴を簡単に紹介したが、中国との関係は家族ぐるみで、政府・政治の最高レベルにまで及んでいることが分かるであろう。

 国会議員が関与する団体や税金で支援されている組織について、より透明性を高め、説明責任を果たすことは確かに合理的な要求である。特に、外国、しかも、中華人民共和国のようにますます敵対的な行為者を相手にしている国家の場合はそうである。
 もちろん、透明性は民主主義の根幹を守るものであり、国会議員が「友好」の名の下に自滅的な中国との関係改善を追求するために、それを脇に追いやるようなことがなければの話だが。

李克強中国首相と会談する河野洋平氏

ロバート・D・エルドリッヂ(Robert D. Eldridge)
1968年、米国ニュージャージー州生まれ。政治学博士。
フランス留学後、米リンチバーグ大学卒業。その後、神戸大学大学院で日米関係史を研究。大阪大学大学院准教授(公共政策)を経て、在沖アメリカ海兵隊政治顧問としてトモダチ作戦の立案に携わる。2015年から国内外の数多くの研究機関、財団、およびNGO・NPOに兼任で所属しながら、講演会、テレビ、ラジオで活躍中。防災、地方創生や国際交流のコンサルタントとして活躍している。
主な著書に、『沖縄問題の起源』(名古屋大学出版会、2003年/サントリー学芸賞、アジア太平洋賞受賞)、『尖閣問題の起源』(名古屋大学出版会、2015年/大平正芳記念賞、国家基本問題研究所日本研究賞奨励賞受賞)。一般書として『オキナワ論』(新潮社、2016年)、『トモダチ作戦』(集英社、2017年)、『人口減少と自衛隊』(扶桑社、2019年)、『教育不況からの脱出』(晃洋書房、2020年)など多数。