パオロ・マッツァリーノ氏のブログ

 さて、この件については、みなさんの方がぼくより詳しいかもしれませんね。
『週刊文春』の12月27日発売号で、「A子」さんという女性が松本人志氏主催の飲み会で性行為を強要されたと告発したことがきっかけです。
 以降も続報では、後輩芸人たちが氏の好みの女性を手配し、提供している――といったことが「女衒(ぜげん)」だ「セックス上納システム」だとおどろおどろしく語られます。
 いえ、そうした素行を、ぼくも別に好ましいとは思いませんが、同時に問題は強制があったかどうかじゃないか、とも思います。

 正直なところ普段からあまりテレビを見ないので、本件についてはどうアプローチしたものか、考えあぐねていたのですが……先日、気になる記事を見つけました。
『DIAMOND ONLINE』の「松本人志さんの“罪”を考察したブログに反響広がる『ぐうの音も出ない』『完璧すぎる論破』」がそれです。
 元の記事は「反社会学者」を自称する作家、パオロ・マッツァリーノ氏のブログで書かれた「松本人志さんの罪についての考察と提案」で、それが転載され、快哉(かいさい)を持って迎えられたのです。
 ところが……その内容がどうにもおかしなもの。
 ここではパオロ氏の記事の検証という形で、本件について述べさせていただきたいと思います。

 まず、パオロ氏は以下のようにおおせです。

《冤罪(えんざい)がなぜ重大な問題なのかというと、真犯人が野放しにされ、犯行を繰り返すおそれがあるからです》

 ……え?
 そ……それは確かに重要な論点ではありますが、冤罪の場合、女性の誤解や狂言もあり得るわけで、「真犯人」がいるとは限らないのでは? 少なくとも本件の場合、冤罪ならばそう考えるほかはありません。まさか怪人二十面相のような「偽松本人志」の仕業ということなのでしょうか……?
 もちろんこれは、些細な揚げ足取りではありますが、読み進めると、まだまだ揚がっている足が出てくるのです。

 以降、論調は「ジャニーズ問題の二の轍は踏むな」と続きます。本件をジャニーズに準える論調は『文春』の記事にも見られましたし、そもそも『文春』はずっとジャニーズ問題に取り組んできたわけで、そこには敬意を払いますが、しかしジャニー喜多川の場合は、まず判断力のない子供に手を出してしまったところに問題があるわけで、安易に本件と併置させるべきではないのです。
 また、「ワイドショーの芸人は中立を装いながら、暗に松本氏をかばっていた」といった指摘もなされます。

《女性側をむやみに疑うべきでないとはっきり主張してた人はごくわずか。大半のタレントは、あたりさわりのない言葉を注意深く選んで、どちらにも取れる発言しかしていないように見えました》

 ……えぇ!?
 え~と、じゃあ、中立なんじゃないでしょうか?
 この流れを見るとパオロ氏にとっての「中立」とは「松本はやったのだ!」と決めつけることのように思えるのですが、そうなんでしょうか?
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『DIAMOND ONLINE』の「松本人志さんの“罪”を考察したブログに反響広がる『ぐうの音も出ない』『完璧すぎる論破』」の一部

何本もの足が乱立

 氏は「性犯罪の学問的な研究書を2冊ほど読んだことがあるだけ」で、全然詳しくないと前置きした上で、以下のように述べます。

《日本の性犯罪認知件数が欧米に比べて少ないのは、犯罪が起きてないからではなく、そもそも警察が性犯罪被害の訴えを門前払いしてしまうからであり、裁判にまでこぎつけるのは被害全体の2%くらいしかないなどといった、法治国家とは思えない実態があります》

 フェミニストの本を読むと非常に往々にしてこのような記述に行き当たるのですが、果たしてこれにはどこまで根拠があるのでしょうか。
 フェミニズムに詳しい作家、rei氏にご教示いただいたのですが、2019年の「第5回犯罪被害実態(暗数)調査」によれば過去5年間で性被害にあった女性は1.69%。女性が5500万人いるとして5年間推定被害者数は90万人強。
 一方、2020年内閣府「男女間における暴力に関する調査」によれば性暴力についての女性の警察相談率は6.4%。90万人の6.4%が警察に相談したとすると6万人弱。2018年犯罪統計によれば性犯罪認知事件数は37314件なので、門前払いがそれほど多いとは思えず、むしろ多くを事件化しているのです(3分の1を門前払いしているではないかと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、年数によって数字は変動しており誤差は生じますし、相談のうち何割かは立件しにくい内容もあろうし、少なくとも警察が不誠実な対応をしているのだとの決めつけはできないのです)。

 同記事については、Prof. Nemuro氏のnoteでも鋭い批判がなされているのですが、そこでは以下のように指摘されています。

《暗数が少ない殺人などの凶悪犯罪が欧米に比べて圧倒的に少ないように、性犯罪も少ないことは定説である》

 欧米と比較して、日本における性犯罪の認知件数は極端に少ないのですが、これは殺人も同様であり、そこまで暗数が多いとも思えない、ということです。
 しかし、以降もパオロ氏は以下のように主張します。

《ネット上には、松本さんがやってないことを証明するのは不可能だ、ないことを証明するのは悪魔の証明だ、なんて意見もありました。
 どこでそんな愉快な考えを聞きかじってきたのか知りませんけど、今回の場合、犯罪被害を告発した女性側の主張にあきらかな矛盾や虚偽が認められれば、松本さんの潔白が証明されたとみなしてもいいので、悪魔の証明を心配する必要はありません。
 いまのところ松本さんはほぼ何も主張しておらず、女性側の主張のみが公開されてます。なので現時点では、女性の主張を一方的に検証して攻撃できる松本擁護派が圧倒的に有利なんです》


 これはもう、何本もの足が乱立しています。
 女性側に矛盾や虚偽があれば松本氏の潔白が証明されるというのは、リクツとしては全く正しいのですが、そもそも本件について重要なのは松本氏と女性の間に合意があったか否か。性犯罪というのはその意味で、立証が大変困難なモノなのです。ましてや本件は10年近く前のことで、どこまで記憶や記録があるかについても、大いに疑問です。
 また、松本氏が圧倒的に有利というのもよくわかりません。発言がないから矛盾を突っつく材料がない、ということのようですが「発言しないのは言い訳ができないからだ」といった反応も当然、想像できるでしょう。

 そもそも、松本氏は女性の訴えを事実無根としていますし、それ以上に言えることなどないでしょう。それ以上を要求するとなれば「やってないと証明しろ」と言うのも同然で、まさに「悪魔の証明」という愉快な考えを持ち出すしかないのです。

「疑わしきは罰せず」をご存じ?

 さらにパオロ氏は「松本擁護派は女性の信憑性を覆すことができずにいる(大意)」と述べた後、つけ加えます。

《念のためにいっておきますが、あとからリークされた女性からのお礼メッセージが合意の証拠にはならないことは、すでに専門家が指摘してます》

 そう、実はA子さんは事後、松本氏に好意的なメッセージを送っているのです。
 これについては『デイリー新潮』でも元東京地検特捜部副部長で弁護士の若狭勝氏の談話として、以下のようにあります。

《性被害者が、加害者にお礼のメッセージを送ることは、精神的ショックをなかったことにしようとする被害者特有の心理の表れとして、刑事事件でもよく見受けられます》

 これはストックホルム症候群などとも呼ばれ、ごく簡単に表現するならば「恐い相手に気に入られようとするうち、相手に好意を抱くようになる」といった心理状態を指します。
 もちろん、人間がそうした心理に陥ることもあるというのは、よくわかります。ただ、この語源となったのはストックホルムで起きた銀行強盗人質立てこもり事件であり、犯人に人質とされた人物が犯人の味方をして警官に銃を向けるという、特殊な極限状態において生じたものなのです。

 つまり、これは松本氏が性行為の時に常軌を逸した暴力や恫喝(どうかつ)などを伴ったとでもしなくては、成立しない話なのです。でなければ、いくらでも後づけでレイプにしてしまえます。性交渉時に明確な同意があっても、このリクツでは「恐かったから頷(うなず)いたのだ、本当は同意したくなかった」という言い分も通ってしまうでしょう。

 もっとも、『文春』の記事でも松本氏の横暴さを告発する(問題のA子さんとはまた別な)女性の声が掲載されてはいます。しかし、それもまだ検証された話ではありません。
 しかしパオロ氏は以下のように言うのです。

《さて、記事内容ですが、一読したかぎりでは、被害を主張する女性たちの主張内容にあきらかな虚偽や矛盾は見当たりません。(中略)なので女性側の証言を積極的に疑う理由・材料はないと判断します》


 あのー、「話に矛盾がない」と「事実であった」とでは全然違います。例えばぼくが昨日の夕食にステーキを食べたと称しても、「あり得る」という意味では矛盾はありませんが、本当はカップ麺だったかもしれないのです。
 それに、本当に今さら言うのもナンなのですが、パオロ氏は刑事訴訟における「疑わしきは罰せず(疑わしきは被告人の利益に)」という言葉を、ご存じないんでしょうか。
 性犯罪について全然詳しくないとおっしゃっているので、ご存じないのかもしれません。
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お礼のメッセージの真意は果たして……(松本人志氏のXより)

男性を有罪にする傾向が強い

 他にも同記事では松本氏の飲み会の席で、女性たちが携帯(スマホ)を没収されたという点について、舌鋒極めて批判がなされます。

《スマホを没収したのが事実なら、松本さんの側に、これからやろうとしてることが犯罪に該当するという自覚、悪意があったことになります》

 ええぇぇッッ!?
 いや、一般的にはそういうのを「ゲスの勘繰り」というのではないでしょうか。
 先に挙げたProf. Nemuro氏も指摘しています。

《プライバシー暴露を警戒する人が、立場が異なる人と会う場合に、スマートフォンの使用不可を条件にすることは珍しくないので、犯罪に該当するという自覚、悪意があったことにはならない》

 スマホ没収という行為そのものは、確かに「え?」という感じではあります。しかし松本氏の立場を考えると、「(ことさら悪いことをするわけではなくとも)隠し撮りされてSNSにアップされたら敵(かな)わない」と考えたとしても、不思議はありません。
 他にも今田耕司氏に対しても発言をねじ曲げて「文春の記事は事実であると認めたも同然」だと決めつけたり、パオロ氏の暴走ぶりはもう「松本氏に親でも殺されたのか」と言いたくなるほど。

《そんな怪しげな密室飲み会を何十回、何百回とやっていて、性行為は一切なかったと主張するのは不自然です。仮にそのすべてが合意の上だったとしても、自分に逆らえない後輩にそのための女性を用意させていたなら、松本さんのやったことは完全にパワハラです。その事実だけでもテレビ局のコンプライアンス的にはアウトです》

 えええぇぇぇッッッ!!!???
 全てが合意だったらいいんじゃないでしょうか。いや、もちろん後輩への強制が事実だとしたら問題ですが、記事などにそうした話があるわけでもなく、パオロ氏の勝手な思い込み以上のものではありません。

《重要なのは合意があったかどうかではなく、合意の中身と合意に至った状況です。本当に双方がすべて納得した上での合意だったのか。虚偽や脅迫、社会における力関係を利用した威圧などによる合意だったら、それは詐欺と同じです。あとから取り消せるのが当然です》

 これはまさにその通りです。
 そして松本氏が「事実無根」と言ったのは「虚偽や脅迫、威圧などがなかった」と考えているからでしょう。
 パオロ氏は松本氏へ記者会見を開くことを提案していますが、そんなのはどうでもいいことです。重要なのは本件に、違法性があるかでしょう。

 しかし、去年の7月、「不同意性交等罪」という法律が施行されました。これは強姦罪を改正したもので、いよいよ女性は男性から性暴力を受けたとして、訴えやすくなりました。そうなったら訴えられた側は性関係において相手に同意があったことを(詳しくは調べていただきたいのですが)、こと細かな規定に則って立証せねばなりません。
 もちろん、この法律が松本氏の件に遡及(そきゅう)して適応されはしないでしょうし、そもそも現時点では松本氏側が『文春』を訴えることを匂わせているのみです(※すみません、何かの思い込みで「匂わせているのみ」と書きましたが、松本氏が『文春』の提訴に踏み切ったことが伝えられています)。女性とのことは時効が成立しているようですし、女性が松本氏を訴える可能性は低いでしょう。

 しかし、こと性犯罪に関しては「疑わしきは罰せず」の原則を省みず、訴えられた側に「悪魔の証明」が求められることが多いのです。
 少し前には痴漢冤罪が問題になりました。何ら証拠がなく、どう考えても痴漢ができる状況ではなくとも司法は女性の訴えを鵜呑みにし、男性を有罪にする傾向が強いのです(この辺りは拙著、『ぼくたちの女災社会』をご参照ください)。

「共感」性は大変危険な武器になり得る

 近年も草津町の元町議の新井祥子氏が元町長に性被害に遭ったと訴え、しかしそれが虚偽であったことが明らかになりました。
 韓国ではソウル中央地検女性児童犯罪調査1部の丁貞旭(チョン・ジョンウク)検事が「性的暴力を受けた」と警察に虚偽告訴した男女を摘発しています。男女、といっても多くは女性で、被害者はこの最近3カ月間だけで5人以上もいるといいます。

 おそらくですが、パオロ氏には「無垢(むく)で清廉(せいれん)な存在である女性が嘘をつくはずがない」という根拠のない盲信があるのではないでしょうか。しかしそれは間違いなのです。以前もご紹介したように、ことに性犯罪においては女性からの冤罪は大変に多いと考えるしかない。
 しかし法整備はそうした実態の、むしろ逆を行って女性側に優位になる一方です。

 これがフェミニズムの(歪〈ゆが〉んだ)理念を反映したものであることは、ぼくの記事をずっと読み続けてくださっている方にはもう、おわかりでしょう*。
 パオロ氏は松本氏の発言が目下のところ少ないことをもって、彼を怪しいと決めつけているようなのですが、上のような傾向を見るに、自分としては合意を取ったつもりでも、ご時世を考えると通らないかも……と及び腰になるのは、当たり前なのです。
 最後に、パオロ氏の記事でもっとも共感したところをご紹介して終わりにしたいと思います。

《去年読んだ本のなかで、ある心理学者が「共感」の危険性を指摘してました。共感はスポットライトである。対象者だけを明るく照らし出すが、その周囲は暗闇で、何があるのかまったく見えないのだ。
 人情もスポットライトです。だから人情で物事の正誤を公平に判定することはできませんし、してはいけないのです》


 全くおっしゃる通りです。
 大変危険な武器になり得る被「共感」性というものを、女性は男性に比べて驚くほどに大量に有しています(だから男性がどれだけ自殺しても問題視されませんが、女性がとなると大騒ぎされるのです)。
 もちろん、パオロ氏は松本氏に「共感」することの危険性を訴えていらっしゃるのでしょうし、確かに一般人に比べれば彼ははるかに「共感」されやすい存在です。しかしパオロ氏の女性への「共感」を見た後では明らかなのではないでしょうか、どちらへの「共感」がより、危険なのか――。

* 今回、文字量が多くなってしまい、全体にツッコミ不足ですが……詳しくは拙著に加え、以下の記事を参照していただければ幸いです。
被災地でレイプ多発?NHKはフェミニストの手先か
「女性の方が常に危険」というフェミのヘンな前提
女性が後から「性被害」といえば性被害である!と断ずるフェミ理論
炎上リュウジ氏――「港区女子」にご用心!?
など。
兵頭 新児(ひょうどう しんじ)
本来はオタク系ライター。
フェミニズム、ジェンダー、非モテ問題について考えるうち、女性ジェンダーが男性にもたらす災いとして「女災」という概念を提唱、2009年に『ぼくたちの女災社会』を上梓。
ブログ『兵頭新児の女災対策的随想』を運営中。

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