筆者も温暖化の研究をして久しく、眞鍋理論にはもちろんお世話になった。また先生は同じ東大の理学部で物理学を学んだ大先輩でもある。筆者は直接の面識は無いが、親交のあった方を何人か知っていて、その方々から聞いた先生の真摯な研究姿勢に好感を持っている。当然、研究者としての眞鍋先生を日本人として誇らしく思っている。
だけれども、今回のノーベル物理学賞に関して言えば、それを政治利用しようとする人々のエゲツ無さが鼻について、どうも素直に喜べない。
なぜなら、その政治利用たるや、極めて有害であるのみならず、眞鍋先生のご意思には真向から反するものばかりだと思うからだ。この「政治利用」、一体どういう人達がやっているのか。
利用者1:気候危機を煽りたい人達
そのような意見を背景に出てくるのが、「眞鍋先生は気候危機を訴えた(そしてノーベル賞を受賞した)」という見出しである。
けれども、プリンストン大学での受賞記者会見(朝日新聞による邦訳)を聞けば分かるが、この会見を「気候危機を訴えた」ものと要約するのは適切ではない。
確かに「危機 crisis」という単語も一度か二度は使った。
けれども、「温暖化が大問題になると思って研究を始めたのか」と聞かれると、「それは違う、好奇心(curiosity)から研究をしたのだ」、と述べている。この「好奇心」こそが会見のキーワードで、何度も出てきた。気候危機を訴えたのではなく、眞鍋先生は、すぐ何かの役にたつものばかりではなく、好奇心に導かれる基礎研究の重要性を訴えたのだ。
利用者2:地球温暖化の「科学は決着した」と言いたい人達
けれども、それは違う。
眞鍋先生がしたことは、幾つかの仮定の下で「CO2が増えれば気温が上昇する」という大気科学についてのシミュレーションの先駆となった。これは重要な功績だった。
けれども、眞鍋先生に続く多くの研究でも、CO2でどの程度気温が上昇するかという予測は誤差が大きいままだ。そもそも、過去の再現すらろくに出来ていない。
そして何よりも、「科学は決着した」などという態度は、眞鍋先生の信条とは全く逆のことだ。
本当に科学を探究する人は、自らの研究の弱点を認め、異論を喜んで聴き、議論を戦わせることを楽しむのだ。
やはり眞鍋先生と親交のあった筑波大学の田中先生も、眞鍋先生はまさにそのような人だったと話している。
試しに、眞鍋先生に、「地球温暖化の科学は決着したのですか?」と聞いてみれば良い。きっと、言下に否定するだろう。
利用者3:大急ぎで「脱炭素」したい人達
だが眞鍋先生の受賞にかこつけて、この目標を正当化したがる人々がいる。
けれども、下記のダイヤモンド誌での眞鍋先生の発言を読むと仰天するだろう。
「温室効果ガスだけを取り出して対策を立てるより、大気汚染をはじめとした地球環境問題全体としてとらえるほうが賢明ではないかと思う。たとえば石炭を燃やせば、CO2だけでなく、亜硫酸ガスも窒素酸化物も排出される。これらは大気汚染の元凶であり、酸性雨の原因にもなる。そう考えると石炭を燃やさないのが理想で、これに代わる水素などのクリーンエネルギーをいかに開発していくかが重要なポイントだ。将来のテクノロジーに投資すべきカネが、今のCO2削減に使われるのが真に効率的かどうか大いに疑問が残る」
さすが、実に合理的な意見だ。例えとして水素に言及しているが、要は、CO2を出さないエネルギー技術の開発に投資することが大事で、今すぐ排出を減らすために大金を使うのは無駄だ、ということだ。
利用者4:大型予算を欲しがる人達
今回の眞鍋先生の受賞を受けて、同じような動きをする人々が出てくるだろう。だがじつは、そのような日本式の研究体制こそ、眞鍋先生が最も嫌うところなのだ。
以前、眞鍋先生は一度日本に招聘されて、地球フロンティア研究システムで4年間を過ごしている。けれども、日本的なやり方と合性が悪く、米国に戻ってしまった。
帰国に至った理由を眞鍋先生はくわしくは語っていないが、米国への帰国直前にダイヤモンド誌が行ったインタビューで、記者はこのように書いている:
「日本は大御所といわれる先生のもとには多くのカネがつき、気に入られた子分だけにカネが流れる仕組みだ。
そこには、米国流のピア・レビューが働かない。日本では相手を批判すると面子をつぶすのではないかと恐れ、研究で最も重要な建設的批判が起こらない。お互いに批判を水際で止めて曖昧にしてしまうため、そこそこの研究成果で満足し、大きなブレークスルーにつながる芽を摘んでしまっている。
真鍋にしてみれば日本の現状がなんとも歯痒くて仕方がないようだ。」
もし眞鍋先生の受賞を契機に何かを日本が試みるならば、従来の日本型のシステムではなく、予算が潤沢で、好奇心に導かれて自由闊達に研究できるような、懐の深い研究所を造ることがよいのではないか。
それに加えて、これまで削られ続けた、大学で自由に使える基礎的な研究予算は増額すべきだろう。
他方で、眞鍋先生が最後まで馴染めなかった、行政主導の時限型大型研究プログラムは縮小すべきだ。特に温暖化に関連する分野では、近年になって「気候が危機にある」という「政治的に正しい」答えを出すことを陰に陽に要求されるようになっている。このような結論ありきの研究が、科学の健全な発展を阻害している。
※なお、温暖化研究をはじめとした日本の科学研究体制の問題点や今後の在り方については拙著に詳しく書いたので参照されたい。
利用者5:言論弾圧を目論む人達
そして、グーグルとユーチューブがまさにそのような方針を取るという決定を下したことを池田信夫氏らが紹介している。
このグーグルとユーチューブの決定は、眞鍋先生がノーベル賞を受賞した直後に行われた。これは果たして偶然なのだろうか?
地球温暖化についての「確立された科学」など、殆ど無い。地球の気温は200年で1℃近く上昇したようだがこれすら誤差が大きい。CO2に温室効果はあるが、この誤差はとても大きい。
以上のことはIPCCもはっきり認めている。
だが今後、我々を待ち受けているのは、気候危機論者の政治的信条に反する言論への弾圧なのではなかろうか。
これではガリレオ時代の宗教裁判の復活だ。
かかる反科学の行為に政治利用されると知ったら、議論を愛する生粋の科学者である眞鍋先生は愕然とするだろう。
利用者6:リベラルな政治勢力――ノーベル賞委員会
チェコ人の素粒子物理学者ルボシュ・モトルが今回のノーベル物理学賞を猛烈に批判している。少々長いが、以下引用する。
“ノーベル物理学賞は死んだ。
他のノーベル賞、特に平和賞や文学賞は、テロリストや共産主義者が受賞したという実績がある。理由は、左翼や西欧嫌いの人々の間で人気があったからだ。今は亡きテロリストのアラファトの受賞は典型例だ。オバマは、実質的なことを何もせず、何十もの戦争を始める前に、平和賞をもらった。アル・ゴアは、破滅的な地球温暖化についての不正なパワーポイントのプレゼンテーションで受賞したが、これは大量の不正直な左翼がこの種の反科学的な嘘を愛したからだ。
しかしこれまでのところ、科学的な賞、特にノーベル物理学賞は、この有害で価値のないゴミからほぼ守られていた。しかしこれももう終わった。2021年のノーベル物理学賞を真鍋淑郎氏とクラウス・ハッセルマン氏が受賞したからだ。
・・・
この賞が正当化された理由は絶対に許せない。この賞は、アル・ゴアのような純粋な詐欺師に与えられるノーベル平和賞の正当化とほとんど同じような流行語(特に「地球温暖化」という無意味な迷信的フレーズを意味する)によって正当化された。
ノーベル賞は自殺した。私はノーベル賞の話を二度と聞きたくない。
この賞の政治的動機は100%明らかだ。科学の中でも最も難しい学問である物理学が積み上げてきた信用を盗み、現代の最悪の疑似科学的迷信の一つに与えるために、これらの人々が選ばれたのだ。“
リベラルのアジェンダである地球温暖化対策を推進するために、ノーベル物理学賞が利用されたのではないか、という意見である。
平和賞や文学賞のリベラルな党派性はすでに明らかだった。それがいよいよ物理学賞にまで及んだということだろうか。
眞鍋先生は政治に巻き込まれることを好まない方だと評されている。いま、さまざまな政治利用を目の当たりにして、いったいどう感じておられるのだろうか。
キヤノングローバル戦略研究所研究主幹。温暖化問題およびエネルギー政策を専門とする。産経新聞・『正論』レギュラー寄稿者。著書に『脱炭素は嘘だらけ』(産経新聞出版)、『地球温暖化のファクトフルネス』『脱炭素のファクトフルネス』(共にアマゾン他)等。