続"オープンレター問題 考" :女性への「批判」すらも...

続"オープンレター問題 考" :女性への「批判」すらもはや許されないのか

クローズされた空間でも許されない「女性批判」

 前回お伝えしたフェミニズムサイト「オープンレター」問題、呉座氏がオープンレターを名誉毀損として訴訟、オープンレター側も呉座氏を提訴するといった事態に発展しております。

 目下は「オープンレター」側の杜撰(ずさん)さが問題になっていますが、そもそもの発端は、呉座氏の「差別発言」とされるものに対して北村氏が怒りを露わにしたこと。この北村氏のスタンスにはいまだ賛意を示している人も多いようです(例えば「表現の自由クラスタ」の重鎮とも言うべき青識亜論氏など)。


 しかし、呉座氏の発言はそこまで悪質なものだったのでしょうか。

 氏の「誹謗中傷」「女性差別的」とされる発言は鍵アカウント、つまりツイッターのフォロワーだけに公開されているアカウントでなされていたものです。3000人ほどに向けたものであったとは言え、クローズドな場でなされた発言だったのです。また騒動の後、呉座氏がアカウントそのものを削除してしまい、それらを引用したサイトも(おそらく北村氏側によって)次々と削除されているため、全貌を知ることは困難なのですが、表現規制史・表現弾圧史について詳しいツイッタラーのヒトシンカ氏など、発言の「発掘」に務めてくれた人々がいるので、その功績をお借りして、いくつかご紹介したいと思います。


 以下は川上氏が某ゲームの本当に些細なお色気描写を難じたという、今までもお伝えしてきたフェミ的な言動への批判です。

自分は若い頃さんざんミニスカートを売り物にして、おばさんになったらこれだもんな…ルックスで下駄をはかせてもらっていたのに年を取ったら性的搾取がどうこう言い出す川上未映子は小島慶子と同じですね。》

 確かに辛辣(しんらつ)なものではありますが、しかし「ミニスカートを売り物にして」「ルックスで下駄をはかせてもらっていた」といった「批評」が(それが当を得たものかは判断しかねますが)許されないものとするのは、いかがなものでしょうか。

 ぼくも上野千鶴子氏が「美人コンテストなど奴隷の綿摘み競争同様だ」と評しつつ、マスコミ取材の前には念入りに化粧をしている点について批判したことがあります。これは(真偽や化粧の程度など議論すべき点はあるとは言え)フェミニストにとっては主張に一貫性があるか否かの重要な論点であるはずで、そこを「指摘することもまかりならん」というリクツには、頷けません。
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美人コンテストは果たして「奴隷の綿摘み競争」なのか…

厳しい「批評」も「差別」なのか

 もう1つ、以下のような発言もあったのですが、これは呉座氏が自身のブログで日文研が懲戒理由として挙げたものであると明かしたものです。

女性漫画家ってイケメンとか中性的な美少年、無邪気な少年みたいなのは上手いけど、ゴツい肉体系、オス臭いプンプンの野獣系を描けないんだよな。ハガレンのアームストロング少佐とかギャグでしょ。》

 この発言がフェミニストにとっては絶対に許してはならぬ女性差別的発言となり、呉座氏の懲戒処分に至ったのですが、果たしてこの発言は「差別」なのでしょうか。キツイ発言ではありますが、「批評」の範疇を超えていないとも思えます。

 実のところネットの世界では「ミソジナス(女嫌い)な男どもが女流漫画家叩きに明け暮れている」という一定の世論というか、コンセンサスがあるのですが、少なくともぼくが見る限り、上記の発言もそのようなものと変わりありません。しかしフェミニストにとってはこれが、不祥事として発言者を破滅させなければならないほどに、許せないもの、ということなのです。であれば、女性の表現に絶賛以外の評価を下した者は、人生を破壊されても文句は言えない……ということではないでしょうか。

「フェミニストは男性を敵視していない」は本当か

 他にもヒトシンカ氏の記事では本件が「アカハラ(アカデミックハラスメント)」として糾弾された点がおかしい(そもそも両氏は上司部下の関係にあるわけでも何でもないのですから)など、優れた指摘がいくつもなされており、ぜひ目を通していただきたいのですが、或いは以前のぼくの記事を読んでくださった方は、ここで疑問をお感じになったかもしれません。
「北村氏側はミソジニーミソジニーと繰り返しているが、彼女自身がミサンドリー(男性嫌悪)の塊ではないのか?」 

 この件については是非、以前の記事をご覧いただきたいのですが、ここでぼくは北村氏がアメリカのフェミニスト、ヴァレリー・ソラナスの『SCUMマニフェスト』を翻訳し、大学の紀要で連載したいと言っていたことについてご紹介しました。「SCUM」とはヴァレリーが設立しようとした組織で、「男性根絶協会」の意なのですが(北村氏は「男性皆殺し協会」と訳)、これを嬉々として採り挙げることは「ミサンドリー」ではないのでしょうか。

 ご安心ください。その件は、「なかったこと」になりました。町山智浩氏も先日、本件について言及するツイートをしました。《「方法論的女性蔑視」VS「男性皆殺し協会」……。

 要するに呉座氏と北村氏のバトルをからかうような発言なのですが、北村氏はそれを否定しました。

町山智浩さん、@TomoMachiあなたもネット上のデマまじりの話を信じて誹謗中傷の被害者をからかうような方だったんですね。私はあなたに憧れて映画批評をしていたのに。》

 ちなみに、この発言はすでに削除されていますが、スクリーンショットを「オープンレターから始まる人文学アカデミアの闇⑨(隠蔽工作が始まる)」で見ることができます。

 NPO福島ダイアログ理事長の安東量子氏は当初、この件について北村氏をいさめるようなツイートをしていたのが、いきなり手のひらを返しました。

それにしても、フェミニスト的な主張をする人で、男性そのものを敵視している人はほとんどいないだろうに、それに「男性皆殺ししようとしている」などと言い出す過剰反応の方が、危険であるように見えます。不要な危機感を煽ることは、ただちに憎悪扇動につながります

 大学の教員で、女性を含めた学生にも教鞭をとっている立場の方が、「男性皆殺し団だ」などと、女性への憎悪扇動をSNSで煽っているのは、言論の自由や見解の多様性は尊重する私でも、さすがにいかがなものかと思います。》

 もちろん、北村氏本人が「男性皆殺ししようとしている」わけではない、氏が「男性皆殺し団」を結成したわけではないぞ、との意味においては安東氏の言は間違ってはいないかもしれません。しかし北村氏が「SCUM」を好意的に紹介したのは事実であり、これでは安東氏が北村氏に忖度し、論調を変えたとしか思えません。
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あまりの怒りに周りも忖度するのだろうか―
 前回も、オープンレター関係者のツイートをご紹介しました。

 それらはいずれも全く内省というものがなく、ただひたすら自分を無辜な被害者の位置に、ないし悪者をやっつける正義の戦士の位置におくものであり、どうなんだ、といった評価をしたかと思います。

 あくまで想像ですが、これら発言もそうした発言と全く同様に、「天然」でなされているのではないかと思います。

 ぼくは今までフェミニストたちと話していて、彼女らが5分前の発言すらも撤回し、全く平然と「なかったこと」にするのを数限りなく見てきました(本オープンレターの発起人の中にも、その1人がいらっしゃいます)。

 フェミニストやその信奉者は、事実に基づく主張をすることも、自らの発言に対し責を負うことも、全くできないと考えるしかないように思われます。もっとも、そうした人たちが大学教員などをやっていていいのかには、大いに疑問が残りますが……。

「女性差別」レッテルの恐怖

 その具体例として、最後に体験談をお話しさせていただきたいと思います。もう7年も前の話になるのですが、ぼくの以下の発言が炎上したことがあるのです。

『ガンダム』って何となく女性ファン少なそうな気がするけどな。シャアなんか明らかに市川治の系譜を狙ってたはずだが。》

「市川治」というのは白黒時代からアニメで活躍していた声優さんです。ことにロボットアニメでは敵の美形キャラを立て続けに演じ、女性の人気を集めました。『ガンダム』の名悪役、シャアは明らかにこの市川治キャラを意識しているはずだが、それにしては「女性ファンが少ない気がする」というのが、ぼくの発言の主旨でした。

 果たしてこれをご覧になって、「炎上」する要素がどこにあるとお思いになるでしょうか。しかしこれがtogetterにまとめられ、大炎上。ぼくは「女性差別者」として不特定多数から罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせられることとなりました。

 togetterには一応、ぼくの発言が正確に引用されてはいたのですが、まとめた人物(加野瀬未友氏というサブカルライターです)が「兵頭新児が『女性ファンは少なかった』と断言した」かのようなイメージ操作を行ったのです。

 普通の人であれば、ぶっちゃけどうでもいい話題でしょう。しかし一部の人たちにとって、これは許されざる「女性差別」だったのです。「女性は男の子が好むようなロボットバトルに興味がないのだ」というのは極めて硬直した女性観であり、絶対に看過できない、というわけです。

 加野瀬氏はtogetterでぼくを攻撃すると共に、ツイッターで「兵頭は『ぼくたちの女災社会』という書の著者だ」と触れて回っていましたから、あるいはぼくの存在を不快に感じ、つぶしてやろうと意図していたのかもしれません。何でもフォロワーなどをけしかけ、相手を集団で攻撃するのは、彼の常套手段だそうです。

 本件ではそれなりに名のある人物たちが、まんまと騙される結果となりました。例えば、と学会の会員で偽史や偽書の研究を専門とする原田実氏。ツイッターで加野瀬氏に軍配を挙げるつぶやきをしていたのを見て、メールで事情をご説明したのですが、反応はありませんでした。平易な日本語すら読めない人物が果たして偽史、偽書の研究など、やれるものなのでしょうか……?

 映画監督の市川大賀氏も、しつこくこちらを罵った上、「シミルボン」で上のデマを元にした記事を書いていました。たまりかねてシミルボン運営にメールしたのですが、もちろん無視されました。

 時々指摘するように、オタクのマジョリティはノンポリだと思うのですが、上層部(世代的に上の人、業界人など)は左派的でフェミニズムにも極めて親和的です。彼らも、そうした人物だったのでしょう。

 彼ら彼女らは「この世は女性に偏見を持ち、女性を深く深く憎む保守派のミソジニストどもで溢れている」のだと固く信じています。しかし、自分たちだけは女性を理解する高潔で清廉な騎士である、そうしたバカで遅れた男どもを蹴散らす勇猛で聡明な女傑である、というの彼ら彼女らの自己イメージです。

 ところが大変残念なことに、そんな「ミソジニスト」は彼ら彼女らの脳内にしか存在しない(仮にいてもそうした発言は大っぴらにできないことは、本件が証明しています)。

 しかし自分たちが正義の味方であり続けるためには、ぜひともそうした悪者が必要である。そうなれば後は、発言を歪曲(わいきょく)し、悪者を捏造(ねつぞう)し、集団で殴る蹴るするしかありません。呉座氏の件も森元会長の件も、そして規模としては、それらに比べてはるかにしょぼいもののぼくの件も、そうしたものだったのです。

 さて、しかしこの呉座氏vs北村氏問題、中でも一番恐ろしいのは北村氏に不利な言論活動をする者に、圧力がかけられている点です。

 いまだ不明な点も多いのですが、次回はそこをご紹介したいと思っております。
兵頭 新児(ひょうどう しんじ)
本来はオタク系ライター。
フェミニズム、ジェンダー、非モテ問題について考えるうち、女性ジェンダーが男性にもたらす災いとして「女災」という概念を提唱、2009年に『ぼくたちの女災社会』を上梓。
ブログ『兵頭新児の女災対策的随想』を運営中。

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