ゼロリスク神話

 資源に乏しい我が国のエネルギー安全保障、さらに二酸化炭素(CO2)をはじめとする温室効果ガス(GHG)削減へ向けた世界的な動きをみれば、原子力発電の必要性は明らかです。にもかかわらず、原発再稼働へ向けた動きは遅々として進んでいません。その大きな理由として、3.11以降、反原発派と一部メディアがつくり出した「原子力=悪」という空気が醸成されてしまったことが挙げられます。
 
 官邸は「世界で一番厳しい基準をパスした原発は再稼働させる」と通り一遍のメモを読み上げるだけで、自ら主体的に動こうとしません。票を失うことを恐れているのか、国会議員も原発再稼働の必要性を理解していながら声を上げない。その結果、原発推進に慎重な学者から構成される原子力規制委員会と、官僚組織の原子力規制庁に丸投げされている状態です。

 大型航空機の衝突やテロに備える特重施設をめぐる議論からもわかるように、規制委の下で〝牛歩審査〟がまかり通っています。

 チェルノブイリ事故やスリーマイル島事故の後、旧ソ連やアメリカで、すべての原発が停止するなどということはありませんでした。事故の教訓を生かし、より安全な原発づくりに役立てるというのが国際社会の常道。ところが日本だけ、リスクと確率論を冷静に理解することができていません。

 ゼロリスク神話に囚われた規制委・規制庁からは、世界標準に合わせた合理的な規制を導入しようという姿勢が微塵も感じられません。電力事業者に対して、ひたすら厳しい態度で臨んでいれば大衆世論の支持が得られると勘違いしているのではないでしょうか。

 その結果、原発の安全対策費は増え続けています。東京電力で1兆2000億円、関西電力で1兆円、九州電力で9000億円を超えるという試算もある。加えて、原発再稼働の遅れを埋めるための火力発電比率の高止まりで、化石燃料の輸入も高水準となっている。
 
 膨大な国富が、年間数兆円規模で失われているのです。巨額の費用は、電気料金として一般消費者に重くのしかかっています。さらに、旧民主党政権下で導入されたFIT(固定価格買取制度)の負担も大きい。エネルギー政策の迷走によって損を被るのは、私たち国民にほかなりません。

政治家が覚悟を持って

<span> 再生可能エネルギーは、バッテリーの開発など多くの課題を抱えています。技術的なハードルが高いといえます。対して原発は、技術的な問題はすでにクリアしている。つまり、政治的な問題といえるでしょう。したがって、この状況を打破するためには、政治家が覚悟を持って立ち上がるしかありません。

 では、具体的に何をすべきか。私は、「原子力正常化臨時措置法」の制定を提言しています。具体的には以下のような順序で再稼働のプロセスを踏めばいいのではないでしょうか。

①再稼働の優先度の高い原子炉を抽出する
②世界標準に合わせた合理的な審査項目を限定列挙する
③それらについて、1年以内で事故発生確率を一定水準以下にしたうえで再稼働を決める
④優先度の低い原子炉については、継続か廃炉かの判断を立地自治体と再協議する

 新規制基準を満たすための工事期間に相当の猶予期間を設定しながら、以下のような条件付きで再稼働を認めるのです。

① フィルターベントの設置
②津波襲来時でも電源喪失しないため、電源強化と原子炉建屋・タービン建屋の水密化
③原子炉建屋・タービン建屋の直下に活断層がないことを確認(取水口付近に活断層が見られても可搬ポンブ車両などの配備があれば冷却可能と同等視)
④緊急時対策室の設置(福島第一原発で実績のある免震タイプでも可)

 これは、規制委による新規制基準を否定するものではありません。再稼働後、10年以内に適合させるべきものとして尊重すればいい。原子炉の稼働と新規制基準の適合に向けた審査・工事は、世界中で当たり前に行われていることです。

地域振興のチャンス

 規制委の了承を得た原発は、都道府県知事の同意を得たうえで再稼働されることになっています。この点についても、政治家が積極的に動かなければなりません。

 例えば、首相や官房長官が柏崎刈羽原発を抱える新潟県や浜岡原発のある静岡県を訪れ、「今ある原発を使い切りましょう」と説得すれば、知事も地方議会も最終的には協力してくれるはずです。

 原発や再処理施設の受け入れに、住民が不安を感じるのは当然です。その一方で、現地では意外な反応を耳にすることがあります。私は民間人なので、講演会でお金の話もしますが、現実問題として考えたとき、立地地域に対する交付金などが重要なモチベーションになることは事実でしょう。

 自治体首長にとって最大の仕事は、地域振興にほかなりません。原発のリスクを過大評価しすぎるあまり、地域経済を潤すチャンスを逃すのはもったいないと思います。原発や再処理施設を置くリスクを負担する代わりに、それをはるかに上回る恩恵を受けることができるからです。首長や地方議員は、「国と交渉して勝ち取ったもの」を住民にアピールすれば、住民の支持も取り付けられるのではないでしょうか。

 官僚や政治家、電力事業者は、いずれも「先例のないこと」をやりたがりません。しかし、国民が原子力について正しい知識を得るためには、大胆なやり方で情報発信することも考えるべきではないでしょうか。

 例えば、福島第1原発の処理水を海洋放出することは、何ら問題ありません。ところが、メディアが「汚染水」と誤って報じることもあって、いまだに危険なイメージが払拭(ふっしょく)できずにいます。
 
 私自身、福島で処理水を扱う施設を訪れ、処理水の安全性を身をもって体感しました。ただ、国民がわざわざ福島まで行くのは難しい。そこで、処理水を東京や大阪の繁華街やビジネス街、さらには永田町や霞が関に運び、まったく人体に害はないことをアピールする。まさに百聞は一見にしかず。資料を読むより、感覚で安全性を理解してもらうべきなのです。

 ほかにも、最終処分場の設置に際して、活断層の有無が高いハードルとなっています。ですが、使用済み燃料を保管するキャスクを自分の手で触ってみれば、地震が起きたくらいで燃料が漏れることはないことがわかる。処理水と同様、感覚に訴えるのが効果的です。

 ちなみに、日本の再処理施設では建屋の内部にキャスクが置かれていますが、アメリカではキャスクが野ざらしで放置されています。「ハリケーンに襲われても大丈夫ですか?」と聞く
と、「いったい何が問題なのか」と不思議な顔をされました。

理想ばかりでなく

 昨年、サウジアラビアの石油施設がドローン攻撃を受け、石油価格は20%上昇しました。また今年になって、アメリカとイランが一触即発の事態に陥ったことはご承知の通りです。中東情勢によっては、再び石油危機が訪れる可能性を想定しておかなくてはなりません。

 根拠なき楽観は禁物です。例えば中国が南シナ海を封鎖したらどうなるか。エネルギー政策は安全保障にかかわる問題、つまり自治体レベルでなく国家レベルで取り組む必要があるのです。

 エネルギー基本計画では、2030年度の原子力の電源比率を20~22%に設定しており、国際社会と協調して取り組むGHG削減も、原発を再稼働させることなしには実現できません。
 
 小泉進次郎環境大臣は、事あるごとに「脱炭素」と口にしています。その一方で、天然ガスが高騰している現状がある。これ以上、国民に高い電気料金の負担はかけることはできないわけですから、理想ばかり掲げるのではなく、国民経済を考慮した現実的な電源構成を検討しなければなりません。

 CO2が地球温暖化の原因とされている以上、原子力と再エネの組み合わせしか選択肢はないのです。脱化石燃料は原子力なしに実現不可能です。小泉大臣は、環境省の役人に丁寧なレクチャーを受けるべきだと思います。

シナリオを提示せよ

 経済合理性を考えれば、やはり既存の原発を活用する方向に進んでいくことが望ましいことは言うまでもありません。

 旧民主党政権が原発の運転期間を40年間と決めてしまいましたが、科学的根拠がない数字です。税制・会計的な側面からはじき出されたものにすぎず、技術的な面が考慮されていません。事実、アメリカは一部の原発について、寿命を80年に延長していますし、ロシアでも60年の稼働が認められています。

 かりに廃炉にするにしても、コストはかかります。本当に止めるシナリオをたてて費用対効果を計算し、廃炉へ向けたシナリオを提示する必要があります。長期化している審査期間を除外して60年まで寿命を延長し、フル稼働する。震災前の水準まで電気料金を下げ、余った利益は再エネ普及のための送電線整備やバッテリー開発に投資すればいいのです。

 国民が納得できるような、現実的、科学的なエネルギー政策が提示されることを願っています。


石川 和男(いしかわ かずお)
社会保障経済研究所代表。1965年生まれ。1989年、東京大学工学部卒業後、通商産業省(現経済産業省)入省。エネルギー政策、産業保安政策、産業金融、割賦販売・消費者信用、中小企業、行政改革など各般の政策に従事する。2007年退官。2008年、内閣官房企画官。規制改革会議ワーキンググループ委員、専修大学客員教授、政策研究大学院大学客員教授、東京財団上席研究員などを歴任。著書に『原発の正しい「やめさせ方」』(PHP新書)、『多重債務者を救え!貸金業市場健全化への処方箋』(PHP研究所)などがある。

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