【兵頭新児】フェミを推進したいあまり、トンデモ性愛まで...

【兵頭新児】フェミを推進したいあまり、トンデモ性愛までを許容するヤバい人たち

 前回の記事では、海外における過激な早期LGBT教育についてお伝えしました。LGBTへの理解を推進しようとするあまり、ほとんど≪早期フリーセックス教育≫と化していること、そして日本でも、そこまでではなくとも近しい事態が起こっていることなどをお伝えしました。

 その動きは本当に子どものことを考えてではなく、LGBT運動の(歪んでいるとしか思えない)政治的意図を達成するために、子供のセクシュアリティへと強引に介入しようとする、許しがたい行為といわざるを得ません。

 そのうえで、そうした急進的な教育をよしとする者たちの何割かには、さらに「小児性愛」的な欲望がいくらかでもあるのではないか、とも述べさせていただきました。今回はなぜそのように考えられるのかについてお伝えいたします。

 そもそも、フェミニズムには小児性愛と親和的な部分があるとぼくは考えております。

「何をバカな、フェミは常にオタクをロリコンであると叩くではないか」と思われたかも知れません。確かにそれはそれで正しく、彼ら彼女らは「女性を可愛いと思う文化自体がけしからぬ」などと「ムチャ振り」をします。しかし、確かに萌え文化には「ロリコン的」な要素が多分にあるとはいえ、登場キャラクターの多くは女子高生などがイメージされていることが多く、「真性の小児愛者」とは一線を画しているかと思われます。

 一方で、フェミニズムは現代社会を「強制異性愛社会」などと称することからもわかるように、またLGBT運動と極めて近しいことからもわかるように、そもそも「異性愛」を否定したいという情念を秘めているのです。


 そんなわけですので、以降はフェミニズムと真性の小児愛者の関係について、ご説明していきましょう。

自分の欲望をきれいごとで誤魔化す

NAMBLA」という団体をご存じでしょうか。「北米少年愛者協会」の略で、成人男性と少年とのセックスを合法化しようと運動している組織です。

 ちょっと彼らの公式サイトを覗いてみましょう。「About」タグから「Who We Are」というページに飛ぶと、以下のようにあります。

NAMBLAの目標は、相互に合意した関係にある男性と少年に対する極度の抑圧を次のようにして終わらせることです。
 その目的は同意年齢法(子供には性交をするだけの判断力がないとして、合意の成立する年齢、つまりセックスしていい年齢を設定した法律)を撤廃すること。

 同じく「About」タグから「Boys Speak Out」というページに飛ぶと、11歳から19歳までの少年たちの文章の載った出版物の通販がなされています。グレタさん的な少年たちに「若者にも性の自由を!」といった主張をさせているわけです。明言はしていませんが、そうした年齢の少年とのセックスも肯定されるべき、というのが彼らの考えなのでしょう。

 これに限らず、海外には小児愛者の組織がいくつも存在し、自分たちの欲望を合法化しようと運動しています。同じく米国の「ルネ・ギュイヨン協会」では「8歳までにセックスをしなければ手遅れだ」というスローガンが掲げられ、もうメチャクチャとしか言いようがありません。
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きれいごとで誤魔化しても、小児との自由恋愛を認めよというのはあまりにもいびつな主張であろう―
 彼らは一様に「合意があれば、合意があれば」と繰り返しますが、当然、幼い子供にセックスがどんな結果を生むかを判断するだけの能力があるとは思えません。しかしそう言ってしまっては彼らは一生、その欲望を叶えることができないわけで、ついつい「子供とセックスしてもいいのだ、子供にもその判断力が備わっているのだ」と自己正当化を図ってしまうことになるのでしょう。

 ただ、お断りしておきますと、NAMBLAはあくまで法の遵守を謳っています。児童福祉団体などにより児童ポルノの販売や児童売春を行っているなどと伝えられることもありますが、それは基本的にデマと言っていいようです。

フェミニストがNAMBLAを肯定

 さて、NAMBLAの公式サイトに戻りましょう。再び「About」から「What People Are Saying」を覗いてみると、前回にも言及したジョン・マネーに加え、ゲイル・ルービン、カミール・パーリア、パット・カリフィア、ジェーン・ルールといったフェミニストたちの言葉が並んでいて驚かされます。雑誌取材などの引用ですが、ともあれ一様に大人と子供とのセックスを肯定しています。

 彼女らの幾人かはレズビアンであり、その主張は少年愛者をLGBT、つまり自分たちの仲間として迎えたいという計算のみならず、自分自身の欲望を達成したいという情念に支えられているようにも思われます。

 事実、かつては「Wikipedia」に女性の「少女愛」について項目が設けられていた時期があります。Wikiから削除された記事、掲載拒否された草稿を掲載するサイト、「EverybodyWiki」を見てみると、「女性少女愛運動」、「国際女性少女愛協会」の項目が発見できます。レズビアン女性による少女とのセックスを目的とした運動、団体が存在したのです。

 もっとも、かつて存在していた同協会のサイト、「BUTTERFLY KISSES」は今回発見できず、またNAMBLAについても近年、その活動は縮小しているらしきことは窺えます。1994年に国際レズビアン・ゲイ協会「ILGA」がNAMBLAを除名処分にしたことがそのきっかけとも伝えられ、さすがにフェミニストの中にも彼らに批判的な者も多いようではあります。
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【兵頭新児】フェミを推進したいあまり、トンデモ性愛までを許容するヤバい人たち

際限なく増えて行くLGBTQ…
 ただ、それにしても上に見たように彼らの主張に肯定的な者も一定層いるわけで、前回お伝えした早期LGBT教育にもこうしたペドファイルの影がちらついている気が、ぼくにはしてなりません。以前、近年はこのLGBTのお尻に「Q」や「+」、その他にもいろいろなアルファベットをくっつける傾向が顕著だ、ということをお伝えしたことがありますが、その中に「LGBTPZN」というものがあります。このお尻の三文字はそれぞれP=ペドファイル(小児性愛)、Z=ズーフィリア(動物性愛)、N=ネクロフィリア(死体性愛)を意味しているのです(ただ、当たり前の話ですがこの「LGBTPZN」という言葉を使う者は即、子供とのセックスを肯定する考えを持っている、というわけでは全くありません)。

対岸の火事ではない日本

 いや、これはさすがに海外だけの特殊事例では…と思われるかも知れません。確かに、日本にそうした組織があるといった話はさすがに、聞きません。

 しかし、しばしばここで≪ヘンな事例≫としてに挙げている「表現の自由クラスタ」、つまり萌え系の表現の自由を守ると称しているオタク左派については、彼らは少々危険なのではないか…という懸念がぼくにはあります。

 なぜならば、近年彼ら彼女らに「小児愛者を差別してはならぬ」といった発言が目立つのです。御田寺圭『矛盾社会序説』には小児性愛も実行に移さない限りは犯罪ではなく、そうした者まで差別してはならぬ、と主張する下りがあります。御田寺氏については肯定的に言及したこともありますが、この点についてはどうも、賛同できません。

 確かに、小児愛者として生まれたこと自体は本人の責任ではないし、性的嗜好それ自体は犯罪ではないというのは全くの正論であり、ぼくはこれに100%同意します。しかし、以下のような記述はどうでしょうか。

多くの小児性愛者は自らの性的な欲求が他者を傷つけかねないことを自覚しており、悩み、苦しんでいる。≫(74p)

 先に見たNAMBLAの主張を見ると、果たしてどうか、という気になるのではないでしょうか。
 
 いつも例に出す青識亜論氏なども、口を揃えてこれとほぼ同様なことを主張していますが、小児愛者をただ自らの持って生まれた性癖に苦悩し、世間の無理解に傷つく清らかで無辜の被差別者だとするのは正しいのでしょうか。
 NAMBLAは「少年たちの性の解放」「少年たちのために」と再三繰り返していますが、それが身勝手なエゴの誤魔化しであることは論を待たないでしょう。日本の小児愛者もそれと変わらず、ブログなどを見ると「子供とのセックスを認めよ」「児童ポルノを認めよ」といった主張にお目にかかります。

 もちろん、一方では自らの欲望を自制し、実行してはならぬと自戒している小児愛者も大勢いるはずですし、そんな者たちを差別してはならないのは当たり前です。しかしそうした者ばかりではない。児童ポルノなど、単純所持が禁じられる以前は広範にやり取りがなされていたのです。

 もそも彼らの言う「小児愛者が受けている差別」とは何かが、ぼくにはいまいちわかりません。彼らに尋ねると「ツイフェミが心ない罵倒をしてくる」と言うのですが、そもそもフェミニストは萌えキャラばかりか「お母さん食堂」のようなコンビニブランドにまで「心ない罵倒をしてくる」ことは、今までのぼくの記事を読んでくださっている方は周知のこと。わざわざ小児愛者を担ぎ出してくる手つきに、ぼくは彼らの「清浄なるセクシャルマイノリティ」に対する「欲情」を感じないわけにはいかないのです。

自論の強化のために「トンデモ論」を支持する愚

 これは柴田英里氏についても同じことが言えます。彼女もまた、少し前までごく普通のフェミニズム的主張をし、萌え文化を否定していたはずが近年、異様に親オタク的になり、フェミニズム批判を始めた人物です。そんな彼女もまた、やたらと小児愛者に親和的なのです。

だいたい、異性愛再生産と小児性愛どちらが「まとも」かだって怪しいものです。個人的な趣味判断から言えば、前者の方が醜いと思っていますが、私はわざわざ前者に該当する人を罵って回るようなことはしませんよ(数も多いのでやりあったら負けますし)。≫

そもそも小児性愛は「幼児殺したい」という嗜好でもありませんし、実際に一番幼児を殺したり虐待しているのは「実母」ですよね。だけど、「全ての母親は幼児殺害・虐待予備軍」などとは言わないでしょう。その慎みを、小児性愛者にも向けるべきでは?

 ここにはフェミニズムに親和的な者たちの一部が何故、小児愛者に接近しつつあるのかについての回答が示されています。
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フェミニストの論理はあまりに自分勝手ではないか―
 上に見てきたように海外では小児愛者といった時、少年愛者が想定されることが多い(少女が好きな者もいるはずで、何故決まって少年愛なのか、これは以前から疑問に思っているのですが)。またフェミニストがレズビアンになる時、それを「異性愛」という悪しき制度に反する政治戦略と捉える傾向が極めて大です。

 小児性愛といってもロリコン男性であればそれは異性愛の一環に過ぎず、フェミニズムと本来、親和性はありません(その意味で「LGBT」に「PZN」を加える人々が出てきたのは、ぼくにとっては意外でした)。

 彼ら彼女らは小児愛者を「同性愛者」と読み替えることで、自軍に加えようとしている。しかしさらに柴田氏は「小児性愛は(普通の一般的な)異性愛とは異なるので好ましいのだ」とのかなり苦しいロジックで、少女を好む小児愛者をも自軍に加えようとしているのです。これはまた、インモラルな性表現を「体制を揺るがすもの」としてただ礼賛する左派(まさに表現の自由クラスタの先輩格の人々)の感性とも極めて親和的です。

 そんなことから、このようなある種の(保守的な価値観を仮想的にした)呉越同舟が成り立ってしまっているのではないでしょうか。

 しかしそれは当然、後一歩、否、半歩間違えただけで子供への加害を肯定してしまう危険性があるものなのです。彼ら彼女らにはその辺りのことを、もう一度考えていただきたいと思う次第です。
兵頭 新児(ひょうどう しんじ)
本来はオタク系ライター。
フェミニズム、ジェンダー、非モテ問題について考えるうち、女性ジェンダーが男性にもたらす災いとして「女災」という概念を提唱、2009年に『ぼくたちの女災社会』を上梓。
ブログ『兵頭新児の女災対策的随想』を運営中。

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この記事へのコメント

とおりすがり 2024/2/29 17:02

「トンデモ性愛」「私たちの常識」というワードに共感できませんでした。
「私の常識」では歳だけ取った幼稚な大人は腐るほどいて、子供(法律から16歳未満を想定)でも大人より真っ当に物事を考えて判断できる者も山ほどいると思っているので
少なくとも私が子供だったころと比較して、これまでに見てきた「大人」たちが皆優れた判断力を有しているとはとても言えませんんからね。

充分な判断能力を持たない者を、悪意で騙し利用しようとする行為は倫理的・道徳的に許されるはずがありませんが
その対象を「〇〇歳以下」と一概に定め、異常だと断じるのはあまりにも曖昧な定義だと思っています。
法的に問題が無い場合でも、頭の弱い人間を利用して金銭や肉体を搾取する行為を私は否定しますし。聡明な人間が考えた末の判断であるなら、それが15歳と70歳の恋愛であろうと私は否定しようとは思いません。

兵頭新児 2022/6/24 00:06

コメントありがとうございます!
渡辺恒夫教授、懐かしいですね!
あれはギリシャの少年愛がフロイト的な小児性欲の発達段階に即した、理に適ったものだったという驚くべき指摘でした。
もちろん、ギリシャなどのそれも児童虐待としての側面はあったでしょうが、いずれにせよ現代の少年愛者たちのそれは、(本人たちは何かと古典的少年愛を持ち出し、自らを正当化しますが)全く別物ですね。

玄米 2022/6/22 03:06

渡辺恒夫氏の著作の中で”古典的少年愛”というのが一種の通過儀礼、教育として紹介されていたと記憶しています。しかし、少なくともここで取り上げられているような小児性愛はまったく異なるものでしょうね。少年の人格形成に利するどころか、深い傷を与える大人のエゴにしか思えません。

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