多くのコメント、ありがとうございます!
毎週金曜日、一万字前後の記事を欠かさず書き続ける事が出来たのも、読者の皆様から様々な形でコメントをお寄せいただけた事が大きい。
テレビ記者出身の私は、発信した情報がどのように受け止められたのか、受け手の反応を知る機会はほとんどなかった。苦労して取材したニュースも、放送して仕舞えばおしまいという、正に「送りっ放し」が放送記者の宿命だった。
その点この連載では、私のFacebookの記事紹介投稿へのコメントや、メールやDMでのメッセージで、読者の意見や感想を知る機会があり、非常にありがたいと感じている。記事の文末にあるコメント欄も欠かさず拝読し、参考にさせていただいている。
前回のLGBT理解増進法案を巡る記事でも、コメント欄に示唆に富むご意見と情報をいただいた。
▶︎LGBとQの区別が重要(宏昌さん、ましうさん他)
▶︎公開討論の提案(宏昌さん)
▶︎なぜ稲田氏は変節したのかを知りたい(宏昌さん)
▶︎メディアの歪なLGBT礼賛傾向(kurenaiさん)
例えば、市井さんの「1999年段階で、既に性自認の医学的客観的認定の難しさが論争の対象になっていた」という指摘は非常に重要である。22年前から懸念され、未だに答えの出ていない難問があるのに、「性自認を理由とする差別は許されない」という文言を書き込もうとする所に、修正案の底知れぬ危険性が横たわっている。
「Hillsさん」という方からは、私の記事に対して極めて批判的なコメントをいただいた。冷静な異論も建設的な議論も、私は大歓迎である。
Hillsさんのコメントには、LGBT推進派の典型的な論法が満載なので、全文を紹介する。
トランスジェンダー差別を煽る悪質な記事。ここで語られている言説はトランス差別を煽る典型にはまっているし、国際的にもそう認識されている。WHOによっても医療モデルから人権モデルへの意識転換が図られている現実を無視した記事は、あえての差別煽動なのか、無知蒙昧からくるものなのかは知らないが、この法案を語る上で誤謬を招くものであり、著しく公益性を損なうものだ。こういう悪質な差別煽動に乗ってはならない。自分のことを保守と勘違いしているネトウヨと差別者だけを喜ばせる記事と言えるだろう。
(6月5日投稿 HiLLs様)
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★「トランスジェンダー差別を煽る悪質な記事」「差別扇動」
→私の記事のどこが差別を煽っているのか、具体的に指摘して下さい。
ニセ・トランスジェンダーが存在するという「ファクト」
しかし、ホワイト容疑者が「自分はトランスジェンダー女性だから、女性刑務所に収監しろ」と主張し、イギリスのトランスジェンダー委員会がホワイト容疑者の主張を鵜呑みにするしかなかったというのは、紛れもない事実です。
確かにLGBT活動家にとっては、カレン・ホワイト事件は「都合の悪い」事実でしょう。
しかし、触れてもらいたくない事実を紹介されたからと言って「差別を煽る」と決めつける所に、LGBT推進派の論法の限界を感じます。そうでないなら、私の記事のどこが差別を煽るのか、具体的に教えて下さい。
私にもトランスジェンダーの友人がいますが、彼ら彼女らを一番苦しめているのが、カレン・ホワイトのようなニセトランスジェンダーの変質者が後を断たないという事です。そして、真のトランスジェンダーと偽者を見分ける事は、今の医学では不可能なのです。
この問題を解決しない限り安心してトイレにも行けない社会になってしまいます。
Hillsさんには、カレン・ホワイトのような変質者犯罪者を、女子トイレや女湯、女性刑務所からどう排除するのか、具体的な方策を示していただきたい。
欧米でも、LGBT推進は「当然」ではない
「差別を煽る典型」と「国際的な認識」の中身を示さない批判は意味不明で説得力を欠きます。何が国際的認識で、何が差別を煽る典型なのか具体的に示した上で、私の記事のどこが差別的なのか指摘して下さい。
ところが、LGBT推進が全世界の圧倒的潮流であるかのような主張は、全く事実と異なります。
キリスト教カトリックの総本山ローマ教皇庁は今年3月15日、「同性婚は祝福できない」との公式見解を示しました。(参考記事はコチラ)
また、アメリカの福音派教会らの指導者は、2009年「マンハッタン宣言」という共同声明をまとめ、「結婚は一組の男女間で結ばれる契約」と明記し、同性間の結婚への反対を宣言しました。
アメリカでは全人口の3割程度の9500万人が福音派と言われています。総本山のバチカンが同性婚に否定的な考えを明確にしたカソリックは22%程度7000万人です。ですからアメリカでは約1億6000万人、人口の過半数が同性愛や同性婚に否定的な考えの宗派に属している事になります。
これに対し福音派以外のプロテスタント系の指導者を中心に、同性愛に寛容な意見もあり、激しい論争が続いています。
このように、キリスト教社会の中ですらLGBTに対する立場は真っ二つに割れています。
そしてLGBTを巡る宗派間の意見対立は、信者同士の深刻な軋轢を引き起こしています。例えば、イギリス国教会系の世界聖公会は、同性愛に対する姿勢の違いから分離独立の危機を迎えています。
LGBT問題がこれだけ深刻な宗派対立を引き起こしているのは、聖書の教義と深い関係があります。
旧約聖書で創造神ヤハウェは「男と女が結ばれるべきだ」と明言。新約聖書の第一コリント6章でも「男色する者は神の国を相続しない」と、はっきり同性愛を否定しています。
聖書の教えを厳格に守る宗派にとっては、LGBTという「宗教的罪」を広く流布する事自体が教義に反する行為であり、「LGBT理解増進法」そのものに反対しています。
明確にLGBTを否定するイスラム教
具体的には、
・聖典クァルーン(コーラン)
・生活のルールを定めたハディース
・イスラム法学者問答集ファトワ
によって、同性愛は宗教的罪(Sin)であり、社会的罪(crime)であると繰り返し規定しています。ファトワの一つを紹介します。
「イスラーム教徒は,たとえ一瞬であっても,神の賢明な規定を疑うべきではありません。(中略)神が創造した本性(フィトラ)によって、男性は女性に惹かれ、女性は男性に惹かれます。同性愛者はファトラに背いています。同性愛の広がりは,東洋でも西洋でも同性愛特有の疾病を引き起こしました。倒錯が引き起こした因果は、人間の免疫システムを攻撃するエイズの事を指摘するだけで十分でしょう。(中略)
同性愛の禁止は神に由来しているので、イスラーム教徒は,神が禁じたことを行う者に害が及ぶことを、医学が証明するまで待つべきではありません。むしろ神が人々によいことだけを規定していることを固く信じなければなりません」
Hillsさんはこうしたイスラム教の教義についてどう思われますか?「遅れている」「人権軽視」と非難されるのでしょうか。
はっきりしているのは18億人のムスリムが、今日もこうした教義に従って暮らしているという事実です。
Hillsさんが「国際的にもそう認識されている」という時に、ムスリムの皆さんの事は意識に入っていますか?
LGBT推進は宗教的信念に優先するのか?
五輪開催前にLGBT理解増進法を成立させるべきという稲田さんの論理には、Hillsさんと同様の、欧米偏重の世界観が垣間見えます。
五輪開催前に、LGBTに寛容である事を世界に示す必要があるというなら、同性愛を祝福しないバチカンが本拠を構えるローマや、カソリック大聖堂があるトリノで行われたオリンピックは何だったのでしょうか。あるいは、同性愛を厳しく規制するイスラム国家は、オリンピックを開催する資格がないという事なのでしょうか。
2014年のソチオリンピックに際してロシア政府は、LGBTの選手を支援する設備の設置を禁止しました。これに関連してロシアの裁判所は、同性愛を公の場で宣伝する事は「社会の安定を損なう」「家族の母性と子供を保護すべき場所での公共の道徳に反している」と結論づけました。
五輪開催国だからといって、欧米の一部の主張に盲従する必要はないのです。
もちろん、性的指向=LGBに対する、ロシア政府の明確な拒絶は、一部の国が開会式ボイコットなどで抗議の意思を示した事から、国際オリンピック委員会(IOC)は2014年、オリンピック憲章の第6章(差別禁止条文)に「性的指向」を盛り込みました。
しかし、そもそも日本にはロシアのようなLGBを明確に差別する法律はありませんから、新たな立法がなくても問題はありません。今日までにどの国も東京五輪のボイコットを宣言していないのだから「五輪前の理解増進法成立は不可欠」という馳氏稲田氏らの主張には無理があります。
そしてもっと重要なのは、改正五輪憲章が差別禁止の対象としたのはあくまで性的指向=LGBだけで、性自認=Tは含まれなかったという事です。
改正五輪憲章に含まれていない性自認まで「差別は許されない」と書き込んだ所に、五輪を口実に性自認という難しい問題の議論をすっ飛ばそうという、推進派の小狡い戦略が見えます。
もし自民党の部会で、出席者が宗教的信念から
「同性愛は祝福できない」
「結婚は一組の男女の契約であるべき」
「同性愛は神の教えに背いている」
と発言をしたら、Hillsさんはどう反応しますか?「無知蒙昧」「公益性を害する」「差別主義者」などと決めつけて、糾弾しない事を祈ります。
多様性の尊重が真の人権擁護につながる
しかし私はHillsさんの指摘が「公益性を欠く」とは言わないし、「無知蒙昧」とも決めつけない。
LGBT推進派の中には、自分と異なる主張に対して「遅れている」「差別だ」などとして、自分独自の「国際的な認識」を押し付ける方が少なくない。
私は、キリスト教の一部のLGBTに寛容なプロテスタント系宗派だけが、最高に進化した、日本が全面的に見習うべき考え方を持っているとは決して思わないし、カソリックやイスラム教が遅れた宗教だとも思わない。
そもそも、それぞれが信じる宗教や信条について頭ごなしに「遅れている」「進歩的」などと独善的評価を下すのは、弁証法的唯物論を前提にするリベラリストの特徴である。
相手を「無知蒙昧」と決めつける事なく、世界に存在する様々な宗教、信条、伝統文化を尊重し、多様性を受容する態度こそ、真の人権擁護に繋がると私は信じる。