橋本琴絵:岸田新総裁は靖國参拝を実現せよ

橋本琴絵:岸田新総裁は靖國参拝を実現せよ

「政治的主体」であることの重要性

 岸田文雄・自民党新総裁が誕生した。自民党総裁選は、実質的に日本の総理大臣を決める選挙でもある。現在の日本を取り巻く国際情況は厳しく、岸田政権が取り組むべき課題は多岐に渡るが、本稿では新政権の「統治能力と外交能力」をはかる客観的なメルクマールとして「靖國神社参拝」を提唱したい。

 岸田新総裁は総裁選中、靖國神社参拝の是非について「時機をみて参拝したい」と答えている。自らに有利な時局を見極めることは政治的能力を推し量るうえで大切だが、それ以上に重要な視点は「政治的主体」であることだ。つまり、他者の都合や動静に影響されて方針を決めるのではなく、自らが能動的に物事を決めて他者に影響を与える主体性を持つことにこそ政治の本質的目的がある。外国が反対するから参拝できないという主張は、外交能力がないという無能の自白に過ぎない。

 この意味で、もし岸田新総裁がその内心において散華された英霊への弔意は不要であるという考えではなく、真摯に靖國神社参拝の必要性を感じられているなら、その主体性をもって参拝に反対する諸外国の「説得と同意」を引き出す外交能力を示す好機であるといえよう。

 そこで、本稿は新政権の外交能力を高めるための「四つの提言」を以下に謹んで申し上げたく思う。

 第一に、靖國神社に合祀された御霊のなかに戦争指導者がいるという事実についての評価に伴う「信教の自由」である。個人的な思想で、これを戦犯だとして否定的に捉えることが内心の自由であることと同様、極東国際軍事裁判(東京裁判)などで法務死(※)された方々の御魂に尊崇の念を抱くこともまた信教の自由である。
 ※法務死:刑死した者を指すが、特に東京裁判の刑死者に対して用いられることが多い。

 「靖國神社に参拝したいが批判されるのでできない」という規範を一国の宰相が示すことは、基本的人権を構成する「信教の自由」の制限が実質的に行わていれる国であることを同時に意味してしまう。

 したがって、日本のリーダーたる者は、何人たりとも信教の自由を否定することはできないことを国民に示す必要がある。信教の自由は宗教活動の一環として、たとえば警察から指名手配中の被疑者を匿ったりするなど、他の法令に抵触する場合を除き、公共の福祉による制約を受けない。極論とも思えるが、テロ行為をしたオウム真理教が解散しても、その信者は法人格を有しない宗教団体を存続させ、あるいは新たに結成することを妨げられるわけではないという最高裁の「信教の自由」の基準すらあるのだ。つまり、宗教法人としての靖國神社参拝を妨げることは、基本的人権の否定以外のなにものでもない。
橋本琴絵:岸田新総裁は靖國参拝を実現せよ

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高市早苗候補は、総裁になっても靖国神社への参拝を行うことを明言していた。

靖國は行かずアーリントンは行く、の矛盾

 第二に、戦犯という概念の正しい理解である。日本国においては、戦傷病者戦没者遺族等援護法の一部を改正する法律(昭和28年法律第181号)附則第20項、そして恩給法の一部を改正する法律(昭和29年法律第200号)附則第4項に基づき、大東亜戦争の終戦後に拘禁されて死亡した方々の遺族に対して遺族年金支給を法定している。そこに「戦犯」という概念はない。もちろん、この法定に対していわゆる戦勝国からは一切の抗議は出ていない。

 それはなぜか。理由は明白である。「戦犯」は、いわゆるサンフランシスコ平和条約(昭和27年条約第5号)第11条「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする」という法的根拠を持つが、これは生存している自然人に適用される条約であって、その者の死亡後の「魂」に適用される条約ではないからだ。宗教観の取り扱いを定めた条約ではないのである。

 つまり、連合国による被拘留者が拘禁中に死亡または法務死するまでは確かに昭和27年条約第5号という根拠法に基づく「戦犯」であるが、その者が死亡した後も、「魂」という形而上の存在に対してサンフランシスコ平和条約第11条が適用されるという法解釈は存在しないということだ。だからこそ、戦犯とされた方々の遺族年金給付の法定について、諸外国は何も言わなかったのである。

 にもかかわらず、この「魂にもサンフランシスコ条約が適用される」という荒唐無稽な法解釈が独り歩きし、靖國神社の祭神を「戦犯」と言う珍説が、外国のみならず我が国の政府高官や国会議員、マスメディアなどにも浸透しているのである。残念ながら高等教育の失敗であると評価せざるを得ない。靖國の英霊に戦犯はいないのだ。

 第三に、倫理的反論を欠いていることである。前述の「魂にも生前の法的判断が適用される」という基準を仮に適用するならば、次のことが言える。岸田新総裁は当然、今後渡米してアーリントン国立墓地に参詣することが予想される。しかし、同墓地には広島に原爆を投下したB29エノラ・ゲイ搭乗員のウィリアム・スタリング・パーソンズが埋葬されている。パーソンズは原子爆弾リトルボーイの起爆装置を組み立てて原爆内で起動させるという極めて重要な役割を果たし、およそ20万人以上の一般市民を死なせた「直接の行為」を行った人物だ。

 もし、「靖國神社にも参拝し、アーリントン国立墓地にも参拝する」というのであれば、戦争という凄惨な歴史を踏まえ、個別的な行為の是非は問わず戦没者全体に対する哀悼の念を優先するという姿勢であるといえるが、祭祀対象が日本人の場合は参拝せず、原爆によって大量の日本人を死に追いやった者に対しては参詣するという非対称性を持つのであれば、それは人種差別的であろう。

 これは韓国の国立ソウル顕忠院にもいえる。ベトナム戦争で5万人以上の兵士を派兵し、今もある戦時強姦混血児のライダイハン問題などを引き起こし、多くのベトナム人女性をそれこそ「性奴隷」にした最高責任者の朴正煕の魂には参詣する一方、日本の戦争指導者の魂を合祀する靖國神社には参拝しないというのであれば、これもまた人種差別思想がその根底にあると言わざるを得ない。

 よって今後、諸外国から靖國神社参拝を「A級戦犯」を理由に非難された場合、「原爆投下メンバーをアーリントン国立墓地から外せ」と反論するのが合理的である。これが「外交能力」というものではないだろうか。
橋本琴絵:岸田新総裁は靖國参拝を実現せよ

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靖國は行かず、アーリントンは行く―では道理が立たない

総理大臣に必要なのは国民への「共感能力」

 最後の提言は、靖國神社参拝に関してなされた、非常に重要な演説を引用することをもって代えたい。

 我が国最初の女性国会議員、山下春江衆議院議員(自由民主党、当時改進党所属)による第15回国会衆議院本会議第11号昭和27年12月9日における大演説である。

 “極東裁判の判事であり、日本の無罪を主張したインドのパール博士は戦犯に対して、「ここにおられる皆さんは最悪の不公正の犠牲者である。戦犯條例によつて定められた法は、ドイツ人を、あるいは日本人を対象とした法であつて、一般社会に適用されるべきものでない」というあいさつをされています。

 占領中、戦犯裁判の実相は、ことさらに隠蔽されましてその真相を報道したり、あるいはこれを批判することは、かたく禁ぜられて参りました。当時報道されたものは、裁判がいかに公平に行われ、戦争犯罪者はいかに正義人道に反した不運残虐の徒で憎むべきものであるかという、一方的の宣伝のみでございました。国民の敗戦による虚脱状態に乗じまして、その宣伝は巧妙をきわめたものでありまして、今でも一部国民の中には、その宣伝から抜け切れない者が決して少くないのであります。

 戦犯裁判は、勝つた者が負けた者をさばくという一方的な裁判として行われたのであります。国際法の諸原則に反して、しかも現在文明諸国の基本的刑法原理である罪刑法定主義を無視いたしまして、犯罪を事後において規定し、その上、勝者が敗者に対して一方的にこれを裁判したということは、法律の権威を失墜せしめた、ぬぐうべからざる文明の汚辱であると申さなければならないのであります。

 有罪項目が自分の行為ではなく、まつたく虚構であつたか、あるいは捏造された者、人違いであつた者が非常に多く、日本人なるがゆえに、他に何らの理由もなく処罰された者などがあるありさまでありまして、また、裁判の審理が一方的で、公判廷において被告に十分の陳述を許されず、証拠も物的証拠はなく、ほとんどが人的証拠、すなわち証人の証言によるものでありましたが、その証人も多くは公判廷に出席せず、検事のつくつた宣誓口述書を単に読み上げるものが多かつたようでございます。それは、もし証人を出席させますと、被告人と対決することにより、証人の偽つた証言が暴露されることをおそれたからでございましよう。

 今巣鴨にいる大多数の者は、家庭を離れてすでに平均十年になつており、十五年から、はなはだしきは二十余年に及ぶ者もいるありさまでございます。戦時中は、いまだ留守家族は、国家、国民のあたたたかい庇護を受けて、ただ別離の悲しみのみでございましたが、終戦後は、一家の大黒柱を奪われたまま、忌まわしい戦犯者の家族として、一般国民以上に深刻な精神的な苦悩を負わされて参りました。留守家族が経済的に困窮して生活にあえぎ、また種々の不幸を人一倍味わわされたことは、想像にかたくないのでございます。

 その困窮の状況は依然として深刻なるものがございます。戦犯者となつたがために、本人が離婚または婚約解消のうき目を見た者が実に六十九名もあるのでありますが、この悲しみは、単に本人のみならず、家族も、戦犯者の家族なるがゆえに就職を拒否された者二十二名、結婚をはばまれた者十二名、その他社会的迫害を受けた事例ははなはだ多いのでありまして、これがために自殺をはかつた者十二名、発狂した者十六名という、悲惨きわまりないものでございます。

 つい最近のことでございますが、私が巣鴨訪問中、待ち切れなくなつた妻から離婚届の捺印を求めて来た書簡を持つて、ぽたぽたと涙を流しながらうなだれている戦犯者の前で、何と言つて慰めてよいか、言う言葉もなく、私もまた涙しながら政府のふがいなさに憤りを感じたのでございます。政府はこれが実現のためにあらゆる方途を講じ、最善の努力を傾け、すみやかに解決せられんことを念願いたすものでございます。”(一部要約。太字は著者指定)
橋本琴絵:岸田新総裁は靖國参拝を実現せよ

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大演説を行った山下春江・元衆議院議員
via wikipedia
 議員が持つ国民への共感とは、斯くも重要であることを示す名演説である。

 政治家は暫し「国民に寄添う政治」をテーマにした主張をする。これは、国民に対する共感能力があることを宣言したものであると見做すことが出来る。いま、コロナ禍の中、多くの国民は貧困と感染の恐怖に苦しんでいる。その痛みに共感できる新指導者であることを示すことが統治する上で重要である。

 なればこそ、祖国のために殉じた英霊の痛みと孤独に共感できない者が、現在の国民に共感できるとする理由はない。

 新総理大臣が最も優先すべきは、先ず高い共感能力を示すことにある。先輩自民党議員に範を取り、新政権閣僚全員は靖國神社参拝以て真摯な愛国心(共感能力)を示すべき時局であることを申し上げたい。
橋本 琴絵(はしもと ことえ)
昭和63年(1988)、広島県尾道市生まれ。平成23年(2011)、九州大学卒業。英バッキンガムシャー・ニュー大学修了。広島県呉市竹原市豊田郡(江田島市東広島市三原市尾道市の一部)衆議院議員選出第五区より立候補。日本会議会員。
2021年8月にワックより初めての著書、『暴走するジェンダーフリー』を出版。

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