武漢発のコロナウイルスがトップニュースを譲ることは当分考えにくいが、東アフリカのバッタ(飛蝗)の大群も不穏である。FAO(国連食糧農業機関)によると、25年ぶりの今回の災禍は、ケニア、エチオピア、ソマリア、そして2月にはウガンダに及んでいる。
「蝗害」──。

 パール・バックの『大地』にも登場する飛蝗の大群は、大飢饉をもたらす天災として恐れられている。最初、地平線に眇たる黒雲として現れるが、それはやがて空に扇形に広がり、みるみる空を暗くし、しばらくすると無数の飛蝗の羽音で大地は震える。

『大地』は清時代の中国を描いたものが、飛蝗の到来は、その後に始まる悲惨な農民たちの暮らしを予告していた。

蝗害-どこまで拡張するのか?

  蝗害をもたらすサバクトビバッタは変異(相変異)して生まれる。

 異常繁殖する個体は、頭が大きく翅(はね)の長い、足の短い、褐色の個体となる。それらは何億という大集団をつくって大空を飛翔し、大地にある緑という緑をなめ尽くす。しかし、食糧不足によって絶滅の日が近づくと、メスの産卵回数と産卵数は減り、その一代を最後に消滅してしまう。「絶滅前に新しい形態をもった種が一時的に登場してくる」という仕掛けになっている。これこそ、4億年を超える昆虫の歴史が生み出した種としての生存技術なのだろう。進化の形態は単純ではない。
 
 今日、一帯一路でヒト・モノ・カネを世界中に拡散させ、各地に拠点づくりを急ぐ中国だが、その核心的戦略に限度が見当らない。

 2005年、筆者が環境省に勤務していたとき、「特定外来生物法」が施行された。これは生物多様性を確保するため、ヒト以外の外来種を規制するという法律で、環境に悪影響を与える特定外来生物148種が規制されている。ブラックバス、ヒアリ、アライグマなどは、既存の生態系に大きな攪乱を引き起こすものとして、在来種を守るための取り組み(駆除等)が続いている。
 
 一方、長年かかって日本に定着した生物も少なくない。クローバー(オランダ)、マツヨイグサ(南米)、クサガメ(中国)のほか、起源をたどればイチョウもモンシロチョウも外来種であり帰化生物だ。この「帰化」という名称は、私たちヒトの国籍の分野でも使われる言葉だが、今後は在留、永住、帰化が当然増えていき、混住化も進み、社会環境は大きく変化していくことだろう。

 問題は程度であり、バランスであり、規律だ。それが失われるようであってはならない。
 
 筆者の専門である森林群落について見てみると、台風や洪水、火災でダメージを受けた場合、もしそのダメージが小さな穴あきにとどまる程度なら、時間はかかるが、自力で修復する方向に構成メンバーたちが反応し、遷移(succession)を進める。しかし、大きすぎる攪乱(かくらん)は別の遷移を選ばせてしまう。旧群落としてはギブアップで、もとへは戻れず、新しい種が占有する群落へ様変わりしていく。日本は今、後者のパターンに入っている。

日本人群落の消長

 時間軸を長く、視点を俯瞰的にとり、ヒト社会を生物群落の遷移と見立てると、以前とは明らかに違う風景が見えてくる。

 群落としての日本人をここ150年でみると、二度にわたって大きな節目があった。明治維新(1868年)と敗戦(1945年)だ。
 
 当時の人口は3300万人と7200万人で、いずれの時もその後の成功と繁栄の予感があった。二時点とも個体数を猛烈に増やしている最中だったからだ。明治維新から80年経って約2倍、150年経って約4倍になっていた。群落(種)としては繁栄を謳歌していたわけだ。

 しかし今、日本の人口減を止めることはできなくなった。約1億2600万人(2019年)の人口は、この先の80年間を均すと、毎年160万人が亡くなり、60万人が生まれるという時代になっていく。毎年100万人ずつ減少していく構図となり、2100年には日本人は5000万人くらいになると予想されている(内閣府/2004年)。

 そこに海外からおそらく1000万人以上が入ってくると考えられる。80年後、令和元年生まれの赤ん坊が80歳になる頃には、人口の2割以上が違う言語を話し、違う文化をもって、その多くが都会で暮らすという国になっていく。

 2100年の日本は、現在と比べると個体数(日本人)が今の4割くらいの小さな国になるため、東京は辛うじて横ばいとしても、その他に残れる都市は大阪、名古屋、京都、金沢、福岡くらいだ。国全体で5000万人という規模は、明治期後半と同じだが、当時と異なり都市への集中は進行している。

 とりわけ北海道は、20分の1の規模で日本全体のモデルになると見られる。250万人の道民と、50万人くらいの外国人が混住するという、日本全体では2100年頃に迎えるであろう混住状態が、もっと前倒しのおそらく30年後には起こり得るだろう。
 
 今後、人口減によって国力が低下し続ける日本では、さらに過疎化と無人化が進み、夕張市のように自治体運営が難しくなり、自前の資産を一括売却して、外国人に明けわたしていくケースが後を絶たなくなる。そのうち目立たないながらも、次のような世論形成が少しずつ進んでいったとしても不思議ではない。

「所有権が移り、住民もほぼ外国人で占められている地区は、言葉も文化も違うわけだし、そろそろ特別区として別の統治形態が必要ではないか」

 私たちの無関心と不用意によって、実質的な租界や租借地が自然な流れの中で成立し、その実態に見合った統治を求める声が大きくなってくるだろう。

中枢はすでに侵略されている

「この懸念は、そんなに遠い先の話ではないと思うのだが……」
 筆者がそう口にしたとき、シンクタンクの安全保障担当者から言われたことがある。

「所有権は領有権とは異なるので、いくら国土買収が進んでも問題はありません」
 国際法の制度的な解釈はそうかもしれない。しかし実態上はどうか。日本の場合、一旦所有権が移ってしまえば、その後は何でもありになってしまうのは明らかだ。

 近い将来、もし外国政府や外国の国営企業が土地所有者として「無断立ち入り禁止」の看板を設置し、通信施設など軍事的要素を持つ施設を建てたりすることも可能になり得る。それでもなお、「領有権は日本側にあるから大丈夫」と言い続けるのか。

 魚は頭から腐る、というように、中枢(頭)の病理はしばしば手足の機能障害など末端に表れるが、生体的にみると、この先の地方(手足)が生き残っていくために残された道は、もはや外国化しかなくなっている。

 心すべきは、歴史的に大陸の中華系の人たちは、租界や租借地形成に至る政治的ノウハウをよく知っていて、かつての上海や香港のように逆の立場も経験していることだ。事例豊富に、さまざまなケースで侵蝕と統治ノウハウを蓄積してきており、いずれ機が熟してくれば、日本についてもベストのタイミングで租借カードを切り出してくるはずだ。香港と台湾の延長線上に北海道や沖縄が組み込まれていく可能性を否定できない。
 
 にもかかわらず、私たちは1945年以降、平和ムード満開で、国家成立の3要件の一つである国土(領域)への意識もまるで薄れている。

 日中経済の交流と構造的依存が深まっているが、その先に控えている段階的なシナリオが、①大量移民と地方自治の崩壊、②主権の喪失(租界・租借地化)、③言語や文化の置換、そして④日本色の希薄化、消滅──。

 そうならないことを祈りたいが、情勢は悪化している。

平野 秀樹(ひらの ひでき)
1954年、兵庫県生まれ。九州大学農学部卒業後、農水省入省。国土庁防災企画官、大阪大学医学部講師、環境省環境影響評価課長、林野庁経営企画課長、農水省中部森林管理局長、東京財団上席研究員を経て、現在、姫路大学特任教授、国土資源総研所長。博士(農学)。専門は辺境社会学(国土、離島・地域再生)。主な著書に『日本はすでに侵略されている』(新潮新書)、『日本、買います』(新潮社)。共著に『領土消失』(角川新書)、『奪われる日本の森』(新潮文庫)、『宮本常一』(河出書房新社)など。

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