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すずき ひでじ
1957年、茨城県生まれ。法政大学大学院修士課程修了。専攻は中国の政治外交。83年、中華全国青年連合会の受け入れにより初訪中。以降、訪中歴は200回超。同年、中国の代表的知日派の張香山氏と出会い、交友を深める。97年、北京外国語大学の教壇に立ち、2003年まで中国の4大学で教鞭をとり、日本では創価大学の非常勤講師を務めた。外交関係者などに教え子多数。日中友好7団体の一つである日中協会理事や衆議院調査局特別調査員などを歴任。元日中青年交流協会理事長。中国でスパイ活動をしたとして、16年、北京市国家安全局に拘束され、懲役6年の実刑判決を受ける。22年10月、刑期を終えて出所し、日本に帰国。著書に『中南海の100日 秘録・日中国交正常化と周恩来』(三和書籍)がある。この他、張香山著『日中関係の管見と見証』(同)では訳・構成を、金煕徳著『徹底検証! 日本型ODA 非軍事外交の試み』(同)では翻訳を担当した。最新著は中国での約6年間の拘束体験を詳述した『中国拘束2279日』(毎日新聞出版)。

今でも信じられない

 大手製薬会社・アステラス製薬社員の日本人男性(50代。以下、Aさん)が「反スパイ法」違反の容疑で中国当局に拘束されました。私も中国当局によって拘束・逮捕・監獄送りになった経験があり、決して他人事ではありません。

 私が初めて中国を訪れたのは1983年。日中交流事業に関わり、胡錦濤前国家主席や李克強前首相らの出身母体である「中華全国青年連合会」からの受け入れで実現しました。さらにその後も交流が続き、訪中歴は200回以上です。
 1999年、小渕恵三首相と江沢民国家主席との会談がきっかけでした。その中で、中国の緑化活動を支援するという名目で百億円規模の基金設立構想が打ち出され、日中民間緑化協力委員会、同委員会の事務局である日中緑化交流基金が設置されました。私もこのプロジェクトにかかわるようになり、植林活動やシンポジウム開催などのため、頻繁に中国を訪れるようになったのです。

 そのような交流を通じて、中国共産党中央対外連絡部(中連部)や、それに付随する国際交流協会、外交部などとかかわるようになりました。日中国交正常化で外交部顧問として直接交渉に当たり、日中友好運動の重鎮として活躍してきた張香山に可愛がられ、彼の著作『日中関係の管見と見証』を翻訳したこともあります。中国共産党との結びつきも深く、局長、副大臣、あるいは大臣クラスなどと交流する機会がたびたびあった。
 そんな中、中国人の知人から、北京外国語大学で日本の政治を教えてくれないか、国が受け入れてくれるからと声をかけてもらい、「ぜひ」と、二つ返事で承諾しました。1997年のことです。(続きは本誌にて!)
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