令和元(2019)年は、やはり「歴史の分岐点」となった。そのことを指摘してきた私は、改めて歴史の重みを噛みしめている。
 100年前の1919年は世界史の中でも画期的な年だった。第1次世界大戦が終結し、パリでヴェルサイユ講和会議が開かれた年だからではない。そこで人類史上、初めて「人種差別撤廃」が提案された年だったからである。人類の歴史とは、支配する側と服従する側との抗争と葛藤のそれでもある。武力によって、肌の色によって、文化の高低によって……さまざまな点で差別が横行し、悲劇の時を刻んできたのが人類の歴史だ。

 しかし、ヴェルサイユ会議で初めて人種差別撤廃が提案されたのだ。提案したのは、わが日本である。
 白人が世界を支配する中、黄色人種である日本はこれを打ち破るべく、敢然とこの普遍的真理を国際会議で主張した。だが当時の国際社会で、アジアの小国・日本の意見が通るはずはなかった。
 欧米にとって〝小賢しい日本〟は、それら人種差別大国から激しい非難を受け続け、第2次世界大戦で310万人もの犠牲者を出した上で敗戦を迎えた。だが、人種差別撤廃を国際社会に訴えた偉業は歴史から消えない。

 その100周年にあたる2019年、まさに自由と人権、そして差別に対する闘いが火を噴いた。特に、香港で起こった中国への民主派の抵抗運動は歴史に特筆されるものだ。6月16日の「200万人デモ」、そして11月24日の香港区議会議員選挙の「地滑り的圧勝」は、自由と人権を求める人類の闘いとして、間違いなく歴史に刻まれるものだろう。
 そして国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)が中国共産党の内部文書によって、中国政府が大規模監視システムを駆使し、わずか一週間で1万5000人のウィグル人を収容所送りにし、中国語を強制するなど人権弾圧を加え、習近平氏が「ウィグル人に情け容赦は無用」と督励したことも暴露した。
 中国に対して無条件の国連監視団受け入れ要求や非難声明が英、仏、独などから出され、米では下院でウィグル人権法案が議論され、可決された。

 ああ、やっぱり〝歴史の分岐点〟だった──。私は一連の動きを見ながら、さまざまなことを考えた。輪廻という言葉があるように「100年」の時を経て、やはり世界で差別や抑圧に対する闘いが本格化したことに思いを馳せたのである。
 すでに2019年10月、アメリカのペンス副大統領が米国民に「人権を弾圧する邪悪な中国共産党と闘おう」と演説で呼びかけ、前年の米中貿易戦争への宣戦布告に次いで人権戦争の発動を内外に宣言している。ヴェルサイユ体制100年後の世界は、かくして「人権をめぐる闘い」に突入したのである。

 だが、当の日本はどうだろうか。欧米各国が中国の人権弾圧を糾弾する中、安倍政権は習近平氏の国賓来日の準備を着々と進め、国会は香港の自由と人権に対する闘いへの支援決議も、ウィグル人権問題への非難決議も何ひとつできなかった。
 いや、国会は、総理主催の「桜を見る会」なるものに貴重な時間と税金が費やされ、国会と国会議員の「使命」と「責任」は全て忘れ去られたかのような様相を呈した。
 歳費をはじめ、国会議員には平均すると1人当たり年間1億円超の税金が投じられている。自身の給料はもちろん、公設秘書の給料や文書費など活動費を合わせた額だ。果たして日本はこの歴史の分岐点にその使命を果たすことができるのだろうか。

 臨時国会が終わる2019年12月9日、香港では6月9日から始まった大規模抗議デモからちょうど「半年」の節目を迎えていた。前日(12月8日)のデモには80万人の市民が参加し、
「昨日のチベット、ウィグル」
「今日の香港」
「明日の台湾」
 そんな幟が掲げられた。香港でこの半年で拘束された市民は6022人。年齢は最年少が11歳、最高齢は84歳で、警察が撃ち込んだ催涙弾の数は実に1万6000発に及んだ。だが、自由と人権をかけて中国の弾圧と闘う彼らの気迫と闘志は、いささかの衰えも見せていなかった。

 100年前の日本人の偉業と、その先人の業績を無にする現在の国会議員やマスコミの姿を見ると、日本はやがて滅びるのではないか、と情けなくなる。

門田 隆将
1958年、高知県生まれ。作家、ジャーナリスト。著書に『なぜ君は絶望と闘えたのか』(新潮文庫)、『死の淵を見た男』(角川文庫)など。『この命、義に捧ぐ』(角川文庫)で第19回山本七平賞を受賞。最新刊は、『新聞という病』(産経セレクト)。

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