今度は「敵前逃亡」で歴史戦"連敗"の岸田首相【山口敬之の深堀世界の真相 No70】

佐渡金山をユネスコの世界文化遺産に推薦することを岸田首相が最終的に決めた(1月28日)。「敵国」韓国が来年秋以降ユネスコの委員国になることから、今年が登録の事実上のラストチャンスだったこと、それ以上に「韓国の反日的嫌がらせを助長する」という意味において、もし今年申請を見送っていたら非常によくない展開が予想されていた中での決断だった。だが、決断に至るまでの過程を見ると、不穏な空気が漂っていることがわかる。今回のドタバタ劇に見る、岸田総理に欠けているリーダーの資質とは――。

山口敬之:今度は「敵前逃亡」で歴史戦"連敗"の岸田首相

 佐渡金山をユネスコの世界文化遺産に推薦することを岸田首相が最終的に決めた(1月28日)。

 この件の「敵国」韓国が来年秋以降ユネスコの委員国になることから、今年が登録の事実上のラストチャンスだったこと、それ以上に「韓国の反日的嫌がらせを助長する」という意味において、もし今年申請を見送っていたら非常によくない展開が予想されていた。

 だから、最終的に岸田首相が推薦を正式に決めたことで、保守派を中心とする多くの日本人が安堵した。

 ところが1週間前の1月20日には、大手メディアは真逆の報道をしていた。

[産経新聞]
https://www.sankei.com/article/20220121-DJQI54DV3VKEHP2SFZ253L2FFQ/

[日経新聞]
「佐渡金山」世界遺産推薦見送りへ 政府: 日本経済新聞

「佐渡金山」世界遺産推薦見送りへ(日経新聞)

via 著者提供
 1月20日に大手メディア全社が「推薦見送り」と報道したのに、なぜ1週間後に正反対の結論が出たのか。

 この経過を検証すると、岸田政権の意思決定とマスコミ誘導のからくり、さらに岸田文雄という政治家の本質が見えてくる。

消極姿勢の根源は外務省

 今回の問題は、昨年12月28日、文化庁傘下の文化審議会が佐渡金山をユネスコ文化遺産推薦候補に選んだ時から、おかしな展開を見せていた。

 日本には25の世界文化遺産があるが、文化審議会が推薦を決めれば、そのままユネスコに推薦するのが通例だった。

 特に、江戸時代の遺跡である佐渡金山は「顕著な普遍的価値」があると認められた、押しも押されもしない堂々たる文化遺産だったからなおのことだ。

 しかし佐渡金山については、韓国が「1910~1945年の日本統治時代に朝鮮人が強制的に徴用された佐渡金山は世界文化遺産に相応しくない」と猛烈な反対運動を仕掛けてくることがわかっていた。

 だから、推薦が決まればユネスコでの正式登録実現という重責を担う外務省は、昨年末から関係各所に「推薦見送り」の根回しを始めた。

 関係者の話を総合すると、外務省は「推薦見送り」について、以下のような4つの理由付けをしていた。

(1)韓国との熾烈な歴史戦を戦うだけの準備ができていない
(2)2021年に韓国が慰安婦問題を世界記憶遺産に登録しようとした際、日本が主導して「ある国の登録申請に他の加盟国からの異議が出されたら登録を阻止できる」という仕組みを提案し実現した手前、世界文化遺産でも韓国の異議を無視しにくい
(3)3月の韓国大統領選でより反日的な与党の李在明候補に勢いがつく
(4)アメリカのバイデン政権が日韓の諸紛争に辟易(へきえき)としている

 外務省は幹部を総動員して、上記のような「言い訳」を関係各所に触れ回った。

 政府・与党内の反応は2つに割れた。「今年の推薦は見送るべき」と外務省の主張に理解を示したグループと、「韓国との歴史論争を避けたい外務省の敵前逃亡に過ぎない」と、あくまで今年の推薦を求めるグループだ。

 ただ、どちらのグループも、韓国の主張がいかに筋違いなものであるかの認識は共有していた。

歌川広重の描いた佐渡金山

via Wikipedia

加害民族も被害民族もいない佐渡金山

 もし「ある民族が一方的に虐待を受けた歴史がある遺跡は全て世界文化遺産に相応しくない」というなら、大航海時代以降のほとんど全ての産業遺産は不適切だということになる。

 例えば2015年に世界文化遺産に登録されたアメリカ・テキサス州南部の「サン・アントニオ・ミッションズ」は、18世紀にフランシスコ会ミッションによって建設されたキリスト教伝道所群だ。

 欧米人からすれば「キリスト教の世界伝播」という輝かしい歴史でも、もともとアメリカ大陸に住んでいたネイティブ・アメリカンにとっては、陰惨かつ苛烈な「侵略の爪痕(つめあと)」だ。

 1999年に世界文化遺産に登録されたインドの「山岳鉄道群」は、インドがイギリスの植民地だった頃に、植民地の収奪の象徴だった紅茶の輸送と避暑客の便宜を図るために建設された。

 これらの加害民族による直接的な収奪と虐待の構図が明白な産業遺産ですら世界遺産として登録されている。

 これに対して佐渡金山は江戸時代「日本独自の伝統的手工業によって金生産が行われた」という普遍的な価値が高く評価されているのであり、歴史的な経緯と因果関係において加害民族も被害民族も全く存在しない、ほとんど唯一無二の産業遺産だ。

インドの「山岳鉄道群」など負の遺産は世界各地にあるが

(画像はイメージ)

韓国の反日運動はまるで「当たり屋」

 しかも韓国の「日本統治時代に朝鮮人・韓国人が『強制労働を強いられた』」という主張自体、二重三重の「難クセ」だ。

 韓国のいう「強制労働」とは、日中戦争が泥沼化していた1939年に施工された国民徴用令によって実施された徴用のことである。

 しかし、そもそも「戦時下の徴用は強制労働には該当しない」というのが国際社会における常識だ。

 しかも、当時の徴用は日本に住む全ての住人が対象になっていたのであり、韓国・朝鮮人だけを選択的に徴用したのではない。

 当時は日韓両国の合意に基づいて国際的に完全に有効な条約によって李氏朝鮮が日本に併合された。韓国は日本の植民地ではなく、日本の一部だったのである。

 さらに1944年の途中までは朝鮮半島は国民徴用令の対象から外されていて、1944年9月から7カ月間だけ朝鮮人の徴用が行われた。もちろん、この時期にも日本人の徴用は続いた。「韓国・朝鮮人の選択的徴用」は、ただの一度も行われたことはない。

 こうした史実を曲げ、誇張し、「我々は被害者だった」と言い募る韓国の醜い歴史戦の構図は、慰安婦問題と同じだ。

韓国の理不尽と正面から戦った安倍政権

 こうした韓国の「言い掛かり」に対してNOを突きつけ、歴史論争から逃げない姿勢を明確にしたのが、第2次安倍政権下で行われた長崎県長崎市端島(はしま)、いわゆる「軍艦島」の世界文化遺産登録だ。

 明治から昭和にかけて海底炭鉱の採掘で栄えた軍艦島は、日本統治下の時代を含む産業遺産だっただけに、韓国の徹底的な妨害工作に遭った。

 当時の韓国大統領、朴槿惠は、この件でユネスコのボコバ事務局長に会談を申し入れ「歴史に背を向けたままの世界遺産登録の申請は、国家と国家の不必要な分裂を招くことだ」と登録反対を直接伝えた。

 さらに外務大臣を務めていた尹炳世(ヨン・ビョンセ)は当時のユネスコの委員国を歴訪して反対運動を展開した。 

 事態の収集を狙って2015年には日韓外相会談が開かれ、「日本が韓国の『百済歴史遺跡地区』を世界文化遺産に登録することを支援する代わりに、韓国も軍艦島を含む『明治日本の産業革命遺産』の登録を支援すること」で合意した。

 ところが、韓国は「百済歴史遺跡地区」の登録が採決された翌日、韓国は合意を反故(ほご)にし、「明治日本の産業革命遺産」の登録に反対を表明した。

 当時の安倍政権はこうした韓国の常軌を逸した行動を「歴史戦」ととらえて徹底的に戦い、2015年7月にようやく世界文化遺産に正式登録された。

朴槿惠前韓国大統領

リーダーに必要な「怒り」の欠如が証明された岸田文雄

 2015年の軍艦島での韓国の暴虐と非礼を知る多くの議員は「韓国の卑劣な歴史戦から逃げてはいけない」と、今年の推薦を主張した。

 逆に「推薦見送り」という外務省の主張に理解を示した自民党議員の多くは、軍艦島登録の顛末を知らない「傍観組」だった。

 しかし「見送り」を支持した者の中に、1人だけ軍艦島交渉の詳細を知っている者がいた。岸田文雄である。

 実は当時、尹炳世に煮え湯を呑まされた日本の外務大臣こそ岸田だったのである。

2016/6/12の岸田文雄―尹炳世会談
via 著者提供
 百済遺跡と軍艦島の「相互支援」で外交トップが一致した公式な合意を完全に反故にされたのが岸田である。

 この韓国のあからさまな不義によって軍艦島の登録問題はその後も尾を引いた。

 結局、軍艦島の正式登録の際、外務省の佐藤地(くに)ユネスコ政府代表部大使は、「1940年代にいくつかの施設で、意思に反して連れてこられ(brought against their will)、厳しい環境の下で働かされた(forced to work under harsh conditions)多くの朝鮮半島出身者がいた」と発言させられた。

 さらに、その後もユネスコが日本の軍艦島に対する対応について2021年に遺憾決議が採択されるなど、「外交敗北」が続いた。

 全ては、岸田が尹に外相会談で騙されたことに端を発している。

 岸田が韓国に騙されるのは、これが初めてではない。前年末の2015年12月、日韓両政府は慰安婦問題について「最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」と合意し、韓国政府が元慰安婦支援のため設立する財団に日本政府が10億円を拠出することとなった。

 この際、日韓両政府は国連など国際社会の場で慰安婦問題を巡って双方が非難し合うのを控えることも申し合わせた。

 この合意を尹炳世と行ったのも、岸田外相だった。

2015/12の岸田―尹共同会見

via 著者提供

「最後は岸田首相が決断」のウソ

 今回の佐渡金山推薦を巡って、岸田首相の判断がどう揺れ動いたかを簡単に整理すると、次のようになるだろう。

(1)文化庁が推薦候補に決めたものの
(2)その直後に官邸が推薦見送りのニュアンスを出し、
(3)保守派の反発を聞きながらも
(4)1月20日に推薦見送りを正式決定したが
(5)保守派のさらなる反発に驚き、
(6)1月27日に推薦を打ち出さざるを得なくなった

 これだけ短期間に、心が揺れまくる首相も珍しい。

 ところが、1月28日の大手メディアの報道は「最後は俺が決める」という、真逆のトーンだった。

[産経新聞]
首相「最後は俺が決める」 佐渡金山で外務省押し切り(産経新聞)

[日経新聞]
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA28A6I0Y2A120C2000000

 複数のメディアが「俺が最後に決める」という同じタイトルを取っていることから、官邸の誰かが懇談か個別対応でメディアにしゃべったことは間違いない。

 しかし、ここまで見てきたように、自然な手続きに任せれば「文化審議会の推薦候補決定→正式推薦」という流れだったものを、1月19日に「推薦見送り」と決断したのは岸田首相本人だ。

 本当は見送りたかったに安倍元首相や高市政調会長らの突き上げでやむなく翻意したことは明白だ。「決断」が二転三転したにもかかわらず、「最後は俺が決断する」などと首相の体質を捻じ曲げて発信をする岸田官邸は、国民を愚弄(ぐろう)している。

 そして、唯々諾々(いいだくだく)と言われたまま「首相が推薦を決断」などと書くメディアもいかがなものか。

 菅政権下では「菅首相―茂木外相―萩生田文科大臣」の陣容で、佐渡金山の推薦準備が着々と進んでいた。

 実際、昨年6月には萩生田文科大臣が佐渡の現場を視察し、政権として推薦する意思を明確にしていた。コロナ禍でユネスコの会議自体が延期されなければ、粛々と推薦されていたことは間違いない。

 ところが、「岸田首相―林芳正外相―末政信介文科大臣」の体制になったら、対外情勢は何も変わっておらず、外務省の体制も同じなのに、政権は真逆の動きを見せた。このうち、末松文科大臣は安倍元首相や故中川昭一氏の創設した創生日本や日本会議のメンバーであり、媚韓の対極にいる政治家である。そんな末松氏が推薦見送りを主導するはずがない。
 
 今回の経緯を検証してわかったことは

・岸田―林ラインの外交では、「日本の伝統文化を尊重したり」「国益を追及したりする」ことは2の次になりやすい
・官邸は「決断力のある首相」という印象を与えようと必死である

 という、厳然たる事実だ。

岸田―林体制で日本の外交は大丈夫なのか?

「戦えない」岸田首相の本質

 慰安婦問題と軍艦島で煮湯を飲まされた外務省が佐渡金山に及び腰になった時、首相や外務大臣はどう対応すべきか。

 根本的に必要なのは、国の尊厳を守るという信念と、国家と国家の正式な約束を守らない国に対する怒りと報復だ。

 常軌を逸した韓国の行動に最前線で直面した経験のある岸田首相が、共に戦った安倍元首相の忠告にもかかわらず、外務省の「逃げ」を一旦は受け入れ、それを正式決定とした。

 今回の佐渡金山問題ではっきりしたのは、岸田文雄という政治家は、リーダーとして国の尊厳を守る意思も、理不尽な隣国と戦う気概もなく、役人の言うがままに敵前逃亡する人間であるという、哀しい現実である。
山口 敬之(やまぐち のりゆき)
1966年、東京都生まれ。フリージャーナリスト。
1990年、慶應義塾大学経済学部卒後、TBS入社。以来25年間報道局に所属する。報道カメラマン、臨時プノンペン支局、ロンドン支局、社会部を経て2000年から政治部所属。2013年からワシントン支局長を務める。2016年5月、TBSを退職。
著書に『総理』『暗闘』(ともに幻冬舎)、新著に『中国に侵略されたアメリカ』(ワック)。