日宋貿易を独占した総合商社のドン、平清盛の実像 ~日宋...

日宋貿易を独占した総合商社のドン、平清盛の実像 ~日宋貿易から考える「MMT批判」~

実はいい人だった平清盛

 読者のみなさん、「名古屋メシ」という概念をご存じでしょうか?天むす、ひつまぶし、味噌カツなどなど、名古屋のソウルフードです。

 「名古屋メシ」すなわち名古屋発祥ではありませんよ。かと言って、名古屋の飲食店の方々がパクったというわけでもなさそうで。

 例えば、天むすは、三重県津市の「千寿」というお店が発祥。その名古屋・大須に暖簾分けした「千寿」が人気となり、周辺の店が真似して海老を具にしたおむすびを出し始めたものですから、千寿・大須店は「元祖」を名乗った。「元祖」という暖簾を見て知った人たちが、名古屋=天むすの元祖と誤解した、という逸話が紹介されています。

 名古屋の人がパクったわけではないし、津の人もパクられたという意識はないのです。

 同様の誤解と経緯が、ひつまぶしや味噌カツにもあり、事実は、すべて、三重県津市が発祥であるということです。
 (2869)

 名古屋のひとは(ただのケチではなくて)他所のものを平気で自分のものにする、そういう土壌だからこそ、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など権力欲と物欲に満ちた天下人を多く輩出する傾向にあるなどと、結論づけてはいけません。

 かたや、三重県(伊勢、伊賀、志摩、紀伊の一部)には、他人にモノをとられても平気でいる風土があり、それゆえ、世に憚るべき天下人が誕生しづらい印象があります。

 では、「伊勢」平氏の棟梁であった平清盛は例外なのでしょうか?
平家物語の中に、武功によって昇殿を許されたと記されてい...

平家物語の中に、武功によって昇殿を許されたと記されている平忠盛(清盛の父)が生まれたところと伝えられている。ここには忠盛の胞衣塚や産湯池があり、平氏発祥伝説地となっている。

 清盛は、伊勢(津・産品(うぶしな))生まれ(諸説あり)とは言え、父忠盛までの代に関東から伊勢に下ってきたのだと言われています(理由は関東で勢力を拡大していた源氏の家人になることを拒絶したから。)。清盛の性格を伊勢国に帰することができるかは微妙です。関東の連れション、伊勢の連れションなどと言われますが、背景と文脈が異なりますから(;^_^A

 それにしても、最近の研究成果で、「驕れるものも久しからず」「平家にあらざれば人にあらず」で印象付けられてきたこれまでの誤った人物像が是正されつつあります。そもそも、後者は清盛の発言だというのは誤解です。清盛が(父忠盛が高倉天皇の外祖父になったことに続き)安徳天皇の外祖父となったのは、自らの積極的な意思ではなく、後白河法皇(上皇)からの依願によるものでした。蘇我氏、藤原氏と同じく、天皇家との外戚関係の構築、土豪の貴族化という見方は、平家物語や大鏡によるバイアスです。

日宋貿易だけじゃない-歴史教科書の「経済オンチ」

 前置きが長くなりました。
 山川出版社『詳説日本史』P92に、「平氏の経済的基盤は……知行国や……荘園であり、さらに平氏が忠盛以来、力を入れていた日宋貿易もある」と書かれていて、日宋貿易(南宋貿易)には脚注が付されていて、「日本からは、金・水銀・硫黄・木材・米・刀剣・漆器・扇などを輸出し、大陸からは、宋銭をはじめ陶磁器・香料・薬品・書籍などを輸入した」とあります。

 何気なく読み飛ばしてしまいそうですが、実はこの表現、日本が貿易黒字国だと言わずに、「日本は米ドルをはじめ、穀物、航空機、医薬品などを輸入した」と言いまわしているようなものです。日宋貿易は、自国通貨建て(当時「金属通貨」としては存在しない)ではなく、他国通貨建て(覇権国家で先進国の宋銭という銅貨)で行われたのは自然で、日本にとっての貿易黒字は宋銭で決済されていたと表現するのが相当です。

 貿易相手国の「通貨」が主たる輸入「品目」という表現には、どうしてもその根底にある歴史家たちの経済感覚の欠如を感じてしまいます……。
皇朝十二銭(出典:日本銀行金融研究所貨幣博物館ホームペ...

皇朝十二銭(出典:日本銀行金融研究所貨幣博物館ホームページ>お金の歴史>日本貨幣史)

 例えば、ウイキペディアで皇朝十二銭を調べると、限られた情報と資料を自己矛盾満載の論理で紡いだ老害歴史学者の負の遺産が出てきます。

①    日本では銅はもともと貴重な存在で、それゆえ、和同開珎を鋳造した自然銅が秩父黒谷で発掘されたことは、和銅(ヤマト政権の銅)と改元するくらいめでたいことだった。

②    その後、銅はますます貴重なものになった。当時の銅山で発掘できた銅鉱のほとんどが黄銅鉱で、当時の精錬技術では十分な銅貨を鋳造できなかった。それゆえ、皇朝十二銭は歴史が下るにつれて改鋳され続け、銅の含有量が低下、鉛の含有量が上昇した。

③    度重なる改鋳の結果、銅貨の購買力(実質価値)は、和同開珎(米2㌕/文)に対して皇朝十二銭最後を飾る乾元大宝では米10-20㌘へと大暴落した。

④    劣悪化した国産銅貨は市場(民衆)からそっぽを向かれ、皇朝十二銭は幕を閉じた。

 ここで、①は正しいと認めて問題ないと思います。②は、先月アップした記事や以下に述べる比較的新しい発見で完全な出鱈目であることがわかります。
新しい史料や文書の発見で歴史が塗り替わるのは歴史家の責任ではないものの、辻褄が合わない説明は、学説としてどころか仮説としても認められてはならなかったものです(極端な例を言わせてもらえれば、明智光秀に織田信長を討てと教唆したのは豊臣秀吉だった、イエズス会だった、朝廷だった、というのはいずれも絵空事に近い仮説かも知れませんが、にしても、いずれも、矛盾はありません)。

 もし改鋳理由を銅山の埋蔵量の枯渇や採掘技術や精錬技術の制約によるものであって、通貨発行益追求のための改鋳ではないと推測するのなら、皇朝十二銭の実質的な価値、すなわち(米や布などに対する)購買力は下がっていないことになります。グラム当たりの銅の価格が上昇して、銅の含有量の減少と相殺するからです。ゆえに、実質的に価値がないものとして受容されなくなった、流通しなくなった、という説明が成り立たないはずであるからです。

 最後に③は事実であり、③ゆえに④が結末したというのは正しいです。

「奈良の大仏は、中央銀行がない時代に、国内外に外貨準備高としての銅の残高を示威する藤原仲麻呂の演出であって、単なる無駄な公共工事だけではなかった」

 突然話が奈良時代にそれたように思われたでしょうが、実はこれこそが、清盛へと続くコンテクストの出発点なのです。

 ここからは商社マンとしての清盛、通貨発行既得権(鋳造権)へのチャレンジャーとしての清盛の実像に迫るために、藤原氏が「六国史」から《隠滅》した銅山と鋳造貨幣の歴史の穴埋めをしてみましょう。

 鋳造権は、皇朝十二銭のあいだ一貫して、光明皇后との癒着により藤原仲麻呂が手にした以降も、形式的には朝廷が監視する立場にあるものの、南家⇒式家⇒北家と《系統》こそ変わったものの、実質的に藤原氏が朝廷に手渡さなかったと考えて見るとどうでしょう。
通貨発行益をいっそう追求するために改鋳を行ったが、銅の埋蔵量が枯渇したわけでも採掘精錬コストが上昇したわけでもないなかでの改鋳のモチベーションは、藤原氏としては公文書に残すにはあまりに不都合な事実だった。

 日本書紀(※)を除き、続日本紀(光明皇后が、奈良大仏その他の公共工事イニシアチブを握るいっぽうで藤原仲麻呂に通貨発行権を与えたのはこの時期)から日本三大実録(※※)までの六国史の編纂には藤原氏が大きく関与しており、藤原氏が隠滅したい史実が意図的に取り扱われていないのではないとも勘ぐってしまいます。

※日本書紀を編纂した舎人親王は、長屋王と同時代の権力者でしたが、後に藤原四兄弟と手を組んで、長屋王を実質的に誅殺する側に立ちます。
※※六国史のなかで日本三大実録だけは、藤原氏だけでなく菅原道真が編纂に参加していることから、六国史のなかでは抜きんでて内容が充実しているとも言われています。

中国語版ウィキペディア(!)が暴露した日宋貿易の実像

 大仏に使われた500㌧もの銅、本朝十二銭に使われた400㌧もの銅に関する記録が欠落していたところ、近年ようやく含有ヒ素量によっていずれも山口県長登銅山(と同様のスカルン鉱床)と推定されました。貨幣鋳造という最重要クラスの国家事業に関する記録が(のちの室町時代以降と異なり)欠落しているのは、銅貨鋳造の既得権を握り続けていた藤原氏による意図的な証拠隠滅を疑うべきです。そして駄目押しとなる事実が、ウイキペディアの日宋貿易、それも中国語版に記載されています。該当箇所を英訳すると、

 The goods imported into Japan include Song money, ceramics, silk fabrics, books and the four treasures of the study, spices and medicines, paintings and other fine arts, handicrafts, etc. The goods exported from Japan include copper, sulfur and other minerals, wood compasses produced in the west, Japanese swords and other handicrafts. Song money imported into Japan promoted the use of currency in Japan, and the import of Buddhist scriptures had a certain impact on the changes in Buddhism in the Kamakura period (the popularization of Pure Land thought and the introduction of Zen Buddhism, etc.).

 日宋貿易の日本から南宋への主要輸出品目が何であったかは近年まではっきりとはわかっていませんでした。日本語版Wikipediaの編集経緯をさかのぼると、鉱物資源としては、かつては硫黄だけとされていたのが、金・銀が加わり、最終的に銅まで加えられました。しかし中国語版からは、なにしろ銅が(硫黄と並んで)圧倒的であり、金・銀・鉄は「その他鉱物」として十把一絡げ扱いです。とにかく、日本国内の銅鉱山が枯渇したというのは間違いです。
黄銅鉱(CuFeS₂)。我が国の代表的なスカルン鉱床が...

黄銅鉱(CuFeS₂)。我が国の代表的なスカルン鉱床がある秩父鉱山近くの神流川の河原にいまだにゴロゴロ転がっています(筆者を案内してくれた秩父ジオパークのガイドさん撮影)

 とすれば、日本(平清盛)は中国(南宋)に対して、銅鉱石⇒銅地金⇒銅貨という《加工貿易》を許していたことになります。宋銭を模した銅貨を日本で鋳造するようになるのは、清盛の時代ではなく、鎌倉時代まで下る点にも留意です。藤原氏と源氏にゆかりの深い九条兼実(当時右大臣)が、平清盛による宋銭「輸入」への反対の急先鋒だったのは、国際貿易で通用する正貨が国内でも通用してしまえば、藤原氏が死守してきた通貨発行権(発行益)という既得権が奪われかねないからでしょう。

 参考までに、産出量が十分で、産出コストも上昇していないのに、江戸幕府も、鋳造利益をよりいっそう追求したいがために改鋳したという事例はよく知られています。これが、ペリー来航直後に慌てて開国した時期の金・銀の国際価格とのアービトラージの餌食とされ、庶民の生活を奈落の底に突き落としました。平安中期の藤原政権も狙いは同じだったと疑うべきでしょう。

 まとめますと、平安期を通じて日本は銅資源不足どころか、平安末期には対南宋への主要輸出産品へと躍り出ていた。清盛は南宋に対して銅鉱の銅貨への加工貿易を許したうえでも貿易黒字を実現した。宋銭は、貿易黒字の結果です。中国人が日本製品を爆買いするほど、日本人が中国製品を購入しないから生じてしまった貯金です。ゆえに必然的に国内流通せざるを得なかった。

 藤原氏が強制通用力を持たせようとして失敗した皇朝十二銭と異なり、宋銭には十分なメイドインジャパンの銅が使われており、国際貿易でも通用するという信頼感と潜在力のおかげで自ずと需要された。これが真実であって、宋銭を「輸入」して国内経済にも流通させるように仕掛けた」というのは誤りです。


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宋銭「輸入」を巡る平清盛VS九条兼実の対立と「逆グレシャムの法則」

 悪貨は良貨を駆逐する(グレシャムの法則)は金本位制のもとでこそ成り立つものです。ブレトンウッズ体制崩壊後の現在や、平安時代の日本では、聞きなれない逆グレシャムの法則に従います。

 現在の日本でこそ馴染みが薄い「良貨が悪貨を駆逐する」という逆転現象は、公式ドル化(Dollarization)国(パナマ、エクアドル、エルサルバドル、、、ジンバブエ)や非公式ドル化国(北朝鮮、アルゼンチン、トルコ、第4次中東戦争直後のイスラエルなどで観察されます。国家権力が法令で強制する「悪貨」よりも、市場=民衆は、よりましな米ドルなどの「良貨」を好んで受け入れ使用するという現象です。

「悪貨」は、ハイパーインフレーションの原因であり、結果でもあります。「悪貨」を無理矢理強制しようとしても市場=民衆が言うことを聞かないというのは、経済運営の失敗ではありますが、多くは戦争(含む内戦)、またその根本原因である場合によっては500年以上も遡る覇権国家間の植民地戦争に帰すべきです。

 いずれにしても、政府が公式かつ積極的に通貨発行権を放棄する場合(公式ドル化など)と、市場が自然発生的に自国公式通貨を徐々にかつ加速度的に受け取らなくなりドル使用がデファクトスタンダードとなる場合(非公式ドル化)があります。清盛の時代がハイパーインフレーションだったかどうかは不明ですが、「良貨」という地位が空席だったところを、宋銭がそのポストを占有したということになります。

 突然ですが、わたくしはNHKが嫌いではありません。音楽(とくにクラシックと演歌)、山岳・地学、歴史、これらの「産業」に携わる真面目な勤労者にとってNHKは希少なタニマチです。
 NHK BSプレミアムで毎週放映されている「英雄たちの選択」が、最近、平清盛のマネー革命〜銭の力で新時代をひらけ!〜という、まさに今月の記事のテーマを扱っていました。司会の磯田道史さんの《三重県伊勢・伊賀の土地柄と結びつけた清盛評》が荒唐無稽で面白く、そこだけでも視聴する甲斐がありました。

 しかし、常に新しい史実の発見や新解釈を番組のネタにするというのがNHKの歴史物の真骨頂であるところ、今回の清盛は銅(山)事情や皇朝十二銭の事情に関して勉強が不徹底で、歴史学への経済学の切込みがまるでなされておらず残念でした。NHKは歴史番組が多すぎる感があり、数を絞って質を高めるべきというのもあります。

 が、致命的な問題は、今回の清盛編には、準レギュラーで東京大学卒、現在は某有名大学で経済学を教えているひとが、経済音痴な議論を公共の電波に流してしまったことです。曰く、

①    現在の壱萬円札の原価は20円程度に過ぎない。それを壱萬円の価値があるものとして国民が受け入れるのは、それが将来納税に使えるから。

②    (たとえ紙切れであっても)壱萬円札で納税するしかないのであれば、その壱萬円札が流通しないことには納税もできない。

③    まず先に、政府が金(銭)を使えという考え方で、スペンディング・ファーストと呼ばれるものである。

 まず、現在の日本で暮らす我々が壱萬円札を、労働力を雇用主に、自分の持ち物をメルカリに売るときに、その対価(財産、購買力の表象として)として受容するのは、将来納税に使えるからと思うことが理由でしょうか? 壱萬円札の原価が20円だとしても、日本政府は9,980円の通貨発行益を得ている、すなわち日本国民が9,980円の「通貨受け入れ損」を負っているわけではありません。

 壱萬円札や銀行通帳の10,000円という文字が(精巧とは言え)紙切れに印字されている記録に過ぎないという事実と、日本政府や中央銀行の10,000円分の負債の使途が、どのようになっていて、どのように担保されているか?その実態こそが紙切れに表象されている円貨を受け入れるかどうかの判断基準なのです。
 いまのところインフレが発生していない日本と、上記例のようにドル化した国々との違いは、軍事費を含む公務員の給与、社会保障費の使われ方、インフラとして残る土木工事の実質、はたまた徴税権などすべてをひっくるめた政府と財政の持続性に対する通貨ユーザーとしての国民の判断と人気投票の結果次第なのです。

 それにしても①~③の主張がMMTの核心部分であるかどうかは怪しいです。MMTのまともな部分、核心部分についての反論は、次節《日宋貿易からひも解く「MMT批判」》に譲ります。

 清盛の第1の顔は巨大農園主で、第2の顔が貿易商社の会長兼社長です。
 
 福原遷都や大輪田泊建設は巨大公共工事であり、清盛による私利私欲の実現という見方がまったく当たらないわけではないですが、その財源は前半で引用した山川出版社『詳説日本史』P92に、「平氏の経済的基盤は……知行国や……荘園」、すなわち清盛の第1の顔によるものです。財政赤字を紙切れでファイナンスしたり、鋳造費用を上回る額面の銅貨を発行することで利得した資金などを元手にできるほど、清盛は実は、歴代藤原氏ほど政権中枢に食い込めていなかったのです。

 日宋貿易の貿易黒字としての宋銭は一旦は全額を清盛が占有したかも知れないが、銅山、水銀山、工芸品などの職人たちへの手当、仕入れ代金に充当されたはずです。この間、清盛は、やればできたのかも知れませんが、後の時代と異なり、自ら宋銭そっくりの偽銅銭を鋳造して、これらの支払いに当てたりはしなかったのです。

 虚構の世界とは言え、半沢直樹(堺雅人さん)における同じ三重県出身の箕部幹事長(柄本明さん)の伊勢志摩空港とはわけがちがいます。財政赤字の良し悪し、財政ファイナンスの良し悪し、通貨発行益追求の良し悪しはさて措くとしても、権力が集中していた政財界の大物清盛ですら財政赤字と宋銭を結びつけるというのはテクニカルにやりようがないという点が重要です。

 したがって、百歩譲って、MMT的発想やMMT的欺瞞の源流を歴史的に辿るとしたら、奈良大仏建立のフィクサー疑惑著しい藤原仲麻呂やそれに続く藤原氏が鋳造と改鋳にテクニカルに関与できた皇朝十二銭が関の山です。
 貿易黒字額として額面通りに貯蓄された外国硬貨の宋銭は、国内で偽造または模造をしたり、宋銭の預り証みたいなものを乱発する以外にはどんな権力者であろうと財政の公私混同の道具としては使えないのです。よって宋銭をMMTだのスペンディング・ファーストだのの文脈で分析するのは詭弁にすらなりません。

 清盛の人物像への偏見を取り除くという趣旨の番組としてはなかなかよくできていますが、残念ながらNHKオンデマンドは現時点では視聴できないようです。

日宋貿易からひも解く「MMT批判」

 NHK英雄たちの選択の準レギュラー経済学者氏は、おそらくMMTer(現代貨幣理論信奉者)というわけでもないのでしょうが、MMT(現代貨幣理論)を人前で取り上げるに十分な予習はしていなかったようです。宋銭や現代の基軸通貨(もどき)の米ドルは、MMT適用対象外です。

日本が、不換紙幣(例:壱萬円札)や一部の硬貨(※)を、米ドルなどの相場に紐付けせずに(※※)、どこまで発行できるのかというのがMMTの課題です。

※現在、一円玉、五円玉、十円玉は原価割れ、すなわち額面が製造原価を下回っていて、通貨発行益ならぬ通貨発行損に陥っています。

※※例として、固定相場制、ペッグ制、または日本円保有者の要求があればいつでも米ドルに引き換えることを事前に約束する日本円=米ドル保護預かり証(暗号資産に倣って「テザリング制度」とでも呼びましょう)などが考えられます。いずれも微妙に異なる点に注意。最後のテザリング制度は、ハイパーインフレ下の前述ジンバブエで導入された時期があります。

 現在に至るまでに、赤字国債の発行を禁じた財政法第4条も、財政ファイナンスを禁じた同第5条も笊(ザル)法化していることは自明なので、国債・不換紙幣・補助硬貨の発行主体が、政府と日銀を一体とみる《統合政府》と定義する点、MMTには違和感がありません。

 では、MMTは何を主張しているのでしょうか???まず、日本語版ウイキペディアによれば
ポスト・ケインジアンのアバ・ラーナーは、

  民間金融資産は、国債発行の制約とはならない。財政赤字はそれと同額の民間貯蓄を生み出す。

②    政府は、自国通貨発行権を有するので、自国通貨建て国債が返済不能になることは、理論上あり得ないし、歴史上も例がない。政府は、企業や家計とは異なる。

③    財政赤字の大きさ(対GDP比政府債務残高)などは、財政危機とは無関係である。


   財政赤字の大小を判断するための基準は、インフレ率である。インフレが過剰になれば、財政赤字は縮小する必要がある。デフレであるということは、平成日本の財政赤字は少なすぎるということ。

   税は、財源確保の手段ではない。税は、物価調整や所得再分配など、経済全体を調整するための手段であると論じた。
 [中野剛志『目からウロコが落ちる 奇跡の経済教室【基礎知識編】]。

 とあります。
 アバ・ラーナー(1903年-1982年)は、国際貿易論におけるマーシャル・ラーナー条件で名を馳せたポスト・ケインジアンの俊英ですが、上記④の「デフレであることは、平成日本の財政赤字は少なすぎるということ」などと主張しているはずがないので、原典に当たる必要があります。

 まず、⑤の後段、財政政策は物価調整と所得再分配の手段であるというのは間違っていないですが、ケインズまたはそれ以前からある考え方であり、現代の理論でも、貨幣の理論でもありません。MMTに帰する斬新な発想ではないということです。

 いっぽうで、⑤の前半「税は、財源確保の手段ではない」は、確かに、Abba Lernerは、

Lesson #3: "Money Is a Creature of the State"
Lesson #4: Taxing is not a funding operation
Lesson #5: Government Borrowing is not a funding operation.

 と言っていて、これはケインズ~ポストケインジアンの考え方からは一歩MMTらしきものへと踏み込んだ新発想と言えます。これと、①の後段、「財政赤字はそれと同額の民間貯蓄を生み出す。」と重なり合って、MMTで目から鱗が落ちた気にさせる核心部分です。財源確保(funding)は考えなくてもよい、少なくとも後で考えればよいというところから、先ほどのスペンディング・ファーストという用語が生まれたのです。

 アバ・ラーナーは帝政ロシア末期に迫害されていた貧しいユダヤ人家庭に生まれ、わずか3歳のときにイギリスに亡命、ロンドンのイーストエンド(当時は再貧困地域)で16歳から機械工として、次いでヘブライ語教師として働き、起業家としてのキャリアを経てLSEに学び、そこからケインズファミリーで頭角を現したのです。抜群の頭脳を持つ苦労人が、資本主義と社会主義の犇めく時代背景から迸る産物だった点を考慮する必要があります。

 これを、MMTerという自称経済学者たちが、「民間部門が純貯蓄するためには財政は赤字である必要がある」と必要十分条件であるがごとく言い換え、情報弱者を騙そうとしています。

 オーストリア学派のRobert P. Murphy (1976-) による批判が的を射ています。

 筆者が無人島に流れ着いたとして、そこでひとりで半農半漁の生活を始めます。政府も貿易もありません。最初のうち(フェイズ1)はその日暮らしで、その日に獲得した果実や魚介類はその日のうちに消費してしまいます。これを、

Y=C

 と経済学では表現します。Yは(国民)所得、Cは消費です。

 わたくしはもう少し頑張ります。そして要領も少し良くなって、果実を貯蔵したり魚介類を日干しして保存したりします(フェイズ2)。

Y=C+S

 ここでSは貯蓄です。この段階ではSは将来のCにほかなりません。さらに次の段階は、わたくしの態度によって、二つの経路が考えられます。経路1は、良く働いたのだから暫く休んで貯蔵した食糧を食べ尽くす。経路2は、貯蔵した食糧を費消しながら、鍬や鋤、船や釣り道具の工作をする。これらの仕事中には狩猟採集はストップしてしまうが、仕事が終わったあとの食糧増産につながるという、将来への投資です(フェイズ3)。

 フェイズ2とフェイズ3(経路2)は、

Y=C+S=C+I

 と表せます。ここにI=投資です。

 Sが貯金であるのに対してIを借金だと考え、SとIが相殺して、民間の純貯蓄(財産、豊かさ)はプラスマイナスゼロだというのが不自然だとお気づきだと思います。Iは投資であって(国家権力による赤字国債のような)借金ではないのです。

 国家権力も財政赤字も存在しない孤島で、民間貯蓄が民間投資の余力につながる財産であり購買力であり豊かさとなっていること、つまり財政赤字だけが財産・購買力・豊かさという意味での民間貯蓄の源泉であると言い切るMMTは抜本的に間違えていることがはっきり理解できます。

 無人島にわたくしのほかにもうひとり居て、フェイズ3ではふたりで分業するというふうに考えてもよいのです。わたくしは引き続き狩猟採集に特化して、二人分の食糧を確保します。手工業に専念する相方に食糧を貸し付けます。鋤や鍬や船や釣り道具が出来たところで、わたくしが使用したい分の道具類を相方から買います。購入代金と貸し付けていた食糧と利息(奈良時代~平安時代の利稲のイメージに近いでしょう)からなる負債と相殺すれば良いのです。

 最後の事例からは、登場人物が2人以上になると、財産の交換や貸し借りが発生するので、そこに貨幣の起源を求めればよいとなります。貨幣は負債(の記録)であるとも言えるし、その担保であるモノであるとも言えます。登場人物が更に3人以上になってくると、モノ(担保物件)が徐々に陰に隠れてゆき、表層の負債記録が転々と流通する傾向が強まっていくのでしょう。

 貴金属通貨が(少なくとも国際交易で)導入される前のコミュニティにおいて貨幣がモノ(コモディティ)だったか負債の記録(借用証書、手形・小切手の類)だったかという点について過度に注目することは、MMTerが詭弁を弄するため以外にはさほど有益ではありません。

 わたくしが描いた原始社会のモデルでは、貨幣として受容され流通するのは、モノ(コモディティ)そのものでなかったとしても、いざとなればそれらのモノで担保されている債務でした。現代金融では、消費者ローンのような無担保債権がプールとなって証券化され、それが貨幣として振る舞う理論的可能性はあります。そのような例を排除すると、基本的には法定通貨を発行する国家権力が登場するまでは、民間負債というのは担保付きであって、弁済されるか質流れとなるかはともかく、Sが貯金、Iが借金、ゆえにS=Iだと貯蓄ゼロということにはならないのです。次の段階で、共同体=王宮・寺社のような権力が登場して担保そのものが抽象化されていくことになったかも知れません(第1話「バカボンのパパはやはり天才だった」をご参照ください)。

 ここから、管理通貨制度(≒変動相場制)の法定通貨の大半が赤字国債をマネタイズしたものだという今日の社会は飛躍してしまっていて、公共工事で出来たインフラでは担保し切れておらず、軍事費、社会保障費、公務員の給与などに垂れ流されているため、徴税権で担保している(財源が心配されている)と納得がいかないはずです。よって、スペンディング・ファーストを素直に受け入れてはいけないことがわかります。

 最後に、②③については、アバ・ラーナーは何も触れていません。なお、は正しいですが、財政破綻しない限り財政赤字の規模は経済に悪影響を与えないというのは間違いです。ただしこの点はわたくしがMMT批判に用いたオーストリア学派が常に正しいわけではありません。にも絡みますが、市場経済(自由放任)の副産物としての外部性の問題と格差の問題を治癒する程度の規模の、大き過ぎない政府の介入は必要なのです。
【参考文献】

Working Paper No. 272 (The Jerome Levy Economics Institute July 1999)
Functional Finance and Full Employment:Lessons from Lerner for Today?
By Mathew Forstater

Lerner, Abba. 1947. "Money as a Creature of the State." American Economic Review 37.

一般社団法人日本伸銅協会「銅の歴史」

史跡 尾去沢鉱山の歴史

独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)「銅ビジネスの歴史 第2章 我が国の銅の需給状況の歴史と変遷」

日本銀行金融研究会「日本の貨幣・金融史を考える~古代の貨幣および中世から近世への移
行に伴う貨幣の変容を中心として」

池田善文『美東町史・通史編』第Ⅲ章 古代の美祢第三節 鉱工業の美祢郡

笹山晴生・佐藤信・五味文彦「詳説日本史B 改訂版 [日B309] 文部科学省検定済教科書」

松原聰「鉱物ウォーキングガイド 関東甲信越版: 歩いて楽しい! 都内近郊の鉱物めぐり26地点」

マイナビニュース「名古屋メシ、パクリ疑惑の真相は!? 発祥地(仮)・三重県津市に行ってみた」
丹羽 広(にわ ひろし) アヴァトレード・ジャパン株式会社・代表取締役社長
三重県生まれ。京都大学経済学部卒。同年、株式会社日本興業銀行へ入社。総合企画部、ロンドン興銀、興銀証券などを経て、2000年モルガンスタンレー証券会社東京支店入社、公社債の引受営業に従事。2002年からはBNPパリバ証券会社東京支店にて株式引受やM&A助言等の業務に携わる。
2005年、BNPパリバ証券時代の取引先であったフェニックス証券の社長に就任。
2013年2月より現職。

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