中国延辺の「反日」意識はなぜ格別に強いのか

中国延辺の「反日」意識はなぜ格別に強いのか

19年ぶりの講演

 延辺朝鮮族自治州は、地名の通り中国に在住している朝鮮族の主な居住地域である。北緯41度から44度、東経127度から131度に位置する。南は豆満江を境に北朝鮮の咸境北道、東は旧ソ連の沿海州に隣接。そして西は広大な中国吉林省。ひと言でいえば、中国東北部(旧満洲)の辺境地帯である。

 2017年9月中旬、私は19年ぶりに延辺朝鮮族自治区の首府・延吉市を訪問した。学術調査と講演会に招請されたためだった。2000年5月の延辺大学朝鮮文学部の招きによる講演と延辺作家協会の講演で訪れて以来の訪問だった。

 2001年、私は「中国朝鮮族大改造論」なる論考を、朝鮮族最大の総合文学雑誌『長白山』で連載することになった。すぐさま想像を絶する反響が起こった。延辺の朝鮮族学界や文学界では、極左知識人たちが「金文学が延辺に来れば、暗殺したい」と騒いだのである。身の危険を感じた私に、延辺の友人や学者たちは「延辺に来ないほうがいい。ここは文化大革命の最中のようだから……」と電話で助言してくれた。

 以来、延辺では「金文学敵視派」の知識人グループが形成され、私の著作を読むことを禁止、「金文学を見つけたら、ただちに殺せ」と公言して憚らない人物までいた。さらに、それを文章に書いてネット上で公表する延辺大学の教授までいたのだ。

 ところが、アンチ金文学の長老派知識人はすでに退職し、延辺での影響力も薄れてきたと、友人たちが教えてくれ、「今なら大丈夫だ。一度来て欲しい」と誘ってくれたのである。また、延辺大学の師範学院(教育学部)の党書記、K氏は、私の大学時代の同級生でもあったので、晴れて延辺を訪れることができたのだ。

突然キャンセル

 講演会は9月19日午後6時開始予定であった。講演のテーマは、「中日韓比較文化論」だったが、大学側から「グローバル時代における大学生の勉強法」のようなテーマにしてほしいという要望があったので、それに合わせようともしていた。講演広告のポスターを見たら、私の職場である「中日韓国際文化研究院」という名称が、なぜか、「東亜(アジア)国際文化研究院」に改竄されていた。

 なぜなのかと聞くと、主催者側の答えは「名称の中に日本が入っているのはよくない。だから、中日韓を東亜にした」と。私は「じゃあ、延辺大学を贋辺大学と勝手に名前を変えたらどう思うのか」と内心苦々しく思っていたが、特に何も言わなかった。ここでは「日本」はいまだに嫌悪される存在なのだ。

 正午ごろ、私の携帯に、突然、K氏から電話がかかってきた。
「大変です、金さん。今晩の講演会はキャンセルせざるを得ない。今すぐ会ってくれませんか」
 と。私は仰天した。実は、次の日の20日、延辺一中(延辺の有名な高校)での講演会も、9月初めに一方的にキャンセルされていたので、またか、と、とても不快な気分だった。

 K氏は昼食を共にしながら、弁解につとめるのだ。
「金さんはあまりにも有名だね。今朝から金さんの講演会を取り消せと、電話がたくさんかかってきた。それが、延辺大学の指導部の耳にも入り、先ほど、延辺大学の党委員会や宣伝部から直接電話が来て、中止せよ、との命令があった。だから、仕方ないんです」
「具体的な理由は何だ?」と私はK氏に聞いた。
「金さんは、親日派、売国奴、民族の反逆者……などと札付き人物で、もし、講演会を強行したら、私の立場が危うくなる。悪いけど、理解してほしい」

 K氏のそのときの表情は、まさに自分が文化大革命のとき「反革命・反党罪」で逮捕されたかのように、歪んで真っ青だった。さらに、別れ際、K氏は私に「絶対、このことは自分のサイトで発表しないでくれ。私が窮地に陥るから……」と言い含めて去っていった。私は苦笑で応えるほかなかったのである。

根強い反日感情

 なぜ、私の講演会が突如キャンセルされたのか。
 まず、私は「日本」から来ていること。さらに金文学は「親日派・売国奴」であり、日本国籍の「日本人」だからでもある。「日本」という2文字にかかわる人・事は、延辺ではいまだに慎重に扱われ、好ましくない対象なのだ。

 延辺朝鮮族による社会は、実は「日本」と深い関係にある。最近盛んに言われる「ディアスポラ」(Diaspora=離散)としての朝鮮族は、1910年、日韓併合後、中国の延辺地域やロシア地域に急激に増加。一九三一年の満洲事変勃発の頃や、満洲国成立後は、朝鮮半島から移住してきた朝鮮族は200万人を超えていた。

 90年代以降、日本や韓国、あるいは上海、北京、深圳などの大都市に移住した人々も増えてはいるが、現在も、延辺自治州には40万人ほどの朝鮮族が暮らしている。延辺朝鮮族は、抗日独立運動や東北抗日連合軍の主要メンバーとして、革命的・闘争的特質を強く保持している。自治州政府の統計によれば、革命烈士は1万4740人であるが(これは吉林省の革命烈士総員の41%を占める)、中でも朝鮮族の革命烈士は92%以上を占めている。

 ところが、当時、延辺地区の朝鮮族の人口は、吉林省の総人口の3%しか占めていなかった(延辺朝鮮族自治州民政局編『烈士登記』)。だから、延辺では「村ごとに烈士碑あり。山川草木は烈士の赤い血で染められた」という言い伝えも残っているくらいだ。

延辺はドイナカ

 延辺での体験談を1つあげることにしよう。延辺の文人たちとの会食のあと、私はまた別の朝鮮族の友人グループに誘われて、カラオケに行った。モダンなカラオケ店で、ほろ酔い状態で、私は日本の演歌を歌おうと思い、「日本の演歌は入っていないか」と友人たちに聞いた。すると、初対面であった40代の男性が、私に「あなた、全人民が日本を憎んでいる今の時期、なんで日本の歌なんか歌いたいの? やめなさいよ!」と、突然怒鳴ったのである。

 その初対面の男性は、私の友人の仲間だったが、日本から来た客人に対して、実に荒々しい態度だった。非常に不愉快な思いをしたが、おかげで、延辺同胞の「反日感情」を肌で感じることができた。中国人は、延辺のことを「小朝鮮」とも呼んでいる。北朝鮮の出身者が多く、北に隣接している地理的な要因もあってのことだ。まさに、反日感情では、北朝鮮と比肩できるし、不思議な「抗日根拠地」の1つのように見える。

 「世界的次元で考察すれば、中国は言うまでもなく田舎である。この『田舎』の中でも、首都北京や、南方の上海・広州・深圳(しんせん)などと比較しても、東北(満洲)地方は、やはり田舎であり、さらに東北の中でも延辺はもっともっとドイナカである。産業の興隆によって完成していく近代化はもちろんのこと、意識面でも延辺はすさまじく出遅れている。他の地方では経済建設で賑わっているが、延辺は前近代的であり、〝階級闘争〟の根拠地であるからか、いまだにお互いに批判し合ったり、戦いに余念がない。知識人も同じ様相を呈しているのが現実だ」(雑誌『長白山』2001年1月号)

 延辺の気鋭の文化評論家で、日本留学の体験もある金成浩氏の論文の一部である。私は延辺の朝鮮族社会や知識人社会を「中国朝鮮族大改造論」の中で、「ニワトリの喧嘩」にたとえたことがある。学問的生産性のある批評はなく、人身攻撃や誹謗中傷、幼稚で感情的に罵倒するばかりだから。

3つの気

 17年ぶりに訪れた延辺においては、近代的で、都市化された一面とともに、人々の精神的変化は見当たらなかった。私が感じたのは、延辺の3つの気「匪気(ひき)・赤気(せっき)・土気(どき)」であって、失望せざるを得なかったのである。

①匪気──匪賊的・野蛮的な様相
 延辺は近現代まで、さまざまな匪賊が猖獗をきわめた無法の辺境地域であり、移住者のほとんどは北朝鮮出身の農民や無職者であり、文化的、あるいは文明的気性は低劣だった。
 その子孫たちは、闘争心に満ちており、文化大革命のときも「同族相残(同族間の戦争)」と殺し合いを繰り広げた。飲酒(ビールの消費量は全国トップ)も盛んで、クルマの運転も乱暴そのもので、横断歩道を渡ろうとすると、あわやということが何度もあった。運転手の中にはオシャレな服を着た若い主婦やOL風の女性もいたので、あらためて驚く。
 朝鮮族の粗暴な声音も、内地の漢民族と比べてヒケを取らない。紳士・淑女たる品位は、ますます劣化しているように見えて、私は悲しくなった。

②赤気──共産思想・極左的赤いイデオロギーの発達
 先述したように延辺の朝鮮族は、内地の漢民族よりも共産主義の信者、革命思想家が多く、そのDNAのせいか、文化大革命のときも、漢民族よりもすさまじい粛清を展開した。
 金学鉄氏(朝鮮族の長老的作家、1916~2001年)は、北東から延辺に移住してきたが、文化大革命のとき、発表もしていない朝鮮語による長編小説『二十世紀の神話』を、ある同族文人が密告、「反党反革命の罪」で10年、獄中生活を過ごした。
 内地の漢民族の社会で、自由に発表できる作品も、延辺に来たら〝自主検閲〟や上層部への密告を恐れて、発表できないケースが日常茶飯事である。いまだに私の作品は、延辺のすべての雑誌で発表禁止である。北京などでは、多数の作品を発表しているにもかかわらず、延辺では、私は「要注意人物」のブラックリストに記載されているようだ。

③土気──田舎根性や視野狭窄、思考の幅の狭小なこと
 延辺は遼寧や黒竜江省など、他の都市部の同族と比較しても、一目瞭然で辺境のドイナカ根性が一段と強い。正直に言って延辺の朝鮮族の知識人は、韓国に出てきた労働者や農民よりも視野狭窄であり、頭も固く、もはや延辺社会をリードする器量はなくなっている。
 実際、今回数人の文人や学者たちと会ってみても、お互いに派閥争いに闘争心を燃やすばかりで、その意識・思考の振幅は狭小としか言いようがない。
 1980年代までは、延辺は中国における朝鮮族社会の文化的リーダー役をになっていたが、昔日の面影はない。

親日派に脅迫

 現在、日本で暮らす延辺の朝鮮族は、正確な統計がされていないので、数字は定かではないが、約5~10万人いると推定される。「越境」移動は朝鮮族の構造的特性であるがゆえに、彼らは90年代以降、世界各地に移住、留学しており、韓国にも70万人が移住しているとみられる。中でも延辺の朝鮮族は、生活的には異文化に適応したとしても、延辺のイデオロギー的意識構造はなかなか変化しない。日本を感情論抜きで評価する同胞を中傷・攻撃し、脅迫までする者も少なくない。

 私が「中国朝鮮族大改造論」を執筆した後、すぐに『「反日」に狂う中国 「友好」とおもねる日本』(2004年、祥伝社)を書き、反日の構造や日中の歴史的齟齬、無理解の理由などを分析した。延辺大学のX教授を中心とした「アンチ金文学」派は、この本を読み「これこそ金文学の親日ぶりを露呈し、20世紀から21世紀にかけての朝鮮民族における李完用(併合反対派からは併合の元凶とし、非難された人物)を凌駕する民族の反逆者だ」というレッテルを貼り、私を弾圧するシンポジウムを2回も開き、全延辺の朝鮮族の知識界・文壇において「アンチ金文学」キャンペーンを繰り広げた。

 この状況を見た金学鉄先生は「集中砲火は禁物」とし、「金文学は朝鮮族文化の希望の星だ」と、私に対して応援と称賛を惜しまなかった。延辺大学の出身者は東京にも多数存在し、留学を終えて、そのまま就職したり、自ら起業をして、そのまま日本に残っていたりする。2009年、東京にある「朝鮮族研究学会」の会長であるL氏から、国際学会での基調講演を依頼されたことがある。

 最初は応じなかったが、あまりにも誠意を示されたので同意した。しかし、学会開催の3日前に、L氏から突然電話がかかってきて、
「申し訳ないが、金さんの講演会を中止せざるを得ない。理由は延辺大学の出身者が、金さんを殺すと脅迫してきたからだ」
と語った。民主主義国家である日本にいながら、テロまがいの恐喝をするのかと、私は延辺の朝鮮族に失望、それ以来、このような同胞たちとは一切縁を断ち切ってしまった。

 また、2011年、韓国ソウルの在韓朝鮮の現況と展望について、基調講演に招かれたときも、内部の延辺出身の朝鮮族が猛反対をしたと証言する主催者もおり、私服警官まで入り、会場を警備していたそうである。それ以外でも、電話でも数回、延辺なまりの同胞から「お前を殺す」と脅迫を受けたことがある。最近は2017年の夏、あるインターネットのグループ(延辺から来た在日朝鮮族が多数参加している)に、私と中国有名学者との対談を載せたら、すぐ非難のメッセージが実名で上がってきた。私のことを「民族を裏切った者」と誹謗中傷したので、すぐにそのグループから脱退した。

 先進国日本に来ても、延辺的「3気」は思う存分発揮しているのである。延辺の朝鮮族による「反日」的な活動は、批判の矛先を日本人に直接向けるのではなく、同胞に向けるのが特徴の一つであると言えるだろうか。

トライアングル地域

 久しぶりに延辺を再訪しながら、新しい「発見」をいくつかした。それは、延辺は地政学的に「3重のナショナリズム」の小盆地、坩堝であるということだ。

 まず、延吉市は地形的に山や峠に囲まれており、市内には川が流れる典型的な小盆地をなしている。この閉鎖的な生活空間の中で、朝鮮族は、漢民族とは異質な朝鮮語(北朝鮮の方言)を駆使しながら、数世代過ごしてきたのだ。文化人類学者の米山俊直氏が提唱している「小盆地宇宙」理論を援用すれば、「小盆地宇宙」の中で暮らす人々は文化の同質性を確保しながら、閉鎖的生活を送っているのである。延辺は、まさにこのような「小盆地宇宙」のモデルと言えよう。

 しかも、もっとも重要な要素は、延辺は辺境地域であり、北東アジアの中国・北朝鮮・ロシアに隣接した「トライアングル地域」であることだ。これは何を意味するのかというと、〝赤〟(共産主義)の伝統、闘争性豊富な行動様式のDNAの上に、さらに北朝鮮・中国・ロシアのイデオロギーが注入されて「3重の偏狭ナショナリズム」の塊に凝固してしまったのである。

 赤い中国でも、延辺のような「3重のナショナリズム」は存在しない。しかも、延辺のナショナリズムは、抗日DNA、反日感情を常にバネとした特質を持っていることを指摘しなければいけない。「日本」製品や自動車は好きではあるが、「日本」をイデオロギー的に嫌う抵抗感情は古典的と言えるほど濃厚に残っている。ゆえに、日本から来た学者の講演会も遠慮なくキャンセルでき、日本の演歌を歌う人間に向けて、怒鳴ったりする人間がいるわけである。

 最後に追加すると、延辺大学で拒否された私の講演会は、数日後の9月25日、瀋陽の遼寧大学で日の目を見ることができた。しかも、聴講人数もオーバーしていた。中国のどこでも、私の講演会はできるのに、延辺だけはいまだにダメだ。
金 文学(きん ぶんがく)
比較文化学者、文明批評家、日中韓国際文化研究院長。1962年、中国の瀋陽で韓国系中国人3世として生まれる。85年、東北師範大学外国語学部日本語科卒業。大学講師を務めたのち91年に来日し、同志社大学大学院、京都大学大学院を経て2001年、広島大学大学院博士課程修了。広島文化学園大学、福山大学、安田女子大学などで教鞭を執る。現在は日本に帰化し、日中韓3国で執筆、講演活動中。「東アジアの鬼才」と呼ばれるなど、その言論活動はアジア各国で高く評価されている。

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