ナザレンコ・アンドリー:日本の独立を脅かす「外国人投票権」

ナザレンコ・アンドリー:日本の独立を脅かす「外国人投票権」

 東京都武蔵野市が外国人の投票を可能とする条例の制定を目指すことが、元民主党系の松下玲子市長の発表でわかった。私自身も2年弱武蔵境駅の近くに住んでいたので、(三鷹市側だったとはいえ)今も同地にいたら、隣の市でこんな危険な条例ができることを知れば不安でしかなかっただろう。というか、他の自治体もこのような条例を真似しかねないと思うと、違う県に住んでも安心できない。
 では、そもそも「外国人」であるの私がなぜその条例を否定的にみているか。5つの理由を述べたい。

特定国籍者の優遇と、社会の分断

【理由その1】特定の国籍者の有利に働き、外国人全般の利益にはならないため

 外国籍住民の投票権が認められたら本当に全ての外国人が得するのか?本当に全ての外国人の意見が行政に届くのか?もちろんそうではない。武蔵野市の外国人住民国籍・地域別人員表を見たら、中国と韓国・朝鮮の国籍を持っている外国人住民が全体の約5割を占め、人口構成が偏っていることは誰から見ても明らか。「外国人が多い」という多くの自治体でも同じ傾向が目立つ。
 
 しかも、これはあくまでも帰化していない人の人数であり、帰化人と合わせれば、中国と韓国・朝鮮にルーツを持つ人は本邦外出身者の中では圧倒的なマジョリティーになる。他国の人は彼らと違う意思を投票で示そうにも多勢に無勢。外国人投票権が認められたら、どの民族とどの政党が有利になるか、考えるまでもないだろう。投票時の身分証明書確認を差別呼ばわりし、不法移民による投票を庇う米民主党と同じ戦略に見える。
【理由その2】外国人の一極集中が起き、日本の中で別の社会ができる恐れがあるため

 外国人住民は特定の地域に集中する傾向がある。日本にもチャイナタウンとコリアンタウンはいくつか存在するし、群馬県では南米系住民が大きな割合を占める町もある。全国的にはマイノリティーであっても、とある市内でマジョリティーになる可能性も高い。そして、地方参政権が認められたら、集中することにさらなるメリットが伴うので、外国人町がもっと増えるだろう(住民登録制度が甘い日本では住民票だけを特定の市に移すことも可能なので尚更危険だし、工作もたやすい)。

 そういうコミュニティができると、「社会の中の別社会」が成り立ってしまい、日本文化に馴染む必要性も日本語を学ぶ必要性も日本人と関わる必要性も減り、外国人住民と日本人住民の間の距離がさらに大きくなり、その状態が対立の種になりかねない。ウクライナでの実例を見ても、ロシア系住民が多いエリアと、戦場になったエリアは見事に重なる。それを考慮すると、地方であっても投票権を与えることは、国政への投票権を与えることよりも危険とすら思う。
ナザレンコ・アンドリー:日本の独立を脅かす「外国人投票権」

ナザレンコ・アンドリー:日本の独立を脅かす「外国人投票権」

日本の中に別社会ができる「社会の分断」が起きかねない

外国人に「参政権はない」のウソ

【理由その3】外国人には「参政権がない」のウソ

 外国人に参政権がないというのは二重の意味で間違っている。第一に、無国籍者ではない限り、母国の参政権を持っている。日本の方に親しみを感じているならば帰化という手続きも、条件満たせば、できる。

 第二に、投票に参加できないのと、政治に参加できないというのは別問題である。国籍に関係なく表現の自由などの基本的人権も皆に等しく保障されているのは現状だし、マクリーン事件に関する判例でも「政治活動の自由についても、わが国の政治的意思決定又はその実施に影響を及ぼす活動等外国人の地位にかんがみこれを認めることが相当でないと解されるものを除き、その保障が及ぶ」とある。つまり外国人は、一部の当たり前な制限があるが、完全に政治から排除されているわけではない。

 では投票権を認めれば何が変わるか?簡単に言うと、主権者である(日本)国民には外国人の意見を参考にする自由と権利もあるし、納得いかなければ無視する権利(決定権)もある。投票権を認めるのは、その決定権まで譲るということ。発言権と決定権は根本的に違う。そして一度でも後者を与えたら剥奪することはほぼ不可能だ。リスクのことを全く考えずにこんな不可逆的な判断をすることはどう見ても賢い選択ではない。

 さらにいうと、帰化する権利があるのに敢えてそれを行使しないで、国民と同じ義務を背負うつもりがないのに、国民と同じ権利を強要する人は、私には不誠実に思えてしかたがない。

「独立」は貴重

【理由その4】在留期間が短い外国人は判断材料が少ないため

 武蔵野市の条例案では、≪市内に3カ月以上住んでいる18歳以上の日本人と定住外国人に投票権を認める≫とするようだが、留学生や技能実習生といった、ずっと日本に住むことを想定していない資格で暮らす人にまで市の未来を決める権限を与えることは妥当と思わない。「いずれかこの町から離れるだろう」と考える人と、「私の子供までこの町に住むだろう」と考える人のうち、どちらのほうが本気度が高く真面目に政策を考えてくれるかは一目瞭然。まして、在留期間が短い人ほど滞日時に在籍する機関への依存度が高いし、言語力にまだ限度があるため得られる情報が限られ、日本語学校の先生や職場の上司に強い影響を受けて中立的な判断ができない可能性もある。
【理由その5】日本を「敵視」している国の国籍者の優遇は、侵略を招きかねないから

 相互的に日本人の投票権を認める同盟国の人の権利とするならまだしも、むしろ日本を「敵視」している国の国籍者が圧倒的に多いとわかっていながら、安全保障を全く視野に入れず、多様性や多文化共生という理想論のみで選挙の在り方を変えるのは、敵国による侵略をしやすくする自殺行為だ。
ナザレンコ・アンドリー:日本の独立を脅かす「外国人投票権」

ナザレンコ・アンドリー:日本の独立を脅かす「外国人投票権」

国家の独立は何より貴重なものだ
 もちろん武蔵野市の条例は直ちに外国人に国民並みの投票権を与えるものではない。しかし、最初の段階で強い反発を招くような法案を避けて、少しずつ社会制度を左傾化させることはリベラルの特技でもある。こんな条例が制定されたら、全面的な決定権容認まで後一歩だけだ。

 日本はその長い歴史上常に「独立」していたため、「独立」のありがたみをわかっていないと感じることがある。この世に存在する国家の中では、実に136か国も「独立記念日」を祝っていることからもわかるように、独立していることは非常に大切にすべきことなのだ。独立しようにもできず、他民族に支配されたままの国もあるし、現在進行形で自由のための闘いを続けて多大な犠牲を払っている国もある。そして独立とは正に主権を持って、自分の地を自分で治めることの他ならない。こんな尊いものを自分で捨てる可能性がある施策をとることは、この上ないほど愚かな行為であろう。
ナザレンコ・アンドリー
1995年、ウクライナ東部のハリコフ市生まれ。ハリコフ・ラヂオ・エンジニアリング高等専門学校の「コンピューター・システムとネットワーク・メンテナンス学部」で準学士学位取得。2013年11月~14年2月、首都キエフと出身地のハリコフ市で、「新欧米側学生集団による国民運動に参加。2014年3~7月、家族とともにウクライナ軍をサポートするためのボランティア活動に参加。同年8月に来日。日本語学校を経て、大学で経営学を学ぶ。現在は政治評論家、外交評論家として活躍中。ウクライナ語、ロシア語のほか英語と日本語にも堪能。著書に『自由を守る戦い―日本よ、ウクライナの轍を踏むな!』(明成社)がある。

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