男性が女性を助けられない時代が【兵頭新児】

2025年4月8日、札幌・北警察署が女性に対するわいせつ未遂で50代男性を逮捕した。ところが逮捕のきっかけは男性が自ら警察に出頭したことで、「女性が道ばたで苦しんでいたので介抱しただけだ」と主張している。事実、介抱のためには身体に触れる必要が生じるのは当たり前で、こうなると男性は女性を救助することなど、初めからできない。近年、急病などで苦しんでいる女性を助けることは性加害を疑われることにつながるとして、男性の間には女性を救助することの忌避(きひ)感が浸透しつつあるが、本件はその決定打になったのではないか――。

この男性は何をしたんだ

 4月4日、深夜、道ばたで苦しんでいた10代女性を50代男性が介抱するという「事案」が発生しました。

 第一報では男性が現場を立ち去ったとあったのですが、二報目では警察が男性を逮捕したと報じられ、これにはびっくりさせられました。
 また、第一報では「男に介抱されていた女性は、男が自分の体を触ろうとしていることに気づき、その場から逃げました。」とあったにもかかわらず、二報目では「女性の体に触れて介抱しながら、さらに、わいせつな行為をしようとした疑いが持たれています」となっており、三報目では「性的な部分を触られそうになりました。」とあり、どうもはっきりしません(ちなみに三報目は、元のサイトでは発見することができませんでした)。

 女性は自ら警察に通報しており、もちろん本当にわいせつ未遂事件であった可能性も充分にありましょう。ですが、仮に触られたこと自体が事実としても何しろ介抱しようとしてのことですし、「性的な部位」には、触られてすらいないようです。そもそも「性的な部位」と言われてもどこか判然としません。腹部かもしれないし、弾みで胸を触れそうになるということもあり得るでしょう。「要するにこの男性は何をしたんだ」と問いたくなります。

 その上で男性は「介抱しただけだ」と一貫して主張しており、そもそも逮捕は男性が自ら警察に出頭してきたことがきっかけでした。普通に考えて、もし本当にわいせつ行為の意図があったのであれば、わざわざ警察に出向くわけはないでしょう。

 今までも近しい事例はご紹介してきました。松本人志氏や中居正広氏の件についても「週刊誌の胸先三寸で話が決まっていいのか」といった批判をしたかと思いますが、こうなると警察も果たしてどこまで信頼に足るか、疑問です。何しろ近年、「強姦罪」が「不同意性交罪」へと改悪され、「女性が性被害を受けた」と言ったらどんな曖昧(あいまい)な事例でもクロとされてしまうようになってきている。同法の成立要件にはアルコールの摂取も含まれており、こうなると男女が飲酒をした後に行為に及んだ場合、相手女性と合意を取っていたとしても、「酒で酩酊(めいてい)したところを(つまり、判断力の鈍(にぶ)ったところで合意を取りつけ)襲ったのだ」と有罪になりかねないわけです。

 痴漢については大変に冤罪(えんざい)が多いことが知られていますが、司法の場でもこうした場合、「純真な少女の訴えは信頼できる」としてそれだけで有罪判決が出たりしています。
 こう書くと「女性がウソをつくはずがない」との反論をする方がいます。
 しかし、「女性が男性からの働きかけに、過度に性的な加害性を見て取ってしまう」という傾向は極めて普遍的なものなのです。

“弱者男性”が胸を見たがっている?

 実のところこれに近い件で、近年、AEDについてがたびたび話題になっています。今年の初めにも「ABEMAプライム」で、これをテーマにした番組が組まれておりました(残念ながら今は削除されてしまっているようです)。
 AEDとは言うまでもなく自動体外式除細動器、心臓が痙攣(けいれん)した時に電気ショックを与えることで、機能を正常化する装置です。20年ほど前、医療従事者以外も使用できるようになり、街のあちこちに設置されている光景が見られるようになりました。心肺蘇生には1分1秒が争われますから、こうした設備、そして市民の協力が極めて重要なわけです。

 ところが、ある時期よりXなどで、緊急時に見知らぬ男にAEDによる救助活動をなされることに対する女性の忌避(きひ)感が語られるようになりました。
 何しろAEDは胸にショックを与えるわけですから、女性の場合はブラジャーを外すことが望ましい。それで装備の一式にはワイヤーブラを切る鋏も用意されています。
 しかしXでは「AED使用時にわさわざブラジャーを外したがる人がいたら、性犯罪者だと思え」といった主旨のポストがあり、既に消されたようなのですが、3.3万もの「いいね」がつけられたと言います。また、これをきっかけにした類似のポストは、今も確認することが可能です。

 女性側のポストは「弱者男性が胸を見たがっているのだ」とするものでしたが(なぜ「弱者男性」と決まっているのかはわかりませんが、おそらく「強者男性」は見たがらないものなのでしょう)、呆れ果てた男性側の発言はむしろ、「ならば女性が倒れていても、見捨てよう」といったものになっていきました。
 これこそ、先に申し上げた「女性が男性からの働きかけに、過度に性的な加害性を見て取ってしまう」という傾向の一例でしょう。

 こうした女性側の性的加害への忌避感がことに近年、際限なく上がり続けているということは、皮膚感覚で実感している方が多いのではないでしょうか。事実、男性よりも女性に対してAED処置をすることに抵抗を感じる者が多い、との調査結果も出ており、また、倒れた女性に対してAEDが使用されず、重篤な障害が残ってしまったという事件も起きています

 もちろん、そうした痛ましい事件がこうしたネット上の騒ぎを直接の原因とするものかはわかりません。何しろ事件は十年以上前のことで、恐らくその頃はまだ、AED論争もなかったと思われます。
 が、仮にですがセクハラという概念のない昭和の時代にAEDがあったとしたら、こうした悲劇自体、起こらなかったでしょう。

 こう書くと「女性の命を盾にセクハラの概念を無効化させたいのか」などと言いがかりをつけてくる人がいるかもしれません。しかし、そうではなく(否、仮にぼく自身がそうした意図を持っていようと)、女性の羞恥心(しゅうちしん)の尊重と生命とがこうした場合、原則論的に両立できないということは、シンプルな事実なのです。女性はまず、その事実を受け容れた上で考えてみるべきでしょう。「弱者男性が私の胸を触ろうとしているのだ」と騒ぐことで一時の虚栄心は満たされるかもしれませんが、それで非常時に強者男性が女性を助けてくれるようになるわけではないのですから。

非現実的な恐怖心

 さて、ところが先に挙げた「ABEMAプライム」において、番組MCの益若つばささんは当初、「男性が悪いわけじゃなくて仕方ない流れ」としつつも、結論部分では結局、「一般の男性は悪くない、ごく一部の性犯罪者が悪いのだ」などと言っていました。彼女によれば「歩いているだけで日常的に変な人に出くわす」「日本の性犯罪のルールが甘すぎる」のだそうです。

 先にも述べた「女性と飲みに行って関係を持ったら(女性の同意があれ)逮捕されかねない」という状況も、彼女にとっては「甘すぎる」のでしょう。また、これはちょっとあげ足取りかもしれませんが、「変な人に出くわす」というのはどういうことでしょうか。文脈を踏まえるなら、例えば、彼女の後をずっとつけてくるなど「性犯罪者では」と疑われるような振る舞いをする男が多い、といった意味になろうかと思いますが、そうした経験を日常的にされているのでしょうか。仮にこれが字義通りに単に「変な人」であるなら、それは別に性犯罪とは結びつきません。

 弱者男性問題に詳しいrei氏は「#MenToo運動」華やかなりし頃、オーストリアで自閉症男性のチックがセクハラとしてSNSに晒され、多数の加害予告や個人情報をバラまかれたという事件があったことを指摘しています(「インセルの思想と歴史について実はメディアは全く語らない」)。

 もちろん益若さんがそうだと言いたいわけではありませんが、「変な人」→「怖い」→「恐怖を感じる」ということは、「『恐怖を感じる』ということは、あの男には私に対する性加害の意図があるに違いない」といった心理的過程をたどることになり、女性にとってある程度、普遍性があるのではないでしょうか。

 その意味において、「無意味に相手を怖れること」もまたある種のセクハラなのですが、一体全体どういうわけか驚くほどに性犯罪の少ない日本においてすら、女性たちは「怖いのだから仕方がない」と、非現実的な恐怖心を募らせる。否、SNSの一部の女性たちを見ていると、彼女らはそれを楽しんでいるようにすら、ぼくには見えます。そしてこれはレディースコミックにレイプ描写が溢れていることを考えるに、やはり女性にとってのある種の普遍的心理なのではないでしょうか。
 しかし、その果てに待っているのは男性側の「女性は助けないでおこう」という判断なのです。

有毒な女性性

 冒頭の事件について、男性は一貫して「介抱しようとした」と訴えていると述べました。何しろ10代女性は体調不良で吐き気がしたためしゃがみ込んでいたのです。仮にですが、女性を安全な場所まで移動させるなどの必要があった場合、やはり男性の方が力が強く、有利でしょう。
 同様にAEDによる心肺蘇生も力のいる作業で、女性では難しいそうです。

 先に「昭和なら――」と述べましたが、平成以降、女性はひたすらに自分の「性的尊厳」を高い位置に引き上げ、またそれゆえ、男性のいかなる振る舞いをも(それは例えば、女性がカップうどんを啜るアニメをも)セクハラであると言い募り続けました。
 その挙げ句に到達したのが、「女性が危機的状況にあろうと助けるのはやめよう」という男性側の判断です。

 益若さんの指摘通り、仮に女性が見殺しにされてしまったところで、「男性が悪いわけじゃなくて仕方ない流れ」であるとしか言えません。
 実際に緊急事態にまで女性の胸を見たいだの触りたいだのと考える男性がそう多いとも思えず、女性が素直に男性に信頼を寄せ、敬意を払っていれば問題がなかったものを、ここまで両者は分断されてしまったのです。

 今回、ぼくはあえて「フェミニズム」「フェミニスト」という言葉の使用を控えてきました。
 男性を「性暴力を引き起こすだけの悪魔」ででもあるかのように描写し、その信頼を損なわせ、女性の「性的尊厳」を際限なく引き上げてきたのはどう考えてもフェミニストであり、その意味で、本件(というのは冒頭の事件であり、AEDが使用忌避される傾向であり、そして女性全般が見捨てられつつある現状そのものですが)もまたフェミニズムの責であることは間違いがありません。

 が、さらにその根源には「男性を過度に怖がる」という女性全体の傾向、女性ジェンダーの悪い面、言うなら「有毒な女性性」が横たわっているというしかないのです。
 もう少し男女の距離を縮め、互いが互いを助けあっていける世の中にするためには、女性一人ひとりがもう少し自分の内面を照らして、もう少し謙虚に省みていただく必要がありそうです。
兵頭 新児(ひょうどう しんじ)
本来はオタク系ライター。
フェミニズム、ジェンダー、非モテ問題について考えるうち、女性ジェンダーが男性にもたらす災いとして「女災」という概念を提唱、2009年に『ぼくたちの女災社会』を上梓。
ブログ「兵頭新児の女災対策的随想」を運営中。