コロナで再燃する「ベーシックインカム」導入論

コロナで再燃する「ベーシックインカム」導入論

定額給付金の使い途

 いま、すべての人に無条件で一定の額のお金を給付する、ベーシックインカム制度論が花盛りだ。コロナ禍の影響で、定額給付金が支給された影響があるのであろう。

 賛否両論があるベーシックインカム制度だが、反対論の主軸は、「何の条件もなく給付を行えば、人間は働かなくなる」というものだ。ごもっともな意見がら、筆者の過去の取材経験から意見を述べると、
「むしろ格差拡大につながる制度で極めて危険」というものである。
 
 なぜか。今回の定額給付金の使い途から考えてみたい。

 今回の給付金、筆者の使い途は、税金の支払いであった。年金は全納した方が安いので、年金と健康保険料を支払ったら、むしろ、マイナスだったが、通常よりもだいぶ安かったことだけは間違いない。

 一方で、飲食店で働く30代の女性は、いずれ自分が『オーガニック系の飲食店』を出したいという夢のために、普段は購入できない高価なオーガニック商品や書籍の購入に使ったという。
 
 また、しばしば報道などもされたように、遊興費などにパっと使ってしまった人たちもいる(それが悪いと言っているわけではない)。

 このように、切実な事情に使った者、この飲食店の女性のように自己の向上のために使った者もいれば、あぶく銭として消費してしまった者も多くいるのである。

定額給付金から考えるベーシックインカム導入論

 ベーシックインカムとは、ざっくり言えば今回は臨時の対応であった定額給付金が常態化することである。とすれば、今回の定額給付金の使われ方を見れば、ベーシックインカムを導入した場合の結果も自ずと想像ができるであろう。

 すなわち、定額給付金やベーシックインカムのように「一定の金額が支給される」場合、その受け取る人が、夢と志を持っているか否かで、その効果が決まるのだ。まさに、受け取る人自身の価値感が問われているのであり、結局のところベーシックインカムの効果は俗人的で、「効果があるか否か」を一元的に切ることも論じることもできない。

 策を講じることなく、ベーシックインカム給付を進めれば、向上心のある者はますます冨み、逆に夢も目的もないものはベーシックインカムが保障されれば、必死に働こうとは考えず、それこそ「最低限の」生活をキープすることで満足してしまうだろう。それがベーシックインカムを導入した後の、我が国の姿ではないかと私は思う。

 自らが進む道は自らが決めるのであって、そんなのはそれぞれの勝手…とも思えるが、国や社会の発展という観点で考えたときに、本当にそれでよいのだろうか?

いまでも垣間見える「ベーシックインカム給付後」の姿

 しかも、そのような社会の姿は、実はベーシックインカムがない今でも垣間見えるのだ。

 夢もなく努力もせず、国からお金だけ搾取したいと考える人は、既にあらゆる手段を駆使して、生活保護を受けている。タダで病院に通って薬を転売し、接骨院でマッサージを受けたりしている。ベーシックインカムの導入は、こうした似非生活保護者層が一層膨らむ危険性もあるし、永遠に彼らがその負のデフレスパイラルから逃れられない結果を招く恐れもあるだろう。

 たとえ10万円でも給付金を得たおかげで、筆者は、会社の売上が落ちているとはいえ、サイト構築を継続できている。
 それどころか、そのサイトを発注しているIT企業の社長は、
「オンラインイベントのおかげで、うちの会社、超バブルです。休む暇ないですよ」
 と、完全にチャンスを掴み、より会社を発展させようと汗を流している。彼らのような人たちにとっては、ペーシックインカム給付は、「より向上するため」の恩恵以外のなにものでもないのであろう。
 
 確かにベーシックインカムが助けになるという人々は、若年層を中心に大勢存在する。
 
 しかし、現代社会の姿からは、安易に現金を給付する前に、夢を持たせ実現するために何をすればいいのかを思考させる教育の充実、実現の一助になる施策を打つことこそが、今、喫緊に求められていると思われてならない。
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横田由美子(よこた・ゆみこ) 

埼玉県出身。青山学院大学在学中より、取材活動を始める。官界を中心に、財界、政界など幅広いテーマで記事、コラムを執筆。「官僚村生活白書」など著書多数。IT企業の代表取締役を経て、2015年、合同会社マグノリアを立ち上げる。女性のキャリアアップ支援やテレビ番組、書籍の企画・プロデュースを手がける。

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