何にでも女性差別を読み取ってしまうフェミニスト
東洋水産「マルちゃん赤いきつね」のアニメCMが炎上しているのをご存じでしょうか。
CMは室内で赤いきつねを食べながらテレビのドラマに落涙する女性を描いたもの。実際にご覧いただきたいのですが、もう本当に、ここに「問題」が隠れているのだとするのは、相当に無理筋でしょう。
ところがいつもながら何にでも女性差別を読み取ってしまうフェミニストの方々が、文句をつけたのです。
AD-LAMP代表を務める広告コンサル、中村ホールデン梨華氏の意見を聞いてみましょう。
《女性の表象で批判を受けている炎上広告。炎上理由は以下。
非現実的な女性表象
男性版との頬の赤さの違い
つまり男性視線の広告
そもそもアニメ文化が女性を性的に扱う目線が強いので、広告にアニメを使うときは企業側がリスク管理しなければならない時代》
この「男性版」というのは武田鉄矢さんのことではなく、同じくアニメCMで男性が残業中の職場で「緑のたぬき」を食べるというバージョンもつくられており、その男性は頬(ほお)を染めていない、との指摘です。
また、女性が家にいて、男性が職場にいるのがけしからぬ、といった声も聞こえてきましたし、麺を啜(すす)る仕種がまるでフェラチオだ、といった珍説も登場しました。
料理研究家のリュウジ氏はこのCMのパロディ動画を投下して、炎上。
東洋水産のXアカウントもCM関係者に対する誹謗中傷や虚偽の情報拡散を控えるように求めるとともにフォロワーを募り、応じてフォローした健康機器メーカーのタニタ、サッポロビールやアース製薬、フジッコなど大手メーカーがこぞってフェミニストたちのバッシングを受ける羽目に。
CMは室内で赤いきつねを食べながらテレビのドラマに落涙する女性を描いたもの。実際にご覧いただきたいのですが、もう本当に、ここに「問題」が隠れているのだとするのは、相当に無理筋でしょう。
ところがいつもながら何にでも女性差別を読み取ってしまうフェミニストの方々が、文句をつけたのです。
AD-LAMP代表を務める広告コンサル、中村ホールデン梨華氏の意見を聞いてみましょう。
《女性の表象で批判を受けている炎上広告。炎上理由は以下。
非現実的な女性表象
男性版との頬の赤さの違い
つまり男性視線の広告
そもそもアニメ文化が女性を性的に扱う目線が強いので、広告にアニメを使うときは企業側がリスク管理しなければならない時代》
この「男性版」というのは武田鉄矢さんのことではなく、同じくアニメCMで男性が残業中の職場で「緑のたぬき」を食べるというバージョンもつくられており、その男性は頬(ほお)を染めていない、との指摘です。
また、女性が家にいて、男性が職場にいるのがけしからぬ、といった声も聞こえてきましたし、麺を啜(すす)る仕種がまるでフェラチオだ、といった珍説も登場しました。
料理研究家のリュウジ氏はこのCMのパロディ動画を投下して、炎上。
東洋水産のXアカウントもCM関係者に対する誹謗中傷や虚偽の情報拡散を控えるように求めるとともにフォロワーを募り、応じてフォローした健康機器メーカーのタニタ、サッポロビールやアース製薬、フジッコなど大手メーカーがこぞってフェミニストたちのバッシングを受ける羽目に。
実はスタッフは女性?
――さて、いかが思われたでしょう、みなさん。大部分の方はあまりの馬鹿馬鹿しさに呆れた、といったところではないでしょうか。
フェミニストによる広告表現に対する攻撃はここ10年、ずっと続いています。萌え的な表現は女性のエロティシズムを魅力的に描くことに特化しているということは確かであり、それで攻撃を受けやすいという側面もあるように思います。
しかし、だからと言って麺を啜ることをフェラチオだと勘繰られては、本当に何一つ描くことができなくなってしまいそうですが、上のCMの女性の頬が染まり、また目が潤んでいるという描写に、描き手の「キャラクターをエロティックに描こう」という意図があったのは、おそらく事実でしょう。
もちろんそこにはこの女性がドラマを観て感動しているからという、「理由づけ」はされています。が、そこに「性的に描こう」とした意図は(そもそもが萌え系のタッチの絵を選択し、また人気の声優さんを登用した時点で)ある。
当たり前ですが、ぼくは「そこがダメだ」といっているのではなく、そうした秘められた意図を暗示的に描けることこそがフィクションの(ことに仮構性の高いアニメなどの)面白さであり、それを否定したらあらゆる文化が成り立たなくなる、ということです。
もう一つ、上には「男性視線の広告」とありますが、それは果たして正しいのでしょうか。
本件では、アニメのスタッフや声優さんにも誹謗中傷がなされていますが、声優さんは言うに及ばず、監督、コンテ、キャクターデザイン、演出、作画監督を担当した山下RIRI氏はおそらく女性だろう、と言われているのです。
フェミニストがこの種の広告を炎上させ、「男性目線」とぶち上げるも、スタッフは女性だった――というオチがつくのもすっかり「あるある」になりました。
しかしフェミニストたちは「そうした女性は男性の価値観を内面化した、名誉男性だ」と一顧だにしない。だからこそ、平気で女性にも誹謗中傷してしまえる。
彼女らから感じられるのは「洗脳され切った愚かな大衆、それに比べ真理に目覚めている選ばれし者である私たち」といった輝かしい自意識です。しかし、その「真理」が果たして本当に「真理」なのか……というのがぼくの疑問なのです。
フェミニストによる広告表現に対する攻撃はここ10年、ずっと続いています。萌え的な表現は女性のエロティシズムを魅力的に描くことに特化しているということは確かであり、それで攻撃を受けやすいという側面もあるように思います。
しかし、だからと言って麺を啜ることをフェラチオだと勘繰られては、本当に何一つ描くことができなくなってしまいそうですが、上のCMの女性の頬が染まり、また目が潤んでいるという描写に、描き手の「キャラクターをエロティックに描こう」という意図があったのは、おそらく事実でしょう。
もちろんそこにはこの女性がドラマを観て感動しているからという、「理由づけ」はされています。が、そこに「性的に描こう」とした意図は(そもそもが萌え系のタッチの絵を選択し、また人気の声優さんを登用した時点で)ある。
当たり前ですが、ぼくは「そこがダメだ」といっているのではなく、そうした秘められた意図を暗示的に描けることこそがフィクションの(ことに仮構性の高いアニメなどの)面白さであり、それを否定したらあらゆる文化が成り立たなくなる、ということです。
もう一つ、上には「男性視線の広告」とありますが、それは果たして正しいのでしょうか。
本件では、アニメのスタッフや声優さんにも誹謗中傷がなされていますが、声優さんは言うに及ばず、監督、コンテ、キャクターデザイン、演出、作画監督を担当した山下RIRI氏はおそらく女性だろう、と言われているのです。
フェミニストがこの種の広告を炎上させ、「男性目線」とぶち上げるも、スタッフは女性だった――というオチがつくのもすっかり「あるある」になりました。
しかしフェミニストたちは「そうした女性は男性の価値観を内面化した、名誉男性だ」と一顧だにしない。だからこそ、平気で女性にも誹謗中傷してしまえる。
彼女らから感じられるのは「洗脳され切った愚かな大衆、それに比べ真理に目覚めている選ばれし者である私たち」といった輝かしい自意識です。しかし、その「真理」が果たして本当に「真理」なのか……というのがぼくの疑問なのです。
「ポリコレ難民」が日本に?
20年ほど前は萌えブーム最盛期でした。テレビでは毎日のようにメイド喫茶への取材が繰り返されていたものです(いえ、オタクにとってはあくまでアニメの美少女がメイドさんのコスプレをすることこそが嬉しいのであって、メイド喫茶がそこまで嬉しいものかは微妙ですが……)。
当時のぼくは、ここまでオタクの影響力が大きくなったことに、隔世(かくせい)の感を憶えていましたが、何より、このメイド喫茶にフェミニストが文句をつけないことが不思議でした。可愛らしい格好で、「ご主人様」へのケア労働をし、可愛がられる。考えてみればメイドさんこそ、フェミニストが血涙を迸らせながら憎悪すべき存在だったはずです。
「ケア労働」という言葉が聞き慣れないな、と思った方がいるかもしれませんが、これは育児や介護、家事など家庭内で家族の世話をする労働を指し、また保育士や児童指導員などの職種もケアワーカーと呼ばれます。要するに「女性はケア労働ばかりを押しつけられている、これは女性差別である」というのがフェミニズムにとって極めて重要な論点であり、メイド喫茶など断じて許せないモノであったはずです。
が、少なくともそうした声は当時、聞こえてきませんでした。確かにこの頃は、マスコミなどではフェミニズムがすっかり時代遅れとされていた時期ではありました。
同時にこの時期に、高校などの文化祭でもメイド喫茶はすっかり定番となりました。当然です、可愛らしい格好で接客することが、女の子の興味を引かないわけがありません。女児がお店屋さんごっこを好むことなどを考えても、お世話をして、感謝されること、すなわち「ケア労働」を、そもそも女性が好むのは普遍的だと思われるのです。
萌え系のクリエイターには女性も多く、また、女児が『セーラームーン』や『プリキュア』など可愛く、また足を露出させるなどエロティシズムを兼ね備えた美少女たちが活躍するアニメを好むのもやはり、普遍的です。
つまり、アニメなどで描かれるケア役であり、また可愛くお色気を持った女性、という存在は別に「男性目線」でつくられたものでは全くなく、男女がお互いの欲望をもとに、共同作業でつくり上げてきたものだと考えるほか、ないのです。女性の管理職が増えず、専業主夫願望が一向になくならないという現状もまた、同じ理由によるものであることは、言うまでもありません。
ぼくはずっとフェミニズムの本質を「ツンデレ」だと言い続けていますが、もう少しキツい言い方をするならば、そうした「女性性」に恵まれない者が、ブドウを酸っぱいのだと決めつけるため、フェミに走っていると形容できるように思います。
近年のフェミによる炎上は、一方ではディズニーに見られるようなポリコレの蔓延と原因を同じくしているかとは、思います。先に述べたように20年ほど前は目立たない存在になっていたフェミが近年復活してきた理由も、それで説明できましょう。
しかし、それではトランプのポリコレ政策終了宣言で、これらの動きは終わりを迎えるのでしょうか。
ぼくには残念ながら、そうは思えません。
そこにはもちろん、一部で囁(ささや)かれるようにアメリカを追い出された「ポリコレ難民」が日本に入り込んでくるという危惧(きぐ)もありますが、それだけではないのです。
当時のぼくは、ここまでオタクの影響力が大きくなったことに、隔世(かくせい)の感を憶えていましたが、何より、このメイド喫茶にフェミニストが文句をつけないことが不思議でした。可愛らしい格好で、「ご主人様」へのケア労働をし、可愛がられる。考えてみればメイドさんこそ、フェミニストが血涙を迸らせながら憎悪すべき存在だったはずです。
「ケア労働」という言葉が聞き慣れないな、と思った方がいるかもしれませんが、これは育児や介護、家事など家庭内で家族の世話をする労働を指し、また保育士や児童指導員などの職種もケアワーカーと呼ばれます。要するに「女性はケア労働ばかりを押しつけられている、これは女性差別である」というのがフェミニズムにとって極めて重要な論点であり、メイド喫茶など断じて許せないモノであったはずです。
が、少なくともそうした声は当時、聞こえてきませんでした。確かにこの頃は、マスコミなどではフェミニズムがすっかり時代遅れとされていた時期ではありました。
同時にこの時期に、高校などの文化祭でもメイド喫茶はすっかり定番となりました。当然です、可愛らしい格好で接客することが、女の子の興味を引かないわけがありません。女児がお店屋さんごっこを好むことなどを考えても、お世話をして、感謝されること、すなわち「ケア労働」を、そもそも女性が好むのは普遍的だと思われるのです。
萌え系のクリエイターには女性も多く、また、女児が『セーラームーン』や『プリキュア』など可愛く、また足を露出させるなどエロティシズムを兼ね備えた美少女たちが活躍するアニメを好むのもやはり、普遍的です。
つまり、アニメなどで描かれるケア役であり、また可愛くお色気を持った女性、という存在は別に「男性目線」でつくられたものでは全くなく、男女がお互いの欲望をもとに、共同作業でつくり上げてきたものだと考えるほか、ないのです。女性の管理職が増えず、専業主夫願望が一向になくならないという現状もまた、同じ理由によるものであることは、言うまでもありません。
ぼくはずっとフェミニズムの本質を「ツンデレ」だと言い続けていますが、もう少しキツい言い方をするならば、そうした「女性性」に恵まれない者が、ブドウを酸っぱいのだと決めつけるため、フェミに走っていると形容できるように思います。
近年のフェミによる炎上は、一方ではディズニーに見られるようなポリコレの蔓延と原因を同じくしているかとは、思います。先に述べたように20年ほど前は目立たない存在になっていたフェミが近年復活してきた理由も、それで説明できましょう。
しかし、それではトランプのポリコレ政策終了宣言で、これらの動きは終わりを迎えるのでしょうか。
ぼくには残念ながら、そうは思えません。
そこにはもちろん、一部で囁(ささや)かれるようにアメリカを追い出された「ポリコレ難民」が日本に入り込んでくるという危惧(きぐ)もありますが、それだけではないのです。
追いつめられたフェミニスト
上に見たように、フェミニズムは女性の「美」や「結婚」を女性差別だとして否定する思想です。しかしその本質はそれらを得られないがために、酸っぱいブドウだと決めつけるための詭弁(きべん)でした。
以前から指摘しているのですが、フェミニストとは一般の女性にそうした「フェミニズム」を注入し、恋愛や結婚から遠ざけ、自分たちの仲間に加えてしまう吸血鬼なのです。この数十年、フェミニストたちはあらゆる手段を使って女性の社会進出を強攻してきましたが、それによって得たのは非婚化だけだったのですから(このあたりについて詳しくは、「上野千鶴子結婚報道――矛盾だらけの上野流フェミ論」、「女性の総「お局さま」化を招くヘンなキャンセルカルチャー」をご覧ください)。
フェミニズムは恵まれたほかの女性を引きずり下ろす口実となることで、一時の快を与えてくれるでしょうが、それは当人をいよいよ不幸にするだけです。例外は上野千鶴子教授が結婚していたことが示すように、トップにまで昇り詰めた、本当に一握りの人間だけでしょう。
つまり、20年前はメイド喫茶に文句を言っていなかった女性たちはフェミニストのせいで婚期を逃し、「赤いきつね」にすら文句を言うしかないところにまで、追いつめられたのです。
だって本件が象徴するように、女性の不満は爆発せんばかりに膨れ上がっていますが、ならば日本が性犯罪天国なのかとなると、「不同意性交等罪」の施行など、この十数年で女性への性加害に対する厳しさは無制限に強まる一方なのですから。もっともフェミニストに訊けば「ようやく女性が声を上げ始めたのだ、セクハラに鷹揚(おうよう)だった昭和は女性にとって地獄だったのだ」との答えが返ってくるでしょう。
しかしならば、その頃の女性たちは今の何十、何百倍も不幸だったはずですが、ぼくにはそうは思えません。男性たちが要求を呑めば(はっきり言えば女性への性的接触を控えれば)、それだけ女性たちの不満が強まっていっているようにしか、見えないのです。
以前から指摘しているのですが、フェミニストとは一般の女性にそうした「フェミニズム」を注入し、恋愛や結婚から遠ざけ、自分たちの仲間に加えてしまう吸血鬼なのです。この数十年、フェミニストたちはあらゆる手段を使って女性の社会進出を強攻してきましたが、それによって得たのは非婚化だけだったのですから(このあたりについて詳しくは、「上野千鶴子結婚報道――矛盾だらけの上野流フェミ論」、「女性の総「お局さま」化を招くヘンなキャンセルカルチャー」をご覧ください)。
フェミニズムは恵まれたほかの女性を引きずり下ろす口実となることで、一時の快を与えてくれるでしょうが、それは当人をいよいよ不幸にするだけです。例外は上野千鶴子教授が結婚していたことが示すように、トップにまで昇り詰めた、本当に一握りの人間だけでしょう。
つまり、20年前はメイド喫茶に文句を言っていなかった女性たちはフェミニストのせいで婚期を逃し、「赤いきつね」にすら文句を言うしかないところにまで、追いつめられたのです。
だって本件が象徴するように、女性の不満は爆発せんばかりに膨れ上がっていますが、ならば日本が性犯罪天国なのかとなると、「不同意性交等罪」の施行など、この十数年で女性への性加害に対する厳しさは無制限に強まる一方なのですから。もっともフェミニストに訊けば「ようやく女性が声を上げ始めたのだ、セクハラに鷹揚(おうよう)だった昭和は女性にとって地獄だったのだ」との答えが返ってくるでしょう。
しかしならば、その頃の女性たちは今の何十、何百倍も不幸だったはずですが、ぼくにはそうは思えません。男性たちが要求を呑めば(はっきり言えば女性への性的接触を控えれば)、それだけ女性たちの不満が強まっていっているようにしか、見えないのです。
まるで「女子校政治」
さて、実は本件にはびっくりなオチがついており、それが以上の仮説を見事に証明してくれているのです。
まずはメタデータ分析の第一人者である、鳥海不二夫東京大学大学院工学系研究科教授による、「赤いきつねと非実在型炎上」という記事を見てみましょう。
件のCM(申し遅れましたが、これは東洋水産のXアカウントにより発信された、ネットCMでした)には、2月6日の投稿から15日までは批判的なリプライは全く存在せず、16日から批判的なリプライが増加したというのです。また、投稿時から16日までのCMへのリプライ500を分析したところ、批判的リプライは63件で全体の12.6%、いずれにせよ批判者は少数だったことが窺えます。
そしてこの16日というのが、実のところ冒頭で紹介した中村ホールデン梨華氏が批判ポストを投下した日なのです。さらに、先に広告コンサルと表現したように、彼女はこの後、「アニメ炎上広告を読み解く:ジェンダー表象と消費者の視点 小林美香氏との対談」という有料セミナーを開催しているのです。
となると……これは、そもそも最初から、商売のために炎上を人為的に起こした、マッチポンプだったのでは……?
ちなみに上の広告を見ると中村氏の肩書きは「広告炎上チェッカー」、小林氏は「広告ハンター」。フェミニストは昭和の時代からCMのキャンセルを積極的に行ってきましたが、まさにそれが仕事だと胸を張っているわけですね。
本件においては、むしろ中村氏に扇動されていきなりCMを「問題視」し始めた女性たちの付和雷同(ふわらいどう)的な態度について、呆れ声が多く囁かれました。多くの人が見ていたはずのCMに10日間、何ら文句がなかったのに、一人の人間がクレームをつけた途端にそれに唱和する人間が現れたというのは、女性たちが本当にこのCMにXで騒ぐほどの不快感を感じていたのかと疑いたくなりますし、ぼくもフェミのこうした「敵をつくって団結する」やり方を以前、「女子校政治」と形容したことがあります。
しかしぼくには、(往々にしてメーカーが消費者の潜在的なニーズを「発見」し、それを商品化するように)これもまず、女性たちの不満がまず漠然と存在しているからこそ、中村氏が「発見」した「企業による性加害」に飛びついたのではないかと思われるのです。
そしてその不満とはいうまでもなく、女性として満たされない感情でしょう。
つまり、トランプの影響で例えばディズニーのポリコレへの忖度(そんたく)、プラスサイズ(肥満体型)のヒロインの登場などはなくなるかもしれません。が、これで渡辺直美さんが即座に失職するかとなると、微妙ではないでしょうか。女性たちがテレビの美女を憎み、不美人を見て安堵する傾向は、かなり以前からあったように思います。
つまりポリコレという世界規模、マクロ的な潮流も非婚化などによる女性たちの不遇感という個人的、ミクロ的なものと相互に影響しあいつつ膨れ上がってきたものであり、それこそUSAIDを潰してもまだ影響は残り続けると思うわけです。
だからこそ、例えば本件における女性たちの声も、ただ一蹴するばかりでなく、どうした心情に基づいて発せられているのか、考えてみる必要があるのです。
そうしなければ、ぼくたちはいつまでも「ポリコレが怖くて赤いきつねが食えない」ままなのではないでしょうか。
まずはメタデータ分析の第一人者である、鳥海不二夫東京大学大学院工学系研究科教授による、「赤いきつねと非実在型炎上」という記事を見てみましょう。
件のCM(申し遅れましたが、これは東洋水産のXアカウントにより発信された、ネットCMでした)には、2月6日の投稿から15日までは批判的なリプライは全く存在せず、16日から批判的なリプライが増加したというのです。また、投稿時から16日までのCMへのリプライ500を分析したところ、批判的リプライは63件で全体の12.6%、いずれにせよ批判者は少数だったことが窺えます。
そしてこの16日というのが、実のところ冒頭で紹介した中村ホールデン梨華氏が批判ポストを投下した日なのです。さらに、先に広告コンサルと表現したように、彼女はこの後、「アニメ炎上広告を読み解く:ジェンダー表象と消費者の視点 小林美香氏との対談」という有料セミナーを開催しているのです。
となると……これは、そもそも最初から、商売のために炎上を人為的に起こした、マッチポンプだったのでは……?
ちなみに上の広告を見ると中村氏の肩書きは「広告炎上チェッカー」、小林氏は「広告ハンター」。フェミニストは昭和の時代からCMのキャンセルを積極的に行ってきましたが、まさにそれが仕事だと胸を張っているわけですね。
本件においては、むしろ中村氏に扇動されていきなりCMを「問題視」し始めた女性たちの付和雷同(ふわらいどう)的な態度について、呆れ声が多く囁かれました。多くの人が見ていたはずのCMに10日間、何ら文句がなかったのに、一人の人間がクレームをつけた途端にそれに唱和する人間が現れたというのは、女性たちが本当にこのCMにXで騒ぐほどの不快感を感じていたのかと疑いたくなりますし、ぼくもフェミのこうした「敵をつくって団結する」やり方を以前、「女子校政治」と形容したことがあります。
しかしぼくには、(往々にしてメーカーが消費者の潜在的なニーズを「発見」し、それを商品化するように)これもまず、女性たちの不満がまず漠然と存在しているからこそ、中村氏が「発見」した「企業による性加害」に飛びついたのではないかと思われるのです。
そしてその不満とはいうまでもなく、女性として満たされない感情でしょう。
つまり、トランプの影響で例えばディズニーのポリコレへの忖度(そんたく)、プラスサイズ(肥満体型)のヒロインの登場などはなくなるかもしれません。が、これで渡辺直美さんが即座に失職するかとなると、微妙ではないでしょうか。女性たちがテレビの美女を憎み、不美人を見て安堵する傾向は、かなり以前からあったように思います。
つまりポリコレという世界規模、マクロ的な潮流も非婚化などによる女性たちの不遇感という個人的、ミクロ的なものと相互に影響しあいつつ膨れ上がってきたものであり、それこそUSAIDを潰してもまだ影響は残り続けると思うわけです。
だからこそ、例えば本件における女性たちの声も、ただ一蹴するばかりでなく、どうした心情に基づいて発せられているのか、考えてみる必要があるのです。
そうしなければ、ぼくたちはいつまでも「ポリコレが怖くて赤いきつねが食えない」ままなのではないでしょうか。
兵頭 新児(ひょうどう しんじ)
本来はオタク系ライター。
フェミニズム、ジェンダー、非モテ問題について考えるうち、女性ジェンダーが男性にもたらす災いとして「女災」という概念を提唱、2009年に『ぼくたちの女災社会』を上梓。
ブログ「兵頭新児の女災対策的随想」を運営中。
本来はオタク系ライター。
フェミニズム、ジェンダー、非モテ問題について考えるうち、女性ジェンダーが男性にもたらす災いとして「女災」という概念を提唱、2009年に『ぼくたちの女災社会』を上梓。
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