【企画連載】金と銀はいつも通貨の"ジョーカー"であった

【企画連載】金と銀はいつも通貨の"ジョーカー"であった

「大富豪」と永遠に輝く金

 いつも唐突ですが、トランプの話から。バイデンに挑まれた現大統領ではありません。カードゲームのほうです。皆様ご存じ「大富豪(大貧民)」を例に話を進めてまいります。

 ルールはご存じの方も多いと思います。まず、配られたカードには「強さ」の順位があります。2>1>キング>クイーン>ジャック>…>4>3。そして座席順(大貧民、貧民、平民、富豪、大富豪の順)にカードを切っていくのですが、先に切られているカードより「弱い」カードは切れません。すべてのカードを切らないと上がれません。

 この原則にはいろいろな但し書きがつきます。同じ絵柄の連続したカード(例:♠3+♠4+♠5)は一挙に切れて、続くプレイヤーは同数(本件では3連続)のカードしか切れない、とか、♠8+♥8+♦8+♧8を一挙に出すと上記の強さが逆転する(「革命」)、などと言った特殊ルールです。そのような特殊ルールにはバリエーションがあって、その種類や、採用不採用の違いは「ローカルルール」などと言われています。

 私が親しんだローカルルールでは、ジョーカーは万能の切り札で、2よりもさらに強く、また例えば前述の連続カードを作りたいときに何か足らない要素の代わりにもなるという優れモノなのですが、最後にジョーカーで上がることは出来ないというのがありました。ジョーカーは強いので、途中では一番切れるのだが、最後の一枚になるまで温存すると大貧民に陥るお荷物へと変質するというわけです。

 さて、何故、トランプの大富豪(大貧民)の話をしたかというと、貨幣としての金やビットコインに代表されるブロックチェーンには、この「切れるが上がれない」ジョーカーの特性が非常に強いと考えたのがひとつの理由。

 もうひとつ理由があります。どのルールを採用して遊ぶかというコンセンサス形成は、国家権力による強制独裁で決まるわけではない点が、貨幣としてどのような財(ざい)・物(ぶつ)が受容されるかという決定と淘汰のメカニズムに近いと思ったからです。

 われわれ現代人は、国家権力という法律を制定しそれを執行する、またそのために場合によっては警察や軍隊のような実力組織を独占する存在をあたりまえの存在だと考えています。しかし、日本だって、宗教団体(比叡山や石山本願寺など)が実力組織を有していた徳川以前の時代、地方政府(藩)も含めて武士階級が分散して実力組織を担っていた明治以前の時代を考えると、単一の国家権力が実力組織を独占するというルールは長い歴史のなかでごく最近のものだと思えてきます。

 そして、これまでテーマとして貫いてきた《貨幣発行権》についても同様です。権力分散が否定されつくされてはいないなかで、ゆるやかに自然淘汰に晒されてきた歴史の断片が、藩札(=地方債ではなく、地域通貨)、伊勢国・宇治山田の問屋が発行した山田羽書(やまだはがき=銀行の定期預金証書ではなく一企業の約束手形。現代におけるPayPayのイメージ)などに垣間見られます。

 淘汰は淘汰でも自然淘汰ではない例が現代にはあります。ブロックチェーンやFacebookのリブラなどに対する各国の規制、アリペイVSデジタル人民元という対立軸、つまりアリババ創業者のジャック・マー氏が会社を売り渡し、決済子会社アリペイの株式公開を延期させられた背景にある中国共産党独裁の構図などです。

貨幣の価値と「費消性」との関わり

一つ目のポイント、《金(やブロックチェーン)が現実社会の「ジョーカー」だ》という点について、前回の記事でも触れた≪貴金属は希少だが、卑金属こそ貴重≫という「逆説」を振り返りつつ掘り下げてみましょう。

【参考】世界と日本の金需給データ

 金の需要は、宝飾品と投資目的が大半。つまり、世界の金地金供給(中古金スクラップを除く鉱山生産量)の三分の一未満しか工業的に《費消》されていないことになります。投資目的はコインへの需要と金地金への需要からなります。

 金が、ほかの金属と異なり、劣化腐食しないから価値が高いというコンセンサスが形成されてきました。半面、減価償却しないから供給は増えることがあっても減ることがないというひねくれた言い方もできます。山本七平先生の「『空気』の研究」の表現を借りれば、「誰もが欲しがる希少価値」というコンセンサスは《空気》が読ませるものであり、供給過多傾向という事実は《水》を差すものです。

  一方、以下の図表は銀、銅の統計です。こんにちにおいては、銀と銅の大半が工業的に《費消》されています。金や、かつての銀・銅とは対照的です。
銀の需給統計

銀の需給統計

via 資源エネルギー庁
電気銅の需給統計

電気銅の需給統計

via 資源エネルギー庁
 こんにちにおいては、と但し書きをしました。現在、銀や銅が多く使われているのは電気や写真類なのですが、それらが工業~生活の中心になっていない19世紀中庸までは、銀も銅も、金の位置づけに近く、「希少だが貴重とは言えない」金属だったのではなかったでしょうか。

貨幣とは共同幻想そのものである~二つの事例から

 金、銀、銅の需要のうち、注目なのは工業的に《費消》されない要素です。

★ここで余談。今でも、日本は、金・銀・銅いずれも大幅な輸出超過国です。。。片や、これら未満の主要非鉄金属(鉛、亜鉛、ニッケル、モリブデン、アンチモン、錫など)は軒並み輸入超過であることにも注目してください

 そもそも消費者が市場で購買するのに《費消》はされない要素、ジョーカー的な要素とは何なのでしょうか。それはすなわち

貴金属貨幣または地金の市場価格-工業的に費消される「価値」
=貨幣としての流動性プレミアム


 であると言え、このプレミアムこそ、貨幣ではない普通の財(ざい)・物(ぶつ)にはなく、貨幣の地位にあるがゆえに崇めたてられる共同幻想の要素です。

 逆に、この非合理的な流動性プレミアム=共同幻想的要素=ジョーカー性を、交易のあるコミュニティ内およびコミュニティ間で共有できることが、貨幣として採用される条件です。

 興味深い事例をふたつ付け加えてみましょう。

 ナチスドイツのユダヤ人強制収容所や世界各国の刑務所では、紙巻きたばこが貨幣として用いられることが多いと指摘されています(Yuval Noah Harari「Sapience Brief History」)。たばこの害、すなわちマイナスの使用価値を指摘するひとが多数派であったとしても、少数派のコミュニティ参加者にとって、たばこに適度な《希少性》があり、《限界効用》がプラスの、持ち運びしやすく、隠しやすく、偽造はしづらく、《単位》が確立している数少ない入手可能物として他の追随を許さないわけです。

 もうひとつの事象は、ビットコインに代表されるブロックチェーンです。暗号技術という点では人類史の最高到達点にあるものの、本源的な使用価値はゼロ。ゆえに、ブロックチェーンをものに譬えると、非常に精巧に出来ていて複製が難しい判子(印鑑と印章の組み合わせ)だが、その判子の印影の銀行預金証書も不動産権利書も世の中にはまったく存在しないという残念な物体、、、という感じになるでしょうか。いまのところ、ブロックチェーンは、貴金属同様、採掘コストはプラス、使用価値はゼロ、交換価値もプラスという極端な物(ぶつ)なのです。

 刑務所や強制収容所における紙巻きたばこや、特定コミュニティにおけるブロックチェーンに対して、空気や山間地の湧き水のように、取得費用はゼロ、使用価値は大いにプラス、交換価値はゼロという極端な物(ぶつ)も、いっぽうで存在します。

そのような物が存在していることからすれば、使用価値が高いこと自体は貨幣として社会に受容されるための必要条件でも十分条件でもないことになります。

 特定の特殊なコミュニティにおける紙巻きたばこやブロックチェーンのように、過度に希少ではない程度に良い加減の希少性があることと、取得費用や偽造費用が十分に大きいこと、次いで持ち運びやすさ(portability)、単位性(uniformity)、分割可能性(fungibility)などの諸性質がコンセンサス形成における採用基準となると考えられるのではないでしょうか。

幕末の「ハイパーインフレ」論から貨幣を思考する

 さて、以下は教科書などにも書かれている、割と有名な話です。

 「金銀の交換比率が、外国では1:15、日本では1:5と著しい差があったため、外国人は銀貨を日本に持ち込んで日本の金貨を安く手に入れ、その差額で大きな利益を得ようとした。そのため、10万両以上の金貨が海外に流出した。幕府は金貨の品位を大幅に引き下げた万延小判を鋳造してこの事態を防ごうとしたが、貨幣の実質価値が下がったため物価上昇に拍車をかけることになり、下級武士や庶民の生活は著しく圧迫された。

 として、攘夷・倒幕運動へとつながったと説明されています(「詳説日本史研究」P322)

 先日、わたくしのDaily WiLL Onlineコラムを毎月楽しみにしてくれているというありがたい友人とおでんを食べたときに、上記の説明に関して、こんな話をしました。

すなわちよく言われるのは、この説明を聞いてスッと理解するのは優等生タイプ(A)。これがまったく理解できないのは劣等生タイプ(C)。

しかし、、、

 そもそも歴史の一解釈に疑問の余地なく納得してよいものなのか。疑問で立ち止まったから授業についていけない生徒と、疑問を持たず説明に従い先に進む生徒。果たしてどっちが「優秀」なのか?企業経営者の端くれとして、少なくともアヴァトレード・ジャパンくらいの中小ベンチャーで役に立つビジネスマンになれるのは、疑問を提起してあえて落ちこぼれる若者(C’)だ。と、

 ただし、いわゆるスーパーエリートと呼ばれるような人たち(A’)は、ハッキリと疑問を抱きながらも、一旦は脳裏に、または日記に、それをテイクノートします。そして指導に素直に従い受験をクリアしてから、封印していた好奇心を再燃させようという融通を利かせます。ついでながら、劣等生タイプのなかには、そもそも疑問も興味も抱かず、とにかく勉強しないというひともいるでしょう。

 わたしは、世の中に、A’やC’のひとがいっぱい居てくれることを期待しますが、実際には、通常のAとCのタイプの方が多いのだろうと思います。わたくしの職業が学校の先生だったとしたら、Aタイプ、全く普通のBタイプ(←いきなり出てきました)、Cタイプは放置し、A’とC’という希少な生徒を依怙贔屓していたでしょう。

 先の金銀比率の事例ですが、実は一つの説にすぎません。

 国家権力が意図的に愚民化政策を採っている場合とか、有事で言論の自由や学問の自由が奪われている状況ならばわかりますが、本件(歴史・経済)分野に限らず、専門家や学者の間ですら意見が分かれているような事案において、代表的な教科書や受験参考書で断定的な物言いになってしまっているのは残念です。

 歴史好きには戦国時代好きと並んで幕末好きが多いですよね。しかし、幕末は、学べば学ぶほど、水戸黄門や半沢直樹のような勧善懲悪の二項対立では整理できない複雑な時代です。そのうえに、金融財政という難問が加わっているのです。

 過去の連載の中でMMT(現代貨幣理論)を似非科学として切り捨てたつもりでしたが、今日でもまだまだ百家争鳴は続いています。この侃々諤々(かんかんがくがく)は、いわゆるアベノミクスが有益だったのか無益だったのか?有害だったのか無害だったのか?について意見が分かれていることにも繋がっています。

 幕末のハイパーインフレの理由の解明が難問で、直感だけでわかったふりをすることが正しい態度ではないことを教えてくれるのが、「日本銀行金融研究所/金融研究/2016.4幕末期の貨幣供給:万延二分金・銭貨を中心に」(藤井典子 日本銀行金融研究所企画役(肩書は当時))という論文です。

 これは大作業であり、それでもまだ解明しきれていないという著者の謙虚な姿勢で論文は締めくくられています。一読するにもエネルギーが必要です。

 先に引用した「詳説日本史研究」の一節に即して言うと、後段の金貨改鋳で金の含有量を開国前の三分の一にしたことが、①マネーサプライを3倍増させたので物価高となったのか、②幕府の改鋳益が一段と膨らんだが、財政再建に充当されずに、長州征伐や防衛施設拡充などの戦争目的で浪費されたことが原因だったのか、はたまた両方とも正しいのかという問題です。

 ざっくり言うと、新資料を分析すると、②>①が疑われるということです。

 この論文が出された時期が、いわゆる黒田バズーカ第三弾の直後であり、同 第一弾、第二弾に比べると、円安株高効果がなかったことが思い起こされ、「インフレ目標を達成するには金融緩和だけでは無理で、財政支出が必要なのだ」ということを暗示したかったのではないかと、ついつい余計な深読みをしてしまいます。

 いや、必ずしもいい加減な推測ではありません。日本銀行や同金融研究所が、中央政府(幕府)や地方政府(藩)が発行した貨幣よりも民間の債務証書に過ぎない「山田羽書」が根強く流通していた理由についてしつこく研究しているのです。金融拡大施策を繰り返す総裁に対する、生え抜きセントラルバンカーたちの矜持を感じます。

【参考】 
幕府による山田羽書の製造管理
我が国紙幣制度の源流について_特に伊勢国山田羽書三百年の歩み

貨幣の最終需要者は誰だったのか?

 実は、15世紀にスペインハプスブルク家を通じてヨーロッパに持ち込まれた大量のメキシコ銀が価格革命(インフレ、チロル銀山とその利権に寄って立っていたフッガー家の凋落)の原因だったという「銀増産説」も、今日では否定されつつあるのです。否定説である「人口急増説」は、銀の増産ではなく、ヨーロッパの人口急増による農産物生産強化が人口の増加に追い付かなかったためだということを根拠といたします。

 ハプスブルグ家は、銀を媒介として、中南米の原住民(インディオ)とその代替的労働力である黒人奴隷を徹底的に搾取していたのですが、その巨額の不当利得のほとんどが戦費で費消されてしまったという事実。そして、フッガー家の没落は、実はハプスブルク家への融資の焦げ付きが最大の原因であったということ。これらは「人口急増説」を支援します。しかしどちらが正しいのか実のところよくわかりません。当時、金の価格は銀ほど下落していなかったという見方もあり、これは「人口急増説」を否定、「銀増産説」がやはり正しいという方向に働きます。

 さらに抜本的には以下の疑問にぶち当たります。当時の銀は、今日に比べると工業的費消要素は著しく少なかった、つまり、今日の主要な費消目的である硝酸銀(薬品、爆薬、銀塩写真の感光紙などに使われる)、銀蝋(はんだ付けなどに使われる)などは無かったのだし、宝飾品と言えるかどうかは別としても什器の類は使い減りするものではないとなると、金と同様、ジョーカー的存在だった銀(貨)をいったい誰が最終需要するのか?

 そして、大量に増産された銀は最終的に誰の手に渡ったのか?世界情勢と国際交易を考えると、スペインとポルトガルを軸として動いた大航海時代以降のヨーロッパも、同様に世界の三分の一の銀の生産に関与した日本も、最初に銀を手にした権力者は戦争によりそれを払底させ、戦費としての銀貨を受け取った二次取得者であるヨーロッパ人と日本人は中国(明)や東南アジア(モルッカ諸島など)から奢侈品を輸入した、よって銀は最終的に東南アジアに貯蓄されたというマクロ構造が見えてきます。

 だとすると、例えば中国人は手元一箇所に集中した銀をその後何に使ったのでしょうか?金も、当時の銀も、文字通り似ても焼いても食えないことが抜本的な問題で、だからこそ通貨のジョーカーになりえたと言えるでしょう。


ポルトガルとスペインの大航海時代、日本の戦国時代に、貿易黒字の決済手段として東アジアから南アジアに退蔵された巨額の銀。その結末が、その後の覇権国家であるオランダやイギリスによる植民地戦争、略奪だったとして納得してはいけません。

 モンゴル帝国~元が、洋の東西をぶち抜いたことで、それまで銅貨(銭貨)と期限付きの紙製貨幣しか使われていなかった中国歴代王朝に唐突に「銀」決済という国際慣習の荒波が襲来したのでした。たとえ、それまでの中国史のなかで、細々とは日本銀に接したりすることで、銀は銅と同時に採掘できて、交換価値は桁違いのものであるという感覚はあったにせよ、大量の銀供給を前にして、銀の希少性は瓦解しないのか?

 中国国内の銅と銀との関係はどうなるのか?将来こんどは逆に中国が貿易赤字に転落したときに、貿易相手国は銀決済を受け入れるのか?などの疑問や猜疑をどう乗り越えたのか?その謎に迫るために、「ジョーカー性」という定義をして準備をしたのでした。

 本稿では、毎回、貨幣発行権(シニョリッジ)に注目してきましたが、貨幣発行益は
 
 ・金属の地金の価値=重さで価額を決める「秤量通貨」としての価値…①
   と
 ・コインとして額面が刻印された名目価値=「計測貨幣」としての価値…②

の差額です。

 今回注目したのは冒頭のゲーム「大富豪」のジョーカーのような性質で、金属が摩耗・劣化・減価償却など費消される部分(「使用価値」…⓪)と地金の流通価額①との差です。この「①-⓪」とシニョリッジ(②-①)とを混同しないことが、16世紀からアジアに退蔵した大量の銀(貨)の謎に迫る鍵だと予告いたします。
丹羽 広(にわ ひろし) アヴァトレード・ジャパン株式会社・代表取締役社長
 
三重県生まれ。京都大学経済学部卒。同年、株式会社日本興業銀行へ入社。総合企画部、ロンドン興銀、興銀証券などを経て、2000年モルガンスタンレー証券会社東京支店入社、公社債の引受営業に従事。2002年からはBNPパリバ証券会社東京支店にて株式引受やM&A助言等の業務に携わる。
2005年、BNPパリバ証券時代の取引先であったフェニックス証券の社長に就任。
2013年2月より現職。

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