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ラオスでの日本人による児童買春を訴えた女性のX。いろいろ調べてみると……

連日報じられる子供への性加害ニュース

 子供に対する性加害のニュースが、連日のように報じられています。
 本年6月には、イラストレーターのがおう氏がかつての未成年淫行を告発されています。Vチューバーや美少女ゲームのイラストを担当していた人気作家なのですが、暴露系YouTuberの配信にLINE出演し、その場で告発内容を全面的に認め、結果イラストレーターも廃業することになってしまいました。被害者は当時14歳だったとのことで、廃業という対応が適切かは措くとして、確かに擁護のしにくい話です。

 Xなどにおける、いわゆる「ツイフェミ」は何かというとオタクと性犯罪を結びつける傾向にあり、そんな折に起こった事件だけに肩身の狭い思いをしていると――やはり6月、教員ら10名ほどが参加する盗撮愛好家グループが摘発されたことも話題になりました。
 きっかけは名古屋市立の小学校の教諭・水藤翔太被告が駅のホームで、15歳の少女のリュックサックに体液をつけたとして逮捕された件。その後、勤務先の小学校でも体液を給食に混入させたり、児童の所持品に付着させたり、また盗撮した児童の着替えシーンなどをグループで共有していたとも伝えられます。がおう氏の行為も許されないこととはいえ、それにしてもこのグループの方がやっていることの方が明らかに悪質ですよね。

 これは余談ですが、「NEWSポストセブン」によると、盗撮グループの一員として逮捕された小学校教員小瀬村史也容疑者は高校時代からサッカーに勤しむ「陽キャ」で、当時、いわゆる萌えアニメを観ているオタクを「アニメなんか観てたら犯罪者になるぞ」といじめていたそうです。子供への性加害は、必ずしも(ツイフェミが夢想するような)「陰キャ」によってなされるものとは、言えなさそうです。

 さて、基本、ぼくはフェミニズムに批判的(というより全否定)ですが、同時にペドファイルに対しても、あまり好意的ではありません。それは今まで幾度か述べたように彼らの中には児童との性行為を正当化する者がおり、また上の例を見てもわかるように画像の共有を図る傾向が大きいように思われるからです。それは普通の成人女性に対してもあり得ることでは……とおっしゃる方もいらっしゃるでしょうが、何しろ児童の性的画像はそれ自体がご禁制とあって、貴重品としてアンダーグラウンドでやり取りされる傾向が大なのです。

 ――いや、しかしいずれにせよ幼い子供へ性加害するとは、まさに「有害な男性性」そのものだ。男たちは蔓延するレイプカルチャーを肯定するポルノなどの撲滅に努めねばならないのだ。

 フェミニストからはそんな声が聞こえてきそうです。

頭がクラクラするブログ

 ところが、ここへ来てさらに驚くべきニュースが飛び込んできました。
 やはり6月、ラオス在住の日本人女性、岩竹綾子氏が現地で行われる児童売春に心を痛め、在ラオス日本大使館へと撲滅を求める署名を提出したというのです。大使館は訴えを受け、注意喚起文を出しました。

 岩竹氏はSNS上で買春行為を自慢するかのような日本人男性の投稿を見て署名を決意。オンライン署名には25000筆以上の賛同が集まり、『毎日新聞』をはじめニュースとして採り挙げられるなど、大きな広がりを見せました。
 ところが、岩下氏のブログの過去記事を見ていくと、とんでもない内容が見つかったのです。

《今日の仕事は、かわいい男子高生とご一緒。
(中略)
飲み屋で隣のテーブルだった彼に狙いを定め、
一緒に飲み、そこからはお酒の力を借りて、だいぶ押せ押せ。

嫌がる彼に、
「何もしないから!」
と懇願してホテルに連れ込みました。

が、何もしないなんてはずはない。
狙いどおり。
(中略)
これが「18歳強姦事件」》


 まるで武勇伝のような筆致に、頭がクラクラします

 ほかにも買春のできるダンスパブ(男性がブリーフ一枚で接客するような店だそうです……)で17歳の少年を狙っ(たものの、友人に先に買われて悔しがっ)たり、12歳年下とそうした関係を持ったと自慢したり……と、要するにこの御仁、こうした行為を日常的に行っていたんですね。さすがに問題の箇所は炎上後、削除されましたが(上のリンクはアーカイブです)、彼女のブログは現時点でも、パブで買った少年の話が延々、延々、延々延々と書かれており、読んでいて胸焼けしそうなほど。

 当たり前の話ですが、この事実が明るみになるや大炎上。岩竹氏も当初は「でも最終的な決定権はこの時は男にありましたからね」など居直るようなことを言っていたのですが、後に謝罪文を出すことに。もっともその謝罪は「相手は18歳の大学生で、あくまで同意の上での行為であった」というもの(バンコクにおいて、18歳との性交は一応、合法とされます)。つまり記事そのものは「盛った」ジョーク混じりのものだった、というわけです。

 そりゃあ、そう言われたら反証も難しいですが、何しろ買春を日常的に行っていた御仁です。果たして、そのまま信じる気になれるでしょうか……?

フェミニストは暴力的?

 どうにもフェミニストには、こうした人物が多いように、ぼくには思われます。
 性産業を性暴力であるとして否定しているフェミニスト、北原みのり氏は著作『ブスの開き直り』で自身が美少年を買ったことを自慢げに記していましたし、#MeToo運動の中心となっていたアーシア・アルジェントは17歳の子役俳優であるジミー・ベネットに性交を強要し、莫大な賠償金を支払っていましたし、ほかにも同じ運動にかかわるフェミニスト教授が男子学生にセックスを強要していたことも問題になりました。

 以前、フェミニスト男性は非常に往々にして女性へと性加害を働く傾向にある、と指摘しました。しかしこうなると女性のフェミニストもそうした傾向があるのではとも、思えてきます。
 では、それは一体なぜなのでしょうか。

 こうした傾向は、幾層ものレイヤーが積み重なって形成されており、疑問に答えるには、それを一枚ずつ剥がしていく必要がありそうです。
 先に岩竹氏のブログ記事を「武勇伝」と表現しましたが、彼女の「少年買春」を語る筆致は極めて邪気なく、また得意げです。上に挙げた、「あくまで行為は18歳との合意のもの(ブログは盛ったもの)である」との言い分を100%受け容れるにせよ、いくら何でも買春を厳しく告発しようとする者がなぜ? と普通の人間であれば思うところでしょう。

 いえ……果たして必ずしもそうだと言えるのでしょうか?
 女性にカネで買われ、性交を強要された少年。
 ちょっと年配の方なら「よかったじゃないか、やれた上でカネまでもらえて」などと言う方も少なくはないのではないでしょうか(そうした感想を抱いた方には、岩竹氏の画像を検索してみることをお勧めします)。
 確かに、若い男性は常に旺盛な性欲に突き動かされており、セックスのチャンスをともかく好ましく感じる、というのはそこまで誤った認識でもありません。少し前まで男性には強姦罪(当時)が適用されていなかったこと、またDV被害者は女性だという通念なども、それと無関係ではないでしょう。

 しかし、それだって相手によるし(何しろ相手は中年女性です)、また金銭を介した関係には必ずしも悦びを見出せないというのは、女性と同じです。ことに草食化した今の男性にとって、こうした性関係への嫌悪感は女性と同様、強いことでしょう。それは人によるというなら、同時に「パパ活」している女性にだって好きでやっている者がいるであろうこともまた、考えてみるべきです。
 つまりレイヤーの一つ目は「従来の男女観、セックス観」であると言えるのです。しかし若い世代にしてみればそもそも、最初からこんなレイヤーは存在していないも同然なのではないでしょうか。

仕返ししてやっても構うまい

 先のDV防止ですが、実際のところは制定時より男性も被害者として想定されてはいます。
 しかし、その制定時にこの件について、「それでは性の非対称性を無視することになる」と憤死せんばかりに怒ったフェミニストがいました。

  これは「DVは女性差別が原因で起こる」というフェミニズムの世界観が前提視されているためで(いえ、男性被害者も女性並みにいるというデータもあり、そもそも男性被害者の存在がフェミの間違いを雄弁に物語っているのですが、フェミニストがそうした事実を理念に反映させることは決して、ありません)、実のところ、上の「女性に買われるなんて得じゃないか」といったセックス観と表裏一体です。

 つまり先の「従来のセックス観」というレイヤーの上に、フェミニズムは「女性差別」というレイヤーを積層して運動を展開しており、それゆえに、こうした事実は認識されにくい。「男は頑健(がんけん)だから少々の暴力くらい平気だろう」とDVを繰り返す女性のようなもので、岩竹氏も自らの行いについて、「どこが悪いのだ?」くらいに思っていたのではないでしょうか。

 しかし、その上にもまだ、レイヤーは残っています。
 フェミニストはそうした事情に加え、「私たちは今まで男性に虐(しいた)げられてきたのだ」「ならば仕返ししてやっても構うまい」とでもいったような「復讐史観」を抱いている人が大変に多いのです。

 また、70年代頃のウーマンリブはフリーセックスの影響を受け、「女はその性を男に支配されてきた」「しかし女が自由にセックスを楽しんでもいいのだ」といったムードも濃厚でした。つまりフェミによって形成されたこれら2枚のレイヤーが、女性の性加害を正当化してきたように思われるのです。
 普段は男性からの女性への性暴力を厳しく糾弾しておきながら、SNS上で反論されると、相手の男性に「あなた普段、どんなオナニーしてるの?」といったセクハラめいた発言をして、呆れられたフェミニストがいました。

 彼女とはぼくも議論となったことがあるのですが、自身が不利になると「お前の個人情報を知っているぞ」とわけのわからない恫喝(どうかつ)を仕掛けてきました。そこまでの軽挙妄動を繰り返しておきながら、彼女はぼくの見る限り、「男の性暴力へとカウンター攻撃を行う勇猛な女傑」という自己イメージを抱いているようなのです。この人物はそこそこ名の知れた作家であり、恐らく普段からリベラル男性にかしずかれ、こうしたこと(権威を悪用しての、弱い者いじめ)をしていたのではないでしょうか。

フェミニストの隠れたホンネ

 これらレイヤーを全て剥(は)がすと、そこには何が残るのでしょうか。
 ある種、女性の業とも言うべき度し難いコアが、そこに立ち現れるように思います。

 女性にとっては「男性に求められること」こそが重要です。岩竹氏は(上のようなレイヤーに取り憑かれ)「強姦」などとはしゃいでいますが、それはむしろ逆説的に邪気のない「自信」があるからこそであり、女性は男性と関係を持った時、「相手が自分との行為を嫌がっている」とはまず、考えないのではないでしょうか。つまり、「相手の少年も女性と関係できて、まんざらでもなかったに違いない」と考えていたのでは、とぼくには思えるのです。

 リュウジ氏の港区女子騒動の時にご説明したことがありました。「港区女子」は富裕層と会食して稼ぐ存在ですが、同時に「あくまで自分からは要求していないのに(あまりにも魅力的であるがため)、食事代やタクシー代が出る」という一種の物語を前提した存在でした。揉めごとの詳細は省きますが、そこでおごってもらえないことは、女性にしてみれば「お前には魅力がない」と言われたも同然なのです。

 同様に、岩竹氏の場合も「男性は本当に嫌悪を感じていた」と認めることは、女として致命的であり、そんな認識はないのではないでしょうか。女性が男性アイドルなどにキスやお触りをする、そしてその女性が相当な高齢であったり、申し訳ないけれども相当な不美人であったりで、見ている方はどんびきなのだけれど、本人は邪気がない。また、世間も女性の「性加害」を認めることには積極的でなく、SNSなどで眉を顰(しか)められつつ、うやむやに終わってしまう――みなさんも今まで時折、見聞きしたことのある話題ではないでしょうか。

 女性のセクシュアリティに根ざす、一番強固なコアが、こうした状況の一番の原因であると思われるのです。
 男性が女性をレイプすることは決して許されなくとも、男性の性欲それ自体は善でも悪でもありません。

 同様に今回の事件は許せないけれど、上に書いた女性のセクシュアリティ(要するに性欲)は別に善でも悪でもない。しかし、女性はそうした自己の欲望、業を内省する機会が、今まで極めて限られていた。女性が自由になったことは大変結構だけれども、それならばある程度の内省もしなければならないのです。

 フェミニストのおかげで女性が肌も露わに外を出歩くことが自由になったけれども、おかげでそのお肌が染みやら荒れやらシワやら体毛やらで結構大変なことになっていることが、明らかになったのです。
 女性たちはこれからお肌の手入れをすることで、より以上に男性に愛される存在になるのではないでしょうか。

 いえ、いつも女の悪口を書いているのだから、この結論はちょっとキレイゴトに見えるかもしれません。しかしぼくは、本気でそう思っているのです。
兵頭 新児(ひょうどう しんじ)
本来はオタク系ライター。
フェミニズム、ジェンダー、非モテ問題について考えるうち、女性ジェンダーが男性にもたらす災いとして「女災」という概念を提唱、2009年に『ぼくたちの女災社会』を上梓。
ブログ『兵頭新児の女災対策的随想』を運営中。

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