最高学府が聞いてあきれる~内部告発!東大に学問の自由などない

最高学府が聞いてあきれる~内部告発!東大に学問の自由などない

 2015年の初夏、私は京王線の駒場東大前駅に降り立った。向かったのは、目黒区にある東京大学駒場キャンパス。駒場キャンパスは旧制一高を前身とし、前期教養学部生と呼ばれる1、2年生が多い。法学部棟や医学部棟がズラリと並び、赤門や安田講堂が歴史と風格を感じさせる文京区の本郷キャンパスとは雰囲気が異なる。サークル活動に打ち込む学生であふれ、緑の木々と先進的なガラス建築のコントラストが映える──まさに若さと希望にあふれたキャンパスである。しかし、そんな都会のオアシスに向かう私の心は穏やかではなかった。その数日前、顔も知らない教授から〝呼び出しメール〟が届いたからだ──。

大学生の「自由研究」

 愛知県に生まれた私は、幼い頃から『中日新聞』を読み、高校時代に書店で孫崎享氏と古賀茂明氏の著作に触れて政治に興味を抱いた。いま振り返れば、リベラルな考えを持っていたのだと思う。

 そんな私は2015年、東京大学に入学した。

 当時は戦後70年という時代の節目にあり、学生団体「シールズ」を中心とした安保法制への反対運動が、メディアで大きく取り上げられていた時期でもある。駒場キャンパス構内でも「憲法9条を守れ!」などと書かれたアジ看板を目にしたし、教室の座席には、共産党に近い「みんせい駒場班」や活動家によってアジビラが1枚ずつ丁寧に配布されていた。一部の教育者や野党議員による知性の欠片もない政権への罵詈雑言や、「戦争法案」なる安易なレッテル貼りに辟易したことも覚えている。私が〝リベラル〟に疑問を抱き始めたのは、この頃からだった。

 東京大学には、新入生を対象とした「東京大学初年次長期自主活動プログラム」というものがある。1年間の特別休学が許可され、大学では体験できない活動や研究に取り組む目的でつくられた、いわば大学生の「自由研究」。海外のギャップ・イヤー制度を導入したもので、教員の助言も受けられ、しかも活動に必要となる費用の一部も支援される。入学早々、私は迷わず応募を決めた。

 研究テーマは「戦後70年を考える──あの戦争と今」。なぜ副題を「あの戦争」とぼかしたのか。「15年戦争」は用語として正しくないし、「太平洋戦争」はそれ以前の満洲事変や日支事変に対応できない。かといって「大東亜戦争」は、中途半端な知識では扱いが難しいと判断したからである。教科書に縛られずに大戦の歴史を知ることで、世界は歴史をどのように理解・利用・宣伝しているかを学び、それが現代の国際関係にどんな影響を与えているかを考察することを目的とした。選考の結果、私は晴れて一年間のプログラムに参加することとなった。

 研究のため、日本だけでなくアジアやアメリカの戦争遺跡や博物館に行き、様々な人物にインタビューを行うことにした。具体的には、韓国の独立記年館で韓国人に、ハワイ・オアフ島真珠湾での追悼式典で元軍人や博物館関係者にインタビューを行った。カリフォルニア州グレンデール市の慰安婦をモチーフとする少女像付近でも取材を行い、国内でも元特攻隊員にインタビューを行うなど、のべ百人以上に話を聞いたことになる。研究の集大成として、駒場キャンパスで大戦に関する展覧会を主催し、好評を得た。

 有意義な1年間だったが、1つだけ心残りがあった。取材を申し込んだ相手から拒否されたことは何度もあったが、1度だけ大学からストップがかかったことがあったからだ。大学は学生の研究を応援する立場にあるはずなのに、である。

「君を応援できなくなります」

 冒頭の〝呼び出しメール〟は、プログラムの最中に送られてきたものだ。研究の進捗状況を報告するため、補佐の教員とメールでやりとりはしていた。そんななか、急な〝呼び出し〟とは穏やかではない。

 自分が何か悪いことをしたのだろうかと不安を抱えたまま、指定の建物へ向かった。係のスタッフから小部屋に案内されると、初めて会う男性の教授が2人着席している。自己紹介を終えて席につくと、少し間を置いて、教授の1人が口を開いた。

 「横字さんの計画を拝見しましたが、今度、自衛隊基地に行くのは本当でしょうか?」

 研究の公平性を保つために、各国の軍人・元軍人にインタビューするのであれば、日本の自衛官にもインタビューする必要があると考えていた。そこで、防衛省が主催する「大学生等サマーツアー」なるイベントに応募。現役自衛官に話を聞く機会にしようと思っていたのである。私は堂々と答えた。」

 「はい、防衛省の主催するサマーツアーに参加し、自衛官にインタビューをするつもりです」

 「それは、君にとって本当に良いことなのかな?」

 教授の質問の意図がわからなかった。
「はい。自衛官へのインタビューをすることで、過去の日本軍とどう異なり、現場でどのような気持ちで国防を担っているかを理解することは大事なことだと思います」

 2人の教授が浮かべる複雑な表情は今でも覚えている。教授は意を決したかのように続けた。

 「世間にはすぐレッテル貼りしようとする人がいます。例えば君が、このサマーツアーに参加したとします。そこで君が迷彩服を着て敬礼したり、戦車に乗っている写真が撮られるとするよね。今の世の中、SNSですぐに写真が出回ったりします。君が将来、研究者として活躍するとき写真が出回って、横字さんは実は右翼だとか、軍国主義的だとか思われたりしないかな?」

 今の時代、自衛隊が軍国主義の象徴だと思っている人がどれほどいるだろうか──疑問に思いながらも、教授たちは私の身の上を心配して言ってくれたのだろうと思った。教授たちの懸念を払拭するため、笑顔で応えた。

 「心配していただきありがとうございます。そうですよね。それでは、防衛省の担当の方に撮影拒否と伝えておきます」


 教授の声色が変わった。

 「そういうことではないんだよ。君は東京大学の一員としてプログラムにいます。大学だけでなくスポンサーの企業も応援してくれている。東京大学の初年次長期自主活動プログラムで君が自衛隊のイベントに参加していることがわかれば、『なんということだ、東京大学は自衛隊を応援するのか!』と受け取られかねないんだよ。そうするとプログラムの存続にも関わってくる。君を応援できなくなります」

失望させるな

 これは脅しではないか──私は言葉を失った。教授たちは、いつも表現の自由・学問の自由を守れと言っている。にもかかわらず、防衛省に対して、東京大学の名前を用いて関わることにリスクがあるとして撤回を迫るとは。

 教授は渋い表情を浮かべた。

 「我々からやめろとは言えない。けれどわかってほしい。大学の上の方では、自衛隊に嫌悪感を示す人もいるんだ。私個人としては君を応援しているし、行ってもいいと思っている。来年以降、復学したらサマーツアーに参加してもいい。ただ、目立ちすぎると君の学業のためにならないし、右翼だとか軍国主義的だとかいうようなレッテル貼りが1番怖いから……」

 教授2人の年齢は少なくとも50歳以上だった。若手とは言い難いし、担当部局でもそれなりの役職に就いている人たちである。そんな教授たちが忖度しなければならない相手とは、一体誰なのだろうか。

 私は蚊の鳴くような声でつぶやいた。

 「わかりました。参加は辞退します」

 信念を曲げた悔しさ、戦後の歴史が残した目に見えない圧力、そして教授たちの振りかざした権威に対する恐怖──自然と膝が震えているのに気づいた。私に口頭で指示を出さざるを得なかった2人の教授もまた、誰かの指示で、あるいは誰かに忖度していたのだ。

 私の歴史認識を問題視していた教員がいたことも、のちに判明した。そのうちの1人は、「(私の)報告書は読んでいないし研究発表も見ていないが」と前置きしたうえで、私の考えを注意していたという。こういった教員が、東大教授の肩書を利用して、いまだに影響力を有している実態がある。

 奇しくも2015年、東京大学の濱田純一総長(当時)は「東京大学における軍事研究の禁止について」という声明を出した。「軍事研究の意味合いが曖昧」であること、「軍民両用の可能性が高まっている」ことから、軍事研究について「丁寧に議論し対応していくことが必要である」と発表したのだ。すると、軍事研究の容認と受け止めた東京大学教職員組合をはじめとする組織によって猛反発を受けた。

 権威で異論を封じ込めたり、忖度で信念を曲げたりするのが学者ではない。正々堂々と、それでいて冷静に議論し、学術的な分野から日本の未来を支えることこそ、学者本来の役目ではないだろうか。これ以上、学生を失望させないでほしい。
横字 史年(よこじ ふみとし)
1994年、愛知県生まれ。東京大学教養学部文科三類在学。高校を卒業し、予備校に通わず独自の勉強法で2014年に東北大学教育学部入学。東京で政治や外交を学びたいと思い退学を決断し、さらなる独学で2015年に東京大学入学。2015年より新城市若者議会委員を二期務める。

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この記事へのコメント

ゆず湯 2020/11/20 10:11

今でも学内でこんな考え方が支配的だとは驚きました。守り、育てるべき伝統や考え方というのは確かにあります。しかしそれはいつも確認しなおし、現実の状況を取り入れるべきです。そうでなければすぐに役に立たない、学生を惑わすものになってしまいます。大学は主義主張を教え込む政治団体ではない。新しい考え方を排除しないようにしないと大学の発展は無く、存在意義もなくなっていくでしょう。

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