気分が悪くなる

 覚えている読者も多いかもしれない。
 2010年9月7日、尖閣周辺で海上保安庁の巡視船と中国漁船の衝突が起きた。海保巡視船の警告を無視し、中国漁船が巡視船に近づいたことが原因である。海上保安庁は、船長を逮捕して石垣島に連行したが、当時の民主党政権は、日中関係を考慮することなどを理由に、船長を釈放し、中国へ送還してしまった。石原慎太郎都知事をはじめ、日本国民は民主党政権に怒りをぶつけた。

 日中関係が悪化の一途をたどるなか、静岡県知事に就任して2年目の川勝平太は、上海万博に合わせて企画した「ふじのくに3776友好訪中団」の継続を決定。訪問団を率いて、友好提携を結ぶ浙江省と万博会場を訪ねたのだった。当時の状況を川勝自身の証言(川勝平太『日本の理想ふじのくに』春秋社)をもとに明らかにしたい。

〈1月10日午後、天安門広場の人民大会堂において、国家副主席の習近平氏とお目にかかりました〉
〈初対面です。お互いにメモは見ず、目を見つめ合いながら話しました。すぐに、メモの内容から脱線し、気づけば、1時間! 新華社の記者が、自分の知るもっとも長い公式会見だったと感想をもらしました〉


 川勝は興奮気味に当時を振り返る。その後に開催された歓迎晩餐会では、習近平にこう語ったという。

〈「絶世の美女と謳われた西施(せい し)からその名をとった西湖(中国の景勝地)と、霊峰富士山(信仰の対象としての富士山)とは、互いに惹かれ合い、恋人となることを運命づけられていました」と述べたとき、習副主席は声をあげて笑みをこぼし、場が一気になごみました〉

「目を見つめ合い」「恋人となることを運命づけられていました」など言葉の至るところに、習近平を恋愛対象とみているかのような表現が繰り返されている。全文を引用すると、読者の気分が悪くなりそうなので、要所だけにとどめておく。詳しくは『日本の理想 ふじのくに』を読んでもらいたいが、この章の全編を通して、習近平への一方的な〝愛の讃歌〟が述べられているのだ。
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川勝平太静岡県知事

「中国の要人が喜んだ」

 この著書内で、リニア問題を論じるうえで特に気になるのは、「毛沢東」について述べた部分であろう。川勝はこう述べている。

〈私の学生時代は、中国の国家主席は毛沢東で、中国では文化大革命の最中であり、私は『毛沢東選集』などを読んで、その思想を知っていました。毛沢東は戦前期に「革命農村をもって都市を包囲する」という戦略を立てました。(中略)毛沢東は革命の主力を農民に据え、農民が都市ブルジョアジーを打倒するという現実路線をとって中華人民共和国の建国に導いたのです〉

 現在の習近平は、中国における歴史的指導者として、毛沢東に並びたいという意欲を隠していない。川勝は、以上のようなことを念頭に、こう続ける。

〈「(習近平に)富士山連合をもって首都圏を包囲する考えです」と言ったのです。「それは毛沢東思想の応用ですか」と問われたので、「そのとおりです」と答えたので、中国の要人は顔が一気にほころび喜んでいました。(中略)日本には現代中国の指導者となった毛沢東の思想や鄧小平の政策から学んで応用できるものがあります〉

 度を越したおべんちゃら、ヨイショであるが、さらに怖いのは、これが単なるヨイショ発言ではなく、実際にリニア問題において「毛沢東思想」の応用が実践されていることだろう。

 毛沢東は、世界屈指の強国となった中華人民共和国の生みの親である。ヒトラーやスターリンと並ぶ大量虐殺者でもあり、一般的な歴史家の評価はすこぶる悪い。レーニン主義者である毛沢東は、ソ連を参考にしながら国づくりに励んでいる。1930年ごろ、国民党からの大弾圧を受けた毛沢東は、中国の南西部にある井岡山(せいこうざん)にこもり、農村部の赤化(土地の再配分)を進めていた。中央政府の影響を受けづらい地方の農村をひとつひとつ共産党の支配下に変えていったのだ。
 この手法は、川勝がリニア工事によって減るかもしれない大井川の水量を「命の水」と主張し、大井川流域の農村を煽り続けた方法論によく似ている。大井川流域の農村も、過去に干ばつや洪水に悩まされた歴史が潜在意識に深く刻まれており、川勝が掲げる「命の水を守れ」というプロパガンダに騙されてしまったのだ。

 川勝は、「リニア工事によって大井川の水量がもしも減ってしまったら、JR東海が責任をもって水量を戻す」という静岡県とJR東海が大筋合意をしていた約束をひっくり返し、「工事で出た一滴の水でもすべて戻せ」という主張を開始した。JR東海はちゃぶ台がえしを受け入れ、川勝の意向に沿う形で工事を進めようとしたが、今度は「工事の準備段階で出てしまう微量の水がそのまま戻らない」「山梨において出た水も静岡に戻せ」という難クセをつけ始めた。
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川勝知事は毛沢東思想の信奉者なのか

住民への敬意ナシ

 川勝は、リニア工事の許可と引き換えに、静岡空港に新幹線新駅をつくれと迫ったことがある。静岡空港は、東京や関西に近いことから、日本人の需要に乏しく、開港以来の赤字が続いている。

 実際に、2013年からコロナ禍に突入するまでの期間、静岡空港が収益面で頼りにしていたのは、中国便だけであった。空港社長によれば「中国の訪日ブームで成田、羽田空港で発着できない航空会社が静岡を利用することになり、15年には一時、中国便だけで13路線が発着している時もあった」(日経新聞)という。
 2019年には、自民党の河原崎聖議員から「静岡空港の海外路線は中国便がほとんどで、今後も大きな割合を占めると思うが、さまざまな要因からリスクが大きく、依存しすぎることは空港の経営安定につながらない。より広い視点で路線拡大に取り組むべきではないか」と県議会で指摘がなされている。

 現状、中国は今なおコロナ禍に襲われている。海外旅行が復活していないため、静岡空港に発着する中国便はない。しかし、これまでのことを整理すると、静岡空港が一時的に潤(うるお)ったのは、中国人観光客のおかげであり、その中国人も静岡空港に来たかったわけではなく、羽田や成田の発着枠がいっぱいになってしまったがために、不便だが利用料の安い静岡空港を利用したにすぎない。実際に、静岡空港についた中国人の多くは、そのまま格安観光バスに乗って東京へと旅立っていったのである。静岡経済にはほとんどメリットがなかった。
 中国人にしてみれば、静岡空港は首都圏から遠い分、安ければ使うだけのことなのだが、川勝は何を勘違いしてしまったのか、知事就任以来、中国・習近平(当時)国家副主席への土下座外交を開始してしまったのである。

 静岡空港を発展させるためには、中国人観光客を増やすのが一番であり、そのために、習近平に近づいておこうという算段である。放っておいても増えるものは増えるのだ。土下座したところで、コロナ禍でそうであったように、来なくなってしまうのが中国人観光客である。
 静岡空港に中国便を就航させた前知事の石川嘉延氏の功績はあるだろうが、川勝には関係のないことだ。さらに言うなら、静岡空港の開港に際して、空港周辺で航空法に定める制限を超える立ち木を伐採する必要があったが、川勝は「抗議するのをライフワークとするような人もいたが、前の知事さんが木を切っていただく代わりに自分の腹を切るという形になった」という発言もあった。

 行政や住民への敬意など川勝には微塵もない。リニア妨害をライフワークにする川勝は、さっさと退陣すべきだ。
おぐら けんいち
1979年生まれ。京都大学経済学部卒業。国会議員秘書を経てプレジデント社に入社、プレジデント編集部配属。経済誌としては当時最年少でプレジデント編集長に就任(2020年1月)。21年7年に独立。現在に至る。

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