多摩大学の2代目学長だった中村秀一郎教授は、何でも速戦即決で実行する人だった。専修大学にいらしたとき、学生達の私語が多すぎるという問題に対し、すぐにペーパーを配って「今、私語をしていることを書け」という問題を出した。「出せば1点あげる」と言うと、たちまち全員から集まった。読んでみると、大半が「今度の週末は何をしようか」という相談だった。

 普通ならば〝しようがない学生だ〟と考えて終わりにするところだが、中村先生はもう一歩、大学も悪い点は何か──と考えて〝雑談する場所が不足しているから教室でする〟と思いついた。それで階段の踊り場とか廊下の一部とかにテーブルと椅子を置いてちょっと話ができるようにした、と私に言った。実際、効果はあったようで、その行動力には本当に感心した。これは多摩大学が、新設で学部長の即断即決で何でもできるから、という事情もあった。

 反対に新設なら何でもよいというわけではない例も思いつく。テレビをつけると、国会では同じことを何人もの議員が質問している。安倍首相はいちいち丁寧に答えている。国会議員は自分がテレビに映ることばかりを考えているからこうなるのもムリはないが、それで国会審議は進歩しているのか、と考えると昭和24年以来のことが走馬灯のように思い出される。少しずつ良くなっているとも言えるし、あまり変わらないとも言える。

 ある国会議員と話すと、
「それはいろいろに言えるが、まず第一にこの何十年間、国会議員の待遇改善が進んだが、それを提案して推進したのはほとんど社会党の人で、みんな落選してしまったから浄化は進んでいるとも言える!」
 と答える。またある人は、
「テレビ中継をする時代がくると、国会議員はそれに映ることが第一になって質問者に背を向けて話したり、図解を持ち込んだりするだろう」
 と心配したが、確かにそうなった。

 国会審議の内容は二の次にするようになったから、具体的な要求は野党にもっと質問時間をくれ、というものになった。それが実現すると、次は総理大臣に謝らせようとするようになった。良い質問とは「総理、総理」と連呼して答弁に自分の出番をつくることで、首相はそれにつきあって相手の顔を立てるから、国民は国会全体を軽視するようになった。国会議員がイケ面ばかりになる──と心配した人もいたが、大分そうなった。同様に美女ばかりになるという声もあったが、それは笑い声で終わった。それならよいという自信家が多かったらしい。

 こんなことでいいのかと思っていたところ、コロナがやってきた。天災なら誰も傷つかないと安心しているが、日本国のことは他人まかせで、それで国会議員とは聞いてあきれる。そもそも国会審議では、犯人探しと責任者の追及があるべきだと思うが、それだけは棚にあげた議論が繰り返されている。多分、本当のことはみんなわかっているからである。たとえば国会議員の宿舎は昔はなかったが、みんなが御手盛りで予算をつけたからで、今はある。使用の実態を申告して返上する人はいないらしい。地方へ行くと、県庁都市はたいてい大きな川に隣接しているが、そこに別の川が合流してV字型に湿地帯ができているところへ建築物を建てるから、そこが被災地になる。

 また農水省が指導して杉の木をたくさん植林したが、それが材採期になった現在は輸入材が安い時代になった。そのため誰も間伐しないので、密植された杉の木は大雨が降ると地滑りを起こして山を崩し、材木は川に流れて堤防をつきやぶる。そこに人家が増えているから人災である。

 天皇は人工植林のゆきすぎをかねて案じていられたが、軽々には何も発言なさらなかった。私は民間人で〝住宅産業〟という本を書いただけの人間だが、山の手入れとしての間伐をしない山林地主や、危ない土地から先に売却する地主や、こうなると知っていても報道しなかったマスコミや、崖崩れがくるのを心ひそかに待っていた役場の人のことならたくさん知っている。みんな欲ばりだと思う。
日下 公人(くさか きみんど)
1930年生まれ。東京大学経済学部卒。日本長期信用銀行取締役、㈳ソフト化経済センター理事長、東京財団会長を歴任。現在、日本ラッド、三谷産業監査役。著書に『ついに日本繁栄の時代がやって来た』(ワック刊)。

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