こっちに来いよ 素敵なヴァージニアへ
-Come on, honey child, I beg of you
俺の恋人よ お前が必要なんだ
(Sweet Virginia :The Rolling Stones)
ビートルズと同じ1960年代に活躍し、今なお活動を続けるロック界の生ける伝説、ザ・ローリング・ストーンズの1970年代の名曲、「スウィート・ヴァージニア」の歌詞だ。
前回の投稿では、オバマ政権時代に私が住み働いたアメリカの首都、ワシントンDCの異変をお伝えした。しかしワシントンDCにアメリカ社会全体を代表させるのは、いささか無理がある。超大国の首都は、アメリカの他の都市とは全く異なる、極めて特殊な街なのだ。
「普通の街」では今何が起きているのか。世界史に残る悲惨な年となった2020年を閉じるに当たって「アメリカの今」を目撃するため、私は2020年の年の瀬、70年代のストーンズが讃えたヴァージニア州の古都に車を走らせた。
黒人を巡るアメリカの原罪
イギリスとの独立戦争に勝利したアメリカは1783年、建国を宣言した。生まれたばかりのアメリカ合衆国は、1789年暫定的にニューヨークに首都を置き、翌年にはペンシルバニア州フィラデルフィアに移したが、 同時に恒久的な首都建設を決意する。この決断は、アメリカという国のDNA的分断と深い関係がある。
建国前の植民地時代から、アメリカは経済的社会的に全く異なる2つの地域の寄り合い所帯だった。イギリスとの独立戦争を戦った13州のうち、ヴァージニア州など南部5州は黒人奴隷を労働力とする植民地プランテーション(大規模農場)が発達していたのに対して、北部の8州は奴隷制に依拠しない工業や農業を主産業としていた。
ここで注意しなければならないのは、奴隷制に立脚していた南部だけが、「黒人抑圧」「人種差別」といった、現代的価値観に照らして不適切な、身勝手な論理に染め抜かれていたわけではないという事である。
工業が発達つつあった北部各州が求めていたのは、工場経営に有利な浮遊労働層だった。これに対して南部のプランテーションでは、労働者が「年季労働」として安定的に雇用されていた。
必要な時にすぐに集められいつでも解雇できる、いわば「使い捨ての労働力」が潤沢にある格差社会こそが、北部の工場経営を支えた。奴隷解放を求めたのは決して人道的な立場からだけではなく、「非正規雇用の爆発的増加」という実利を狙ったものだった。
こうした南北の我欲的対立を抱えていた18世紀末の新国・アメリカは、地理的に南北のどちらを利する事もないよう、ちょうど中間地点に首都を置かざるを得なかったのだ。だからこそアメリカの首都は北部州の南限にあるメリーランド州と、南部州の北限にあるヴァージニア州との間に建設された。
黒人という被支配層を巡って、アメリカ社会が建国当時から実利的に分断されていた動かぬ証拠が、ワシントンDCなのである。
こうした「南部でも北部でもない」事を宿命づけられたワシントンDCは、政治的にも極めて特異な街だ。域内だけで全米24位、首都圏全体では全米4位という人口を抱える大都市にもかかわらず、ワシントンDCは連邦議会には議席を持ない。
そして人口の半数以上を黒人が占め、貧困層・非識字層の割合も全米でトップクラスだ。一方で、LGBTを自認する人は人口の9%と突出して高い。
党派的には伝統的にリベラルが極めて強く、今回の大統領選挙でも、バイデンの得票率は92.1%で、5.4%のトランプを文字通り圧倒した。典型的ブルーステイト(民主党の強い州)であるカリフォルニア州ですら63.5%vs34.3%だから、ワシントンDCがいかに特異な街かがわかる。
ヴァージニアの原罪
そしてメイフラワー号がアメリカに到着する1年前の1619年、ジェームズタウンに木製の首枷を嵌められた東アフリカ出身の20人の黒人が到着した。彼らこそ、北米大陸最初の黒人奴隷だった。
その後ヴァージニアではタバコや小麦、トウモロコシのプランテーション(大規模農場)が隆盛を極め、多くの黒人奴隷が労働力として使われた。リッチモンド港は奴隷貿易の最大受け入れ拠点となった。当時のダウンタウン15番街には数十もの奴隷オークション会場や奴隷商人の事務所が並んでいたという。
ヴァージニアとリッチモンドこそ、現代アメリカ発祥の地であると同時に、アフリカ各地から意に反して奴隷として連れてこられた黒人の、長きにわたる受難の始まりの地でもあるのだ。
ニューポートのヴァージニア上陸から150年。イギリスからの独立を目指して戦われた独立戦争で、アメリカ建国の父パトリック・ヘンリーが「自由を与えよ。然らずんば死を」と国民を鼓舞する有名な演説を行ったのも、リッチモンドのセント・ジョン教会だ。理不尽な課税を繰り返す宗主国に対しては、経済的基盤の異なる南北各州も一致して戦う事ができた。
しかしそのわずか70年後、黒人奴隷を巡る利害の衝突によって1861年、必然的に南北戦争が勃発した。ヴァージニアは南部11州が分離・建国した「アメリカ連合国」の盟主として、奴隷制存続をかけて先頭に立って戦った。
そう、アメリカはわずか160年前、黒人の扱いを巡って2つの国に分かれ、激しく戦争をしていたのだ。
「ブラック・ソドム」
1964年に公民権法が制定され、ようやく制度上の黒人差別が撤廃されたが、次にヴァージニアを襲ったのは治安の激しい悪化だった。
リッチモンドは1970年代以降荒れに荒れた。街にはあらゆる麻薬が溢れ、殺人事件の発生率では全米一二を争った。ストーンズがヴァージニアを甘く歌い上げたのは、正にこの頃だ。
-Tryin’ to stop the waves behind your eyeballs
目玉の裏で波打つものを抑えなきゃ
-Drop your reds, drop your greens and blues
赤や緑や青をキメよう
(Sweet Virginia :The Rolling Stones)
眼球の痙攣は麻薬の禁断症状だ。赤はバルビツール酸系の強力な睡眠薬、緑は覚醒剤の主要成分であるアンフェタミンを含むデキセドリン、青はアヘンから合成されたロキシコドン。いずれも当時のリッチモンドの街角で売られていた、深刻な依存症と精神錯乱を誘発するカラフルな錠剤の事だ。
街にはジャンキーが溢れ、荒んだ街角では衝動的な殺人事件が毎日のように起きた。そして殺すのも殺されるのも、8割が黒人だったという。
しかし21世紀に入ると、IT産業の取り込みに成功したヴァージニアには富裕層も回帰し始め、リッチモンドの治安も急速に回復した。今やヴァージニア州はIT技術者の集中度ではシリコンバレーを擁するカリフォルニアを凌駕し、全米第一位を誇る。2006年には半導体チップの輸出額が、従来の基幹産業だったタバコと石炭の輸出額を組み合わせたものを超えた。今ではバージニア北部に設置された複数のデータセンターが、アメリカの国内通信の50%以上を処理するようになった。
現代のリッチモンドは、周辺部も合わせて120万人そこそこだから、日本の広島市と同じ規模だが、街を歩いた印象は日本の主要な地方都市よりはるかに小さい。それでも、高台に聳える州議会議事堂から見下ろす街並みは活気に満ちて、アメリカの古き良き南部の風情を色濃く残している。
私はワシントン支局長時代の2015年頃、何度か取材でこの街を訪れた事がある。ワシントンDCの高慢でギスギスした雰囲気とはうって変わって、街の人は皆親切で、街頭で話しかけるとほとんどの人が足を止めて、アジアのテレビ局の取材を物珍しげな顔をしながら快く受けてくれたのを思い出す。
しかし2020年末のリッチモンドは、全く違う街に変わり果てていた。
クリスマスの後の年末、いつもならアメリカの繁華街は年末の食品や日用品、年始の仕事始めや学業再開に備えた買い出しで、多くの人出で賑わう。
しかし今年は州の指示で全てのレストランと、多くの小売店の対面営業が禁止されているため、リッチモンドは文字通りゴーストタウンと化していた。1番の繁華街ですら、高級ブティックのネオン装飾は電源が落とされ、代わりに貼り出されていたのは、やはり「BLM=Black Lives Matter」の手書きの貼り紙だった。
私が近づくと、彼らは弄んでいた携帯電話から一斉に顔を上げて、陰鬱な目で私を睨みつけた。日本からの闖入者に絡みつくねっとりとした視線に、1980年代の「ジュリアーニ前」のニューヨークで、黒人集住地・ハーレムを歩いた時の寒々とした恐怖に似た殺気を感じた。
別の通りでは、黒人の老人が歩道脇のベンチに独りで腰掛け、何をするともなく佇んでいる。よく見ると、あちこちのベンチがフードをスッポリと被った孤独な黒人老人に占領されていて、単に侘しいというより、街全体が静かな怒りに満たされていた。
荒んだ厳しい嵐の冬を耐え忍んでも、
-And there's not a friend to help you through
支えてくれる友達は一人もいない
(Sweet Virginia :The Rolling Stones)
「ACAB」が象徴する陰鬱な新年
行き場を失った黒人に占領されたようなゴーストタウンで、たまたま通りかかった白人の中年男性に声をかけると、「あぁ、これね。」と言いながら立ち止まってくれた。
「『全ての警官はクズだ』というフレーズの頭文字を並べたものなんだ。この落書きが街に溢れてから、リッチモンドはすっかり変わってしまったんだ。」
「All Cops Are Busters」の頭文字を取って「ACAB」。そのアルファベットを数字に置き換えれば「1312」となる。
年末だというのに出歩く白人はほとんど見当たらず、表でたむろする黒人も見るからに手持ち無沙汰だ。活気の消えた閑散とした街を埋め尽くしていたのが「ACAB」や「1312」という落書きだった。
リッチモンドに住んで30年経つというこの公務員男性にとっても、こんな年越しは初めてだという。
「コロナのせいだけじゃない。BLM以降、何かが根幹から変わってしまったんだ」
「今や、白人は黒人を恐れ、黒人は白人を憎んでいる。そして、コロナで経済が疲弊する中、黒人の権利を主張するBLMによって黒人貧困層が仕事を失い、街に溢れて敵意を剥き出しにしている。」
「我々が長年培ってきた温かい南部気質の喪失を象徴するのが『ACAB』の落書きなんだよ」
淋しい笑顔で別れを告げた彼は、吹き荒ぶ強風に体を丸めて足早に去っていった。
しかし2020年末のリッチモンドが見せた殺伐とした表情は、長く暗い季節の到来を暗喩しているように見えてならなかった。
「全ての警官はクズだ」
「警察を解体せよ」
「警察を壊滅せよ」
都市の安寧に不可欠な存在であるはずの警察そのものを憎悪し、テロ行為を煽る落書きが街の角という角を埋め尽くす。そして南北戦争で解放された黒人奴隷の末裔が、自警団のように街角を占領して睨みを効かす。
リッチモンドに充満する不穏な空気は、アメリカという国家と、州政府というオーソリティに対する、積み重ねられた宿痾と憎悪以外の何者でもない。
南北戦争の160年後の2020年、アメリカはまた内戦に突入したのだ。その戦争の本当の敵はおろか、味方すら誰にも見えない。
はっきりしているのは、今回の戦争もメインイシューは黒人の地位であり、そして謎めいた戦争の最大の被災者も、黒人貧困層に他ならないという、救いようのない事実だ。