「リケジョ」と呼ぶな!
最近、どこかでこんなフレーズを見たり聞いたりしたことがある方も多いのではないでしょうか。
4人の高校生たちが制作し、YouTubeにアップしたショートムービー、「「女らしく」「男らしく」ってなんだろう?【性別による無意識の思い込み(ジェンダーバイアス)について考えよう】」に登場したセリフです。この動画がテレビ朝日の『グッド!モーニング』やニュースサイト『ねとらぼ』で採り挙げられ、一気に拡散された(と言っても本稿執筆の8月23日時点では視聴数は1万8000弱ですが)、というわけです。
高校生たちは、これをきっかけにジェンダーバイアスについて考えてほしいとの思いで動画を制作したとのことですが、しかし、なぜ「リケジョ」と呼んではいけないのか、何だか不思議ではないでしょうか。フェミ的な人々にしてみれば、むしろ「リケジョ」が実際に増えることこそが望ましいはずですよね。
女子高生役の俳優さんの名演も相まって、何をどうしてそんなと思えるほどにこの女子高生、「リケジョ」呼ばわりにおカンムリ。おどおどする担任の先生が見ていて可哀想になってきます。
劇中の女子高生は「そこまで女子が理系に進むのが珍しく思われるのが意味わからないです」「私のエンジニアの夢は男子の夢と同じくらい大事なので、先生も大切にしていただきたいです」と語るのですが、「リケジョ」と呼ぶことでエンジニアの夢が潰えるとでもいうのでしょうか。何が何やらさっぱりわかりません。
いえ、そもそもこの女子高生がここまで「リケジョ」という呼称を嫌うことこそが「意味がわからない」。
女子高生は侮辱(ぶじょく)でもされたかのような必死の訴えをしていますが、筆者の感覚では「リケジョ」というのは割と女性にとっては好もしい(すなわち、人数的に男性が多い中でもその優秀性を発揮しているというイメージ)表現なのかと思っておりました。つまり、この動画はむしろ「リケジョ」であることを誇りに思っている(動画の虚構の存在ではない、本物の)リケジョを冒瀆(ぼうとく)しているように、ぼくには思われます。
事実、本件を紹介した『グッド!モーニング』では実際のリケジョの声を聞きに行っていますが、インタビューを受けた多くの方が戸惑いや「リケジョと呼ばれても嫌ではない」といった感想を漏らしていました。
すなわち、「リケジョ」呼ばわりを本当に嫌がっている「理系の女性」というものが実際にどれほど実在するのかが、どうにも心許ないのです。
むしろこの女子高生が本当に大切にしたいと思っているのはエンジニアになることではなく、大仰に騒ぐことで他人をコントロールしたいという欲望のように、ぼくには思われます。
「リケジョと呼ばれがちな現状(理系に進む女子が少ないという現実)がジェンダーフリーの観点からして好ましからぬ」という理念が、なぜか「《リケジョ》という言葉そのものがけしからぬ」というものにいつの間にか転倒してしまっているわけですね。
すでに言葉狩りの兆候も……
そんな状況に鑑みると、本件は「女性の社会進出を推進せよ」という耳にタコのできた主張を、「理系」を俎上(そじょう)に上げて、ただ話題にするためにトリッキーな物言いで表現してみせた、というだけの話であると思います。
ただ、今回の様なやり方は結果、余計な禍根ばかりを残す結果になるのではないか……と、ぼくには思えます。なぜならこの動画から受ける印象は、
「リケジョを物珍しいものとして持て囃(はや)し、裏腹にそのような現状がジェンダー後進国の恥ずべき姿だと気づきもしない一般大衆、何と無知蒙昧(むちもうまい)なのだ」
という主張であるからです。
本動画を裏読みすれば、見えてくるのはそうした先進性をひけらかし、罪悪感につけいることで相手をコントロールしようとする、暴力的なやり方です。
フェミニストや左派はポリコレを振りかざし、あれもこれもを差別用語だとして言葉狩りをすることが大好きですが、本件はそのバリアントと呼べるのではないでしょうか。
もちろん、本動画は具体的な広告などの「リケジョ」という表現に文句をつけるものではなく、誰かの表現の自由を侵犯したものでは、全くありません。
しかし、本動画を受けて「リケジョ」という名を冠した競馬馬が改称した、という騒動も起こっています。クレームを恐れて、慌てて改称したこの馬主さんの方もいささか軽率で、あんまり同情する気にはなりませんが、気味が悪いのは先にも述べたように本件において、「リケジョと呼ばれて傷ついた女性」が実在しているかどうかが極めて疑わしい点です。
被害者はいないのに、ただタブーだけが生まれていく。動画のおろおろする教師のような対応をしてしまう者が生じることが何より気持ち悪いし、動画の制作者の意図もそこにこそあったのでは……と考えたくなってくるのです。
理系の女子が少ないことは差別ゆえなのか?
それでもリケジョが増えないというなら、これは男女共同参画局が毎年10兆円近い予算を投じつつ、一向に女性の管理職や政治家が増えないのと同じく、女性の側にそのモチベーションが少ないということが主因だと考えるのが自然と思われますが、フェミ的にはこれは「ガラスの天井」があるのが悪い、となってしまうのです。
改めて説明する必要もないかもしれませんが、「ガラスの天井」とは男社会には女の進出を阻(はば)む見えない壁があるという考え方です。新天地に足を踏み入れる時にはどこでも誰しも、越えるべきハードルがあるのは当たり前のことですが、「女性の社会進出」には、ことさらにそのハードルが高く設定されており、男たちの既得権益を奪われまいとする陰謀である、というフェミニズムの妄想、否、理論です。男たちが女をのけ者にしているのだという「ホモソーシャル」という概念が、これを説明するためによく使われますが、まともな根拠のあるものではありません。
雇用機会均等法以降、目に見える形での女性差別というのは基本ないはずで、それでも女性の社会進出が進まない以上、後は目に見えないものに責を負わせるしかなくなったわけですね。しかしながら、ことの主体である女性の責は1mmたりとも問うてはならぬというのは、フェミ界では絶対のルールです。
動画を制作した高校生たちが「ジェンダーバイアス」という言葉を持ち出しているのも、そのルールに基づいています。要するにジェンダー、すなわち「男/女らしさ」とは全て男たちが女たちを支配するためにつくり上げた「虚構」であり、なくしてしまうべきもの、という理念です。もちろん男たちがジェンダーをつくり出したという証拠は、今まで一度も提出されたことがありません。
しかしそれは、働きたい、出世したいと思わない女性までを無理に社会へと追い立てる行いでしかないのです。2017年、大妻女子大学人間生活文化研究所が女子大生307名に行った調査では、理想のライフコースとして「専業主婦」を望むものが17.36%、「再就職」が35.69%、「両立」が32.15%とのデータが出ています。「非婚就業」は4.5%、「DINKS」が3.54%にすぎません。
一方で「再就職」というのは子育て期間を経てからまた働きたいというもの、「両立」は仕事を継続させながら家庭生活も営むとの考えかと思われます。ただし、後に述べる「妻がフルタイムの共働き世帯」が増えていないことを示すデータから考えて、第一線で働きたいと考えている女性はいまだに少ない、と考えるべきではないでしょうか。
動画の背後にはやはり……
当動画がアップされているジェンダーイコールのYouTubeチャンネルを見てみると、登録者数がわずか347人(当動画のアップ以前は80人だったそうです……)、動画は数年前からいくつも上げられているのですが、ほとんどが再生数は数十回のみ。ところが件の動画だけは1.8回再生(他にも同時に上げられた動画が4本あるのですが、それらも数千回)といった具合。
※原稿執筆時点(8/23日)の情報です。
言っては悪いですが「女子高生がつくった動画」でなければ当動画がここまで話題になることは考えにくく、「これぞ未成年女子の性的搾取だなあ」と意地悪な感想も述べたくなってきます。「女らしさ」は明らかに女性に対して利する場合も多く、フェミニストほどそれを利用している人は、他にいないのです。
一方では非現実的なジェンダーフリーを志向し、「リケジョ」とのワードすらもがそれを阻むものだと息巻きながら、一方では実のところ自分たちこそが誰よりも「女としての旨味」を利用している。こんなダブルスタンダードこそが、フェミニストたちが胡散臭がられる一番の理由であるように思われます。
他にもなかなかの動画が
まずは「心のジェンダー【性別による無意識の思い込み(ジェンダーバイアス)について考えよう】」。えぇとまず、高校生の皆さん、「心のジェンダー」というのは変です。「ジェンダー」そのものが「心の(ないし社会的な)性」を指す言葉なのだから、「頭痛が痛い」とでもいうような言葉の重複です(笑)。
この動画は、夫婦の心と身体がある日突然、入れ替わるというもの。冒頭では夫が家事を手伝わないことに憤る妻の姿が描かれ、夫は妻の身体に入れ替わってよりは延々家事の大変さに戸惑い、最後にそれが夢だったと気づき普段の妻の働きに感謝するという展開です。この夫、終始家事のやり方がわからない、妻任せにしていたからだと悩むだけで、「会社はどうしよう」とは考えません。また、夫の姿となった妻が出社し、仕事に戸惑うといった描写もないので、たまたま祝日だったのでしょう(笑)。
もちろん、「今時は共働きが普通だけれども、それでも妻が家事を強いられる」といった主張もよくなされるところではあります。しかし実のところこの40年、「妻がフルタイムの共働き世帯」は全く増えていません。途中で均等法が施行されたというのにです。
漫画、イラストなどによって主婦がいかに大変か、裏腹に会社勤めがいかに楽かがこれでもかと描写されているのですが、ここでは夫の仕事は「出社してタイムカードを押すだけ」であるかのように描かれ、裏腹に主婦である自分の仕事は「洗濯物取り込んで洗濯物畳んで洗濯物しまって……」といった具合に「そんなこと1つにまとめて書け!」と言いたくなる調子で水増しして並べ立てられ、大変さが強調される、という具合です。
まあ、言ってしまえば「吐き出すことで不満が解消される愚痴」の類いなので、ツイートだけならば笑ってスルーすればいいのですが、本動画はまさにそれを映像化したものに思えます。そしてそれをメディアがこぞって採り挙げ、礼賛する……なんとも気持ちの悪い話です。
女子高生と思しい2人が主役で、一方が一方に愛の告白をし、告白された方は戸惑うものの翌日、冷たく対応したことを謝罪して、「恋愛感情は受け入れられないが、今まで通りの友人関係を続けたい」と告げる、というもの。
何とはなしにさわやかに終わるので見ていて胸を撫で下ろしますが、最後にメッセージが入ります。
「あなたの周りにも悩みを抱えているLGBTの方々がいるかもしれません。」
動画そのものは情報量もメッセージ性も少なく「友だちを大事にしよう」と言っているだけのものにも見えなくないのですが、最後のメッセージで何だか妙な気分にさせられます。
高校生くらいの少年少女が友人に擬似的な同性愛感情を抱くのはよくある話。劇中の女子高生はそもそも「LGBT」なのでしょうか?
10代の若いLGBTの居場所を作ろうというのがその主旨ですが、代表の遠藤まめた氏の著作を見ているとまだ性的に揺らぎのあろう高校生に「あなたはLGBTだ、LGBTだ」と吹き込み、仲間を増やそうとしているようにしか見えない、大変問題のある人たちであると指摘したかと思います。
高校生を積極的にメンバーに加え、「LGBT云々」と語らせるジェンダーイコールもまた、ぼくからは近い存在に見えます。
フェミニストたちは古くは(70年代頃でしょうか)セミナーで主婦を対象に、大学で「女性学」などの授業がなされるようになってよりは(80年代頃でしょうか)女子大生を対象に、ずっと「布教」を続けて来ました。
オープンプラットフォームの浸透で逆にフェミは不利に⁉
ジェンダーイコールの公式サイトによれば、同団体は小学生向けのワークショップも開催しているようで、要するに本件はフェミニストたちがかつてからの振る舞いが、いよいよ過激になりつつある一例であると考えることができます。
ただ……最後の最後につけ加えておきますと、この動画は必ずしも快哉(かいさい)を持って迎えられているとは言いがたいようです。
YouTubeを覗(のぞ)くと動画についた「いいね」の数はささやかで、5本の動画の「いいね」の合計を再生数の合計で割ると約2%。50人に1人しか賛同を示していない計算です。
また、(YouTubeのコメント機能はどういうわけかオフになっているのですが)感想コメントを書くページはまた別に設けられており、そこを見ると残念ながら悪評紛々。ジェンダーイコール側の人間が管理人として掲載をコントロールしているにもかかわらず、これでは……と少々、気の毒になります。
話題の動画を題材に、フェミニズムの主張のおかしさについて言及してきましたが、YouTubeのようなオープンプラットフォームでの情報配信によってフェミニズムが多くの人間から決して支持されていないということが明らかになってきたのは、「フェミ」「LGBT」の押し付けが強まる世相の中で、数少ない良しとすべきこと、と言えるかもしれません。
本来はオタク系ライター。
フェミニズム、ジェンダー、非モテ問題について考えるうち、女性ジェンダーが男性にもたらす災いとして「女災」という概念を提唱、2009年に『ぼくたちの女災社会』を上梓。
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