『週刊文春』のホンネはここにある!?

 前回、松本人志氏の性加害疑惑について書かせていただきました。
 パオロ・マッツァリーノ氏の論考がバズっており、しかしそれがあまりにおかしなものだったので、検討する形で考えを述べさせていただきました。

 が、『週刊文春』2月29日号では松本氏からの訴えに対する反論とも言うべき記事が掲載されました。同誌は松本氏から巨額の訴訟を受けており、それを記事のネタにした形です。
 今回は同記事を検討することで、前回あまり言及できなかった『文春』の記事の妥当性を考えるとともに、後半では前回取りこぼしたパオロ・マッツァリーノ氏の言い分のおかしさについても、補足を加えさせていただきたいと思います。

 さてまず、『文春』は松本氏が自分に関する一連の記事を「杜撰(ずさん)なもの」と非難したことに対し、慎重を期したものだ、と強調します。しかし読んでいくと、それは「なぜ、このタイミングで報じたのか」の説明へとすり替わっていくのです。

《それが何故、昨年末に大々的に報じるまでに至ったのか。理由は複数あるが、17年から世界的な拡がりを見せている#MeToo運動も無関係ではない》

 記事そのものが杜撰か否かは判断しかねますが、ここで#MeToo運動が出てくるあたり(また前回も指摘しましたが、今回もジャニーズ問題が引き合いに出されるあたり)には、妙なものを感じます。
 仮に松本氏が「絶対に悪い」と信ずるのであれば、時勢など考えずに告発すればよいのだし、悪意を持ってみれば、この言い方は「流行りだから」告発してみました、と言っているようにも読めるのです。さらに言うならば、近年のポリコレに「乗っかった」「勝ち船に乗った」というホンネをもらしているかのように、ぼくには思われます。

 2月15日号においても同誌は「《11人目の新証言》『SEX上納システムはある』女性たちが猛反論!」と題した記事を掲載しました。つまり、同誌はこの時点で11人の女性の声を採り挙げているのですが……では彼女らの中の何人が、松本氏からの「性被害」に遭っていると主張しているのでしょうか?

 実のところ、この中で明確に松本氏から「性暴力」を受けたと明言しているのは3人。残りの8人は「拒否して帰った」「断れなく応じた」と言っているのです。もちろん、それはそれで「松本氏の横暴さについて語る」という役割は果たしているのですが、このこと含め、一連の記事は「飲み会で大勢の女性を集め、お持ち帰りする」という松本氏の振る舞い自体を「まかりならぬこと」として糾弾している印象がします。

 問題とすべきことは上の3人への「強制」が本当かどうかのはずですが、性犯罪の有無と関係なく、放埒(ほうらつ)な性行動自体を「まかりならぬ」とする意志が、この告発キャンペーンから感じられるのです(これは前回ご紹介したパオロ氏の記事にも、強く感じられることです)。
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松本人志の言葉が躍る『週刊文春』(2024年2月29日号)の一部

見せしめにされた松本人志?

 第二に『文春』では弘中惇一郎弁護士の言葉を掲載しています。

《「はっきり言って、この訴状だけを見ても、いったい何が事実だったのかがよく分かりませんね」》
《「通常、訴状には何が事実で、何が虚偽なのかを書くものですが、この訴状にはそれが一切書かれていない。(松本が)女性たちと性的関係に至ったのかどうかも説明しておらず、強い違和感を覚えます」》

 なるほど、そもそも重要なのは、そこ(上には性関係の有無について書かれていますが、正確を期するなら強制性の有無)だろう、というのは確かに頷(うなず)けます。
 しかし……これはあくまで想像ですが、松本氏が今回の被害者とされている女性たちを特定できていないとするならば、どうでしょうか。事実、そのような推定をした記事もありましたし、何しろ事件は10年も前のことであり、また彼は今に至るまで相当数の女性とそうしたことをやってきたでしょうから、わからないというのも無理のない話です。

 弘中弁護士は、

《「だが、訴状では〈「性的行為を強要した」というレッテルが貼られた〉と主張するばかりで、具体的な反論はない」》

 と語りますが、上の仮定を導入すれば当然、具体的な反論はしたくてもできない。松本氏が「俺は常日頃から、女性に性行為を強いることなどしてはいない」と確信を抱いていたとしても、個別のケースについて問われたら、思わず口ごもってしまうのではないでしょうか。
 近年も伊東純也氏が似たような事件に巻き込まれ、女性側を訴えていますが、それもできないということになります。

 考えてみれば弘中弁護士も実績のある弁護士(何しろ〝無罪請負人〟の異名をお持ちだそうです)である以上、そうした(松本氏が相手を特定できない)ことに思い至っていないとは考えにくく、作為を感じなくもありません。
 もちろん、大勢の女性とそうした関係を持つこと自体は好ましいことではなく、身から出たサビとの考えもありましょうが、今の状況がそれに見合ったペナルティかは疑問です。ところが、そこを「いや、(強制性などなくても)破滅して当然の大罪なのだ」というのが『文春』やパオロ氏の考えなのではないでしょうか。


 以上は実のところ、松本氏個人に留まらない重要な論点をはらんでいるのです。
 性にまつわる法律が、次々と不可解なことになっていることは前回も(それ以前にも)述べました。ところがそれに留まらず、今月15日からは、起訴状などにおいて被告に被害者名を秘匿(ひとく)する制度が始まっているのです。つまり、いったん訴えられれば、被告は「誰に訴えられているかわからない」という、メチャクチャな状況で無実を証明せねばならないという状況が、すでに現代日本では現出してしまっているのです。

 松本氏の件はこれに非常に近く、このタイミングでそのテストケースであるかのように立ち現れたと言えます。
 あるいは、そのための見せしめの意味が本件にはあるのでは……と言いたくもなってきますが、それは陰謀論めいているとしても、本件がこれからの性犯罪についての訴えがどうなるかを占う上で、極めて重要だということは、言えるわけなのです。

故意にデマを垂れ流している

 ――さて、予告したようにパオロ氏についても述べておきましょう。
 彼の論考の乱暴さは前回記事をご覧になっていただきたいのですが、まだ重要な点で言及していない箇所がありました。

《日本の性犯罪認知件数が欧米に比べて少ないのは、犯罪が起きてないからではなく、そもそも警察が性犯罪被害の訴えを門前払いしてしまうからであり、裁判にまでこぎつけるのは被害全体の2%くらいしかないなどといった、法治国家とは思えない実態があります。こんな現状を知ったら、なぜすぐに警察に被害届けを出さなかったんだ、なんて気安くいえませんよね》

 これについては前回もデータを挙げ、間違っていると証明しましたが……では、そもそも、この2%という数字は、どこから出てきたものなのでしょう。
 ぼくもツイッター(X)上でご当人に質問したのですが、答えはいただけませんでした。いえ、直接の返答はいただけなかったのですが、ご当人のブログで補足記事的なものが書かれ、そこで述べられていました

 そのブログの内容、相も変わらず支離滅裂としか言いようがないものなのですが、肝心の「2%」については、舞田敏彦氏による『Newsweek』の記事、「法廷で裁かれる性犯罪はごくわずか......法治国家とは思えない日本の実態」がソースであると書かれていました。
 確かに、同記事には被害の中で裁判で裁かれるのは2%弱という数字が出ていますし、それは間違いではないのでしょう。しかし同時に舞田氏自身、その低い裁判率は女性が届け出ないことにこそ原因があると繰り返しているのです。

《大抵の被害者は泣き寝入りで、警察に行くことすらしない。勇気を出して警察に行っても、「よくあること」「証拠がないので難しい」と、被害届をつっぱねられる。この辺りのことは、伊藤詩織氏の著書『Black Box』(文藝春秋、2017年)に書いてある》

《多くの被害者が羞恥心や恐怖から警察に行けないためだが、女性警官の率を増やすなど、被害を訴え出やすい環境を作ることが求められる》

 つまり、被害者が起訴するまでにはいくつものステップがあるのは、舞田氏がグラフ(記事内のグラフも参照ください)にしている通りですが、それをパオロ氏は全て無視してしまっている。警察の受理数は5%足らずなのだから、最低でもこの数を持ち出すべきところを、2%としているのは、そもそもまともに記事を読めていないとしか思えません。
 しかし、仮に5%の数字を採用したところで、残り95%の中の多くは女性自身が警察に訴え出ないことが原因だというのが舞田氏の主張なのです。ところが、パオロ氏の文章は素直に読めば「ほとんどが警察に門前払いを食らっている」と解釈するしかないのではないでしょうか。

 上のパオロ氏の言い分をもう一度見て下さい。ことに最後の一文は、明らかに同氏がそう決めつけていると考えなくては、辻褄が合わないものです。

 では、舞田氏の記事にある『Black Box』はどうでしょう。確かに同氏は「多くの被害者が羞恥心や恐怖から警察に行けない」と言っていますが、同時に「被害届をつっぱねられる」ことも認め、そのソースとして同書を挙げています。
 ところが同書は、伊藤氏の個人的経験を書いたノンフィクションであり、系統だった統計などを示した本ではありません。確かに、読んでいくと警察への不信不満を述べる箇所に幾度も行き当たり、舞田氏が述べるような改善の余地はいくらもありましょう。

 が、結局同書では被害届は受理され、事実、被疑者の逮捕直前にまで漕ぎ着けているのです。全体的には性犯罪への警察や司法の甘さを酷烈(こくれつ)に批判する内容であり(ぼくも反論したい箇所は多いのですが)、伊藤氏は懸命に動いてくれた警官を「戦友」とまで讃(たた)えています。
 つまり、いずれにせよ、同書は「門前払い」の根拠としては全く成り立っていないし、その根拠にすることは伊藤氏への侮辱ですらあるでしょう。

 舞田氏も不誠実で不適切な記事を書いているわけですが、それをパオロ氏がさらに悪質な政治的意図で曲解したという伝言ゲーム――というよりは連想ゲームが行われていたわけです。
 ぼくはツイッター上で、この点についてパオロ氏にお伝えしたのですが、無視を決め込まれました。
 疑う余地はありません。パオロ氏は意図的に、悪意を持って読者をミスリードしようとしている、すなわち故意に嘘・デマを垂れ流しているのです。

『文春』キャンペーンの先に待つもの

 最後に、パオロ氏のブログ(ソースについて書かれた補足記事)についても突っ込んでおきましょう。
 彼は自身の記事への批判を、反論と呼べるレベルに達していないと切り捨てます。

《実際ツイッターに投げつけられた批判のほとんどは反論どころか、捨てゼリフと邪言ばかりです》

 まあ、同記事が書かれたのはぼくの前回記事の発表直前なので、それはこの中には入っていないのですが。

《女性蔑視や差別思想を持つ人たちは、性犯罪はすべて女性に落ち度があると決めつける傾向が強いのですが、そんな彼らにとって、フェミニズム社会学者は不倶戴天の敵なのです。彼らは『反社会学講座』をフェミニズムと社会学者を全否定した本だと誤読し、私のことを勝手に味方だとカン違いしたようです》

 なるほどなるほど、そうした愚かな人間がいるのですね。
 上にも書いたように、これはぼくのことではないでしょうが……。

《(引用者註・パオロ氏が自著で)亡国論や滅亡論は、自分が嫌いなものにおおげさなレッテルを貼ってるだけにすぎないとした上で、滅亡論をたくさん雑誌に寄稿してる悲観論者として、櫻井よしこ、中西輝政、渡部昇一などの名前をあげたところ、自分たちのアイドルをイジられたことに怒った女性蔑視論者たちが、手のひら返してパオロ・マッツァリーノを敵視するようになった――とまあ、こんなところでしょうか》

 はあ、本当にバカにはつける薬がありませんね。
 もちろんぼくのことではないでしょうが……。

《エゴサーチをすると、「パオロ・マッツァリーノは反社会学講座のころはよかったのに、東日本大震災以降、ダメになった」みたいな定型文で批判してるものをよく目にします》

 ほお、「定型文」という言葉の意味はわかりませんが、心ないことを言うアホがいるんですね。
 当然ぼくのことでは……。

《兵頭新児(冷凍)@『WiLL Online』読んでね。@Frozen_hyodo
パオロ・マッツァリーノ師匠、好きだったんだがこのところ(と言っても東北震災以降か)本当におかしくなった。(以下略)》


 あああぁぁぁっっっ!!!
 アホは俺か!?
 すみません、この時点ではパオロ氏に質問する予定もなく、好き勝手なことをつぶやいてしまいました。
 パオロ氏の心を傷つけるようなツイートだったかもしれません。

 しかしまあ、何というか、パオロ氏の思い込みの激しさも大概です。
 ツイートをたどっていただければわかるように、ぼくは上に続き、フェミ(にへつらうパオロ氏)を批判するようなことを書きました。しかし「性犯罪はすべて女性に落ち度があると決めつける傾向が強い」って何なんでしょう。そんなヤツがこの世にいるのか、極めて疑わしいとしか思えません(いえ、パオロ氏は仮にぼくの記事を全部読んだ後でも、兵頭新児がそうなのだと断言しそうですが……)。

「自分たちのアイドルをイジられたことに怒った女性蔑視論者たち」というのもすさまじいですね。
 ぼくはこの中では渡部氏の対談本を一冊読んだことがあるくらいなのですが(不勉強ですみません)、この人たちのファンって、みんな「女性蔑視論者」なんですかね。
 まあ、お腹立ちなのもわかるので揚げ足を取るのは野暮かもしれませんが、しかし、こうした党派性、自分の意に反する者は女性蔑視論者なのだと短絡することで勝った気になる幼稚さこそが、自分たちが軽蔑される理由であると、パオロ氏には一度考えていただきたいところではあります。

 さて、上の記事は繰り返すようにぼくの記事が発表される前のものですが、記事の発表後、パオロ氏にそのことをお報せしました。
 しかし大変残念なことですが、お返事はいただけませんでした。
 ほかの方による、(単純ミスだと思われる、つまりパオロ氏側が正しいと容易に反論し得る)批判に対してはツイッターで反論なさっていたにもかかわらず、ぼくに対しては無視を決め込んでいる。つまりその点に関しては、パオロ氏は反論敵わないのだと認めたも同然ですね。

 果たして、こうした不誠実な論者たちのバックアップによって行われている『文春』のキャンペーンの先に待つのがいかなるものか。
 先にも述べたようにリクツも何もなく、ただ女性の言い分に首肯し、そうしない者は全て女性蔑視論者として罪をでっち上げられ断罪される社会――なのではないでしょうか。
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兵頭氏のポスト(2024年2月3日)
兵頭 新児(ひょうどう しんじ)
本来はオタク系ライター。
フェミニズム、ジェンダー、非モテ問題について考えるうち、女性ジェンダーが男性にもたらす災いとして「女災」という概念を提唱、2009年に『ぼくたちの女災社会』を上梓。
ブログ『兵頭新児の女災対策的随想』を運営中。

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