人が持論を通すためにはここまでヤルのか―。本来であれば「フェミニズムの敵」とも思える≪小児性愛≫を擁護するフェミニストが、このところ増えてきている。人が何を好み、何を愛するかに関しては、その人の内心にとどまる限りは自由かもしれないが、それが表出してしまい、判断能力がまだ十分でない≪小児≫との恋愛をOKとしてしまうことは、私たちの常識に照らせば到底受け入れられないはずだ。しかし、一部のフェミは、自らの主張を通すためにか、そんなトンデモ性愛まで許容せよというのだ。それこそまさに「トンデモフェミスト」とでも呼ぶべき人たちを紹介する。
コメントありがとうございます!渡辺恒夫教授、懐かしいですね!あれはギリシャの少年愛がフロイト的な小児性欲の発達段階に即した、理に適ったものだったという驚くべき指摘でした。もちろん、ギリシャなどのそれも児童虐待としての側面はあったでしょうが、いずれにせよ現代の少年愛者たちのそれは、(本人たちは何かと古典的少年愛を持ち出し、自らを正当化しますが)全く別物ですね。
渡辺恒夫氏の著作の中で”古典的少年愛”というのが一種の通過儀礼、教育として紹介されていたと記憶しています。しかし、少なくともここで取り上げられているような小児性愛はまったく異なるものでしょうね。少年の人格形成に利するどころか、深い傷を与える大人のエゴにしか思えません。
フェミを推進したいあまり、トンデモ性愛までを許容するヤバい人たち【兵頭新児】
人が持論を通すためにはここまでヤルのか―。本来であれば「フェミニズムの敵」とも思える≪小児性愛≫を擁護するフェミニストが、このところ増えてきている。人が何を好み、何を愛するかに関しては、その人の内心にとどまる限りは自由かもしれないが、それが表出してしまい、判断能力がまだ十分でない≪小児≫との恋愛をOKとしてしまうことは、私たちの常識に照らせば到底受け入れられないはずだ。しかし、一部のフェミは、自らの主張を通すためにか、そんなトンデモ性愛まで許容せよというのだ。それこそまさに「トンデモフェミスト」とでも呼ぶべき人たちを紹介する。