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加害されたと虚偽告訴した元町議の新井祥子氏は懲役2年、執行猶予5年の判決を受けた
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居直るばかり

 自民の総裁選で高市早苗氏が選出され、日本で初の女性総理が誕生することとなり、さぞフェミニストのみなさんお喜びかと存じ、お祝い申し上げたいところですが(笑)、さて、一方ではフェミニストにとって残念なニュースも飛び込んできています。

 群馬県草津町の元町議、新井祥子被告が9月29日、懲役2年、執行猶予5年(求刑懲役2年)の判決を受けました。本来、新井氏の方が黒岩信忠町長に町長室でわいせつ行為を受けたと告訴していたのですが、これが全くのデタラメであり、逆に罪に問われたのです。
 ネットでは一人の人間の人生を破壊しておいて執行猶予は軽すぎだといった声も聞かれましたが、ともあれ性犯罪という(そもそも男性側の無実を証明することが著しく困難でありながら、それに近いことを求められることの多い)案件で男性側の潔白が証明されたことは極めて異例で、まずは胸を撫で下ろすしかありません。

 本件においては虚偽告訴と名誉毀損の2点について争われました。前者は新井氏が黒岩町長から強制わいせつを受けたとして、虚偽の内容の告訴状を提出したことについて、後者は新井氏がライターの男性と共謀し、「町長室にて町長と肉体関係を持ちました」などと記載した電子書籍を販売した点です(*1)。
 ところが性被害があったとされる場において、新井氏は隠し持っていたボイスレコーダーで経緯を記録しており、その内容が当人の主張とは全く噛みあわず、性被害が狂言であったことがバレてしまったのです(*2)。

 本件については、随分前にも採り挙げたことがあります(*3)。その時にも松田隆氏の記事を引用し、そもそも新井氏の方が黒岩町長に好感を抱いていた旨をご紹介しました(*4)。また事件当時の主張にも矛盾が多く、本件は最初からどう考えても怪しいものだったことも、お伝えしています。
 しかし、ご存じの方も多いでしょうが、フェミニストたちは新井氏の訴えを受けて、デモをするなどして草津町を「セカンドレイプの町」と貶めました。いや、むしろセカンドレイプをしているのはフェミの方やろがい、と言いたいところです。

 このフラワーデモ草津に参加したのは作家の北原みのり氏、性被害当事者らの一般社団法人Springの山本潤代表理事など。しかし、怪しい根拠で黒岩町長ばかりか草津そのものに誹謗中傷を続けておいて、謝罪をした者はごくわずかです。デモに参加はせずとも、上野千鶴子東京大学名誉教授や、大椿裕子社民党副党首、また女優の石川優実氏、科学史家の隠岐さや香氏、ジャーナリストの伊藤詩織氏とフェミニストたちは草津市を攻撃をしていましたが、上野氏は黒岩町長に(密かに、非公式に)謝罪の手紙を送ったと伝えられる一方、他の方々は居直るばかりです。

ほとんど反省の色を見せていない

 さて、先に「新井氏自身のボイスレコーダーの記録が、彼女の狂言を覆した」と述べました。しかしそもそも、新井氏が何故そんな記録を録っていたのか、と疑問に思う方もいらっしゃるかもしれません。これも松田氏の記事の情報ですが、先の電子書籍を読むと新井氏は本来、黒岩町長の政敵である人物の要求で、言わばスパイとして町長に近づいたにもかかわらず、関わるうちに好意を抱くようになった、というのが経緯だったようなのです。仲睦まじい二人のツーショット写真(……というより、新井氏の方が町長に迫っているようにも見える)も、ネットを賑わせました。

 ただ時間の経過につれ両者の関係にヒビが入り、新井氏の感情も愛情から不信感へと変わっていった。つまり本件は、素直に考えるならば新井氏は当初、愛情故に黒岩町長との性関係を「妄想」した。その感情が変化していき、妄想が「レイプ」へと「改変」された、そのように解釈するしかないのです。

 新井氏については、ほかにも「バック」めいた者がいるのでは……といった話も囁(ささや)かれています(*5)。しかし、上の経緯がそもそもの「バック」の思惑を超えた展開をたどっていることを考えるならば、彼女はむしろ気まぐれに女性原理で振る舞って政界を混乱させる「オタサーの姫」――つまり男性ばかりのコミュニティに紅一点で君臨し、しばしば女子力でサークルをクラッシュさせてしまう女性――のような存在であったように思われるのです。

 ともあれ、本件が絵に描いたような「性犯罪冤罪(えんざい)」であること、これに意義のある方はいらっしゃらないかと思います。
 今までもぼくは性犯罪については冤罪が多いのではといった推測を、幾度も述べさせていただいています。先に挙げた、以前に本件について言及した記事も、フェミニストによる「阪神大震災時にレイプが多発した」というデマの流布についてお伝えしたものでした。他にも松本人志氏ジャングルポケット斉藤慎二氏が極めて曖昧な性加害告発によってキャンセルされた件、本年4月にも札幌で女性を介抱しようとした男性が、自ら警察へ出頭したにもかかわらず逮捕されたという、理解に苦しむ事例について述べました。いずれもわいせつ行為が絶対になかったと断言はできないものの、冤罪の可能性を歯牙(しが)にもかけず男性の罪を決めつけた事例だと言えます。

 確か、1980~90年代には欧米で「記憶戦争」の嵐が吹き荒れたことも、お伝えしていたかと思います。これはフェミニストカウンセラーが女性クライエントに「あなたの病理の原因は幼児期に父親に性的虐待を受けたことだ」と吹き込み、何万という家庭を破滅に追い込んだという事件であり、まさにフェミニストによって引き起こされた大々的な性犯罪冤罪です。

 しかし、人間の記憶というものがちょっとした誘導で容易に捏造(ねつぞう)されるという「偽記憶症候群」が知られるようになり、「多くの女性が幼児期に父親から性的虐待を受けていたのだ」というフェミニストたちの主張は根拠のない妄想であったことが暴かれました。ところがその立役者となった(要はデタラメな主張で性的虐待をでっち上げた)フェミニストたちはほとんど反省の色を見せていません。つい最近もフェミのナイトであるパオロ・マッツァリーノや藤田直哉氏が本件の理論的支柱である一人であるジュディス・ハーマンを邪気なく讃えていたのには、ぞっとさせられました。
 これはまさに、草津事件におけるフェミニスト(や、ナイト)たちの振る舞いと瓜二つです。

女性の半数以上がレイプ経験あり?

 しかし、ではなぜ、ある種の女性たちは、そうした虚偽の訴えを行うのでしょうか。
 男性解放の旗手として知られるワレン・ファレルは著作『男性権力の神話』において、以下のように述べています。

《「レイプはレイプでしょ?」とよく言われる。――だが本当にそうだろうか。
 見知らぬ男がナイフを突きつけて女性を無理やり犯すのと、男女がデートでいっしょに飲み、酔った勢いで関係を持ち、翌朝になって「やはりすべきではなかった」と女性が後悔するのとでは、全く異なる事態ではないか》
(原書である『The Myth of Male Power』315pを翻訳』)

 ここは重要なポイントです。
 多くのレイプは知人により、男性側にしてみれば合意があったとの認識からなされている。そこをストレンジャーレイプ、つまり「見知らぬ男がナイフを突きつけて」といったケースと同一視するところから、ぼくたちの誤謬(ごびゅう)が始まっているのです。

 同書では続いて法学者のフェミニスト、キャサリン・マッキノンの、女性の半数近くが「人生で少なくとも一度はレイプまたは未遂を経験した」とする調査、そして彼女の「女性の“イエス”は“ノー”と見なすべき」「何故なら女性は生き延びるためにイエスと言わされるからだ」といった主張を引用し、こう述べます。

《こうしたデータ解釈を拡大すれば、「女性の半数以上がレイプ経験あり」という結論が簡単に出てしまう》(同書316p)

 こう考えると確かにレイプに冤罪は多くても不思議はない。しかし、女性たちはこのような視点を、なかなか持てずにいるのではないでしょうか。
 つまり、受け身的な性行動を取るのが女性ジェンダーの特性であり、男性のリードに逆らえなかったのだとの言い訳が成立しやすいがゆえ、性行為は最初から冤罪に結びつきやすい性質をはらんでいるが、女性は同時に受動的であるがゆえに、自分の主体的選択(男性にノーを言わなかった、無言のうちにムードに呑まれ身体を許した)に自覚を持つことがしにくい。

 そしてこのような女性ジェンダーの特性は、フェミニストが主張するように「女性は男性に対して服従的であれとの社会的圧があるから形成されるのだ」という理由も全くゼロではないでしょうが、多くは先天的なものでしょう(ジェンダーは社会が生み出したとするフェミニズムの主張は、昨今では力を失いつつあります)。

 その上で、ファレルは以前にも言及したように、「空軍の調査によると女性のレイプの訴えの60%が虚偽である」との驚くべきデータを発表しています。この60%という数字は確かに信じにくいものですが、同書ではやはりレイプ被害を訴えた女性のうち、27%が嘘発見器にかけられ、あるいはかけられる前にそれを虚偽だったと認めたという事例も挙げられています。自己申告でこれだけいるなら、思い込みによる誤った訴えを含めれば、さらに冤罪が多いと考えるべきでしょう。

 他にも、イギリスではドリンクスパイキング(バーで女性の酒に密かに睡眠薬を入れ、「お持ち帰り」すること)被害を受けたとする訴えを調べたところ、ほぼ虚偽であったとの話もあります。
 イギリス内務省が2023年10月に行った調査によれば、スパイキングを受けたとする被害者の中から、意図せず摂取した規制薬物が検出された割合は5%。もちろん時間経過のため、接種した薬物が検出されなかった可能性も大いにあるのですが、それにしてもかなりの割合で訴えの中に虚偽や思い込みによる誤認が含まれていることは、疑い得ません。
 ぼくたちは、「女性がわざわざ性犯罪についての虚偽の訴えなどをするはずがない」とついつい考えがちですが、それは全く事実と反しているとしか、言いようがないのです。

女たちの受動性という「業」

 先にも女性の受動性こそが、逆説的にこうした加害性を持ってしまっているのだ、と指摘しました。しかし、新井氏の件をサンプルにそうした女性たちの心理を分析するならば、その受動性はまず、女性自身の「性欲」に端を発している、としか考えられません。「性欲」というのは強い言葉ですが、これは男性のそれと聞いた時に連想するようなものとは性質が異なり、自身が男性にとって性的魅力のある存在でありたい、そうした自分自身に対する自己愛に近い欲求だと言えます。これが女性にとって普遍的な欲求であることは、否定できません。

 そしてその性的魅力は、自身に対して男性がアプローチをかけてくることで証明されます。つまり女性にとって「受動的であり続け(られ)ること」そのものが自身の価値を担保するのです。

 新井氏については黒岩町長への思慕の感情を募らせ、まず彼と関係を持ったという妄想をつくり上げた。ところがその後に、彼への不信感を募らせたがため、その経験がレイプであったと改変された。男性にとっては奇異に聞こえるかも知れませんが、女性の受動性を考えた時、ある程度わかりやすくなります。

 女性は性的な場面で受動的に振る舞う性質を持つため、自分の欲望そのものを(場合によっては自らアプローチしても)「相手に欲望されたのだ」と認識することが多いのではと想像できる。例えばですが、ホストクラブに通い詰めている女性が「ホスト君が私のことを大好きだから行ってあげなきゃ」、あるいは「ホスト君に誘われると断りにくくて」と言いながら、実際には同伴の予定を積極的に組んでいる、といった話はよく聞くのではないでしょうか。

 女性がストーカー被害を訴えているのに、調査するとむしろその女性が相手の男性に接近を繰り返していた、というケースは「クレランボー症候群(恋愛妄想型妄想性障害)」の典型例で、これは女性に圧倒的に多いとされます。

 フェミニストは「男性は全てレイプ犯、ないし予備軍だ」と主張します。
 差別的で偏った意見だと思いますが、同時に一種の極論としてならば理解できます。本当に性犯罪に及ぶのはごく一部でも、男性の多くは女性の肉体に惹かれ、それを手に入れようという衝動を持つのだから、性犯罪に及ぶ者の気持ちも理解はできる。理解できるからこそ、自制せねばと思う。

 ところが、女性は「私がホスト君(黒岩町長)を好きなのではなくホスト君(黒岩町長)が私を好きなのだ」と考えてしまうため、なかなか自らの欲望と向きあえず、「相手のせいだ」と考えがちである。
 すなわち、「男はみなレイプ犯」という極論を通すのであれば、「女はみな性犯罪の虚偽告訴犯」と言わねばならないのです。もちろん、ほとんどの女性はそんなことはしないはずですが、男性の性犯罪同様、「そうした行為に及ぶ必然」は女性ジェンダーが内在している。これ以上、「冤罪が恐くて女とつき合えないぜ」などと男たちに言わせないためには、女たちも自らの受動性という名の「業」と向きあっていく必要がある。ぼくにはそんなふうに思われます。
兵頭 新児(ひょうどう しんじ)
本来はオタク系ライター。
フェミニズム、ジェンダー、非モテ問題について考えるうち、女性ジェンダーが男性にもたらす災いとして「女災」という概念を提唱、2009年に『ぼくたちの女災社会』を上梓。
ブログ『兵頭新児の女災対策的随想』を運営中

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