保守派「反政府活動」の高まり

 韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領は、自分が大統領になるとは夢にも思わなかったという。
 尹大統領は検察官として、朴槿惠(パク・クネ)元大統領の不正を徹底的に捜査し弾劾にまで落とし込んだ張本人であり、文在寅(ムン・ジェイン)前大統領から高く評価され検察総長に任命された。そして文前大統領のもとで、 曺国(チョ・グク)元法務部長官らと一体となって、事実上の保守派壊滅を狙った「積弊清算」に力を注いでいた。
 また尹大統領は、左派のボスである金大中(キム・デジュン)元大統領、さらには盧武鉉(ノムヒョン)元大統領をとても尊敬していたようだ。

 その尹大統領がなぜ、最大保守政党である「国民の力」から出馬し大統領となったのか。なぜ、文前大統領が進めていた「親北朝鮮」「親中国」「反日」路線と真っ向から対立する「反北朝鮮」「遠中国」「親日」を唱えるに至ったのか。
 2019年後半、次期大統領の最有力候補者だった曺国は、様々な不正腐敗の疑惑が噴出し国中が大騒ぎとなっていた。そんな中、曺国は9月には法務部長官に任命されたが、結局35日後に辞任し、文政権にとって最大の人事スキャンダルとなる。曺国の法務部長官任命事件が、左派没落への火種となった。
 この事件を総指揮していたのが尹検察総長だったが、政権与党から猛烈な攻撃を受け、ついには検察総長辞任にまで追い込まれた。

 一方、第1野党「未来統合党」(国民の力の前身)は、朴元大統領の弾劾以降、その力はほとんど消滅状態にまでなっていた。主なマスコミも左派に同調し、国内は「親北朝鮮、反日」一色となり、保守派の政治家、運動家、知識人たちの活動もほとんど見られなくなっていた。
 そんな中、わずかながらも反政府活動を行う団体があり、ユーチューブやSNSを通して、「親北」「反米」「反日」の現政府を批判する活動を展開し、「韓米日同盟」を強く訴えていた。その代表的なものが、右派運動家であるシン・ヘシック氏のユーチューブチャンネル「シネハンス」(神の一手)で、その視聴回数は日に日に増して数か月で再生数100万回を超えていた。

 また、有力な政府批判活動団体としては、全光焄(チョン・グァンフン)牧師が率いるプロテスタント・キリスト教団体などがあった。全牧師は、人を集めるパワーのある指導者で、文政権から最も恐れられていた人物である。
 曺国疑惑が高まり始めた頃から、光化門周辺では毎日のように保守派勢力のデモが繰り広げられていた。デモ隊は日に日に数を増して光化門一帯を埋め尽くし、「曺国反対」を叫んでいた。初めのころは、韓国国旗だけではなくアメリカ国旗や日の丸も掲げられることも少なくなかったが、さすがに日の丸はすぐに消えていた。

 この頃、韓国では李栄薫(イ・ヨンフン)教授らが書いた、日本統治時代を評価した本『反日種族主義』がベストセラーとなり、知識人たちの日帝時代の認識を改める流れも相まって、反日を掲げる政府に反発する国民意識が高まっていった。
 ところがその頃、コロナ問題が深刻化し、それを理由に政府からは「集会禁止令」が出され、それでもなおデモを続ける全牧師らは逮捕されてしまう。
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韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領。自分が大統領になるとは夢にも思わなかったという

「尹大統領」運動の展開

 これといった人物のいない保守野党勢力の一方で、民間人が立ち上がって動き出していたころ、ユーチューバーたちが現政権に立ち向かっている尹氏に注目し、盛んに氏を高く評価して持ち上げ始めた。
 最初に動き出したのは「シネハンス」だった。次々と他のユーチューブでも尹氏が持ち上げられ、あの巨大なキリスト教団体の指導者である全牧師も刑務所から出るや「尹大統領」運動を展開していった。

 そんなことが起きるとはまったく予想もしていなかった尹氏は、はじめこそ躊躇(ちゅうちょ)していたが、各方面からの強力な推奨に耳を傾けていく中で、ついに大統領選出馬を決心したという。
 2020年2月17日、「自由韓国党」と「国民の党」が統合して「未来統合党」になり、同年9月2日に〈国民の力で出来た党〉という意味で「国民の力党」に党名変更し、尹氏をその象徴的な人物としていった。
 左派候補者からは「政治経験もないのに」との批判が強かったが、「政治経験者の政治が上手くいったのか」と尹氏は反論し、「選ぶのは自分の意志ではなく、国民の意思だ」と、「国民の中の自分」という位置をできるだけありのままに見せていった。

 ほぼノンポリだった尹氏は、保守派の考えをよく受け入れ、選挙に臨み、わずかな得票差ではあったものの大統領となった。最側近である、博識な保守派の元喜龍(ウォン・ヒロン)元済州道知事の影響も大きかったと思う。元氏は尹大統領のソウル大学法学部の後輩でもあり、政治力だけでなく世界情勢について豊かな知識を持っており、文政権の問題点について克明にユーチューブなどを通して発信を続けていた。またロシア・ウクライナ戦争を含め、北朝鮮問題、韓米日関係などの世界情勢についても、詳細な情報を含め保守としての考え方を発信し続けてきた。
 このように元氏は真の側近として、尹大統領の政治理念に多大な影響を与えた人物であると想像でき、次期大統領候補としても最も有力な人物である。

 一方、安哲秀(アン・チョルス)氏は最後になって党に合流しており、尹大統領の政治理念に対する影響力はそれほど大きくないと思われる。
 元氏も大統領選候補者となっていたが、今回は尹大統領のサポートにまわり、次期大統領を狙い国土交通部長官に任命された。
 尹大統領は、国民の中から生まれたということで、「国民の中に」を掲げ、青瓦台に入らず、執務室を国防部に移した。尹大統領は、実に本人の意志からではなく、周囲の人々に持ち上げられることによって誕生した、韓国では初めての大統領である。日本の方式に似ていると思った。
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安哲秀氏(右)と尹錫悦大統領

徴用工賠償問題の「解決策」

 いわゆる韓国の「元徴用工」(正しくは戦時朝鮮人労働者)個々人の財産請求権は、1965年の日韓経済協力協定で消滅している。日本政府も日本の裁判所もこの見解に沿って判断してきた。韓国政府も長らくこれを認めて異議を唱えることはなかった。
 ところが、2015年5月、新日本製鉄(現新日鉄住金)などが被告の2件の訴訟で、韓国大法院(最高裁)は、「日韓請求権協定では個人請求権は消滅していない」との判断を下した。ようするに、日韓併合時の日本企業による徴用者の賠償請求を、韓国大法院は次のように認める判断を示したのである。

「1965五年に締結された韓日請求権協定(日韓請求権協定のこと)は日本の植民地支配の賠償を請求するための交渉ではないため、日帝が犯した反人道的不法行為に対する個人の損害賠償請求権は依然として有効である」

 戦争当事国に対する戦後賠償では、賠償金の支払いによって、あらゆる請求権は放棄される。そうしなければ延々といつまでも限りなく大量の個人請求権行使が続くとも考えられる。そこで、賠償金の支払いによって一旦けりをつけ、それ以後の請求については賠償金の支払いを受けた自国政府に対して行うものとするのが国際的な通例だ。
 日本は韓国と戦争をしたわけではないので、戦後賠償をする必要はない。しかしこのとき日韓は戦後賠償ではないが充分その代わりになりうる、戦後賠償と同等の意義をもたせて日韓請求権協定を締結した。もちろん韓国はこれによって一切の請求権を放棄したのである。

 にもかかわらず韓国大法院は、個人請求権は生きているとし、2018年10月30日、4人の韓国人原告1人当たり1億ウォン(約1000万円)の支払いを新日鉄住金に命じた。被告は「徴用工」ではないが、「強制的に動員されて働かされた被害者」であるとして、「未払い賃金や補償」といった「賠償金」ではなく、精神的苦痛などに対する「慰謝料」として支払いを命じたのである。
 韓国は日韓請求権協定に基づき、請求権を放棄することを約束し、日本から莫大な金銭的・技術的援助を受け取っている。したがって、正しい解決策はただ一つ。諸個人の「賠償請求」に韓国政府が対応すること、そして韓国政府が国家予算から原告4人に支払いを行うことである。

 尹氏は大統領就任以後、この解決策に本格的に取り組んできた。そして2023年3月6日、尹政権・韓国政府は最終的な「解決策」を発表した。それは、韓国政府傘下の「日帝強制動員被害者支援財団」が、ポスコなど1965年日韓請求権協定受恵韓国企業から寄付を受け、その寄付金をもって被告企業の日本製鉄と三菱重工業の代わりに補償する、というものだ。いつどのように実行されるかは不透明なものの、解決へ向けた大きな第一歩であるのは確かなことだ。

 岸田首相は6日夜記者団に「今回の韓国政府の措置は日韓関係を健全な関係に戻すためのものとして評価している」と語っている。低い政権支持率にもかかわらず尹大統領の孤立を恐れないひたむきな努力がひとまず実った感が深い。
 これに伴い尹大統領は日本に「誠意ある呼応」を求めている。何かと言うと日本からの「おわび」である。またか、ということになるが、日本政府は「これまでの反省とおわびを継承している」と表明するに留め、新たな「おわび」はしないようだ。しかし被告企業による直接の謝罪や賠償を求める一部の原告や世論は、「屈辱的だ」などと強く反発している。
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岸田首相は「今回の韓国政府の措置は日韓関係を健全な関係に戻すためのものとして評価している」と語っているが――

野党のすさまじい反発が物語るもの

 解決策を受けての野党からの反発が凄まじい。その急先鋒が李在明(イ・ジェミョン)共に民主党代表である。6日国会で開かれた党拡大幹部会議での発言を抜粋しておく。

「尹大統領が結局歴史の正義を裏切る道を選択した」
「一体この政府はこの国の政府なのか。国民はこの屈辱的な強制動員賠償案を決して容認できないだろう」
「民心を無視することは結局審判を逃れることができないことを意味する」
「朴槿惠政権の没落のきっかけとなった慰安婦の拙速狂騒を他山の石にしてほしい」
「共に民主党は日本の戦争犯罪に免罪符を与えようとするすべての試みを決して座視しない

(『デジタルタイムス』3月6日)

 ここで李在明が強調しているのは、「尹大統領は重大な政治犯罪を犯している。後に必ずや、朴槿惠のような罰が当たるだろう」ということである。単なる批判を超えて、一種の呪いをかけているのだ。敵を徹底的に踏みつぶす韓国人特有の復讐の性質が見える。
 朴、文政権を通して韓日関係は最悪の状態になっていた。また、政権が代わるたびに問題となっている韓日関係。尹大統領は、この、誰もがいかんともしがたくなっている日韓問題を解決してこそ経済と安保問題の道が開く、と言い続けてきた。

 国民の反発や支持率下落を覚悟で、内部ですら「この問題は札を閉じたままにして進めた方がいい」との意見も少なくなかったようだ。にもかかわらず尹大統領は、この繰り返される悪循環をだれかが断ち切らなければならないと、今回の発表に踏み切ったと思う。
 徴用工問題は、尹政権の今のうち、早期に解決してしまうことがとても重要である。長期間問題視しているうちに、竹島や慰安婦問題と同じく固定化され、膨らんで熟してしまう。

 徴用工問題は、最近掘り出されたもので、まだ根強く韓国人の脳に刷り込まれていない。竹島や慰安婦問題は、もはや「聖地と聖女」として韓国人の情緒に深く刻まれている。現実的にこの二つの問題は、後戻りができない。が、徴用工問題は、これまで通り、日本は100%妥協できないと突っぱねることが重要だ。そうすれば、そのうち韓国人の脳から薄れていくはずだ。
 情緒的だったこれまでの何人かの大統領とは違って、尹大統領は極めて白黒、善悪をはっきりさせるタイプで、それが批判されてもいる。しかし、国際問題に情緒的であっては困る。
「常識が回復された申し分ない国柄」を国政目標の一つに掲げている通り、常識的な国際関係を強く望んでいるように思える。
呉 善花(オ ソンファ)
韓国・済州島生まれ。1983年に来日、大東文化大学(英語学専攻)の留学生となる。その後、東京外国語大学大学院修士課程修了(北米地域研究)を経て、現在は拓殖大学国際学部教授、東京国際大学国際関係学部教授。評論家としても活躍中。1998年に日本国籍取得済み。主な著書に、『攘夷の韓国・開国の日本』(文藝春秋、第5回山本七平賞受賞)、『スカートの風』(三交社・角川文庫)、『韓国を蝕む儒教の怨念』(小学館新書)、『韓国「反日民族主義」の奈落』(文春新書)、『日本にしかない「商いの心」の謎を解く』 (PHP新書)、『反目する日本人と韓国人』(ビジネス社)など多数。2021年から「呉善花チャンネル」を開設、「相反する日韓学」を配信中。

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