心を病む母親たち
1週間に1人の子どもが虐待で命を落としているわけだが、この痛ましい事実を聞いて、誰もが愕然(がくぜん)とするのではないだろうか?
個人的な体験で言えば、私の娘がまだ1歳の時、突然1人で養育しなければならなくなり、娘と約4年間、母子生活支援施設(母子寮)で生活をした経験がある。
その生活を通じて、さまざまな母子家庭を身近に見たわけだが、中には施設内の階段から歩き始めたばかりの幼い我が子を突き落とし、「あんたなんかいなければよかった!」などの聞くに耐えない言葉を投げつける母親もいた。我が子の前で自傷行為をする母親もいた。
母親たちは心を病んでいてカウンセリングを受けながら子育てをしていた。
彼女たちは他者からの支援が必要だったが、なかなか他者の助けを素直に受け取ろうとせず、手を払いのけ意固地で孤独になりがちだった。
子どもらは施設のスタッフが仲介することで、命に関わる手前で救われていたが、もしこれが母子だけの空間であったら、最悪の事態になっていたのではないか。
児童虐待は密室で生じる。
昨今の児童虐待死の報道からもわかるが、ひとり親の家庭環境で起きている。
子どもの安全と幸福を保障せよ
先送りの理由はその内容の複雑さにある。
中間試案の叩き台には以下のような案が提示されている。
1)「共同親権」か「単独親権」が選択できる。
2)現行の「単独親権」維持。
そして1)にアレンジが加えられた数案と、結局、選択肢の数は10近いというなんとも複雑な内容になってしまい、これでは分かりにくくてパブリックコメントを募れる段階にないと、自民党から待ったが入った次第だ。
なぜ複雑化したのか?
ある政治関係者は「DV被害者支援関係者の反発を気にするあまりにこうなってしまった」と語るが、目的を見失いブレた結果の有り様と言えよう。
こうして時間が過ぎるうちに幼い命が失われると思うと、何をしているんだと怒りで一杯になる。
しかし、ここで冷静になり本質に立ち戻り考えたい。
そもそも、子どもは両親から育(はぐく)まれるのが基本だ。それが子どもにとって安心安全な養育環境であり子どもが生まれ持った権利である。
たとえ両親が離婚しても「両親から育まれる権利」は奪われてはいけない。
従って、離婚後の親権は「共同親権ありき」である。その上で、個別状況により単独親権や単独監護の選択を可能とすべきだ。
同時に、DV被害防止と救済措置をさらに強化していく必要がある。
法は国の基本姿勢を示すものでもある。
子どもの安全と幸福を保障する意向を示すべく、子供の権利を奪わないよう、ブレることなく法改正に臨むことを国政に期待する。
文筆家。早稲田大学文学部卒。家族社会学を中心に取材・執筆活動を展開。現在、「AV新法」の議員立法姿勢についても取材を行っている。