11/10、特別国会が召集され岸田文雄首相が衆参両院の本会議での首相指名選挙で第101代首相に選出された。
幹事長に抜擢された茂木敏充が担っていた外務大臣以外の全ての閣僚が再選され、外相には新たに林芳正元文部科学相が起用された。
国内的には、「甘利前幹事長の辞任に伴う閣僚・党役員人事の変更は最小限に留まった」との受け止めだ。
ところが同盟国アメリカの受け止めは全く違う。「甘利辞任で岸田政権の性格は大きく変わった」と見られているのだ。それは、甘利明という政治家がアメリカでどういう評価を受けているかに深く関わっている。
幹事長に抜擢された茂木敏充が担っていた外務大臣以外の全ての閣僚が再選され、外相には新たに林芳正元文部科学相が起用された。
国内的には、「甘利前幹事長の辞任に伴う閣僚・党役員人事の変更は最小限に留まった」との受け止めだ。
ところが同盟国アメリカの受け止めは全く違う。「甘利辞任で岸田政権の性格は大きく変わった」と見られているのだ。それは、甘利明という政治家がアメリカでどういう評価を受けているかに深く関わっている。
米国での評価が高かった甘利明
顔の見えにくい日本の政治家の中で、甘利はアメリカではっきりとした印象を残している。それはオバマ政権下で日米両国が国益をかけて対峙し、激しいバトルの末に妥結したTPP交渉の、日本側の司令塔が当時の甘利明経済政策担当大臣だったからだ。
交渉相手だったマイク・フロマン通商代表とは、互いに日米を往復して交渉を重ね、時には机を叩いて怒鳴り合う事もあった。
TPPは「日米で新しい貿易秩序を作る」という極めて志の高い目標の元にスタートした。念頭にあったのは、経済成長著しい中国だ。当時の中国は世界の工場としても、あるいは13億人のマーケットとしても存在感を急速に増しつつあった。
そして中国共産党の厚い庇護の元、軍事・通信・物流などあらゆる分野で独善的な商習慣を押し付けようとする歪な中国企業をどのように抑え込むかという課題が、全ての自由主義陣営に突きつけられていた。
交渉相手だったマイク・フロマン通商代表とは、互いに日米を往復して交渉を重ね、時には机を叩いて怒鳴り合う事もあった。
TPPは「日米で新しい貿易秩序を作る」という極めて志の高い目標の元にスタートした。念頭にあったのは、経済成長著しい中国だ。当時の中国は世界の工場としても、あるいは13億人のマーケットとしても存在感を急速に増しつつあった。
そして中国共産党の厚い庇護の元、軍事・通信・物流などあらゆる分野で独善的な商習慣を押し付けようとする歪な中国企業をどのように抑え込むかという課題が、全ての自由主義陣営に突きつけられていた。
そこで日米が行き着いたのが「自由」「資本主義」「法の支配」という西側陣営の価値観を全面に出した強力な経済協力圏を構築する事だった。これは裏を返せば「中国が絶対に入れないブロック経済」を日米で創出するという挑戦でもあった。
この理念に基づきTPPは90%以上の産品で関税をゼロにする一方、知的財産や国有企業に対する規制など、国家統制型経済の中国の参入を拒絶する様々な仕掛けを組み込んだ。
日米の品目別関税交渉では、農産品や自動車で何度も膠着状態に陥った。それでも何とか合意に至ったのは、自由主義経済の二巨頭である日米が対中経済安全保障の枠組みを構築するという大目的に向け、小異を捨てて歩み寄ったからだ。
この交渉の結果、甘利氏はアメリカ側から「タフ・ネゴシエーター」との称号を得た。直訳すれば「手強い競争相手」という意味だがその裏には「理念を共有した同志」という意味合いも込められていた。
また、甘利氏は安倍・麻生両元首相の盟友としても知られており、アメリカでも「現実的な保守政治家」というアイデンティティを確立していた。
だから、岸田政権発足時に甘利氏が幹事長に抜擢され、しかも「甘利チルドレン」の山際大志郎経済再生担当相と小林鷹之経済安全保障担当相の登用が発表された事で、アメリカ側は「岸田政権は中国に妥協しない意思を人事で示した」と受け止めたのだ。
この理念に基づきTPPは90%以上の産品で関税をゼロにする一方、知的財産や国有企業に対する規制など、国家統制型経済の中国の参入を拒絶する様々な仕掛けを組み込んだ。
日米の品目別関税交渉では、農産品や自動車で何度も膠着状態に陥った。それでも何とか合意に至ったのは、自由主義経済の二巨頭である日米が対中経済安全保障の枠組みを構築するという大目的に向け、小異を捨てて歩み寄ったからだ。
この交渉の結果、甘利氏はアメリカ側から「タフ・ネゴシエーター」との称号を得た。直訳すれば「手強い競争相手」という意味だがその裏には「理念を共有した同志」という意味合いも込められていた。
また、甘利氏は安倍・麻生両元首相の盟友としても知られており、アメリカでも「現実的な保守政治家」というアイデンティティを確立していた。
だから、岸田政権発足時に甘利氏が幹事長に抜擢され、しかも「甘利チルドレン」の山際大志郎経済再生担当相と小林鷹之経済安全保障担当相の登用が発表された事で、アメリカ側は「岸田政権は中国に妥協しない意思を人事で示した」と受け止めたのだ。
後任の茂木幹事長も、その後の日米経済交渉を担当してタフ・ネゴシエーターと呼ばれたが、そもそもアメリカがTPPから離脱してしまっただけに印象は強くない。アメリカ側の茂木氏の印象は、「そつない実務家」だ。
また、2020年11月中国の王毅外相と行った共同記者会見で、王毅が尖閣諸島を巡って中国の一方的な主張を捲し立てたのに対して、茂木外相がその場で異を唱えかった「シェイシェイ茂木事件」についてアメリカ側は「中国に弱腰」という印象を持った。
あるアメリカの外交関係者は、「ああいう時にすぐに異論を呈するかどうかは、政治家個人の運動神経の問題」「アメリカの外相なら更迭されていただろう」と感想を述べていた。
この出来事も、「茂木氏は甘利氏に比べれば中国に宥和的」とアメリカ側が受け止めるきっかけとなった。
また、2020年11月中国の王毅外相と行った共同記者会見で、王毅が尖閣諸島を巡って中国の一方的な主張を捲し立てたのに対して、茂木外相がその場で異を唱えかった「シェイシェイ茂木事件」についてアメリカ側は「中国に弱腰」という印象を持った。
あるアメリカの外交関係者は、「ああいう時にすぐに異論を呈するかどうかは、政治家個人の運動神経の問題」「アメリカの外相なら更迭されていただろう」と感想を述べていた。
この出来事も、「茂木氏は甘利氏に比べれば中国に宥和的」とアメリカ側が受け止めるきっかけとなった。
「親中派」林芳正と「超リベラル」中谷元
今回アメリカ側が最も驚いたのは、日中友好議連の会長を務めていた林芳正が外相に抜擢された事だ。
共産党の志位和夫委員長が副会長を務める日中友好議連は、アメリカから見れば「日本の親中派議員の巣窟」だ。そこで会長を務める人物を外相に据えるのであれば、岸田首相が中国と国際社会に明確なメッセージを送ったと受け止められる。
あるアメリカ政府関係者は、「岸田首相は、自分が親中路線に舵を切ったと思われても構わないと判断したのだろう」と驚きを隠さなかった。
安倍氏や麻生氏も「親中派を外相に任命すれば国際社会に誤ったメッセージを与える」という立場で、林氏の外相登用には難色を示した。
共産党の志位和夫委員長が副会長を務める日中友好議連は、アメリカから見れば「日本の親中派議員の巣窟」だ。そこで会長を務める人物を外相に据えるのであれば、岸田首相が中国と国際社会に明確なメッセージを送ったと受け止められる。
あるアメリカ政府関係者は、「岸田首相は、自分が親中路線に舵を切ったと思われても構わないと判断したのだろう」と驚きを隠さなかった。
安倍氏や麻生氏も「親中派を外相に任命すれば国際社会に誤ったメッセージを与える」という立場で、林氏の外相登用には難色を示した。
もう一つ、今回の人事で明確なのが、岸田体制のリベラル展開だ。
中国のウイグル問題などを担当する人権問題補佐官に中谷元元防衛大臣が就任した事について、産経新聞の阿比留瑠比編集委員はコラムでこう指摘した。
「一抹の不安を禁じ得ない。今後、日本が中国に人権問題を厳しく求めた場合、中国は間違いなく慰安婦問題や南京事件といった過去の歴史認識問題を持ち出し、日本に反論してくるだろう。中谷氏は其れに明確に再反論し、相手が付け入る隙を封じることが出来るだろうか。」
「中谷氏は自身が院長だった自民党中央政治大学院に7月、講師として河野氏を招いた。親中派の頭目で河野談話の生みの親にして、人権弾圧の当事者である中国共産党の創建100年に祝電を送った人物を、である。中谷氏には、歴史認識問題担当の補佐官が必要なのではないか。」
中谷氏が人権担当補佐官になった事について、中国外務省の広報官は一般論として「中国の内政は、外部勢力の干渉を許さない」と牽制する一方で「日本の内政には論評しない」と述べ、中谷氏への批判は避けた。
中国の人権問題に関する諸外国の対応に、いつもは言葉を極めて罵る中国政府が、中谷氏についての批判を避けた事についてアメリカの外交関係者は、「河野洋平氏に近い中谷元氏は御し易いと思われたのではないか」と述べた。
中国のウイグル問題などを担当する人権問題補佐官に中谷元元防衛大臣が就任した事について、産経新聞の阿比留瑠比編集委員はコラムでこう指摘した。
「一抹の不安を禁じ得ない。今後、日本が中国に人権問題を厳しく求めた場合、中国は間違いなく慰安婦問題や南京事件といった過去の歴史認識問題を持ち出し、日本に反論してくるだろう。中谷氏は其れに明確に再反論し、相手が付け入る隙を封じることが出来るだろうか。」
「中谷氏は自身が院長だった自民党中央政治大学院に7月、講師として河野氏を招いた。親中派の頭目で河野談話の生みの親にして、人権弾圧の当事者である中国共産党の創建100年に祝電を送った人物を、である。中谷氏には、歴史認識問題担当の補佐官が必要なのではないか。」
中谷氏が人権担当補佐官になった事について、中国外務省の広報官は一般論として「中国の内政は、外部勢力の干渉を許さない」と牽制する一方で「日本の内政には論評しない」と述べ、中谷氏への批判は避けた。
中国の人権問題に関する諸外国の対応に、いつもは言葉を極めて罵る中国政府が、中谷氏についての批判を避けた事についてアメリカの外交関係者は、「河野洋平氏に近い中谷元氏は御し易いと思われたのではないか」と述べた。
新体制で登用された「茂木・林・中谷」3人の共通項がもう一つある。自民党の中でもリベラル色の強い政治家だという事だ。
夫婦別姓やLGBTなどのジェンダー政策は保守政党を自認する自民党の中でも年々熱を帯びている。中でも同性婚を認めるかどうかは、保守政治家とリベラル政治家を分ける、わかりやすい一つの指標とされている。
総選挙時にNHKが全ての候補者に対して行ったアンケート調査の中で、甘利氏は「同性婚を可能とする法改正」について明確に「反対」と答えたのに対して、「茂木・林・中谷」は揃って無回答だった。
自民党で、ジェンダー政策に関するアンケートで無回答を選択する政治家のほとんどは、本音ベースでは賛成のリベラル政治家だ。そして自民党内ではなぜか、親中派とされる政治家が、同性婚や夫婦別姓、LGBTなどジェンダー政策に積極的な傾向がある。
岸田政権を去った甘利氏と、政権に入った3人を、「イデオロギー」と「対中姿勢」で分布すると、おおよそ次のようになるだろう。
夫婦別姓やLGBTなどのジェンダー政策は保守政党を自認する自民党の中でも年々熱を帯びている。中でも同性婚を認めるかどうかは、保守政治家とリベラル政治家を分ける、わかりやすい一つの指標とされている。
総選挙時にNHKが全ての候補者に対して行ったアンケート調査の中で、甘利氏は「同性婚を可能とする法改正」について明確に「反対」と答えたのに対して、「茂木・林・中谷」は揃って無回答だった。
自民党で、ジェンダー政策に関するアンケートで無回答を選択する政治家のほとんどは、本音ベースでは賛成のリベラル政治家だ。そして自民党内ではなぜか、親中派とされる政治家が、同性婚や夫婦別姓、LGBTなどジェンダー政策に積極的な傾向がある。
岸田政権を去った甘利氏と、政権に入った3人を、「イデオロギー」と「対中姿勢」で分布すると、おおよそ次のようになるだろう。
唯一の保守系だった甘利氏が抜け、林・中谷両氏が入った岸田新体制は、明らかに中国に宥和的な陣容となり、同時にリベラル色が一気に強くなったといえる。
安倍・麻生の反対を押し切ってまでこうした人事を断行した岸田氏の判断について、永田町関係者の中には、
「岸田さんは国際的なメッセージなんか全く考慮していない。林氏は宏池会、中谷氏は谷垣グループ。岸田首相が見ているのは大宏池会構想だけ」と指摘する人も少なくない。
安倍・麻生の反対を押し切ってまでこうした人事を断行した岸田氏の判断について、永田町関係者の中には、
「岸田さんは国際的なメッセージなんか全く考慮していない。林氏は宏池会、中谷氏は谷垣グループ。岸田首相が見ているのは大宏池会構想だけ」と指摘する人も少なくない。
2ヶ月前の焦燥を忘れた岸田首相
今年8月の自民党総裁選が始まった頃は、菅内閣の支持率が急降下して党内は強い危機感に覆われていた。特に本来の支持層である保守層の離反傾向が著しかった事から、「リベラル色の強い岸田候補では保守層は戻ってこないのではないか」と懸念されていた。
その後、高市早苗候補が出馬した事で総裁選の議論が右展開し、自民党への保守層の支持率は相当程度回復した。
そして岸田首相誕生後も、保守系の甘利氏が幹事長となって主導した経済安保重視路線によって、「岸田体制でも国益重視の保守路線が維持される」という安心感が生まれ、これが総選挙でも岸田政権に奏功した。
ところが総選挙が終わるとすぐ、岸田首相は党内の反対論を無視して「親中・リベラル展開」と受け取られかねない人事を強行した。これがかねてから言われていた「政治家・岸田文雄」のリベラルの地金なのか。それとも派閥の論理を優先した鈍感力なのか。
首相の真意と狙いが見えている人物は、今の永田町にはほとんどいない。
その後、高市早苗候補が出馬した事で総裁選の議論が右展開し、自民党への保守層の支持率は相当程度回復した。
そして岸田首相誕生後も、保守系の甘利氏が幹事長となって主導した経済安保重視路線によって、「岸田体制でも国益重視の保守路線が維持される」という安心感が生まれ、これが総選挙でも岸田政権に奏功した。
ところが総選挙が終わるとすぐ、岸田首相は党内の反対論を無視して「親中・リベラル展開」と受け取られかねない人事を強行した。これがかねてから言われていた「政治家・岸田文雄」のリベラルの地金なのか。それとも派閥の論理を優先した鈍感力なのか。
首相の真意と狙いが見えている人物は、今の永田町にはほとんどいない。
山口 敬之(やまぐち のりゆき)
1966年、東京都生まれ。フリージャーナリスト。
1990年、慶應義塾大学経済学部卒後、TBS入社。以来25年間報道局に所属する。報道カメラマン、臨時プノンペン支局、ロンドン支局、社会部を経て2000年から政治部所属。2013年からワシントン支局長を務める。2016年5月、TBSを退職。
著書に『総理』『暗闘』(ともに幻冬舎)、新著に『中国に侵略されたアメリカ』(ワック)。
1966年、東京都生まれ。フリージャーナリスト。
1990年、慶應義塾大学経済学部卒後、TBS入社。以来25年間報道局に所属する。報道カメラマン、臨時プノンペン支局、ロンドン支局、社会部を経て2000年から政治部所属。2013年からワシントン支局長を務める。2016年5月、TBSを退職。
著書に『総理』『暗闘』(ともに幻冬舎)、新著に『中国に侵略されたアメリカ』(ワック)。