橋本琴絵:コロナ禍の新常識に――「ローマ式挨拶」を導入せよ

橋本琴絵:コロナ禍の新常識に――「ローマ式挨拶」を導入せよ

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「ローマ式挨拶」と「ナチス式挨拶」は違う

 今からおよそ100年前の1918年、新型インフルエンザのスペイン風邪が世界的に流行した。日本では皇族の竹田宮恒久王殿下が感染して薨去されるなど、広範な影響をうけた。不幸にも第一次世界大戦の真っただ中であったため、各国は統計をとる余力がなく正確な感染者数は算定されていないが、何億ともいえる人々が感染したと考えられている。

 さて、現代では蔓延した新型コロナウイルスに対応するため、世界は新しい生活様式を導入した。たとえば手洗いの徹底やマスクの着用に加えて、皮膚接触を伴う握手の忌避である。代わりに肘をコツンと当てる挨拶が考え出されたが、実はスペイン風邪流行後はまた違った挨拶が導入された。「ローマ式」挨拶である。

 従来の握手では感染症対策がままならないと「ウイルス」がまだよく理解されていなかった時代であっても人々は経験的に理解していたのだろう。他人と皮膚接触をしない「新しい挨拶」が、右手を突き出して掲げるローマ式挨拶であった。これは、感染症の流行と導入の時期的一致があり、握手が忌避されていた時代背景とも一致する。

 文献上では確認されていないが、古代ローマ帝国の時代にこの挨拶は考え出され、長らく廃れていた右手を高く上げて手のひらを下に向けたまま突き出すスタイルの挨拶は、1923年にイタリアのファシスト党で正式作用され、1926年にはドイツのナチス党でも若干改良されて正式採用された。一般的にこの二つの挨拶は同じであると考えられているが、実は違う。ローマ式挨拶はただ右手を高くあげるだけであるが、ナチス式は空気中を勢いよく「突く」動作が含まれる。
橋本琴絵:コロナ禍の新常識に――「ローマ式挨拶」を導入せよ

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ローマ式とナチス式は異なる(写真はナチス式挨拶をするヒトラー)
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ベルリン五輪の影響

 よく戦争映画などに出てくるナチス役の俳優たちが右手を掲げる挨拶をしているが、戦後まもなく制作された古い映画であれば正しくナチス式敬礼をしているが、最近のものになると時代考証の正確性が失われ、「突き出す」という動作がなくなった。たとえば1981年に制作された「Uボート」では単に右手を上下して掲げているだけであり、「ハイル・ヒトラー」とは言っているがナチス式挨拶をしていない。一方、第二次世界大戦中の1943年にディズニー社が制作したアニメーション映画「総統の顔」では、ムッソリーニも東條英機もドナルド・ダック(この映画内で共演している)も右手を勢いよく突き出して正しく「ナチス式挨拶」をしている。

 独伊で若干の違いがあるとはいえ、この「ローマ式挨拶」は、実は1936年のベルリンオリンピックを契機にして世界中に広まった。スペインのフランコ政権など元からファシスト陣営と親和性が強かった地域のみならず、ナチス政権から武器供与や軍事顧問として派遣されていた中華民国(現、台湾)では、現在も「ローマ式挨拶」が国家元首である総統によって為されている。また、反イスラエルの機運が強いシリア陸軍やイスラム武装勢力のヒズボラでも、ローマ式挨拶が採用されている。

 私が卒業した地元広島の小学校でも、運動会の際には児童が右手を掲げたローマ式挨拶をして「宣誓、スポーツマンシップに則り……」と開会式をしていた。また高校野球や国民体育大会でローマ式挨拶が正式採用されている。これらはすべてベルリンオリンピックから始まっている。

 しかし、現代のドイツで「ローマ式挨拶」をすれば最大で禁固二年の刑罰となり、最低でも罰金刑となる。このため、ネオナチスの人々は親指と人差し指と中指を肩の位置まで上げる形式の挨拶で代用しているが、前述のとおりローマ式挨拶の歴史的経緯自体を鑑みれば、ナチスが採用したというだけで起源自体はナチスとは関係がない。これは、寺の地図記号が「卍」(まんじ)という漢字であると国際的に誤解を招くため廃止してしまったように、文化的問題があるといえる。ナチスが採用したものが何でも駄目ならば、そもそも現在執り行われている聖火リレーこそ、ナチスドイツの提案によって導入されたものであるため、廃止しなくはならない。

ナチスはパーでソ連はグー

 ここで一つの疑問が生じる。スペイン風邪(新型インフルエンザ)のパンデミックが起きてローマ式挨拶が採用された地域と、採用されなかった地域にはどのような差があるのだろうか。

 実は、「握手に替わる挨拶」は全世界的に採用されていた。かのソ連であっても、ローマ式挨拶のように指を揃えて右手を広げるのではなく、拳を握りしめた「グー」のバージョンの挨拶を共産党大会で正式採用している。現代でも5月1日のメーデーで労働者たちが団結を示すために右手の握りこぶしを掲げるのも、また現在の日本共産党や野党共闘の際にも右手をグーにして伸ばして気勢をあげるのも、「ナチスはパーでソ連はグー」という歴史的事実の延長にあたる。

 一方でアメリカでは「ベラミー式敬礼」といい、国旗掲揚時にやはり右手を高く上げるローマ式敬礼が採用されていた。しかし、ナチスドイツと戦争が始まった1年後の1942年、敵国と同じ挨拶というのはおかしいだろうという話になり、旗法(United States Flag Code)という法律をつくったことで、今日のアメリカでも採用されている「右手を自分の胸に当てる」という方法になった。

 ではイギリスではどうか。実は、イギリスでもスペイン風邪の流行以後、挨拶の形式が変わった。イギリス空軍では自分の右の眼球よりも後ろに右の手のひらを斜めにして相手に見える状態にし、イギリス陸軍では自分の右の眉骨に人差し指が触れるか触れないかの位置にして手のひらを斜めにして相手に見せるようになった。しかし、イギリス海軍は海上という隔離された場所で生活していたため、パンデミックによって挨拶が変化することはなかった。
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イギリス軍将校の敬礼に対して答礼を行う南方軍総参謀長陸軍中将・沼田多稼蔵(中央)
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伝統的価値観を取り戻せ

 このようにパンデミックの影響を受けて世界的に挨拶の方法が変化した中、日本ではもともと「お辞儀」が伝統的挨拶であり他人との皮膚接触がなく、挨拶文化はパンデミックの影響を受けて特段の変化をすることはなかった。一方で、現代日本人がコロナウイルス全般に対してほかの人種よりも遺伝学上で強い耐久性を持つという研究もあり、それが事実だとすれば古代の日本列島ではコロナウイルスが流行して免疫を持たない人々が死に絶えて子孫を作ることが出来なかったことを推認させる。このような風土の中、他人と接触しない「お辞儀」や「会釈」が伝統的挨拶になったものと考えられる。

 感染症対策という視点から伝統文化を見てみると、たとえば何か不幸があったときは一か月以上の自粛生活をして大勢で飲食をしない習慣が遅くとも平安時代には定着し、神社では手水といって手洗い漱ぎをする宗教的慣習が定着している日本は、さすが世界で最も古い歴史を持つ国だといえよう。

 そのほか、伝統的な催事で女人禁制があるのも、女性は妊娠している可能性があるも妊娠初期は外観から判別ができず、妊娠初期に何らかの病原体に感染すると死産や奇形児に出生確率が高まるなどの経験則が広く共有されていた場合、多くの人が集合する催事に女人禁制のルールが「慣習」としてでき上がるのも納得がいく。

 今回の新型コロナウイルス感染症の流行は、伝統と歴史が「なぜそうなのか」といった視点と学びを私たちにもたらしたと言えるのではだろうか。

 少なくとも、もう「握手」はない。なればこそ、「お辞儀やローマ式挨拶」に付帯する伝統的価値観を改めて見直す時局ではないかと思い、批判を承知であえて本論は提案する。
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橋本 琴絵(はしもと ことえ)
昭和63年(1988)、広島県尾道市生まれ。平成23年(2011)、九州大学卒業。英バッキンガムシャー・ニュー大学修了。広島県呉市竹原市豊田郡(江田島市東広島市三原市尾道市の一部)衆議院議員選出第五区より立候補。日本会議会員。

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