【日下公人】大陸・半島で生きるのは大変【繁栄のヒント】

【日下公人】大陸・半島で生きるのは大変【繁栄のヒント】

 百年前、地政学の元祖マッキンダーが「地中海は二つある。アルプス山脈の北側と南側の二つだ」と言って、ヨーロッパの人々はドレドレと地図を見直した。

 北の地中海はスウェーデンやドイツに囲まれた湾だか切れこみだかわからない海で、デンマークから大西洋に出てゆく。南の地中海はスペインとアフリカの間のジブラルタル海峡を通ってイタリア、ギリシャの南からエジプトまでゆく。スエズ運河が東の突き当たりである。

 その頃はアラブのほうが軍事力でも学術でもドイツやイギリスより優れていたから、ヨーロッパ人はカイロに留学した。三桁の掛け算や割り算ができるようになって北方の地中海(バルト海)に戻ると賢人扱いされて一生食えたという。計算をするときは人に見せないようにしていた。

 春になってアルプスの山の雪がとけると、チョロチョロと流れ落ちる水がやがて東へゆけばドナウ川になり、北へゆけばライン川になる。その分岐点は観光名所になっていて、観光客が川をまたいで「ヨーロッパの統合──または分裂はここにはじまる」と言いながら小便をするマネをしていた。

 アメリカのバイデン大統領に見せたら何と言うだろうか。分裂のほうが統合より簡単だと言うかもしれない。

 グローバリズムよりナショナリズムである。日本は千年以上前にすでに統一を完了しているので、それがどうしたになる。

 オランダのライデン大学の教授が「日本と仲良くしていた250年間はよかった。そのときオランダは発展して、ヨーロッパで一番の富強国になった」と言うので、「その代わりにインドネシアの農民は重税と作物指定制度に苦しんだ」と言い返したことがある。オランダは今でも日本に恨みを持っているらしく、宮中晩餐会で女王がそれを言いだしたが、日本側は相手にしなかった。オランダは、かつて東南アジアを植民地にしていたことが忘れられないらしい。

 日本が敗戦して兵を引きあげたとき、オランダはすぐさま戻ってきて日本の落下傘部隊の甲村武雄隊長を戦犯に指定して死刑にした。そのときアメリカは日本とオランダの間に入って、オランダが要求する植民地の回復を認めなかった…とあるから、平和の回復には実力十分な国の介入が必要で、祈るだけではダメだとわかる。
gettyimages (5250)

日本と仲良くしていたころは良かった…
 これからの日本外交を背負って立つ茂木大臣と河野大臣には、日本全国の総力をあげてのバック・アップが必要だと思う。

 ライデン大学の教授に「お宅には日本の古い地図がたくさんあるでしょう?」と尋ねると、「あります、あります」と自慢する。伊能忠敬がつくったものをシーボルトが命がけで日本から持ち出したものである。そんな雑談をしていると、彼は面白いことを教えてくれた。

 「さっきからオランダ、オランダと話しているが、実はオランダ人というのはいません。ライン川に捨てられた赤ん坊の中で、川下に着くまで生きていた丈夫な人の子孫なのです」
 
 旧約聖書に、ユダヤ人はなぜ賢いかという説明がある。そこには、モーゼ自身が川の芦の中に捨てられていた〝捨て子〟で、予言がよく当たるから学問奴隷から解放されたという話がある。

 それがオランダ人のはじまりで、捨て子の子孫だからスポーツでも何でも勝つのだとさらに威張っていた。土地はライン川のおかげで下流の海が自然に変化して陸になり、人々は伝統にしばられないので国は大いに発展したという。

 織田信長の楽市楽座と同じような話だなと思いながら聞いた。

 オランダ人は欲深で強情で伝統を超えた新しいことをするから、ヨーロッパ中から嫌われるという話の一つでもある。日本人はチューリップの花が咲いている風景を思いうかべるが、それとは別のことも彼等は考えるらしかった。

 「チューリップはトルコの花だから珍しい」とも言えるし、「売れるからつくっているだけ」とも言える。なぜ売れるかまで考えると、「トルコの王宮には世界各国からの美女がたくさんいて、官房長は『公平にお願いします』と王様に言うのが大変だったというエピソードを思い出すから…」というのもある。

 ともあれ、半島に生きる人たちは日本と違って色々たいへんである。
日下 公人(くさか きみんど)
1930年生まれ。東京大学経済学部卒。日本長期信用銀行取締役、㈳ソフト化経済センター理事長、東京財団会長を歴任。現在、日本ラッド監査役。最新刊は『日本発の世界常識革命を! 世界で最も平和で清らかな国』(ワック)。

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