殺害予告にまで発展

「ジェンダーレス制服」を描いたイラストが炎上しています。
 これは来年度の開校が予定されている姫路市立高校で採用されたものなのですが、イラストレーターのたきれいさんが「ステキだから見て」とイラストにしてXにポストしたところ、そのポーズが身体をくねらせていて不快だとして、いわゆるツイフェミから集中砲火を浴びてしまったのです。

 ――おいおい、またツイフェミかよ、もう飽き飽きだ。

 いえ、実のところぼくも最初はそう感じておりました。
 いわゆる「ツイフェミ」が何にでも性的なモノを読み取り、怒り狂うのは今に始まったことではありません。
 少し前にも三重交通の女子キャラクター「神都あかり」のイラストが炎上したことがありました。

 実はこの2件とも、スラックスを履いているにもかかわらずそのポーズが女性的でけしからぬ、との言いがかりをつけられたことが共通しています。
 しかし、この神都あかりちゃんはまだしも「萌えキャラ」的、即ち愛らしさや性的魅力を持ったデザインであるのに対し、今回の絵は極めてシンプルで、可愛いとは言え性的な要素を見て取るのは困難なタッチ。従来、この種の炎上ではキャラクターが肌を露出させていたり(といっても大したことのないものがほとんどですが)、頬を赤らめていたり、多少なりともバストやヒップのラインが強調されたりといった場合が多いのですが、今回のものはさすがにそのいずれにも当てはまりません。
 にもかかわらず、このイラストは以下のような批判を浴びました。

《制服は良いと思うのですが、ジェンダーレスと言いながらこのポーズはちょっと矛盾を感じます》
《ポージングが気分悪いです。
男子のポーズと同じにして欲しい》
《なんで、女をクネクネさせるん?
こんなクネクネした高校生実在しないのに》
《わーお!くねくね~!くねらせちゃお!どんな服着たって何としてでも女らしさを出させてやる~!女から逃げられいぞぉーってか》


 そうそう、作者のたきれいさんが女性であった、というのも「あるある」です。先の「赤いきつね」のアニメCMにおいても、アニメーターさんが女性だったというオチがつきましたよね。
 しかし今回は――いえ、恐ろしいことに今回が初ではなくこれも「あるある」なのですが――たきれいさんは殺害予告を受けたことを明かしました。
 当人がXアカウントにおいて、以下のようにポストしているのです。

《日時指定で殺害予告がありましたので警察に通報いたしました》

 もちろん、犯人が捕まるまでそれが「ツイフェミ」の仕業であるとは断言できません。「ツイフェミ」の中には(何の根拠もなく)「これはツイフェミを装ったアンチフェミの仕業だ」と言う人もいました。こうした、事態がヤバい方向に転ぶととたんに「男の仕業だ!」と(何の根拠もなく)言い出すのも「あるある」なのですが、普通に考えてこうした短絡的な行動はよほど頭に血が昇った者の仕業だろうと考えるのが自然でしょうし、そうなるとやはり犯人は……とぼくには思われます。
 そもそもそれ以前に、たきれいさんはこの炎上に真摯(しんし)に謝罪されていました。

《おそらく「女性だからといってクネっとさせたポーズは不適切」という趣旨とお見受けしたのですが、描き手としては「女性らしい」「媚びた」イメージではなく、性別を限定しないモデルポーズをイメージしました。ジェンダーバイアスについては日々勉強中ではありますが、まだまだ力不足のため私のイラストで不快な思いをされた方がおられたら申し訳ありません》

 にもかかわらず、その上での殺害予告であり、どうなっているんだろう、としか言いようがありません。
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炎上したたきれい氏のX画像
via x.com

フェミ同士の同士討ち

 ――さて、当たり前の話ですがたきさんに何ら落ち度はありませんし、1億歩ほど譲って落ち度があるとしても殺害予告が許されるはずはありません。

 ただ、同時に彼女は、立派なフェミニストなのです。少し前、高松市の公園に設置されていた少女の裸像が撤去されるというニュースがありましたが、それに賛同の意を表明するポストもなさっています。また彼女の手による「性の絵本」といったシリーズの性教育絵本もあるのですが、それを見ると小学生に「性別は男女だけではない」と言ったり同性愛を教えたり、具体的なイラストでセックスを教えたりで、正直あまり好ましいとは思えません。

 そもそもが「ジェンダーレス制服がステキだ」というもとのポストからして、彼女自身がジェンダーフリー推進派である証拠です。
 つまり、今までこの種の事件で「女同士の同士討ち」と言われてきたのが、ついに「フェミ同士の同士討ち」になってしまったわけですね。
 YouTubeにはこうした「ツイフェミ」のご乱心を紹介し、嗤(わら)う類いのチャンネルが群雄割拠しており、当然、本件も積極的に扱われました。しかしいくつか拝見した限り、こうした点について言及している動画は見つかりませんでした。

 もちろん、どう頑張ったところで、悪いのは殺害予告にまで事態を発展させた攻撃者側で、たきさんは被害者と言うしかありません。時事系YouTuberとしては、そこをある種、わかりやすい「ワルモノ」対「被害者」の図式に落とし込んで事件を紹介するのは仕方ないと言えば仕方ないかもしれません。

 しかし、この種の動画を観ていてちょっと気になったのは、例えばこの制服について霊夢と魔理沙が「ステキな制服」と褒め称えるといった場面です。女性がスラックスを履いてはならないわけではないとは言え(またそもそも、同校はスラックス一択というわけではなく、スカートも用意しているとは言え)、ことの発端であるたきさんの「ジェンダーレス制服がステキ」といったポスト、それがそんなにも好ましいものだったでしょうか。

 いえ、逆にそうした「ジェンダーレス」が好ましく、とにもかくにも推進すべきものだと言うのであれば、むしろ、そうしたフェミニズムの「教義」に適っているのは「ツイフェミさん」の方ではないでしょうか。
 たきさんの謝罪に対し、「素直に謝れてエラい」といった評価もありましたが、逆に言うならばそれは彼女が「ツイフェミさん」の言い分にいくらかでも理を認めたからこそ、謝罪をしたのでしょう。

 実はたきさん、炎上後に「同じポーズで男性も描いて欲しい」という要望が集まり、実際に描いてポストしてもいます。
 しかし、そうなったらなったで以下のようなクレームがつきました。

《え、なんで男だと髪が短くて眉が太いんだろう。
笑顔も控え目になってる。
そういう話なんだけどな》


 もちろん霊夢や魔理沙たちは「何しても文句をつけるのか」とお冠でしたが、まさにそう、「何しても文句をつける」ことこそが「ジェンダーフリー」の本質なのです。
 それはうどんを啜(すす)る描写に性的ニュアンスを読み取った、先の騒動を見ても明らかです。要するにこの世にあるジェンダー表象(要するに男らしさ、女らしさを表すもの)の全てを殲滅(せんめつ)することこそが、ジェンダーフリーなのですから。
 また、そうした文句に対し、以下のように反論する霊夢や魔理沙もいました。

《これだとジェンダーレスじゃなくて、「逆に女はこうしてはいけない!」って言ってて、男はこう!女はこう!ってか固定観念を強めてるだけなんだよな》
《そして、ジェンダーレスって多様性を生むためのものだと思うんだけど、こんな言葉が出来てからの方がむしろ多様性がなくなって、女性にこんな事させるな! ってことが増えてて、まあ面倒臭い世の中になってきたよな》
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少し前に炎上した三重交通の公式キャラクター「神都あかり」

フェミニズム、ジェンダーフリーは誰も幸福にしない

 つまり「ツイフェミさん」の言い分はむしろ「女はクネクネしたポーズを取るべきではない」「髪を長くしたり眉を細くしたりするべきではない」という別の「べき」論を唱えているだけだ、との批判です。

 これはこの種の「ツイフェミ批判」ではお定まりの論法なのですが、しかしそれはちょっと、違うのです。
 この種の「女性の表象」とやらを批評するのはフェミニズムにとってはお決まりの論法であり、上野千鶴子のデビュー作『セクシィ・ギャルの大研究』もまた、そうした問題意識を前提したものでした。岩波書店の同書の広告ページを見ると、以下のようにあります。

《もの欲しげな目に半開きの唇、しなりくねらせた肢体。世に流布するお色気広告を、ズバリ分析!》

 そう、長い髪、くねらせた肢体といった具合に女性は性的な表象をまとわされ続けてきた。そして、それは女性の性を搾取(さくしゅ)するという、もっぱら男性側の利益のために、女性に強制されてきたものなのである。例えばAV女優など、自らの意志でそうした男たちに見られる「客体」になることを選び取っているように見える女性たちも、実は男たちの洗脳により、そのように先導されているのだ――。
 
 それがフェミニズムの世界観です。
 もちろん妄想だと思いますが、仮にそれを正しいとするならば、「女はクネクネしたポーズを取るべきではない」という「べき」論は正しいと言うしかない。

 この種の動画では「悪いのはツイフェミであり、本来のフェミは善きもの」といった主張がなされることが多いのですが、(もちろん殺害予告は論外であれ)残念ながら「ツイフェミさん」の主張と「本来のフェミニスト」の主張には、寸分の違いもないとしか、言いようがないのです。
 その意味で先に挙げたたきさんの謝罪の言葉も、ある意味誠実に心から「ジェンダーフリーに対する意識がまだまだ低かった」と内省してものだったことでしょう。

 もちろん、こうした先に待っているのは「山小屋の中で、反省しろと言いながら仲間同士で殺し合う」というオチでしかなく、まさに「殺害予告」はそれをなそうとしたものだったわけなのですが。
 たきさんにはお気の毒と言うしかないものの、本件において、登場人物の全員がフェミニズム(ジェンダーフリー)という歪(ゆが)んだ思想に囚(とら)われ、自縄自縛に陥っているだけだ、という印象を、ぼくは強く持ちました。

 そう考えると、やはり「ジェンダーフリーそのものが間違っているのだ」といった視点こそが必要だと思います。
 フェミニズム、そしてジェンダーフリーは誰も幸福にしない――本件は、それを示す好例なのではないでしょうか。
兵頭 新児(ひょうどう しんじ)
本来はオタク系ライター。
フェミニズム、ジェンダー、非モテ問題について考えるうち、女性ジェンダーが男性にもたらす災いとして「女災」という概念を提唱、2009年に『ぼくたちの女災社会』を上梓。
ブログ『兵頭新児の女災対策的随想』を運営中

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