検察・権力闘争の裏

 5月26日、黒川弘務東京高検検事長(司法修習35)の引責辞任を受け、林真琴名古屋高検検事長(司法修習35)が後任に就任した。遡ること6日前。〝安倍政権の守護神〟とまで揶揄された黒川氏は、朝日新聞社員と産経新聞記者との賭け麻雀が週刊誌に報じられ、翌日には辞職届けを提出した。

 この8年間、密かに親林派を貫いていた法務・検察関係者は、次のように喜びを隠さない。
「安倍政権についてのコメントは避けますが、黒川さんに関しては、省内で懸念の声が絶えなかった。検察官は検察庁法により身分が定められた国家公務員であるが、法務省の官僚でもあり、政治家との対話や駆け引きが欠かせないことは言うまでもない。一方で、検察の独立性は損なわれてはいけない。黒川さんは、政権との距離があまりに近かった。林さんは、評判通り、確かに野心家ですが、距離感をとるのが上手い。早くから検事総長コースを歩いていたので、政界が、一寸先は闇であることを理解していたのだと思う。腹立たしいのは、黒川派が手のひらを返すように林さんに媚を売り始めたことです」

 どこの世界も同じだが、特に官界は、ポストが全てである。ラインから外れれば、希望する要職に就くことはまず無理だ。冷や飯食いも続く。林氏が2018年に名古屋高検に転出したことで、「もう林さんの芽はないよ」という声は多方面で聞いた。仮に、武漢コロナショックの余波で、安倍政権が予定より早く終焉したとしても、黒川派としては、①検察庁法改正案が通り、②黒川氏の定年延長がなされ、③稲田信夫検事総長が退任----すれば、黒川検事総長の誕生も夢ではなかったので臍をかむ思いだろう。

 もともと、経験値や上司や部下からの人望という意味でも、林氏の方が評価は上だったが、完全に逆転していた。しかし、長きにわたる権力闘争の最終盤で、林氏が再び逆転勝利したことになる。

エリート集団=検察

 近年、不祥事や捜査ミスが次々と明らかになり、検察の威信に傷がついたとか、検事の能力低下が批判の対象なっているが、街の弁護士とはやはりレベルが違う。そしてその差もまた、開く一方だ。

 2002年に司法制度改革が閣議決定され、法曹3,000人計画が実施された。ちなみに、改革の実務を担ったのは、黒川氏である。しかし、検察官の数は大きく変わらなかったため、結果的に、弁護士の数が過剰となり、就職難、弁護士間の経済格差などが広がった。2012年には合格者数の目標は2,000人に引き下げられたが、この前後に合格した司法修習60期前後の弁護士の質の低下は著しい。

 私は、この10年、民事事件でも、合算すると、20本近い数の裁判を原告、被告、補助参加人などさまざまな立場で経験したが、驚くような弁護士に会うことが少なからずあった。正直、何度、弁護士会の苦情受付係に訴えたか覚えてないが、全く問題にならず、弁護士会とは身内同士の互助会組織にすぎないことだけは理解できた。市政の人の声を聞かず、体裁ばかり繕っているのなら、存在意義はどこにあるのだろうか。
 だいぶ脇道にそれたが、林氏の話に戻る。今回、報道された最近の写真を見て、林氏があまりに面変わりしているのに驚愕した。私はかつて、赤坂の韓国料理屋で、林氏が司法修習生を連れて懇親している隣に座っていたのが縁で、会っている。その時は、女性に弱い(優しい)、気のいいおじさんという印象だった。後日、法務省内で、政策の説明なども丁寧にしてくれたのを覚えている。

 林氏にとってこの10年は、苛烈な権力闘争の日々であり、一瞬たりとも気抜けなかったのだろうと感じた。林氏は会見で、「国民の信頼が不可欠」という言葉を使っていたが、本当に信頼を取り戻したいのなら、人事抗争に終止符を打つ必要がある。また、過分な時の政権への気遣いが無用なのは、私ごときが言うまでもないだろう。
 (1368)

横田由美子(よこた・ゆみこ) 

埼玉県出身。青山学院大学在学中より、取材活動を始める。官界を中心に、財界、政界など幅広いテーマで記事、コラムを執筆。「官僚村生活白書」など著書多数。IT企業の代表取締役を経て、2015年、合同会社マグノリアを立ち上げる。女性のキャリアアップ支援やテレビ番組、書籍の企画・プロデュースを手がける。

関連する記事

関連するキーワード

投稿者

この記事へのコメント

コメントはまだありません

コメントを書く