コメント
コメント、ありがとうございます。
もう見ていらっしゃらないでしょうが、今初めてコメントいただいたことに気づきました……。
ギリシャや武家社会などかつての社会におっしゃるような伝統があったことは世界共通でしょうが、しかしそれは現代の目で見ると小児性愛であり、やはり認めにくい。
一方、成人男性同士の同性愛はそれと少々性質が異なり、やはり普遍性という意味では一歩劣ると言えるのではないでしょうか。
でも、本当の世界中を探してでてくる最古の同性愛表現はギリシャ神話のゼウスがショタコンだったのでヘラに幻滅されて離婚に発展したというやつでしょう。
他にローマ皇帝(しかも五賢帝)の一人であるハドリアヌスは同じく若い彼氏がいたそうで。
彼らのように同性愛行動が珍しい、奇妙だと昔から言われていたわけではないく
おそらくユダヤ系3宗教の発展が同性愛差別の理由なのかなと。
基本、「神様はすごい、間違えない、信じて進めば大丈夫」を言いたいがために
同性愛は気のせいと言ってしまって
結果世界の半分が信じる宗教は同性愛嫌悪を経典に書いてある
そういうことなのかなと思います。
勿論、2000年前の性的指向などだれも知らないわけですが。
(秀吉や家康がキリスト教を広めたくなかったのは彼ら自身に同性の恋人がいたからだとも)
コメントありがとうございます!
確かに日本の漫画やアニメにはずっとLGBTキャラが登場していました。
が、『ひばり君』はアブノーマルさをギャグとして描いていたものであり(作者がひばり君を可愛く描けば描くほど「ギャグ」になる、と述べていました)、『バーコードファイター』の作者はショタの大家じゃないですか。
だから、本件のような「一般的な娯楽が、LGBTに寄り添わねばならない」といった奇妙なイデオロギーはないんですね。
逆に言えば、そうした形で漫画にLGBT登場する(つまり、変人だけど、こういうヤツもいるよな、といった形で)ことこそが「市民権を得る」ということであれば、それはまさにおっしゃる通りかと思います。
【兵頭新児】市場原理無視の"LGBT迎合"はコンテンツの自殺行為だ
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