【山口敬之】迫る米国大統領選 バイデンの「偽善」とトラ...

【山口敬之】迫る米国大統領選 バイデンの「偽善」とトランプの「露悪」

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白眉だったエネルギー論争

 大統領選挙もいよいよ最終盤。2回目の、そして最後の討論会は、激戦州のうちの最大票田・フロリダ州で行われた。

 互いに相手の発言を遮って罵(ののし)り合う、史上最悪と言われた前回の討論会の反省から、一方が喋っている時にもう片方のマイクを切るという子供じみた方法がとられた。

 これにより、前回よりは格段に個別政策の議論が深まった。ワシントンポストも「無残な初回討論を経て、今回は白熱した本質的なものになった」と肯定的に評価した。

 掘り下げられた政策論のうち、私が一番惹かれたのはエネルギー政策を巡るやり取りだ。丁々発止の政治論争やエゲツない言葉の応酬に、「惹かれた」という表現を当てるのはそぐわないと感じる方も少なくないだろうが、何しろ惹かれたのだ。

▷トランプ
「私は美しい水と空気が好きだが、空気を汚しているのは中国やロシアやインドだ。不公平なパリ協定のため数千万の雇用と数千の企業を犠牲にするわけにはいかない」
▷バイデン
「気候変動は人類の脅威であり、今対処しなければ大変なことになる」

 この論争は、アメリカのシェール産業の採掘業者が使っている「フラッキング」という技術の是非を巡る議論が根底にある。

 フラッキングとは、頁岩(シェール)という地層に染み込んでいるエネルギー成分を、水と砂などを混ぜた大量の液体を強い圧力で流し込むことで採取する技術だ。

 この特殊技術により、今やアメリカは世界一の産油国になった。相対的に従来の原油や天然ガスの価値が下がり、アメリカが中東にこだわる必要も薄れた。その結果湾岸地域に割いていた米軍のリソースを対中国にシフトできるようにもなった。

「強いアメリカ」の復活を強力に後押ししたシェール革命は、世界の地政学的バランスまで大きく変えた。

 その代償が、フラッキングによって生まれる大量の採掘廃液だ。エネルギー成分を押し出すために使われる水には、化学物質を混ぜる事もあり、環境負荷の高い廃液が間断なく噴出する。

 アメリカの民主党は伝統的に、環境や人権や弱者救済といった道徳的規範を重視するだけに、バイデンは基本的にフラッキングに否定的な立場を取らざるを得ない。

 実際、一時は大統領選挙出馬まで取り沙汰された民主党のアンドリュー・クオモNY知事は、フラッキングを全面的に禁止する州法を2014年に成立させている。

 ところが、トランプとバイデンが激しくしのぎを削るペンシルベニア州、テキサス州、オハイオ州などは、シェールガスが主要産業となっているだけに、バイデンは選挙期間中はフラッキング禁止を強く打ち出せない。

 理念と票田の狭間で、バイデンはフラッキングの是非には触れない戦略に出た。「温暖化」という地球規模の問題意識を強調し、「太陽光発電など再生可能エネルギーへの漸進的移行」という曖昧な立場に逃げ込んだのだ。

▷バイデン
「石油産業を転換するつもりだ。なぜなら、石油産業は大気を著しく汚染するからだ。新しいエネルギーへの転換のプロセスの一環とすべきだ」

 トランプはこの発言を見逃さなかった。 

▷トランプ
「それは大きな間違いだ。基本的に石油産業を破壊しようと言っている。テキサスやペンシルベニア、オハイオを忘れていないか」

 討論会後、バイデンの欺瞞に産油各州が厳しく反応した。副大統領候補のカマラ・ハリスが「シェールガスの採掘を禁止すると言ったわけではない」と防戦に回らざるを得なくなったほどだ。

 これに対し、トランプ大統領はこんなツイートをした。
トランプ大統領 討論後のツイート

トランプ大統領 討論後のツイート

 ペンシルバニアの大統領選挙人は20人。激戦州の中ではフロリダの26人につぐ大票田だ。しかも州都フィラデルフィアはアメリカ建国の父たちが集って独立宣言を起草した建国の聖地であり、18世紀後半にはアメリカの首都でもあった。大統領選挙において、票数にとどまらない特別な重みがある。

議論が噛み合う「明快な分断」

 エネルギー政策を巡る2人のやり取りに私が惹かれたのは、2人の大統領候補がそれぞれに背負っている支持層と理念、立場がスッキリと際立ち、論争として見事に「噛み合っていた」からだ。

 妙な清々しさを噛み締めていた私が最初に思い出したのが、2014年の正月ロードショーとして公開された映画『プロミスト・ランド』だ。
※米国公開は2012年

 アメリカ東海岸の田舎町におけるシェールガス採掘を巡って、環境負荷を象徴する「倒れた牛」のプラカードが繰り返し提示される。採掘賛成派と反対派に分断される町民。そしてプラカードに秘められた重大な偽り。

「地域振興という利益」と「環境保護という理念」が激突するストーリーが繰り広げられるのは、建国の聖地ペンシルバニア州だ。6年後の大統領選挙の論点との見事な重なりは、驚愕に値する。

「プロミスト・ランド」とは、ネイティブ・アメリカンを蹂躙(じゅうりん)したアメリカの血塗られた歴史を正当化する時に使われる単語でもある。こうしたアメリカ人の秘めたる贖罪(しょくざい)意識が、今年全米を席巻したBLM(Black Lives Matter)運動にもつながっている。

 主演のマット・デイモンはフラッキング反対の立場を鮮明にしている。民主党支持者が多いハリウッドがフラッキングの暗部を強調したことが、その年のニューヨーク州のフラッキング全面禁止を強力にアシストした。

「環境」や「黒人の人権」といった大義名分をかざした主張がまずあり、メディアが情報や映像で特定の政治勢力をサポートし、影響力を行使する。

 今や世界中の国で、もちろん日本でも、似たようなことが起きている。
映画『プロミスト・ランド』のポスター

映画『プロミスト・ランド』のポスター

「偽善」と「露悪」

「倒れた牛」のプラカードを思い起こしていたら次に頭に浮かんできたのが、夏目漱石が提起した「偽善」と「露悪」という人類永遠のテーマだった。

「世の中には『偽善』と『露悪』が交互に訪れる」と、漱石は小説『三四郎』の中で看破している。

 露悪は漱石の造語だ。人権、平等、環境保護、弱者救済といった、フランス革命に端を発する道徳規範を強制されるのが「偽善の時代」だ。その息苦しさに民衆が耐えきれなくなると、我欲を隠さない「露悪の時代」が訪れるという。

 この見方で今回の大統領選を見れば、言うまでもなくバイデンが偽善の担い手で、トランプが露悪ということになる。

 ところが、今回の大統領選は、論争としては「露悪」ばかりが目立っていた。激しい人格攻撃と罵り合い。議論ではなく拒絶。

 しかし、最後の討論会では、もう片方の主役、「偽善」がようやく存在感を示した。
 
「偽善の旗手」バイデンは必死に民主党の伝統を背負って戦ったが、最後に馬脚を現した。「脱石油」発言の後、産油州や経済界の反発を恐れてか、自らの失言をこう糊塗(こと)したのだ。

「ウォール街は私の政策が1860万人の雇用を生むと言っている」

日本の成熟した政治世界

 小説『三四郎』の中で、主人公の慕う広田先生が、カネのために働いているのに高尚なことを言う自分の偽善を、淡々と説く場面がある。

「僕が学校で教師をしているようなものでね。実際の目的は衣食にあるんだから、生徒から見たらさだめて不愉快だろう。これに反して与次郎のごときは露悪党の領袖だけに、たびたびぼくに迷惑をかけて、始末におえぬいたずら者だが、悪気《にくげ》がない。可愛らしいところがある。ちょうどアメリカ人の金銭に対して露骨なのと一般だ」

 広田先生がバイデンで、与次郎がトランプ。でも結局の所、アメリカ人はカネが一番。まるで今回の討論会の感想のようだ。

 物語はこの広田先生の発言の後、偽善と露悪を巡って大きく展開する。

 明治の日本にも、バイデン系がいてトランプ系もいた。そしてそうした個性がぶつかり合うことで、政治も私生活も動いていたのだ。

「アメリカは日本にとって民主主義の先生だ」という人は少なくない。しかし、少なくとも今年の大統領選挙を見る限り、そう卑下することもないのではないかとも、思えてくる。

『三四郎』は1908年の作品だ。決して日本はアメリカの後を追いかけているばかりではない。

日本は、アメリカが独立する1400年以上前から皇室を中心とした国家としてまとまり、平安後期からは武家が政治の担い手として民衆と向き合った。撫民という為政者の高度な概念が日本に生まれたのは、ナポレオンに先立つ事500年以上前だ。そして江戸期には町人が絢爛たる庶民文化と濃密な人間関係を生み出した。

 貴・政・民がそれぞれに高い知性と矜恃に満ちた規範を生成していたからこそ、明治の世には、日本特有の誇るべき成熟した政治世界があったのだ。

 私が2回目の大統領選挙討論会のやり取りに「惹かれた」のは、平素のメディアの歪曲(わいきょく)を飛び越えて、人間の普遍的葛藤を、あの2人がダイレクトに提示してくれたからかもしれない。
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山口 敬之(やまぐち のりゆき)
1966年、東京都生まれ。フリージャーナリスト。
1990年、慶應義塾大学経済学部卒後、TBS入社。以来25年間報道局に所属する。報道カメラマン、臨時プノンペン支局、ロンドン支局、社会部を経て2000年から政治部所属。2013年からワシントン支局長を務める。2016年5月、TBSを退職。
著書に『総理』『暗闘』(ともに幻冬舎)がある

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この記事へのコメント

芦田賢司 2020/11/1 13:11

アメリカの大統領選というテーマから。日本社会の豊かな政治性と人類の普遍的課題にまで読者を引率してくださる山口敬之先生の知力と筆力に感嘆しました。

今回の大統領選挙を巡る数多の記事で、最も感銘を受けました。

野良猫 2020/10/31 10:10

>「アメリカは日本にとって民主主義の先生だ」という人は少なくない。

私も昔は、民主主義にしても何にしても日本は欧米より劣っている信者でした。
しかし、今は考えを改めました。
アメリカの民主主義はアメリカの文化と風土の中でしか機能しないのだということが分かりました。
日本は、皇室と共に在る民主主義を保守すべきだと思います。

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