山口敬之の深堀世界の真相㉝~アメリカの"田中真紀子"の解任

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アメリカの"田中真紀子"?リズ・チェイニー
 5/12日、アメリカ共和党下院のナンバー3が解任された。ワイオミング州選出の女性議員、リズ・チェイニーだ。

 と言っても、日本で彼女の事を知っている人はかなりの米国通だろう。しかし父親のディック・チェイニーという名前なら、聞き覚えのある方は少なくないと思う。ブッシュ(息子)政権で副大統領を務め、「影の大統領」とまで言われた共和党の大物議員だ。

 大物議員の娘の解任とはいえ、アメリカ共和党の内輪揉めを、なぜ私が取り上げるのか。それは、昨年の大統領選がアメリカ政治に残した深い爪痕と、日米メディアの歪みをはっきりと浮き彫りにしているからである。

リズ・チェイニー=アメリカの「田中真紀子」?

 リズ・チェイニーは1966年生まれの54才。ワイオミング州選出の下院議員だった父ディック・チェイニーの選挙応援に幼い頃から駆り出されるなど、政治に親しんで育った。

 シカゴ大学のロースクールを卒業したリズ・チェイニーは、アメリカの戦略的対外支援を担う国際開発庁や法律事務所で勤務していたが、父のディック・チェイニーが副大統領になると、2002年に国務省の次官補に大抜擢される。父がイラク戦争を主導する1年前の事である。

 次官補としてリズ・チェイニーが担当したのは、イラン・イラクを始めとする中東アフリカ地域の外交政策にコミットし、巨額の支援を差配する重要な役職だ。国務省での勤務経験がないまま、いきなり次官補に登用された事で、政治家が家族や親族を要職に抜擢する「縁故主義(ネポティズム)」との批判を受けた。

 そして2003年に職を辞すと父の副大統領再選キャンペーンの幹部として全米各地を回った。2004年にブッシュ(息子)政権が辛くも再選を果たすと、リズ・チェイニーも国務次官補の役職に再任される。引き続き中東アフリカ地域への戦略的支援を担当した娘は、副大統領の父が大株主を務める石油掘削会社「ハリバートン」にも、結果として巨額の利益をもたらした。

 「保守政党の超大物の娘」という立場を最大限活用してワシントンDCで名前を売ったリズ・チェイニーは、2016年の下院議員選挙に出馬して初当選を果たす。その後は、共和党内でトントン拍子で出世し、2期目にして共和党会議議長というナンバー3の地位に上り詰めた。

 父の威光によって政治家の階段を駆け上っただけに、父への尊崇は並々ならぬものがある。父の本名はリチャード・ブルース・チェイニーだが、リチャードの愛称「ディック」を常用した。娘もこれを踏襲し、エリザベスの愛称「リズ」を公式な場面でも使い続けている。

 一方で、妹がレズビアンであるにも関わらず同性婚に反対する立場を表明、「レズの妹が姉のリズへ強烈な批判を繰り返す」という、ゴシップ誌には堪らないネタを提供する、「お騒がせ」議員でもある。

 「保守政党の超大物の娘として外交部門に抜擢されたお騒がせ女性議員」といえば、すぐに思い出すのが小泉内閣で外相を務めた田中真紀子氏だ。

 父・田中角栄を裏切った経世会への深い怨讐を隠さなかった田中真紀子氏。政治手法から愛称まで、父の後ろ姿を追いかけているリズ・チェイニー氏。細かい所を見れば力量も政治的立場も大いに違うのだが、出自やキャラクターを身近な名前に置き換えてみると、アメリカ政治も身近に感じるのではないだろうか。
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「影の大統領」とまで言われたディック・チェイニー

解任劇の裏にある「保守分断」

 保守政界で異例の出世を遂げていたリズ・チェイニーがナンバー3の座を解任されたのは、反トランプの姿勢を明確にしたからである。

 昨年11/3の大統領選投票日から今年1/20のバイデン大統領就任式直前まで、トランプ大統領は選挙不正を訴え続けた。

 これに対し共和党内では、トランプ大統領のアクションを全面的に支持するグループと、距離をおくグループに二分された。

 選挙不正懐疑派の中でもリズ・チェイニーは、「トランプ大統領の選挙不正の主張は大嘘」と発言し、反トランプグループのリーダー格と看做されてきた。激烈なトランプ批判の背後には、父の意向があるのではないかとみる関係者は少なくなかった。

 そして今年1月、米議事堂襲撃事件をめぐるトランプ大統領に対する弾劾決議案の採決で、リズ・チェイニーは、「アメリカの大統領がその職責と宣誓に対してこれほど大きな裏切りをしたことはない」と述べ、9人の同志と共に弾劾に賛成票を投じた。

 自分の党の大統領の弾劾に賛成したのだから、日本で言えば、与党議員が内閣不信任案に賛成したようなものだ。

 これに対しトランプ支持派からは「許し難い反党行為」「党幹部として不適切」として、解任を求める声が上がっていた。

 しかし、1/20にバイデン政権が発足すると、共和党内の内輪揉めも次第に収まり、2月上旬に行われた投票では、リズ・チェイニーのナンバー3留任が賛成多数で認められた。3ヶ月に及んだ共和党内の親トランプ派と反トランプ派の軋轢も、これで収束に向かうかと思われた。

なぜトランプ支持層が強いか

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トランプ前大統領は、依然根強い人気を誇る
 ところが5月に入ると、共和党指導部内で、反トランプの立場を曲げないリズ・チェイニーを党幹部の地位に留めておくことは出来ないとの声が高まり、5/12に投票によって解任を決議したのである。

 党内宥和ではなく「裏切り者の断罪」という決断をせざるを得なかったのは、根強いトランプ人気に加えて、選挙に不正があったと考える共和党支持者が極めて多いからだ。

 南部フロリダ州では、選挙の際の有権者確認を厳格化する法案が5/6に成立している。これに対し、「投票の機会が事実上制限される」としてバイデン大統領ら民主党側は黒人や中南米系、障害者らに不利になると激しく批判。リベラル系の市民団体が法案撤回を求めて行政訴訟を起こした。共和党が主導権を握るジョージア州やテキサス州でも、選挙不正を防ぐための同様の手続きが進んでいる。

 要するに「大統領選の結果が不正選挙によって捻じ曲げられた」というトランプ前大統領の主張に沿った動きが、各地で続いているのである。

 こうした選挙不正の主張を「大嘘」と言い切るリズ・チェイニーが党幹部の座にいては、「党の結束が乱れる」というトランプ派の声に、共和党指導部は抗しきれなかったのだ。 

 トランプ氏は敗北したとはいえ、大統領選挙で7400万票を獲得した。これは歴代大統領選で第2位の数字である。

 来年は下院議員全員と、上院議員の1/3が入れ替わる中間選挙が行われる。全国のトランプ支持層を取り込まない限り、当選が見込めない議員がほとんどなのだ。

「影の大統領」ディック・チェイニー

 リズの父、ディック・チェイニーは、30才そこそこでニクソン政権の法律顧問として政界入りした。ウォーターゲート事件でニクソン大統領が辞任すると、続くジェラルド・フォード政権では大統領首席補佐官に抜擢される。34才という若さだった。

 その後は中東問題とエネルギー政策に深く関与しながら共和党内で実力を蓄え、1989年ブッシュ(父)政権で国防長官に登用されると、、1991年のクウェート危機では主戦論の論陣を張り、湾岸戦争を主導する。

 ブッシュ(父)政権が再選に失敗すると、チェイニー氏は自分が大株主の、石油掘削大手のハリバートン社で最高経営責任者となる。湾岸戦争で巨額の利益を得た会社に、国防長官が「転職」するなど、日本では考えられない究極の天下りである。

 もっと考えられないのが、戦争で巨額の富を得る会社の社長が、副大統領となってカムバックした事である。2000年に発足したブッシュ(息子)政権で副大統領に就任すると、2003年3月、アメリカはイラク戦争に着手する。

 自由と民主主義を掲げて国際情勢に積極的に関与し、数々の戦争を遂行したディック・チェイニーは、新保守主義(ネオコン)の頭目とされ、「影の大統領」「史上最強の副大統領」と呼ばれた。

 そのイラク戦争の最中に、中東地域への支援を担当する国務次官補の要職を務めたのがリズ・チェイニーである。父が始めた戦争の現地支援を娘が決済する。ある意味では究極の縁故主義であり、恐るべき父娘の紐帯である。

 こうして、親子二代で大統領を務めたブッシュ家に続いて、チェイニー家も「アメリカ保守の王族」とまで揶揄されるようになっていく。
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強固なつながりがあったブッシュとチェイニー

チェイニーvsトランプ

 今年1月3日、父ディック・チェイニーは、久しぶりに表舞台に登場した。

 トランプ大統領のバイデン政権への移行を妨害する試みに、国防総省や軍の関係者が一切協力しないように呼びかけたのである。

 この文書には、ドナルド・ラムズフェルド、マーク・エスパーといった歴代国防長官関係者10人が名を連ねたが、一番注目されたのがディック・チェイニーだった。

 国際情勢に積極的に関与し、戦争を遂行する事で、国防関係産業に巨額の利益が還元される「軍産共同体」こそが、ネオコンの力の源泉であり、長く共和党の主流派の位置を占めてきた。

 ところが、トランプ氏は4年間の大統領執務期間に、一つの戦争も起こさず、逆に中東地域など戦地で展開する部隊の縮小に邁進した。

 2018年にトランプ大統領に安全保障担当補佐官に任命されたジョン・ボルトン氏は、ブッシュ(父)政権で国務次官や国連大使を歴任し、ディック・チェイニーと共に政権の外交・安全保障政策を主導した、ネオコンの旗手だった。トランプ政権でも北朝鮮や中東地域で主戦論を展開したが、2019年に解任された。トランプは「ボルトンの言う通りにしていたら、戦争だらけになっていた」と述懐した。

 そんな戦争抑制派だったトランプ氏の、弾劾という最大の危機に、後ろから弾を打ったのが、ディック・チェイニーだったのだ。

 これは、単なる怨恨や個人的政争ではない。「介入主義」「ネオコン型経済成長」を志向する「伝統的アメリカ保守」と、「トランプ支持派」「新・新保守主義」との対決であり、アメリカの保守政治の本質的相克だったのである。

背景とダイナミズムを伝えない日本の報道

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実力はともかく、リズの経歴・人脈はまさに米国の「田中真紀子」?
 「自民党をぶっ壊す」といって誕生した小泉政権が、自民党内で隠然とした権力を長く維持した旧田中派=経世会と全面対決し、父の怨念を背負って加担したのが田中真紀子である。局部を切り取ってみると、父娘の怨念が政治を動かしたとも言えるのだが、今となってはそれも歴史の徒花に過ぎない。

 小泉内閣を俯瞰すれば、小選挙区制によって大きく変化していく日本の政治のダイナミズムの象徴であり、結果として自民党と保守政界も大きく変質し再編された。

 いったん再任されたリズ・チェイニーが結局解任された事は、チェイニー家に代表される「伝統的軍産共同体」の論理だけでは選挙に勝てないというアメリカ保守陣営の厳しい現実を示している。

 一見共和党内の内輪揉めに過ぎない解任劇も、実はアメリカ政治の重要な一局面である事がわかる。

 ところが、日本の新聞やテレビの報道だけ見ていると、こうしたダイナミズムは一切伝わってこない。
 
 最大の問題は、「トランプが選挙不正をでっち上げている」という所から報道をスタートしている所にある。

 確かにアメリカの反トランプメディアは、トランプ支持層の選挙不正の主張を「baseless(根拠なし)」と切って捨てている。しかし完全に根拠がないならば、なぜリズ・チェイニーが解任されなければならないのか。選挙不正というトランプの主張を支持する勢力が一定の割合で存在していて、それが来年の中間選挙を大きく左右するからに他ならない。

 選挙不正があったかなかったかは、日本人がとやかく言っても詮ない事だ。しかし、選挙不正の議論が軸となって、アメリカ政治が大きく揺さぶられている事は、十分に伝える意味がある。

 日本のメディアなのに、アメリカメディアの反トランプの風潮に流されているから、本当に注目すべき、極めて面白いダイナミズムが、日本の報道では一切伝わってこないのである。
山口 敬之(やまぐち のりゆき)
1966年、東京都生まれ。フリージャーナリスト。
1990年、慶應義塾大学経済学部卒後、TBS入社。以来25年間報道局に所属する。報道カメラマン、臨時プノンペン支局、ロンドン支局、社会部を経て2000年から政治部所属。2013年からワシントン支局長を務める。2016年5月、TBSを退職。
著書に『総理』『暗闘』(ともに幻冬舎)がある。

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この記事へのコメント

kurenai 2021/5/15 09:05

>ところが、日本の新聞やテレビの報道だけ見ていると、こうしたダイナミズムは一切伝わってこない。
 最大の問題は、「トランプが選挙不正をでっち上げている」という所から報道をスタートしている所にある。
・・・最初にシナリオを設定して、そこから一歩も外に出ようとしないのが日本のマスコミの悪癖ですね。

>選挙不正があったかなかったかは、日本人がとやかく言っても詮ない事だ。
・・・と言われても、気になるのだから仕方ありません。
「世を挙げて皆濁れり」的にアメリカが堕落してしまえば、他国にも波及する恐れがあります。

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