何を今さら……

  食べ放題コースを女性限定で半額にしたことで起こった牛角の炎上はSNSによるものだけに留まらず、各界に延焼を続けています。お笑いタレントのカンニング竹山氏はそれに対し「ケツの穴の小さいこと言ってんじゃねえよ」と言い放ち、ご当人も炎上することに
 また、女優の遠野なぎこ氏も「だって牛角さんって比較的お安いですよね?学生でも行けるような。(中略)何をそんな小さいこと言ってるのかね~」と全肯定です

 一方、ひろゆき氏はネット番組「ABEMA Prime」において、「営利企業が利益を上げるために女性を優遇するのがOKとなれば、『女性の給料低くていいよね、女性は出世させなくていいよね』だって営利企業の判断で肯定されることになる(大意)」と述べています。もっとも氏はこの後、「だからどんな差別でもなくすべきである」と続けており、これはちょっと意外にも思いました(彼なら「だから差別してもいいじゃん」と言いそうな気がしていました。いや、ぼくもひろゆき氏のことはよく知らないのですが……)。

 さて、こうして記事を書かせていただいておいてナンですが、実のところぼく自身は、この種の問題に対して、あまり関心が持てません。
 理由はいくつかあるのですが、まず第一に「女性優遇サービス」は20年ほど前にこそ多かったからです。そのせいで今さらだ、という感情が湧き上がってしまうんですね。
 鉄道の女性専用車両に不満の声が上がったのもこの頃ですし、映画の女性サービスデーや女性専用タクシー、また漫画喫茶やマクドナルドに至るまで女性専用席を用意していました。それらは当時から、ネットでは非難を浴びていたのです。

 もっとも、当時はいかに男性側が不満の声を上げようとも、それは可視化されませんでした。それが本件においては有名人がコメントするなど、話題になっているわけです。
 男性の意識が変わり、こうしたことに声を上げるようになったのか、あるいは当時はまだSNSが今ほどには発達しておらず、可視化されにくかっただけなのか。しかしそれ以上に、単純に社会が貧しくなったがため、(お金持ちでいらっしゃるであろう竹山さんや学生でも行けると断言する遠野さんはともかく)一般男性の負担が大きくなったことが大きいのだろうな、と思えます。

リクツの上では「詰んでいる」

 ただ、第二の理由として、やはり「男性差別」と言うのであれば、そもそも男性だけが危険な労務を課せられる、また今までもお伝えしてきたように性犯罪などで極めて不利な(冤罪を招きやすい)扱いを受けるなど、より以上に圧倒的な差別的待遇というものはいくらでもあると言うしかない。そうした本質的な問題に比べれば本件はまだまだ些細であるように、ぼくには思われるのです。
 そして、しかし、さらに言うのであればぼくたちがいかに「男性差別」という錦の御旗を振りかざそうとも、「女性差別」という錦の御旗に対しては分が悪いな、と感じるからでもあります。リクツを言えば「白人差別」と称するべき状況も世に存在するはずですが、そう口にされるとやはり「え?」と思ってしまう人が多いのではないでしょうか。

 しかし、それでは「お前は勝ち目がないからと、横暴な女どもに頭を下げ、男性差別を甘受せよと言うのか」との声が聞こえてきそうです。
 はい、その通りです。
 あ……いや……えぇと、その、ちょっと待ってください。
 順を追って説明しますから。
 
 確かに、理由がどうあれ男性側がこうした傾向に声を上げるようになったのは事実です。そしてそれは、「何も考えていない」「何も感じていない」状況に比べれば、はるかに好ましいはずです。
 いずれにせよぼくたちは思考停止せず、一度じっくりとこの問題について考えてみるべきなのです。その上でそれでも「女性優遇」が肯定されるべきであると考えるなら、それはそれでいい(し、ぼくもそうした結論へと、みなさんを導こうとしている)わけです。

 さて、というわけで、竹山さんや遠野さんのような思考停止ではなく、「ちゃんとした」女性優遇肯定論というものを聞いてみたいところですが……こういう時、フェミニストはだんまりの場合が多いんですね。
 実は先に挙げた「ABEMA Prime」には、東大教授で社会学者の瀬知山角(せちやまかく)氏(男性ですが、フェミニズム関連の著作のある方です)も出演し、本件についてひろゆき氏と議論していました。YouTubeにもアップされており、観ようと思っていたのですが、ほんの数日で非公開になってしまいました。

 が、先の記事を見る限り、ひろゆき氏の(いつもの、彼らしい)ラディカルな議論に、瀬知山氏は「受忍の範囲」という言葉で(つまりこの程度のことなら法廷であろうと実社会であろうと、慣例に基づいて許されるだろうと)逃げ回っているという印象で、正直、話になっておりません。無理もありません、本件が話題になったこと自体、「受忍の範囲」が変わりつつあることの証拠なのですから。
 また、先のやり取りでは瀬知山氏が「男性側が、履いている下駄の高さに気が付いていない」と(フェミの決まり文句を)ぶつけたところ、ひろゆき氏に「焼き肉屋で(男性が)どんな下駄を履いているんですか?」と突っ込まれて、しどろもどろになっておりました。
 従来、フェミニストはこうした時には「男性の方が稼いでいる」と繰り返してきたものですが*1、それも説得力を失ったようで、リクツの上では「詰んでいる」と言えそうです。

*1『日経新聞』は2010年10月14日、「30歳未満の女性の可処分所得は月21万8100円と男性を2600円上回り、初めて逆転した」と報じました。もちろん年齢を経るにつれ、男性の所得が上がっていくわけですが、専業主夫を養う女性が稀少である以上、それは当たり前でしょう。​

女性優遇サービスの別側面とは――

 ただ……このやり取り(記事だけでの判断で恐縮ですが)、ぼくは悪い意味でひろゆき的である、「お子様が小リクツを振り回して大人をやっつけている」という印象を持ちました。
 ひろゆき氏の「黒人の方が焼き肉を多く食べるから、白人の料金を安くするといったことは許されない(大意)」との論法はそこだけ取れば正論ですが、やはり人種問題とジェンダー問題は違うのです。

 そもそも、それでは、なぜ、この種の女性優遇サービスが始まったのでしょう?
 女性の方が稼ぎが少ないから? そんな馬鹿な。企業にしてみれば、女性の方が自由に使えるカネがあるからに決まっているでしょう。結婚後も、財布の紐を握っているのは(これは国際的には極めて珍しいらしいのですが)女性の方です。
 そしてもう一つ、自らの性別について、ことにそれによってメリットを得ることについてセンシティブなのは女性側ではないでしょうか。

 飲食店なり映画館なりで「あなたは素晴らしい、寿(ことほ)がれるべき側の性別ですので、サービスさせていただきます」と言われてより喜ぶのは女性の側ではないか、ということです。つまり、女性は男性に比べ、より「プレゼントに弱い性」であるということです。

 冒頭の竹山氏、遠野氏の言葉は、強者からの心ないものだと感じた人もいるでしょう。ことに女性が男性に対し「小さい」などと侮辱(ぶじょく)するのは無礼な話です。というのも(男が男に対して言っても無礼なのは変わりがないものの)これには女からの男への品定めといった側面があります。言うならば、痴漢が女性の胸を触っておいて「小さい」と侮辱するようなものです。また、男性の竹山氏も「小さい」と言っていますが、これもやはり、女性からの品定めを内面化し、それに従順であろうという心理が働いているとしか、考えようがありません。だってここでほかの男を「小さいな」と侮辱しておけば、女に対して自分の優位性をアピールできるわけですから。

 ただそう考えるならば、逆に女性たちは「男性に大きくあってほしい(自分に対し、度量を見せてほしい)」という押さえがたい、切迫した欲望を持っているということでもあります。大げさに言えば、本件で男性が「女性を優遇するな」と怒ったということは、女性の主観では「お前はおごってやる価値などない女だ」と言われたように聞こえるのでしょう。
 そう考えると、この種の女性優遇サービス、また別な意味あいを持っているのが見えてはこないでしょうか。

 ぼくは15年前の著書『ぼくたちの女災社会』において現代社会を「ホスト資本主義」であると形容しました(これはまた、当時の方がこうした女性優遇サービスが多かったことの証拠でもあります)。
 これは企業やメディアが擬似的な男性役割を果たすことで、女性にサービスを提供する社会のことで、言うならば企業が女性ジェンダーの特質を鋭く突いて商売をしているということなのです。

何が何でも女性も働かねばならないのか?

 女性優遇サービスの本質は、先にも述べたように女性が稼ぐようになったから(その稼ぎを専ら娯楽へと投じられるから)でもありますが、もう一つ、男性が女性へと男性役割を果たさなくなったから、つまりおごらなくなったからなのです。

 なぜ、おごらなくなったか。女性の社会進出の反面給付として、男性の稼ぎが少なくなったからです。もちろん、日本の経済が停滞しているからという面もありますが、同時にパイを女性と分けあったから、女性との経済格差が縮まったからでもあります。
 その結果、日本では非婚化がここまで進行しました。近年の男性が女性の味方をしなくなったのは、それが理由でもあります(だって妻や娘を養っているならば、女性優遇サービスは男性にとっても意味が出てくるのですから)。また、前提として稼ぎの少ない男性は結婚できないことは、データではっきりとしています*2。

 そう考えると、現代の女性は結婚も敵(かな)わず、ホストに貢(みつ)ぎつつ、ごく一部を除くと「頂き女子」にもなれずにいる恵まれない存在であるとも言えるのです。
 となると、やはり男性が働いて女性が専業主婦となる家庭のモデルが望ましい、普遍性を持ったものであるということに、どうしたってならざるを得ないのではないでしょうか。
 別に、労働の場から女性を全員追放せよ、と言っているわけではありません。女性でも総理大臣にふさわしい人物がいれば、なればいいのです(……などと書くとフェミニストからお叱りを受けそうなのが、不思議なのですが)。
 ただ、現状のように何が何でも女性も働かねばならないのだ、とヒステリックに叫ぶ――否、もはや「常識」と化し、誰も疑わないような状況になってしまう――のはおかしい、と言っているのです。
 それがどうしても許せないというのであれば、女性側も女性優遇サービスなどはねつける気概を持つべきだし、ましてや「小さい」などと男性を罵倒するべきではありません。

 しかし……女性たちはそうした「女性ジェンダー」の業を超克することはおろか、まずは自覚的になる端緒にすらついていないように思われる。
 冒頭にぼくが「男性差別を甘受せよ」と言った理由はもうおわかりではないでしょうか。
 少なくとも女性たちは、「等しく経済的負担を負う」という「平等」を望んではいない。
 ならば少なくとも、女性が経済的自立を果たせないのは「企業社会の女性差別」などが原因ではなく、女性の側にモチベーションがないからとしか考えようがない。

 となると、男女がお互いのジェンダーに則した社会的役割を受け持つ社会こそが望ましいとしか言いようがない。 そうした社会ではすでに女性は「専業主婦」になることで優遇を受けており、社会からの優遇は今より少なくなると想像できる。
 そうした社会が現出したとしても、「女性優遇サービス」が「男性差別」であるとの原則論に変わりはありません。が、それでも全体的には男女ともにその幸福度は、今に比べてはるかに高いであろうということが、言えるわけなのです。

*2 「第2-2-6図 男女別にみた年収区分別の未婚率」『令和5年度 年次経済財政報告』
 (14028)

「第2-2-6図 男女別にみた年収区分別の未婚率」『令和5年度 年次経済財政報告』
兵頭 新児(ひょうどう しんじ)
本来はオタク系ライター。
フェミニズム、ジェンダー、非モテ問題について考えるうち、女性ジェンダーが男性にもたらす災いとして「女災」という概念を提唱、2009年に『ぼくたちの女災社会』を上梓。
「兵頭新児のnote」を運営中。

関連する記事

関連するキーワード

投稿者

この記事へのコメント

コメントはまだありません

コメントを書く