進次郎ですら「菅支持」
憲政史上最長となった第2次安倍政権の終焉が間近に迫っている。
各界に衝撃を与えた安倍総理の辞任会見から、10日余り。自見党総裁選は中盤にさしかかったが、後継は、菅義偉官房長官の圧勝に終わりそうな雰囲気が日に日に増している。
早々に、河野太郎防衛相支持を表明した小泉進次郎環境相も、6日、
「菅さんのイメージは安定や継続というより、菅さんイコール改革だ」
と、河野支持などなかったかのような発言とともに、菅支持を表明した。
父・純一郎元総理と異なり、自民党的な政治家に着々と成長している姿をさらしている進次郎議員には、父の威光でできたイメージ先行型の議員で、牙のない子ライオンのような印象しか、もはや持てない。
彼の素顔が、滝川クリステルとの結婚を機に明らかになったことだけは興味深いのだが……。
いずれにしても、いまだ将来の総理候補と呼ばれてはいるが、菅氏の政治手腕と比較すれば、リングにも立てないだろう。
各界に衝撃を与えた安倍総理の辞任会見から、10日余り。自見党総裁選は中盤にさしかかったが、後継は、菅義偉官房長官の圧勝に終わりそうな雰囲気が日に日に増している。
早々に、河野太郎防衛相支持を表明した小泉進次郎環境相も、6日、
「菅さんのイメージは安定や継続というより、菅さんイコール改革だ」
と、河野支持などなかったかのような発言とともに、菅支持を表明した。
父・純一郎元総理と異なり、自民党的な政治家に着々と成長している姿をさらしている進次郎議員には、父の威光でできたイメージ先行型の議員で、牙のない子ライオンのような印象しか、もはや持てない。
彼の素顔が、滝川クリステルとの結婚を機に明らかになったことだけは興味深いのだが……。
いずれにしても、いまだ将来の総理候補と呼ばれてはいるが、菅氏の政治手腕と比較すれば、リングにも立てないだろう。
徐々に打ち出す「独自色」
菅氏は、〝所管官庁〟が総務省と国土交通省とされるだけあって、情報通信(IT)に明るく、地方分権を推進している。総裁選出馬にあたり、出した政権構想にも、安倍政権の継承を謳いつつ、独自色を強めている。
その影響を受けてか、9月4日の東証1部株価の値上がり率は、栃木銀行、筑波銀行、福島銀行と地銀が上位3冠を占め、市場に大きな驚きを与えた。
それにしても、「安倍の後は安倍」とまで言われ、後継者がいないと嘆かれ続けた自民党内で、いざ安倍総理の退陣が決まり、総裁選となった途端、なぜここまでの存在感を菅氏は急に発揮し始めたのだろうか。
その理由を筆者は、大きく「2世議員ではないたたき上げ」という経歴に見る。良くも悪くも昭和の政治家的要素が満載で、すべての価値観が崩れ、混沌とした世の中では、逆に魅力的に感じられるのではないだろうか。戦争の片鱗と戦後の勃興(ぼっこう)期を知るシニア層ほど、自分の生きてきた過程を、恐らく菅氏の軌跡に見ている。
その影響を受けてか、9月4日の東証1部株価の値上がり率は、栃木銀行、筑波銀行、福島銀行と地銀が上位3冠を占め、市場に大きな驚きを与えた。
それにしても、「安倍の後は安倍」とまで言われ、後継者がいないと嘆かれ続けた自民党内で、いざ安倍総理の退陣が決まり、総裁選となった途端、なぜここまでの存在感を菅氏は急に発揮し始めたのだろうか。
その理由を筆者は、大きく「2世議員ではないたたき上げ」という経歴に見る。良くも悪くも昭和の政治家的要素が満載で、すべての価値観が崩れ、混沌とした世の中では、逆に魅力的に感じられるのではないだろうか。戦争の片鱗と戦後の勃興(ぼっこう)期を知るシニア層ほど、自分の生きてきた過程を、恐らく菅氏の軌跡に見ている。
「たたき上げ」ならではの凄み
秋田のいちご農家に生まれ、高校卒業後、集団就職で上京し、段ボール工場に就職。築地市場でアルバイトをしながら、法政大学の夜学を出た。自民党の国会議員秘書から政治人生をスタート。仕えていた小此木彦三郎議員が、通産大臣を務めた時は、秘書官も経験している。官僚人事のツボを押さえているはずだ。
その後、横浜市議会議員に転じ、「影の横浜市長」と呼ばれ、凄みの片鱗を醸し出し始める。
初の小選挙区制導入となった1996年の総選挙で、勢いのあった創価学会の全面的な後押しを受けた公明党候補と、死闘を繰り広げ、初当選を飾る。以降、時に溺れそうになりながらも、永田町で波乗りを続け、2012年の安倍総理復活の裏の立役者のひとりとなった。
石破茂元幹事長、岸田文雄政調会長らの候補者とはあまりに違いすぎる経歴である。岸田も石破もいずれも、2世議員であり、超高学歴政治家である。しかし、最も、ポスト安倍に近いとみられていた岸田は、最下位に沈む危機感すら陣営には漂っている。岸田のスマートな印象が裏目に出ているのであろう。石破は干されていた間の地方行脚が功を奏してか、一定の評価は得られそうだが、ここまで流れが決まれば、菅氏になびいてもおかしくない。
その後、横浜市議会議員に転じ、「影の横浜市長」と呼ばれ、凄みの片鱗を醸し出し始める。
初の小選挙区制導入となった1996年の総選挙で、勢いのあった創価学会の全面的な後押しを受けた公明党候補と、死闘を繰り広げ、初当選を飾る。以降、時に溺れそうになりながらも、永田町で波乗りを続け、2012年の安倍総理復活の裏の立役者のひとりとなった。
石破茂元幹事長、岸田文雄政調会長らの候補者とはあまりに違いすぎる経歴である。岸田も石破もいずれも、2世議員であり、超高学歴政治家である。しかし、最も、ポスト安倍に近いとみられていた岸田は、最下位に沈む危機感すら陣営には漂っている。岸田のスマートな印象が裏目に出ているのであろう。石破は干されていた間の地方行脚が功を奏してか、一定の評価は得られそうだが、ここまで流れが決まれば、菅氏になびいてもおかしくない。
昭和的「悪習」にはご注意を
金も人脈もゼロからスタートし、智略を尽くし、手練手管で第2次安倍政権の官房長官にまでのぼりつめた菅氏が本領発揮し始めたのか。恐らく菅氏は、安倍総理の下で政権を支える屋台骨として8年間黒子に徹する一方で、綿密に総理への道を描いていたのだろう、並ではない胆力だ。平成の時代に菅は飛躍を遂げたが、彼の持つ昭和的資質は、未曾有のウィルス危機におののく令和にマッチしたというのも奇妙な話ではある。
懸念されるのは、昭和の大政治家は、少なからず、「○○疑獄」なるスキャンダルに塗(まみ)れていたことだ。菅氏には、もう今の若い議員からは全く感じられない強い権力志向と執念を感じる。
昭和ならさしずめ「影の総理」と呼ばれてもおかしくはない実力の持ち主であるし、そう呼ばれるタイプの政治家であるとも思う。総理の椅子に大手がかかっている今だからこそ、昭和的疑惑とは無縁であることを願う。
懸念されるのは、昭和の大政治家は、少なからず、「○○疑獄」なるスキャンダルに塗(まみ)れていたことだ。菅氏には、もう今の若い議員からは全く感じられない強い権力志向と執念を感じる。
昭和ならさしずめ「影の総理」と呼ばれてもおかしくはない実力の持ち主であるし、そう呼ばれるタイプの政治家であるとも思う。総理の椅子に大手がかかっている今だからこそ、昭和的疑惑とは無縁であることを願う。
埼玉県出身。青山学院大学在学中より、取材活動を始める。官界を中心に、財界、政界など幅広いテーマで記事、コラムを執筆。「官僚村生活白書」など著書多数。IT企業の代表取締役を経て、2015年、合同会社マグノリアを立ち上げる。女性のキャリアアップ支援やテレビ番組、書籍の企画・プロデュースを手がける。