その動きは本当に子どものことを考えてではなく、LGBT運動の(歪んでいるとしか思えない)政治的意図を達成するために、子供のセクシュアリティへと強引に介入しようとする、許しがたい行為といわざるを得ません。
そのうえで、そうした急進的な教育をよしとする者たちの何割かには、さらに「小児性愛」的な欲望がいくらかでもあるのではないか、とも述べさせていただきました。今回はなぜそのように考えられるのかについてお伝えいたします。
そもそも、フェミニズムには小児性愛と親和的な部分があるとぼくは考えております。
「何をバカな、フェミは常にオタクをロリコンであると叩くではないか」と思われたかも知れません。確かにそれはそれで正しく、彼ら彼女らは「女性を可愛いと思う文化自体がけしからぬ」などと「ムチャ振り」をします。しかし、確かに萌え文化には「ロリコン的」な要素が多分にあるとはいえ、登場キャラクターの多くは女子高生などがイメージされていることが多く、「真性の小児愛者」とは一線を画しているかと思われます。
一方で、フェミニズムは現代社会を「強制異性愛社会」などと称することからもわかるように、またLGBT運動と極めて近しいことからもわかるように、そもそも「異性愛」を否定したいという情念を秘めているのです。
そんなわけですので、以降はフェミニズムと真性の小児愛者の関係について、ご説明していきましょう。
自分の欲望をきれいごとで誤魔化す
ちょっと彼らの公式サイトを覗いてみましょう。「About」タグから「Who We Are」というページに飛ぶと、以下のようにあります。
≪NAMBLAの目標は、相互に合意した関係にある男性と少年に対する極度の抑圧を次のようにして終わらせることです。≫
同じく「About」タグから「Boys Speak Out」というページに飛ぶと、11歳から19歳までの少年たちの文章の載った出版物の通販がなされています。グレタさん的な少年たちに「若者にも性の自由を!」といった主張をさせているわけです。明言はしていませんが、そうした年齢の少年とのセックスも肯定されるべき、というのが彼らの考えなのでしょう。
これに限らず、海外には小児愛者の組織がいくつも存在し、自分たちの欲望を合法化しようと運動しています。同じく米国の「ルネ・ギュイヨン協会」では「8歳までにセックスをしなければ手遅れだ」というスローガンが掲げられ、もうメチャクチャとしか言いようがありません。
ただ、お断りしておきますと、NAMBLAはあくまで法の遵守を謳っています。児童福祉団体などにより児童ポルノの販売や児童売春を行っているなどと伝えられることもありますが、それは基本的にデマと言っていいようです。
フェミニストがNAMBLAを肯定
彼女らの幾人かはレズビアンであり、その主張は少年愛者をLGBT、つまり自分たちの仲間として迎えたいという計算のみならず、自分自身の欲望を達成したいという情念に支えられているようにも思われます。
事実、かつては「Wikipedia」に女性の「少女愛」について項目が設けられていた時期があります。Wikiから削除された記事、掲載拒否された草稿を掲載するサイト、「EverybodyWiki」を見てみると、「女性少女愛運動」、「国際女性少女愛協会」の項目が発見できます。レズビアン女性による少女とのセックスを目的とした運動、団体が存在したのです。
もっとも、かつて存在していた同協会のサイト、「BUTTERFLY KISSES」は今回発見できず、またNAMBLAについても近年、その活動は縮小しているらしきことは窺えます。1994年に国際レズビアン・ゲイ協会「ILGA」がNAMBLAを除名処分にしたことがそのきっかけとも伝えられ、さすがにフェミニストの中にも彼らに批判的な者も多いようではあります。
対岸の火事ではない日本
しかし、しばしばここで≪ヘンな事例≫としてに挙げている「表現の自由クラスタ」、つまり萌え系の表現の自由を守ると称しているオタク左派については、彼らは少々危険なのではないか…という懸念がぼくにはあります。
なぜならば、近年彼ら彼女らに「小児愛者を差別してはならぬ」といった発言が目立つのです。御田寺圭『矛盾社会序説』には小児性愛も実行に移さない限りは犯罪ではなく、そうした者まで差別してはならぬ、と主張する下りがあります。御田寺氏については肯定的に言及したこともありますが、この点についてはどうも、賛同できません。
確かに、小児愛者として生まれたこと自体は本人の責任ではないし、性的嗜好それ自体は犯罪ではないというのは全くの正論であり、ぼくはこれに100%同意します。しかし、以下のような記述はどうでしょうか。
≪多くの小児性愛者は自らの性的な欲求が他者を傷つけかねないことを自覚しており、悩み、苦しんでいる。≫(74p)
先に見たNAMBLAの主張を見ると、果たしてどうか、という気になるのではないでしょうか。
いつも例に出す青識亜論氏なども、口を揃えてこれとほぼ同様なことを主張していますが、小児愛者をただ自らの持って生まれた性癖に苦悩し、世間の無理解に傷つく清らかで無辜の被差別者だとするのは正しいのでしょうか。
もちろん、一方では自らの欲望を自制し、実行してはならぬと自戒している小児愛者も大勢いるはずですし、そんな者たちを差別してはならないのは当たり前です。しかしそうした者ばかりではない。児童ポルノなど、単純所持が禁じられる以前は広範にやり取りがなされていたのです。
もそも彼らの言う「小児愛者が受けている差別」とは何かが、ぼくにはいまいちわかりません。彼らに尋ねると「ツイフェミが心ない罵倒をしてくる」と言うのですが、そもそもフェミニストは萌えキャラばかりか「お母さん食堂」のようなコンビニブランドにまで「心ない罵倒をしてくる」ことは、今までのぼくの記事を読んでくださっている方は周知のこと。わざわざ小児愛者を担ぎ出してくる手つきに、ぼくは彼らの「清浄なるセクシャルマイノリティ」に対する「欲情」を感じないわけにはいかないのです。
自論の強化のために「トンデモ論」を支持する愚
≪だいたい、異性愛再生産と小児性愛どちらが「まとも」かだって怪しいものです。個人的な趣味判断から言えば、前者の方が醜いと思っていますが、私はわざわざ前者に該当する人を罵って回るようなことはしませんよ(数も多いのでやりあったら負けますし)。≫
≪そもそも小児性愛は「幼児殺したい」という嗜好でもありませんし、実際に一番幼児を殺したり虐待しているのは「実母」ですよね。だけど、「全ての母親は幼児殺害・虐待予備軍」などとは言わないでしょう。その慎みを、小児性愛者にも向けるべきでは? ≫
ここにはフェミニズムに親和的な者たちの一部が何故、小児愛者に接近しつつあるのかについての回答が示されています。
小児性愛といってもロリコン男性であればそれは異性愛の一環に過ぎず、フェミニズムと本来、親和性はありません(その意味で「LGBT」に「PZN」を加える人々が出てきたのは、ぼくにとっては意外でした)。
彼ら彼女らは小児愛者を「同性愛者」と読み替えることで、自軍に加えようとしている。しかしさらに柴田氏は「小児性愛は(普通の一般的な)異性愛とは異なるので好ましいのだ」とのかなり苦しいロジックで、少女を好む小児愛者をも自軍に加えようとしているのです。これはまた、インモラルな性表現を「体制を揺るがすもの」としてただ礼賛する左派(まさに表現の自由クラスタの先輩格の人々)の感性とも極めて親和的です。
そんなことから、このようなある種の(保守的な価値観を仮想的にした)呉越同舟が成り立ってしまっているのではないでしょうか。
しかしそれは当然、後一歩、否、半歩間違えただけで子供への加害を肯定してしまう危険性があるものなのです。彼ら彼女らにはその辺りのことを、もう一度考えていただきたいと思う次第です。
本来はオタク系ライター。
フェミニズム、ジェンダー、非モテ問題について考えるうち、女性ジェンダーが男性にもたらす災いとして「女災」という概念を提唱、2009年に『ぼくたちの女災社会』を上梓。
ブログ『兵頭新児の女災対策的随想』を運営中。