「認知戦」と呼ばれる新しい形の戦争
リヒテンシュタインなど小国並みの自治体予算を持つ東京都港区が、区立中学校の生徒の修学旅行先に昭南島(しょうなんとう)を選定した。一人当たりのおよそ34万円、約3.9億円ものをかけた「教育」である。しかし、ここで大きな問題が起きている。修学旅行先で生徒らが訪れ、後に「学習」させられる「シロソ砦(とりで)」(以下、博物館)に関してだ。
ご存じの通り、認知戦と呼ばれる銃や爆弾を使わない新しい形の戦争は、前世紀の1990年代から始まっている。例えば、アイリス・チャンの『ザ・レイプ・オブ・南京』では、日本軍の南京占領から1年後には人口が60万人も増えた史実とは異なり、多数の民間人を残虐に殺害したことが記載され、挙句には日本兵が被害女性の陰毛をむしり取り食べるなど奇行があったなど虚偽をあげ、日本人そのものが人種的に劣(おと)っているというレイシズム思想を世界に伝播(でんぱ)する目的がある。
現在も『ジャパンズ・ホロコースト』と題する反日思想、すなわち私たち日本人の絶滅を意図させるため虚偽をひたすら論(あげつら)う書籍が発行され、大きな問題となっている(同書の批判は『『ジャパンズ・ホロコースト』解体新書』大高未貴著/ビジネス社に詳しい)。
かくのごとき苛烈(かれつ)な対日バッシングの「思想」は、単に本の中に留まらず、博物館という形で物理的に具現化された。そして、東京都港区の中学生らに「税金」を使って、それを学習させようとする恐るべき犯罪(理由は後述)と児童虐待が実行されつつある。
私がこの博物館を訪れ、最初の目に留まったのが辻政信の大きなパネル写真だ。辻参謀は、いわゆる陸軍のキャリアであり、満ソ国境紛争処理要綱を策定し、国境線の柔軟な解釈によってノモンハン事変を主導、シンガポール攻略戦、ガダルカナル島の戦い、スタンレー山脈越え作戦、そして戦後は参議院議員に当選し、竹島への単身上陸をなどを行った人物として知られる。特にガダルカナルの戦いでは大本営参謀でありながら現地入りし、ヘンダーソン飛行場占領作戦で陣頭指揮を執るなどの勇猛果敢な人物として知られる。
では、なぜ辻政信なのか。それは、シンガポール攻略作戦ののち、ゴム製造販売をするマレー人を使役していた華僑(かきょう)に対し、いわゆる「敵性華僑狩り」を主導した人物として知られているからだ。しかし、ここで大きな疑問が生じる。
博物館の展示内容では「虐殺」として取り扱われるが、虐殺されたとされる人々が非戦闘員であった証明が展示内容には一切存在しなかったのだ。
ご存じの通り、認知戦と呼ばれる銃や爆弾を使わない新しい形の戦争は、前世紀の1990年代から始まっている。例えば、アイリス・チャンの『ザ・レイプ・オブ・南京』では、日本軍の南京占領から1年後には人口が60万人も増えた史実とは異なり、多数の民間人を残虐に殺害したことが記載され、挙句には日本兵が被害女性の陰毛をむしり取り食べるなど奇行があったなど虚偽をあげ、日本人そのものが人種的に劣(おと)っているというレイシズム思想を世界に伝播(でんぱ)する目的がある。
現在も『ジャパンズ・ホロコースト』と題する反日思想、すなわち私たち日本人の絶滅を意図させるため虚偽をひたすら論(あげつら)う書籍が発行され、大きな問題となっている(同書の批判は『『ジャパンズ・ホロコースト』解体新書』大高未貴著/ビジネス社に詳しい)。
かくのごとき苛烈(かれつ)な対日バッシングの「思想」は、単に本の中に留まらず、博物館という形で物理的に具現化された。そして、東京都港区の中学生らに「税金」を使って、それを学習させようとする恐るべき犯罪(理由は後述)と児童虐待が実行されつつある。
私がこの博物館を訪れ、最初の目に留まったのが辻政信の大きなパネル写真だ。辻参謀は、いわゆる陸軍のキャリアであり、満ソ国境紛争処理要綱を策定し、国境線の柔軟な解釈によってノモンハン事変を主導、シンガポール攻略戦、ガダルカナル島の戦い、スタンレー山脈越え作戦、そして戦後は参議院議員に当選し、竹島への単身上陸をなどを行った人物として知られる。特にガダルカナルの戦いでは大本営参謀でありながら現地入りし、ヘンダーソン飛行場占領作戦で陣頭指揮を執るなどの勇猛果敢な人物として知られる。
では、なぜ辻政信なのか。それは、シンガポール攻略作戦ののち、ゴム製造販売をするマレー人を使役していた華僑(かきょう)に対し、いわゆる「敵性華僑狩り」を主導した人物として知られているからだ。しかし、ここで大きな疑問が生じる。
博物館の展示内容では「虐殺」として取り扱われるが、虐殺されたとされる人々が非戦闘員であった証明が展示内容には一切存在しなかったのだ。
国際法遵守の意思を示す
ここで、当時の国際法についての説明をしたい。
大日本帝国は明治33年(1900)に「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」、いわゆる「ハーグ陸戦条約」を締結し、大東亜戦争が開始された直後の1942年1月には俘虜(ふりょ)の待遇に関する条約(1929年ジュネーブ条約)を遵守(じゅんしゅ)する意思を全世界に向けて発表している。これらの条約は、戦闘員の定義と、戦闘員が投降ないし降伏した際の権利について定めている。
そこでどのような定義であったのか。それは、遠方から視認できる軍服または徽章(きしょう)の着用が戦闘員の資格であると定め、また同時に「軍隊同士の交戦に参加したるもの」と定める。つまり、この2要件をもって捕虜としての権利を保障されるのである。
実務ではどのような取り扱いだったのか。例えば、戦争末期に広島県呉市に停泊中の「戦艦榛名(はるな)」を攻撃しにきた米爆撃機を対空砲火の迎撃で撃墜した。搭乗員はらはパラシュートで脱出し、その後、憲兵隊によって拘束され、東京と広島の捕虜収容所に送られた。広島に送られたものは原爆によって死亡したが、東京大森の収容所に送られたものは良好な健康状態で終戦後帰国した。
では、捕虜として認められなかったケースは何か。それは、北九州市など民間人が居住する区域の爆撃作戦に参加した搭乗員らである。前述したように戦艦榛名は軍事目標であるから、捕虜になる権利が認められたが、民間人の居宅を爆撃しようとして撃墜され脱出した搭乗員らは、国際法上捕虜になる資格が存在しないため「権利主体なし」となった。
権利主体なしとは、現代日本における胎児と同一である。胎児に対するいかなる加害行為も傷害罪や殺人罪の成立が認められないように、国際法違反を行ったものへの権利は存在しない。
大日本帝国は明治33年(1900)に「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」、いわゆる「ハーグ陸戦条約」を締結し、大東亜戦争が開始された直後の1942年1月には俘虜(ふりょ)の待遇に関する条約(1929年ジュネーブ条約)を遵守(じゅんしゅ)する意思を全世界に向けて発表している。これらの条約は、戦闘員の定義と、戦闘員が投降ないし降伏した際の権利について定めている。
そこでどのような定義であったのか。それは、遠方から視認できる軍服または徽章(きしょう)の着用が戦闘員の資格であると定め、また同時に「軍隊同士の交戦に参加したるもの」と定める。つまり、この2要件をもって捕虜としての権利を保障されるのである。
実務ではどのような取り扱いだったのか。例えば、戦争末期に広島県呉市に停泊中の「戦艦榛名(はるな)」を攻撃しにきた米爆撃機を対空砲火の迎撃で撃墜した。搭乗員はらはパラシュートで脱出し、その後、憲兵隊によって拘束され、東京と広島の捕虜収容所に送られた。広島に送られたものは原爆によって死亡したが、東京大森の収容所に送られたものは良好な健康状態で終戦後帰国した。
では、捕虜として認められなかったケースは何か。それは、北九州市など民間人が居住する区域の爆撃作戦に参加した搭乗員らである。前述したように戦艦榛名は軍事目標であるから、捕虜になる権利が認められたが、民間人の居宅を爆撃しようとして撃墜され脱出した搭乗員らは、国際法上捕虜になる資格が存在しないため「権利主体なし」となった。
権利主体なしとは、現代日本における胎児と同一である。胎児に対するいかなる加害行為も傷害罪や殺人罪の成立が認められないように、国際法違反を行ったものへの権利は存在しない。
中国共産党の政治史観は絶対的に正しい?
ここで、シンガポールにおける敵性華僑狩りに話を戻したい。辻政信らが執行した作戦において、「非戦闘員」の被害者は一人でも存在したのであろうか。また、国際法に基づく戦闘員が降伏したにもかかわらず危害が加えられたのであろうか。残念ながら、博物館の展示には一切その理由がなく、また学術的にも存在しなかった。
虐殺すなわち不当な暴力が執り行われたとする主張には、被害者とされる者の身分が明確な非戦闘員であったとする公証が必要である。実は、この問題は近年も起きている。パレスチナ・ガザ地区における戦闘である。
2023年10月、イスラム武装勢力ハマスがイスラエルの農場および音楽祭を襲撃し、多数の民間人を殺害あるいは拉致したことで起きた紛争は現在も継続している。
一見すると、イスラエル軍がガザの民間人を攻撃しているかのような錯覚に陥るが、ハマス戦闘員とされる人々の様相を観察すると、一つのことに気づく。軍服の着用または遠方から視認できる徽章の着用が存在しないのである。パレスチナ自体は多くの独立国家に承認され、捕虜を規定する、いわゆるジュネーブ4条約に加盟が認められたが、あくまでそれは軍服の着用ないしは徽章の着用を条件にしたものである。
もし、それなしに戦闘を始めたならば、それは「非戦闘員の不存在」という法理をもたらす。単純な話であるが、軍服とは敵側に誰が戦闘員で誰が非戦闘員かを識別させる目的で着用される。もし、普段着を着用したまま戦闘を開始したならば、それは普段着の者すべてが戦闘員であることの証明となる。このような事態を避けるためにも、世界各国の軍人は軍服を着用しているのである。よって、そもそも被害者という概念自体が法益の侵害を受けたとする法律上の概念である以上、イスラエル軍によるガザ地区への攻撃で、非戦闘員の被害者がいたとする法律上の証明は存在しない。
ここから、シンガポールにおける敵性華僑狩りの「敵性華僑」とは、軍服も徽章も着用しない戦闘員であり、非戦闘員であつた証明が客観的に存在しないのである。
このような事実を「公立学校における教育に取り入れる」という現実に適用すると、一つの結論が出てくる。教育基本法で禁止されている教育の場における政治活動である。同法第14条第2項では、特定の政党への支持反対のための政治教育を禁じている。にもかかわらず、港区は中国共産党および朝鮮労働党の史観を指示し、同党への政治的支持を行うための政治活動を税金を利用して行おうとしているのである。
しかも、特定の人種を否定的に記述した内容も含まれ、日本人を対象とした人種差別思想を学校教育の場において今、為そうとしているのである。このような悪が果たして許されてよいのだろうか。否、許されるべき理由はない。
しかし、港区教育委員会は、「被害者である証明」が法律上存在しないにもかかわらず、誰が被害者なのかを決定する権限があるとしか評価できない反日政治活動をしている。
私が幾度も港区議会で議員質問をし、その政治教育の正当性はどこにあるのか問いても、港区教育長の答弁は中国共産党の政治史観は絶対的に正しく、これを港区でも採用する旨を答え、そこに法令順守の精神は存在しなかった。昨今のジェンダー思想においては、性別の自認で定義できるとする価値観が法制化されたが、誰が被害者かまで権利義務にかかわる自認は到底認められない。
かつて、私が幼少時にはよく私立学校の生徒らが、韓国や中国に就学旅行で行き、現地で土下座をさせられたりなど、悲惨な政治教育がなされてきた諸相を報道などを通じてみてきた。それがいま、公立学校でもいよいよなされようとしているのである。これを阻止せねば、全国的に広がることは目に見えている。そのような公教育で日本の未来を担う若者が育つのか。
いち区議として、公立学校における惨状を広く世にうったえたく本稿を寄せた。公論の機となることを願う。
虐殺すなわち不当な暴力が執り行われたとする主張には、被害者とされる者の身分が明確な非戦闘員であったとする公証が必要である。実は、この問題は近年も起きている。パレスチナ・ガザ地区における戦闘である。
2023年10月、イスラム武装勢力ハマスがイスラエルの農場および音楽祭を襲撃し、多数の民間人を殺害あるいは拉致したことで起きた紛争は現在も継続している。
一見すると、イスラエル軍がガザの民間人を攻撃しているかのような錯覚に陥るが、ハマス戦闘員とされる人々の様相を観察すると、一つのことに気づく。軍服の着用または遠方から視認できる徽章の着用が存在しないのである。パレスチナ自体は多くの独立国家に承認され、捕虜を規定する、いわゆるジュネーブ4条約に加盟が認められたが、あくまでそれは軍服の着用ないしは徽章の着用を条件にしたものである。
もし、それなしに戦闘を始めたならば、それは「非戦闘員の不存在」という法理をもたらす。単純な話であるが、軍服とは敵側に誰が戦闘員で誰が非戦闘員かを識別させる目的で着用される。もし、普段着を着用したまま戦闘を開始したならば、それは普段着の者すべてが戦闘員であることの証明となる。このような事態を避けるためにも、世界各国の軍人は軍服を着用しているのである。よって、そもそも被害者という概念自体が法益の侵害を受けたとする法律上の概念である以上、イスラエル軍によるガザ地区への攻撃で、非戦闘員の被害者がいたとする法律上の証明は存在しない。
ここから、シンガポールにおける敵性華僑狩りの「敵性華僑」とは、軍服も徽章も着用しない戦闘員であり、非戦闘員であつた証明が客観的に存在しないのである。
このような事実を「公立学校における教育に取り入れる」という現実に適用すると、一つの結論が出てくる。教育基本法で禁止されている教育の場における政治活動である。同法第14条第2項では、特定の政党への支持反対のための政治教育を禁じている。にもかかわらず、港区は中国共産党および朝鮮労働党の史観を指示し、同党への政治的支持を行うための政治活動を税金を利用して行おうとしているのである。
しかも、特定の人種を否定的に記述した内容も含まれ、日本人を対象とした人種差別思想を学校教育の場において今、為そうとしているのである。このような悪が果たして許されてよいのだろうか。否、許されるべき理由はない。
しかし、港区教育委員会は、「被害者である証明」が法律上存在しないにもかかわらず、誰が被害者なのかを決定する権限があるとしか評価できない反日政治活動をしている。
私が幾度も港区議会で議員質問をし、その政治教育の正当性はどこにあるのか問いても、港区教育長の答弁は中国共産党の政治史観は絶対的に正しく、これを港区でも採用する旨を答え、そこに法令順守の精神は存在しなかった。昨今のジェンダー思想においては、性別の自認で定義できるとする価値観が法制化されたが、誰が被害者かまで権利義務にかかわる自認は到底認められない。
かつて、私が幼少時にはよく私立学校の生徒らが、韓国や中国に就学旅行で行き、現地で土下座をさせられたりなど、悲惨な政治教育がなされてきた諸相を報道などを通じてみてきた。それがいま、公立学校でもいよいよなされようとしているのである。これを阻止せねば、全国的に広がることは目に見えている。そのような公教育で日本の未来を担う若者が育つのか。
いち区議として、公立学校における惨状を広く世にうったえたく本稿を寄せた。公論の機となることを願う。
新藤加菜(しんどう かな)
1993年、東京都生まれ。港区議会議員(無所属・最年少)。
高校時代をカナダ・ブリティッシュコロンビア州で過ごし、早稲田大学法学部を卒業。リクルート社に勤務後、政治の道へ。
学生時代から保護犬活動に従事し、現在も元保護犬と暮らす動物愛護家。東京都動物愛護推進委員も務める。
1993年、東京都生まれ。港区議会議員(無所属・最年少)。
高校時代をカナダ・ブリティッシュコロンビア州で過ごし、早稲田大学法学部を卒業。リクルート社に勤務後、政治の道へ。
学生時代から保護犬活動に従事し、現在も元保護犬と暮らす動物愛護家。東京都動物愛護推進委員も務める。