【矢板明夫】中国・「反外国制裁法」の狙い【美麗島遠眼鏡】

中国の国会にあたる全人代は6月10日、「反外国制裁法」という法律を制定した。中国の組織や個人が外国から制裁を受けたときの報復措置を規定したものだが、厳しい罰則と共に、どうとでも解釈できるような曖昧な表現が多く、明らかに中国の「法律戦」のために作られたものであろう。この理不尽な法律に対して、中国に進出している企業はどのような道を取るべきなのか―(『WiLL』2021年8月号初出)

 中国の国会に当たる全国人民代表大会(全人代)の常務委員会は6月10日、「反外国制裁法」という法律を制定した。中国の組織や個人が外国から制裁を受けたときの報復措置を規定したもので、制裁に協力した企業や個人などに対し「入国禁止」「中国国内の財産凍結」「すべての中国企業との取引禁止」などの罰則が定められている。

矢板明夫:中国・「反外国制裁法」の狙い

また「ひどい」法律を作りました…
 全文は千字あまり、A4一枚の紙に収まってしまうほどの短い法律だが、「曖昧な表現が非常に多い」と法律の専門家が指摘している。例えば、制裁の定義についての詳しい説明がない。外国から制裁を受ける対象についても「わが国の公民や組織」とだけ表現しているが、範囲はいくらでも拡大、もしくは縮小できる。外国の株式市場で上場している中国系企業が含まれるかどうかは不明で、外国から「スパイ容疑」などを理由に中国人が国外退去を命じられた場合も、制裁されたと受け止められ、この法律が適用される可能性がある。

 北京の人権派弁護士は「中国にはずさんな法律はたくさんあるが、その中でもこの法律は一番ひどい」と指摘した。その上で、同法の狙いは「中国に進出する外国企業に恐怖心を植え付けるためだ」と説明した。
 中国共産党政権がほかの国と外交交渉をする場合、三戦(輿論戦、心理戦、法律戦)をよく使う。かつて共産党軍が敵軍に対する瓦解工作を展開した際に利用した手段だが、近年、政治、外交など各分野にも活用されるようになった。

 今回の「反外国制裁法」は典型的な法律戦だ。中国当局が外国の組織、企業、個人に対し嫌がらせをする前に、まずは根拠となる国内法を整備する。欧米や日本などの民主主義国家では、法律はあくまでも現在の社会秩序を守るために制定するものだが、中国の法律戦は、これから起きることを事前に想定して先手を打つことが特徴だ。例えば、1992年に中国が「領海法」を制定した。尖閣諸島(沖縄県石垣市)や南沙諸島は中国の領土と規定した。その後、中国が南沙諸島において大規模な埋立て工事を開始したが、領海法はその根拠となった。また、中国で今年2月に「海警法」という法律が施行された。これは尖閣沖で中国の海警船と海上保安庁の船が衝突することを前提にしている法律で、海警船に武器の使用権を事前に与えた。この法律を駆使してタイミングを計りながら、尖閣占領を狙うことが本当の目的だと指摘する声もある。

矢板明夫:中国・「反外国制裁法」の狙い

自国の法律を侵略のテコに使うのか―
 共産党の内部事情に詳しい関係者によれば、今回の「反外国制裁法」を制定する話は昨年夏頃、米トランプ政権が次々と対中制裁方針を発表した時からすでに持ち上がっていた。その後、トランプ氏が大統領選挙で敗れ、バイデン氏が勝利したため、審議は一旦中断した。米新政権の対中国政策を確認するためだった。同法の審議が全人代の日程に組まれたのは最近のことで、背景には、バイデン政権はトランプ前政権の主な対中政策をほぼ引き継いでおり、米国との関係は短期間で改善できないと、中国の最高指導部が判断したに違いない。同法の制定日が6月10日になったのは、翌11日から英国でG7(先進7カ国)首脳会談が行われるのに合わせ、各国首脳による反中的発言をけん制する狙いがあるとみられる。
 一方、同法が厳密に適用されると、中国に進出している多くの企業が、たちまち報復対象になる可能性がある。例えば、新疆ウイグル自治区の少数民族、ウイグル族の強制労働を懸念し、世界三大高級綿の一つとされる「新疆綿」の不使用を表明した外国企業が相次いているが、この法律が施行されたことで、これらの企業は不買運動をやめるか、または中国から撤退するか、二者択一が迫られる。

矢板明夫:中国・「反外国制裁法」の狙い

中国進出企業には二者択一が迫られる
 そもそもどこの産地の綿を使うかは、衣料品メーカーの自由であり、法律で規定することはおかしい。中国当局の要求を受け入れ、新疆産の綿を使い続ければ、その企業のイメージが悪くなり、製品は中国以外の国では売れなくなってしまう可能性もある。これらの企業の将来性などを考量して今後、徐々に中国からの撤退を考え始めるに違いない。

 中国を改革開放に導いた鄧小平氏は1970年代末から80年代はじめにかけて、世界各国の企業家に対し、中国への投資を呼びかけ続けた。その際「中国は国際社会のルールを守るから」という言葉を繰り返していたという。あれから40年、中国は高度経済成長を果たしたが、国際社会の常識とルールを完全に無視するようになった。「反外国制裁法」という理不尽な法律の制定は、改革開放時代のおわりを告げる出来事と言える。
矢板 明夫(やいた あきお)
1972年、中国天津市生まれ。15歳の時に残留孤児二世として日本に引き揚げ、1997年、慶應義塾大学文学部卒業。産経新聞社に入社。2007年から2016年まで産経新聞中国総局(北京)特派員を務めた。著書に『習近平 なぜ暴走するのか』(文春文庫)などがある。