労働者を大量に受け入れた歴史はない

 いま、岸田政権が推進しようとしている移民解禁問題が世論を騒がせている。今年10月19日に発行された岸田総理の著作『岸田ビジョン 分断から協調へ』(講談社+α新書)には、次の一説がある。

 「日本は奈良、平安の昔から多くの渡来人を受け入れ、その技術や文化を受容することによって発展してきました」

 確かに、日本書記には高句麗から渡来した僧の曇徴が塗料や墨などの文具を日本に伝えたとの記録があり、また百済からきた段楊爾や漢高安茂が儒教を日本に伝えたことも記載されている。しかし、これらの渡来人は高等技術を持った社会的エリートに限定されており、日本史のどの時代をみても労働者を大量に受け入れた歴史は無い。例えば第50代桓武天皇の生母高野新笠は渡来人であると記録されているが、高野新笠の祖先にあたる「王族」が日本に渡来してから約200年後の話である。

 このように歴史を振り返ると、岸田総理の「渡来人を受け入れて技術や文化を受容した」ことと、技術や文化を持たない人々を大量に受け入れることには、全く以て関係性が無く、岸田総理の歴史観に疑いを容れざるを得ない。為政者には正しい歴史観が必要である。
橋本琴絵:無意味な「門戸開放」が政権を滅ぼす

橋本琴絵:無意味な「門戸開放」が政権を滅ぼす

正しい歴史観を持っていただきたい―

無思慮な通貨の「開放」で経済破綻

 むしろ、我が国の近世・近代においても、時の政権担当者が無意味な「門戸開放」を行うことで、その権力を消滅させたことすらある。つまり、効果のない「門戸開放」がマイナスに働き、政権を消滅させたということだ。

 その例として、江戸幕府のメキシコ銀貨解禁政策と、昭和初期の民政党政権による金解禁政策をみてみよう。

 時は幕末、ペリー来航の後、大老井伊直弼は天皇の許可を得ない違勅条約を欧米列強と締結した。安政五か国条約である。このうちアメリカと結ばれた日米修好通商条約で幕府は本格的にアメリカと取引をするようになった。このとき、幕府は「外国通貨と日本国通貨の交換比率」を現状のまま解禁するという愚挙を侵した。

 江戸時代の日本は、江戸は金貨を使い大坂は銀貨を使っていた。そこで、江戸と大坂で商取引をする際は金貨と銀貨を交換していた。この交換比率は変動相場制であり、今日でいうFXと同じ原理で為替相場があった。現代でも株やFXのテクニカル指標として全世界で使われている「ローソク足」は、江戸時代の相場師、本間宗久が開発したものだ(※)。

※ローソク足の開発については諸説あります(編集部)。
橋本琴絵:無意味な「門戸開放」が政権を滅ぼす

橋本琴絵:無意味な「門戸開放」が政権を滅ぼす

考えなし交換比率の設定が、金の大量流出を招き、江戸幕府は経済危機に陥った(写真は文政小判)
via wikipedia
 さて、日米修好通商条約が締結された年の金銀交換率は、相場でおよそ金1対銀5であった。しかし、アメリカ国内の金銀交換率は金1対銀15であった。アメリカは安価なメキシコ銀が流入したことで銀価格が低下していた。そして、江戸幕府は恐るべきことに「この比率のまま」市場を開放したのである。

すると当然、アメリカ人は銀貨を15枚日本に持ってきて金貨3枚と交換する。それをアメリカに持ち帰ると銀貨45枚になる。この銀貨45枚を再び日本に持ち込むと金貨9枚になる。つまり、日米を往復するだけで莫大な金貨を「タダ」でアメリカ人は取得できたのだ。

 こうして、日米修好通商条約が締結された2年後には日本国内に流通する金貨(小判)がほぼゼロになり、通貨危機が発生した。これに対して、幕府は従来の小判から金含有率を大幅に低下させ、かつサイズ自体を縮小した「万延小判」を鋳造したが、このような粗悪な貨幣の信用性は低く、経済破綻した。一昔前、「徳川埋蔵金を探す」というテレビ番組シリーズがあったが、そんなものは絶対に存在しない。何故ならば、幕府が「開けてはいけない扉を能天気にも開けた」ため、日本国内の金はほぼすべて海外に流出していたからである。

 こうして経済危機を迎えた幕府は、その財政基盤を失うと共に統治能力を失い、明治維新を迎える。明治政府は貨幣経済を立て直す必要性があったが、明治初期の日本国内には金貨がほとんどないため、通貨を取り扱う機関を「BANK」を「銀行」と訳したのである。

 この後、日本は「金貨と交換できるチケット制度」である兌換券制度(金本位制)の導入を目指すが、金貨がなかった。金本位制が成立したのは1895年に日清戦争に勝利して、下関条約で大量の金塊を賠償金として得た後である。こうして1897年に貨幣法を制定して「1円金貨には金0.75グラムを含む」と法定し、ようやく金本位制が始まったのである。

 これが「門戸開放の失敗」の第一回目の失敗である。

産業界におもねった「開放」で政権崩壊

 次の失敗は、昭和初期に民政党政権が犯した「金解禁」だ。昭和初期、世界各国は貿易の際に金貨での直接取引を禁止していた。この当時、1円金貨には0.75グラムの金が含まれており、1ドル金貨には1.5グラムの金が含まれていたため、単純計算して「1ドル2円」の固定相場制であった。ところが、第一次世界大戦がはじまるとドイツ帝国のUボート艦隊による無制限攻撃が始まり、決済用金貨を積載した輸送船が撃沈されるようになった。これに対応するため、世界各国は自国の金貨を国外に持ち出す貿易を禁止した。その代わりに、「持参すれば自国の金貨と交換できるチケット」を発行した。外国為替である。外国為替であれば輸送船が撃沈されても紙であるため、国庫に負担は無いからである。

 こうして、外国為替市場が発達し、市場価格でドル円は1ドル2.3円程度の円安相場となっていた。これに対して、民政党政権の大蔵大臣井上準之助は、「日本製品の低価格化で国際市場の競争に勝ちたい」とする産業界の要請を受け、突如として「金貨での直接取引許可」を出したのである。

 つまり、金貨を使って貿易の決済をすれば、為替相場より0.3円安いため、誰もがこぞって金貨で取引をした。結果、再び日本国内の金貨は海外に流出し、大規模なデフレが起きたのである。企業家はデフレによって日本製品が低価格化して国際市場で販売しやすくなったため喜んだが、(デフレ圧力で賃金が低下したことに伴い)賃金労働者である国民の生活は苦しくなり、激怒した。
橋本琴絵:無意味な「門戸開放」が政権を滅ぼす

橋本琴絵:無意味な「門戸開放」が政権を滅ぼす

金解禁に踏み切った井上準之助
via wikipedia
 その後に政友会政権が今日と同じく「管理通貨制度」(銀行券制度)を創設して対応しても国民生活の苦しさは増す一方であり、1925年に普通選挙が開始して僅か7年後の1932年には政党政治が終了した。企業家は「製品の低価格化」で国際市場に勝とうとしたが、石原莞爾ら関東軍将校が満州事変を起こして「日本製品だけが販売独占できる市場」そのものを作り出したため、デフレである必要がなくなったからである。(しかも、デフレにして日本製品を低価格化しても、英米は日本製品排斥法を成立させて高額関税をかけたのでデフレで製品を低価格にしても全く意味がなかった。)

 「政党に政治を任せているから経済危機が生じて生活が苦しくなった。しかし、軍人さんは日本製品輸出先の満州を獲得して日本人の雇用を創出したではないか。軍人さんに経済を任せておけば安心だ」という世論が強く喚起され、戦前における我が国の政党政治が終了したのである。

単純計算ができない"エリート"

 さて、この二つの失政に共通するものは何か。それは、単純に「掛け算割り算が出来なかった」ことである。まさか、江戸幕府の血統的エリートや大蔵大臣とそれを支える大蔵官僚が「掛け算割り算が出来なかった」とは、にわかに信じ難い話であろう。しかし、まぎれもなくこれは日本史上の事実なのだ。

 現に、江戸幕府がメキシコ銀受け入れをするときも江戸商人らが強く反対するも、幕府は聞き入れず、また民政党政権が金解禁をするときも石橋湛山ら経済人が強く批判するも、全く聞き入れなかった。冗談のような本当の話であるが、「掛け算割り算が出来ない為政者」というものは我が国に確かに存在した。

 そこで今回の移民解禁政策を見てみよう。そもそも前提として移民が特定の労働をしてくれるという話であるが、現行のように「在留期限5年」という縛りがあるならまだしも、永住権を与えてしまっては憲法上の職業選択の自由があるため、労働力を必要とする業種で移民労働者を働かせる強制力がない。すると、移民は都市部に移動してより賃金の高い業種を求めるから、結局は日本人の雇用を脅かす。

 また、医療費や福祉費、そして最悪生活保護受給となった場合、移民労働がもたらす経済的利益以上の支出を政府はせざるを得ない。つまり、移民労働によって発生する利益と、移民によって発生する経費の「引き算」をして、果たして本当に利益が残るのかといった計算さえ一切公表されていないのである。

 政府は、移民労働による利益と移民によって発生する経費(医療・福祉・生活保護・日本語教育・犯罪被害・捜査費用・裁判費用・収監費用・移民居住地区の不動産価格の変動)の計算表をまず公表してから、議論をすべきである。政策に自信があるのであれば、掛け算割り算が出来なかった過去の政権担当者とは異なり、「足し算引き算」がまず出来ることを国民に示すべきであろう。
橋本 琴絵(はしもと ことえ)
昭和63年(1988)、広島県尾道市生まれ。平成23年(2011)、九州大学卒業。英バッキンガムシャー・ニュー大学修了。広島県呉市竹原市豊田郡(江田島市東広島市三原市尾道市の一部)衆議院議員選出第五区より立候補。2021年8月にワックより初めての著書、『暴走するジェンダーフリー』を出版。

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