「新しい資本主義」の本質は"計画経済"

 岸田文雄総理は、令和4年の年頭所信において、次のように経済施政方針を発表した。
 
「新しい資本主義」においては、全てを、市場や競争に任せるのではなく、官と民が、今後の経済社会の変革の全体像を共有しながら、共に役割を果たすことが大切です。(中略)こうした取組により、「成長と分配の好循環」を生むことで、経済の持続可能性を追求するのが、私が掲げる「新しい資本主義」です

 しかし、マーケットの反応は鈍い。昨年末の12月14日、衆院予算委員会で岸田総理が「企業の自社株買いを規制するためガイドラインの作成を検討する」という方針を表明すると、日経平均株価は300円超の下落を示した。

 経済は言うまでもなく国家の血液であり、どのような政策も経済基盤を支えにしている以上、経済が強くなければ良い政策は出来ない。今回、岸田政権が「新しい資本主義」と命名した施政方針をそのまま読み解くと、国家権力が市場に介入する行為を前提にしたものであると思われる。「全てを市場に任せない」という岸田政権の宣言は、まさに「計画経済」だといえる。

 「計画経済」といえば、共産主義国での取り組みとその失敗を思い浮かべる方が多いと思うが、時代が変わったいま、国家権力による計画経済(市場介入)が果たして国益になるのか。その是非を検討したく思う。
橋本琴絵:岸田流「計画経済」が市場に評価されないワケ

橋本琴絵:岸田流「計画経済」が市場に評価されないワケ

なんでマーケットは評価してくれないの?

計画経済が成功する条件

 まず、何故岸田政権は計画経済の施政方針を表明したのだろうか。その背景となる動機は二つ考えられる。

 第一に、岸田総理が所属する自民党内派閥の宏池会は、池田勇人総理から始まる。第二次世界大戦で領土を喪失して多くのインフラを破壊された日本の経済を発展させるため、池田政権はまさに計画経済によって日本経済を復興させた。この成功経験を再現させたいとする狙いがあると考えられる。

 第二に、「コロナ禍」という市場への影響がある中、現在の科学技術の水準であれば、計画経済の欠点を補いながら成功する可能性が必ずしも否定できない状況がある点だ。
 第一の成功経験は単純な感情論であるから説明を省くが、第二の「計画経済が成功する可能性の是非」について検討しよう。

 まず、経済政策には対立する二つのものがある。ケインズ政策とハイエク政策だ。ざっくりと両者を簡単に説明すると、ケインズ政策は国権が計画経済で市場介入して統制する。一方で、ハイエク政策は国権の市場介入を不当なものとみなす。何故ならば、国家は「市場の情報を把握できない」という前提をハイエクは指摘しているからだ。

 例えば、ケインズ政策が成功した事例は、ヒトラーの戦後復興と日本の戦後復興とアメリカの戦時経済などが挙げられる。実は、これらの成功例は国家権力側が「市場の情報」を把握できたことによる。
橋本琴絵:岸田流「計画経済」が市場に評価されないワケ

橋本琴絵:岸田流「計画経済」が市場に評価されないワケ

経済学の巨人、ケインズ(左)とハイエク(右)
via wikipedia
 「市場の情報」とは何か。戦争によるインフラ破壊を例にとるとわかりやすい。例えば、第一次世界大戦のドイツ敗北の影響で生じたラインラント接収、ザールラントの石炭利用権接収、そしてルール工業地帯占領など、市場原理に因らない要素で市場が干渉を受けた場合は、その「干渉を受けた分」を数値として国家が把握できるため、計画経済が上手く機能する。戦後日本の経済復興も、米軍の攻撃で破壊されたインフラは数的に計算可能であり、市場原理とは無関係の「干渉」があった場合、計画経済でその「干渉された分」を排除することができる、ということだ。

 わかりやすいのがアメリカの例だ。アメリカは1929年の世界恐慌のあとニューディール政策を実行してダム建設など行ったが経済復興はしなかった(※)。しかし、第二次世界大戦にアメリカが参加して、ドイツ軍や日本軍がアメリカの戦車や戦闘機を破壊し、戦艦と空母を損傷させて航行不能にすると、その「損害を受けた分」を計算して把握できる。ここに戦時国債でかき集めた資金を投入し、「月刊空母」と言われるほどのペースでエセックス級空母を建艦して労働者を雇用した。また、この時代のアメリカの標準的輸送艦であるリバティ艦は、どれだけ早く建艦出来るか各企業に競わせて、最短72時間で建造するなどの記録が残っている。こうして政府は兵器製造を企業に発注し、企業は労働者を雇用し、計画経済は成功をおさめ1944年にアメリカは世界恐慌以前の経済水準を取り戻したのである。

※ニューディール政策の評価については諸説あります(編集部)

 では何故、世界大戦がはじまるまで計画経済であるニューディール政策は成功しなかったのか。それは平時であるから、市場の情報を政府が把握できなかったためである。戦時であれば「撃沈された船と破壊された戦車の数」は政府が把握できるし、需要の目的が「日本軍とドイツ軍を倒す=そのために銃弾が必要だ」というきわめて簡潔な願望となり、複雑性を失い単純化する。要するに敵を倒せばよいのであり、「どのように美しく倒すか」などということは誰も意図しない。

平時は需要が多様化する

 極限状態になればなるほど「水が飲みたい」など人の願望は極めて単純化する。よって需要も単純化するので政府が把握できる。しかし、平時における人の需要は極めて複雑で多様化しているのだ。「水が飲みたい」がたちまち「アルプス山脈の一万年前の地層からくみ上げて木炭で濾過した天然水をお風呂上りに5度以下に冷たくして飲みたい」など複雑に変化する。一つでも希望条件が欠ければ「いらない」と需要が消滅する場合もある。

 例えば、ポケモンカードを例にとって考えてみよう。これはカラー印刷された紙片であり、遊戯であるゲームに使用する。しかし、「レアカード」というものが発生する。個々のカードの価値は違う。発行枚数が決まっているのに、そのカードを欲する者の数が増加するからだ。何故そのカードを人が欲するのかは、ポケモンに対する感情的な精神作用やゲームルールなど複雑怪奇であり、もはや「ポケモンカードを愛している人」にしか把握できない。私も、官僚も、あなたも把握できない。しかし、ポケモンカード収集家という「専門家」だけはその価値の変動と理由を把握できる。このため、ポケモンカード販売業者は自由に価格を設定できるわけだ。

 この、「官僚はポケモンカードの価格変動とその時間的推移や変動原因と変動幅を把握することができない」という点がポイントだ。計画経済が実施されればポケモンカードも「しょせんは紙だ」となり、ポケモンカードを愛する人々は、カードの商取引を適正価格ですることができなくなってしまい、利益の機会を喪失する。平時に計画経済を実施すると、これを「いたるところ」でやってしまうのである。
橋本琴絵:岸田流「計画経済」が市場に評価されないワケ

橋本琴絵:岸田流「計画経済」が市場に評価されないワケ

平時に何が流行り、何が売れるか…などを把握することは不可能に近い
 ハイエクは、市場の情報や知識をすべて知ることは不可能であり、部分的な情報を熟知する者が参加する市場こそ、もっとも効率のよい経済の担い手であると指摘する。

 つまり、戦争中や戦争が終わった直後のように「市場介入=破壊された分など」を政府が把握することは容易であるから計画経済は成功するが、平時においてはひとの需要はきわめて複雑化するため政府は市場の情報を把握できない。市場の情報を全て知るのはどんな知識人(政府)でも不可能だから、介入は無意味であり、専門的な情報に熟達した人々がいる市場に任せるべきであるというのがハイエクの結論だ。

 ケインズが誤っており、ハイエクが正しいということではなく、ケインズは市場経済を危機から、ハイエクは平時から分析したのである。

 池田内閣の所得倍増計画が成功したのは、市場における需要が「単純」であったからに他ならない。敗戦から間もない頃の市場は満足な衣食住を欲したのであり、機能的で美しく数多の他者から称賛される「インスタ映え」する衣食住を求めたのではない。よって、現在(コロナ前)とは状況が全く違うのだ。

"ビッグテック"が計画経済を可能とするのか

 さて、ここまでは経済学の定石である。世界の自由主義の国々は戦後復興を果たした後、計画経済を差し控えてきた。平和であるからだ。

 ところが現在、技術の進歩によって少し前提が変わった。筆者の予想であるが、おそらくこの「技術の進歩」を理由にして岸田政権は計画経済を表明したのではないかと思料される。

 この「事情が変わった」といえる部分の引用をハイエクの言葉からしてみたい。

どんな単一のセンターも、様々な商品の需要・供給状態に常に影響を与える諸々の変化を細部に至るまですべて把握したり、それらの情報を即座に収集し広範に伝達したりすることは全く不可能である。そのため、諸個人の活動が相互にどのように影響を生み出しているかを自動的に記録し、同時に、諸個人がどんな決定をしたかという結果を明らかにし、またそれに従って諸個人が決定を下していくためのガイドとなるような何らかの記録装置が必要になる”(F.A.ハイエク『隷属への道』西山千明訳 第四章計画の不可避性より)

 ハイエクがこの論文を発表した当時(1944年)、そのような「記録装置」すなわち人々の「欲する気持ちやその原因」という市場の情報を把握するビックデータを保存する方法は技術的に存在しなかった。ところが、今は「ある」かもしれないのだ。御存知の通り、クラウド化された膨大な情報の蓄積である。つまり、ハイエクが「計画経済は出来ない」という前提条件がいま崩れているかもしれないのだ。

 このため、「いまなら平時でも市場の情報を政府が把握して計画経済が出来るかもしれない」と岸田政権は考えたのではないだろうか。
橋本琴絵:岸田流「計画経済」が市場に評価されないワケ

橋本琴絵:岸田流「計画経済」が市場に評価されないワケ

テクノロジーの進化で、人々の需要を予測できるようになるのか―
 しかし、筆者はこれに懐疑的だ。いくらビックデータの蓄積があるとはいえ、人の購買心理とは瞬間的に変わるものであり、それこそどのような詳細な情報(移動・購入・売却・閲覧)も逃さず国家が把握収集するようにしなくてはならないからだ。それはもはや、自由主義の社会ではない。中国がいま行っている「ディストピア」だ。徹底した監視社会にするという前提の上で計画経済は機能する可能性を秘める。

 もちろん、新型コロナウイルスを「有事の市場干渉」と解釈した上での計画経済なのかもしれないが、ウイルスはインフラを破壊していない。人と人の接触を避ける影響を市場に及ぼしたが、現代は通信技術が発達しているため、干渉された市場は飲食業や旅行業など限定的だ。

 アベノマスクのように、政府がマスクを発注・配給してマスクを市場に吐き出させたのも計画経済の一種ではある。しかしこの例が「有事における計画経済」として完全な成功例となったのは、ウイルスによってマスク買い占めが起きたという明らかな「市場干渉」に対応するという目的の明確性と、「マスク市場」というワンイシューであったために、その単純性によって政府が市場の情報を把握できたためだ。
橋本琴絵:岸田流「計画経済」が市場に評価されないワケ

橋本琴絵:岸田流「計画経済」が市場に評価されないワケ

いくら経済成長に寄与しても、中国のような「監視社会」はご免だろう―
 政府の介入を市場全般に対して行うためには、「完全監視社会」にするほかない。そして、それは自由と民主主義とは決して相容れない。

 以上の理由から、岸田政権の経済施政方針に株式市場も懐疑的であり、値幅変動も発足以来限定的なのではないだろうか。経済政策まで「中国に倣え」をされたら、たまったものではないからだ。

 岸田政権は、市場介入を示唆する行為をやめるべきだ。それは、間違いなく「保守主義」とは対極に位置する思想である。
橋本 琴絵(はしもと ことえ)
昭和63年(1988)、広島県尾道市生まれ。平成23年(2011)、九州大学卒業。英バッキンガムシャー・ニュー大学修了。広島県呉市竹原市豊田郡(江田島市東広島市三原市尾道市の一部)衆議院議員選出第五区より立候補。令和3(2021)年8月にワックより初めての著書、『暴走するジェンダーフリー』を出版。

関連する記事

関連するキーワード

投稿者

この記事へのコメント

コメントはまだありません

コメントを書く